第10話

 新居が完成すると、両親は引っ越して行った。三人で暮らしていた間は、狭苦しく思えていた部屋が、今度は閑散として寂しげに見えた。両親が寝起きしていた部屋は、うっすらと乳白色の光に包まれて、寒々としていた。和室の畳の上に、並べて置かれていた布団はなく、持ち物を入れたまま置かれていた段ボール箱も、今はもうなくなっていた。

 最近になって、物思いにふけるときの恭介に、胸を締め付ける苦しみが襲ってきた。はたして、すべての出来事に意味の連続性があり、価値のあるものなのか? それとも、馬鹿げた無意味が目の前に展開しているのか? 考えるたびに、恭介は嘔吐を催した。恭介が目覚めると、その日のうちに何十人、何百人のサラリーマン、OL、学生、主婦、乳幼児、老人たちに遭い、大半の人とは、言葉を交わさずに、すれ違っていくだけだった。

 夜になり、眠るとともに彼らの多くは、記憶の闇へと仕舞い込まれていく。全体に秘匿された意味があり、いずれは謎が明かされるものでもなく見えるのは、まやかしとしか、感知できない。世界は稀有壮大な幻想で、見せかけの個我は存在せず、もっぱら茫漠たるエネルギー・フィールドだけが存在するとしたら、経験のどこに価値があり、何に意識を用いるべきなのか? もし、世界に意義などないのなら、存在の不条理の奴隷になるしか、何も残らなくなりそうだった。

 次の日は、休日にもかかわらず、終日、家の中で過ごした。コーヒーを飲みながら、週刊誌を開き、グラビアや世俗的な記事に目を通した。エロティックな写真や、芸能人のスキャンダル、あまり面白いとは思えない漫画でも、退屈しのぎにはなった。

 外はどんよりとしていた。部屋の中まで、じめじめとした陰気な空気が漂い、視界が霞んでいた。恭介は、ぼんやりと窓に近づき、外を眺めた。どしゃぶりの雨の中をクルマが行き交い、歩道には傘を差して急ぎ足で歩く人の姿もあった。雨脚が強くなると、それらも明確には見えなくなり、ザーツと大きな雨音だけが耳に届いた。自分の内にある思考が、無気力感で枯れてしまいそうに思えた。

 鬱屈とした気分のときには、悲しい曲が心を癒した。恭介はステレオにレコード盤を載せると、ショパンの『別れの曲』や『ノクターン』を聞いた。

 菩提寺も被災し、長いあいだ住職の法話が聞けなかった。堂塔伽藍や納骨堂の再建のための工事が終わり、寺ではまた法要が営まれた。震災前は古い寺だったが、建物には日本建築にある独特な陰翳があり、風情があった。再建された寺は、頑丈な鉄筋コンクリート造で、外観は立派に見えたものの、以前のような風格が感じられなくなっていた。

 久しぶりに寺を訪ねると、良順和尚は「災厄は、時として人に命の有難さを教え、恵まれている幸いに気づかせてくれます。被災して、家族を失った人、怪我をした人、財産を失った人の状況を考えると、容易ではありませんが……。こういう時に、気持ちを強くして、目的を持って生きようとする人の姿を必ず、仏様は見ていてくださいます」と、柔和な表情で伝えた。

 恭介は、マンションの管理室の前を通った。新しい管理人は、窓ガラスに顔を近づけると、恭介を見て微笑みかけて来た。エレベーターに乗っているときに――前の管理人が、住宅ローンが返済できなくなって自己破産した――風聞を思い出していた。恭介の頭の中には、前任の管理人の辞める直前の疲労困憊し、青ざめた顔が思い浮かんでいた。

 突然のごとく、恭介が今を生きているこの世界を愛せなくなったとしたら? 至福や快感への欲求ではなく、高邁な精神への憧憬や、日本人としての誇りや、向上心へのこだわりをすべて失ったとしたら、人間的な生き方を続けられなくなりはしないか? 人と動物とを隔てているものは、人間が目的を持って生きている点にしか、恭介は見出せなかった。

 仮想の不幸への危惧の念は、解決手段が見つかるまでは、完全になくなる展開は見込めなかった。日本では大震災や、台風による風水害が依然として、脅威に思われた。人間は迷路を徘徊するラットのように、全体を俯瞰できずに彷徨い続けた挙句、臨むべきゴールにたどり着かないままに、通りの角に来るたびに身体を打ち付けて、苦しみを享受していた。そろそろ、無目的に進む愚行をやめて、進行方向に向けて軌道修正しつつ歩き始める必要があった。それは、今の日本にも当てはまった。

 天変地異があろうとなかろうと、世界は時の歩みを止めず、変化し続けていた。恭介は、周囲と同様に、次に来る大きな変化のトレンドは、IT関連分野が創出すると予感していた。一九九五年十一月にマイクロソフトが、Windows95の日本語版を発売すると、秋葉原などの家電店で行列ができている様子が報道された。

如月は喉から手が出るほどに、新しいパソコンを欲しがっていた。

「電化製品は技術の向上で、後になるほど安くていいものがでてくるよ。僕は、今買う気がしない。もう少し、様子を見るよ」と、恭介が告げると

「君は、独善的すぎる。今欲しいものを今買う。それが、素直な人間だ」と、如月は不機嫌な顔をした。

 如月は恭介の意見を無視して、十二月のボーナスが出ると、さっそく買い求めて得意がっていた。

 恭介の中で何かがはじけると、現実にある暗がりの中に夢想に似たイメージが溢れ出した。だが、それは希望に満ちたものではなく、悲しい湿り気を帯びていて、やるせないものだった。行内には、恭介の理解者がいないばかりか、実家が被災してからは大半の者は、恭介を軽侮の念で見ている気がしていた。

 如月に至っては、結婚を前にして「京都の実家の両親が、当面は金銭的な支援をしてくれる。もともと、金に困っていないので貯金に回すつもりだ」と、自慢げに明かした。恭介は、それが酷く羨ましく、惨めな気分にさせられていた。如月に対する嫌悪感が急速に膨らむと、恭介は息苦しさで窒息しそうな気がした。かといって、弱さや困窮を演じて同僚の憐れみを誘えるほど、恭介は世知に長けてはいなかった。

 恭介は、仕事や遊びや恋愛に……、強い情熱を求めていた。人生のあらゆる局面で、内燃機関のように、燃え盛る情熱が必要だと感じていた。今の恭介の心は、仕事への思いが燃え尽きてしまい――余熱で燻り続けている状況だった。恭介には、無目的に似た目的のために、無為な時間を過ごすのは不可能だった。

 虚構を記すのを習慣化している小説家は、知力を鍛え、思索をめぐらせる。小説家たちは、想像力を駆使するのが何よりも重要だと知っている。だが、客観的な事実だけを記述していては、小説は成り立たない。彼らに特有の美学が、創作に力を与える――と、恭介は想像していた。恭介は、自分の状況が現実ではなく、小説家の作り上げた想像の産物のような気がしていた。混乱のあまり、現実生活がそれに相応するだけ、リアルなものには思えなくなった。

 その日は――退職願――を胸ポケットに忍ばせて、信託銀行ビルに出向いた。六基あるエレベーターは、一階から十階までの低層階、十一階から二十階までの中層階、二十階以上の高層階用に分かれていた。

 恭介は、中層階用のエレベーターに乗ると、信託銀行本部のある十六階で下りた。真っすぐに所属長のデスクに行くと、退職願を手渡した。所属長は「預かっておく」と、あまり興味なさそうに、退職願いの封筒をポンと置くと、すぐに他の書類に目を通していた。

「まあ、しょうがないわな。よくあることだ」と、所属長は告げると、楽しそうににやりと笑った。それは、周囲に人がいないときにだけ、所属長が見せる表情だった。

 全身が、気味の悪い倦怠感に包まれていた。恭介は、何をする気にもなれなかった。部屋の中を掃除し綺麗に整理整頓する気にも、新しい恋人を見つける気にも、しばらくは職探しをする気にもなれなかった。

 亀山と茶谷は、恭介が銀行を退職した後も友人関係が続いた。彼らはユイが恭介にしたように、恭介を心の弱さから救い出し、放蕩を教え、悪夢から目覚めさせていた。彼らは、良順和尚とはコインの裏表のように、なくてはならない存在になっていた。恭介は、周りの人々に裏切られてきたが、彼を支えたのも周囲にいた人々だった。

 亀山は「バブルの頃は、広告会社、司法書士事務所、家具問屋などの多くの業者の接待攻勢に遭い、夜遅くまで付き合わされました。あの時期に、フォアグラ、トリュフ、キャビアを食べたり、高級クラブに招待されたりしました。自腹では飲めない名酒にもありつけました。僕にとっては、夢のようでした」と、打ち明けた。

「あの頃は、君や茶谷さんが羨ましかったですよ」

「人間は本来、逞しくできています。高級ワインが安酒になろうと、分厚いステーキ肉が、ハンバーグに変わろうと、それなりに豊かな食卓を囲んで、楽しい時間を過ごせます」

 茶谷は「僕は、現状に大いに不満があるけどね」と反論した。

 U社のような不動産会社は、建設工事の施主として業者から、数多くの接待を受けていた。逆に、恭介のような銀行員が融資先から接待を受けると、行内規定に反するので処罰の対象になっていた。バブル当時の恭介は、景気の過熱に異常を感じていたものの、今になって懐かしさを感じた。

 学歴、容貌、健康状態など、何か人の弱点を見つけると、それを拠り所にして他人を責め立てる器の小さい人間は、どこの世界にも存在した。恭介の両親が被災した後は、それまでは――資産家の息子――として、見ていた行員の中にも――被災者の息子――として、あからさまな軽侮の念で、突き放す者がでてきた。恭介は、バブルの頃に批判的な姿勢を見せて、疎まれた経験から、言動に注意を払っていたものの、随分と居心地が悪くなっていた。

 彼らの中には、大阪にいて地震の被害に遭遇しなかった幸運や、現状の生活の至福を恭介の鼻先でひけらかし、自分がいかに恵まれているかを自慢げに言葉にする者もいた。恭介には、彼らの虚栄心が胸に痛みをもたらす毒のように感じられた。

 人間の中には、阿修羅のごとく支配・被支配関係のいずれかに属していないと、不安で仕方がなくなる者が存在する。水や空気を求めるのと同様の構えで、他人を隷属するのを求める連中である。要するに、自分は目下の者を怒鳴りつけるのに平気でいられるが、他人の意見の申述は退けて、口答えを封じ込める者たちだ。それとは逆に、自分の意思を捨てて、他人の意のままに操られるのを苦にしない者たちも厄介だった。彼らは、決して……人の味方になろうとしなかった。民主主義の国にいながら、およそ民主的ではない構えで臨まれると、恭介はいつも強い失望を感じた。弱い立場に置かれるほど、強い立場の者から冷遇される破目に陥った。

 一方で銀行を退職してからも、U社の亀山や茶谷とはつきあいが続いたが、同僚の如月とは疎遠になり、年賀状の返事も来なくなっていた。恭介にとっては、新たな苦境の始まりとなった。今までは、無理解な上司や如月に対する意地で何とか頑張り通していたものの、精神的な疲労感に合わせて、意地が揺らいでいるのが、恭介には分かった。

 失業期間中は、繁華街よりも公園に出かけてベンチに座ると、考え事をした。樹木や芝生や土の地面は、都会の中にある自然であり、ゆったりとした安らぎでもあった。昼食を終えると公園に行き、日なたをぶらぶらと散歩したり、ブランコや滑り台で遊ぶ近所の子供の様子を観察したりして時間を有意義に過ごした。

 公園で薄ぼんやりと時間を過ごしていると、他人の目を強く意識せずにすんでいた。恭介は、木陰にあるベンチに腰を下ろすと、萩原朔太郎や中原中也や三好達治の詩集を味読した。彼らの詩を読んでいると、自分が美学者の道を歩み始めた賢人のような気がした。

 恭介は、公園にいてビートルズの『フール・オン・ザ・ヒル』を思い出した。この曲は、周囲の誰からも理解されていないにもかかわらず、孤独な暮らしを続ける賢人について歌われた楽曲だった。今の恭介には――丘の上のバカ――の心境が理解できた。

 次の仕事は、すぐには見つからなかった。ハロー・ワークに相談すると「給与の希望額が大き過ぎるので、大幅に見直してください」と、職員は淡々と告げた。

 夢を見ると思考の整理につながり、心の負担を軽くする――と恭介は考えていたが、気持ちにあせりが生じると、寝ているときに悪夢をみる日が多くなった。

 恭介は、菩提寺を訪ねると、良順和尚は法話で「人は本来、仏様と同様に永遠不滅で、完全無欠な絶対的な存在です」と、話し始めた。「即ち……」と、信者を見回すと「生死、善悪、富と貧困、美醜や真贋、陰陽の差異などの相対を経験して、仏様と同じ自分自身の絶対性に気づき、霊的に進歩していくのです。絶対者である仏様は、あなたの内側にも存在します。それは、他者の上に君臨する絶対ではなく、異体同心で他者と共にある絶対……、つまりは慈悲の存在です。それに、深く気づけば人は救われるのです」と、教えた。

 深く気づく――悟りの意識の境涯は、那辺にありや――に対する答えは、恭介には容易に見つかりそうな気がしなかった。それは、知識や、思索や熟考よりも、直感から来るもののように思われた。

 和尚は「常不軽の心構えや、和顔愛語が尊く、正しいのは、それが仏様の本質と同じだからです。それゆえ、愛と慈しみの心で生きるのが修行になるのです。私は、この世界を慈悲のための道場だと考えています」と、付け足した。

 恭介は、以前の法話で「天地万物は……、山川草木国土悉皆成仏有情非情同時成道――と、いわれるように、仏様と同じ性質が内在しています。それに、気づき、慈しみ、味わうのが仏教では大事です」と、和尚から教えられていた。理屈では分かっていたが、酷薄な現実を経験して、恭介は今も、凡夫の悩みのために傷ついていた。

 就職活動を継続し、恭介はやっと不動産鑑定士事務所に就職した。取得した資格を活かせるし、将来の独立への布石にしようと考えた結果、そこに決めた。当面は、新人扱いなので、年下の上司に仕える状況になった。

 高校卒で恭介より五歳年下の事務員は、仕事の要領や書類の所在を尋ねても、面倒くさそうに教えた。以前、尋ねた内容を再確認しようものなら「俺は、同じ話を二度は言わない主義ですよ。渋江さん、あんたは一応大学出ているのですよねえ。一応、聞くけどね」と、口を尖らせた。

 動揺し、頭が空っぽになると、思い出せる記憶も思い出せなくなった。まるで、他人の頭の中の記憶を眺め見るのと同様に、何も取り出せなかった。時折、自分が誰だったのか、思い出せなくなるような感覚にとらわれた。恭介は――冷静に考えよう――と、自分に言い聞かせるのが習慣になっていた。誰に……、どう言われようと、恭介は――自分を単なる魯鈍で益体もない馬鹿だ――と思いこめるほど、実際には愚かではなかった。

 寓話の『ゆでガエル』では――カエルを熱湯にいきなり入れると、飛び跳ねて鍋の外に出るが、冷たい水の状態から徐々に湯を沸かしていくと、水温の上昇に気づかないまま、ゆでられて、死んでいく――と、物語られていた。

 環境の緩やかな変化に気づきにくく、熱しやすく冷めやすいとされる日本人は、ゆでガエルになりやすい弱点を抱えている。日本人は――繊細で、勤勉で、優秀――の自己イメージを持っている。そんな思い上がりを軸に考察するため、判断を曇らせ、日本人を変化に気づかない鈍感な国民にしてしまった――と、恭介は思っていた。

 しかしながら、恭介は――あの熱狂的なバブルの時代は――万人が豊かになり得る可能性を見せつけた時代でもあった――と考えていた。戦後の日本は、集団主義や平等主義が評価されるとともに――もっとも成功した社会主義国――と、エコノミストたちは名づけていた。

 資本主義社会でありながら、社会主義のスタンスをとる……日本型社会主義は、批判にさらされたものの、もし、日本の戦後の目覚ましい復興と、バブルの熱狂がなければ、社会主義国はあのタイミングで崩壊しなかったのではないかと、恭介は思っていた。社会主義の多くの国は、日本に憧憬の念を感じていたのに相違なかった。

 バブル景気と崩壊は、日本国民を大きく変化させて、それまでの人々とは異人種のように違う者にしてしまっていた。高度経済成長期の日本人は、努力家で、生活に夢を持ち、貯蓄に励み、長幼の序を心得ていて、家族関係を大事にしていた……としたら、今の日本人が何者なのか、当時の日本人には理解できないだろう――と、思わざるを得なかった。

 ギリシャ神話のシーシュポスは、神に背いた罪を問われ、巨大な岩を山頂に運ぶ罰を科された。シーシュポスは、命令に忠実に従って山頂に巨岩を運び続けるが、作業を終えた瞬間に岩は転がり落ちた。神の罰は、同じ作業を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならない刑罰だった。

 ナチスは強制収容所で、もっとも重い刑罰としてシーシュポスの罰と同様に――作業が終了した後で、すべてを台無しにする――徒労の罰を科した。それを何日か続けさせれば、囚人は自殺するか、希望を失い自暴自棄になるしかなくなった。バブル崩壊に起因して――国民は苦労して蓄財したものを失っていた。それに加えて、ローンなどの負債だけが残った。それは、シーシュポスの神話の徒労の罰を再現する苦悩を上回るものとなっていた。

 世界が迷走すると、必ず取り残された誰かが深手を負い、命の危険にさらされる。非力な人々には――不条理に支配され、人間的営為のすべてが、水泡に帰してしまわないよう――に、念じるしか、手立ては残されていない。それがすべてではないが、未だにそういう経験をする人たちで満ちていた。

 問題は悲しみではなく、目に見えて絶大な影響力を持ち、暴力的な傷をもたらす何物かを登場させるシステムの側にあった。歴史の闇の中から、ぐるぐると旋回する力の連鎖は、かつて人類が経験した悪夢を再現する。そうすると、必ず負の歴史が繰り返される展開につながっていた。それらは、すべてが薄ぼんやりとした恐怖ではなく、経済状態が悪化し、多くの夢を断念せざるを得なくなった人々に、生活の苦悩を与えていた。

 恭介は苦労を経験し、それを乗り越えて強くなっていた。しかし、苦労が恭介の霊的進歩を促す、艱難辛苦として機能したのか否かについては判然としない。光明の世界に人々を結びつける絆があるのなら――、生きている人たちが、他人を傷つけ貶めるために、呪いのごとき罵声を浴びせて平気でいられる理由が分からなかった。

 人が世界を認識する時、周知の事実については多様性によるものだと捉え、解明できていない事象については奥行きの深さだと洞察する。人類にとっては、未解明の事象が多く、まだ奥行きの深さが分からない物事が数多く存在していた。

 良順和尚は「絶望と諦観は違います。諦観には諦めの向こうに悟りの境地があり、それがあるからこそ、超然としていられるのです。無暗に命を粗末にしてはいけませんが、法華経に説かれる完全無欠の仏性のように、人の内側には命よりも大事な価値があります。それを理解した時に、初めて人は自由になれるのです」と告げた。

恭介には、心の支えが必要だった。












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水の泡 美池蘭十郎 @intel0120977121

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