昼顔が枯れる

雨虹みかん

昼顔が枯れる

 夏が終わるということは、昼顔が枯れるということだ。昼顔は本当の夏の終わりを知っている。夢見昼顔から恋路十六夜に変わるときというのは、表面上の夏の終幕だ。残された夏は空の容器にへばり付いたガムシロップのようになかったことにされていつしか消える。夏は人々によって終わらせられるものなのだ。今朝の天気予報で、気象予報士がこの暑さを「残暑」と表現していた。スーパーからは瓶ラムネが消えた。スーパーに行ってラムネを探したけれど見つけられなかった僕は店員にラムネの場所を聞いた。店員は今年の分のラムネの販売は終わったと言っていた。そしてその店員は笑うのだ。

「夏はもう終わりましたよ」

 僕はふらふらと家までの道を歩いた。世の中の夏の終わりは偽物だ。夏の終わりを、夏と秋の境目を、知っているわけがないでしょう。ふと夕焼け空を見上げると烏の就塒前集合が目に映る。僕はそれから目を逸らすように俯いた。すると、ついこの前まで道端に咲いていた昼顔が枯れていた。それを見て僕はやっと納得するのだ。ああ、夏はもう終わったのだと。

 僕は昼顔だけを信じる。昼顔は本当の夏の終わりを知っている。昼顔が咲いて昼顔が枯れる。それは夏の始まりで夏の終わり。昼顔が枯れるということは、夏にさよならを告げること。「さよなら」は終わりで、「またね」は再びだということは絶対ではないということを僕は知っている。

 夏が終わるということは、僕の命が終わること。昼顔が枯れるように僕も枯れる。僕が枯れるということは、僕が夏を終わらせるということ。朝顔は嫌いだったけれど昼顔は好きだった。朝陽を浴びることのできない僕を差し置いて咲いて枯れる朝顔に絶望する僕を薄ピンクが見つめた。僕が夏を終わらせるということは、昼顔にさよならを告げるということ。

 僕は拳の中で粉々になった枯れた昼顔を、一欠片ずつ空に飛ばす。

 さよならじゃなくて、またねを告げてもいいだろうか。昼顔は僕を裏切って来年は咲かないかもしれない。それなら。それなら、僕は昼顔を裏切らないことにしてみようか。またね、をその言葉だけで終わらせないことにしてみようか。

 昼顔が枯れるということは、一つの季節を今年も生き抜いたということ。昼顔が枯れるということは、僕が生きているということ。

 僕は昼顔を想ってノートに文字を綴る。

 夏が終わるということは、秋が始まるということだ。

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