水の巫女と青銀の龍
入江 涼子
第1話
これは現代の日本の片隅の物語だ。
あたしのご先祖様は巫女さんだと聞いたのが何年前だったろうか。もう幼い頃の話だと思う。お祖母ちゃんが聞かせてくれたという記憶がある。
お祖母ちゃんの話によると千年以上も昔から巫女の役割を脈々と受け継いできた家系だと聞いた。仕えている神様は地母神である伊豆名の女神様らしい。伊豆名様は水神であることから仕える巫女さんは水の巫女と呼ばれていた。
あたしの家の名字は水之江という。水之江家に生まれた女の子はある条件を満たすと巫女となれる。その条件というのが伊豆名様の持つという勾玉の首飾りに認められることだった。御統(みすまる)と呼ばれているらしくお祖母ちゃんが大事に持っていた。そしてお祖母ちゃんは五年前に亡くなった。次代の巫女を選ぶため、我が家には久しぶりに親戚一同が集合した--。
「……怜。今日は何の日かわかっているな?」
そう言ったのはあたしの父で当主の水之江 陽一だ。父の横には母もいる。母は名前が万理江といった。父母共に年齢は五十代だった。この両親の他に伯父や伯母、いとこ、はとこまでが揃っている。父方の親戚一同が集まっていると言えた。後はお祖母ちゃんもとい、祖母の夫--祖父の兼頼もいた。あたしはじっちゃんと呼んでいたが。じっちゃんも伯父、伯母達も厳しい表情をしている。
「うん。わかってるよ。お祖母ちゃんの命日でしょ」
「それはそうなんだがな。お祖母ちゃんの遺言をお前や他の皆にも教えようと思って。それでうちに集まってもらったが」
「え。お祖母ちゃんの遺言?」
「……ああ。簡単に言う。お祖母ちゃんは御統を孫の内の誰かに継いでほしいと生前に言っていた。ちなみに水之江家の血が濃い娘にな」
「水之江家の血が濃いね。あたしか隣町のつぐみちゃんくらいよ?」
あたしが言うと父はふうとため息をつく。
「つぐみちゃんだと体が弱いからな。あの子は継げない。となるとだ。御統を継げるのは。怜、お前しかいない」
「……ええっ。やっぱりあたしが継がないとダメなの?」
「仕方ないだろうが。両親共に水之江家の血が入っていて体が健康。条件に当てはまるのは怜くらいなもんだ」
あたしはふうと息をつく。嫌々だけど引き受けるしかないらしい。
「……皆。わざわざすまなかったな。今日の集会は終わりだ。帰ってくれていいぞ」
当主の父が言うと皆、ほっとしたような顔になる。こうして親戚一同の集会は終わりを迎えたのだった。
和室の畳の上でごろんと寝転がってはあとため息をついた。手には小さな片手に乗るくらいの勾玉が連なるネックレス--御統があった。お祖母ちゃんの形見の品として表向きはあたしに渡されたが。その実、当代の巫女に選ばれたのだ。自分には責任重大だなあ。そう思ったのだった。
『……そなたが当代の水の巫女。月姫か?』
いきなり低い声で呼びかけられた。驚いて飛び起きる。キョロキョロと辺りを見回したが。
『何をキョロキョロしている。我はここだ』
あたしが上を向くとトカゲかヘビみたいな生き物が宙に浮いている。だが、小さな角と鬣(たてがみ)、ヒゲ的な物を見つけた。これはもしかして……?!
『……我が見えるか。ふむ。屋内では元の大きさに戻れんし。巫女、外に出てくれ』
何でだと言いたくなったが。口が塞がれているらしいのでコクリと頷いた。あたしは立ち上がると勝手口に向かった。この家、無駄に広いんだよね。それでも歩いて行く。生き物も黙ってついてきた。
勝手口の方にある健康サンダルを履いてドアを開ける。すうと風が吹いた。今は初夏なので夜は肌寒いくらいだ。我慢して庭に出た。広い場所に出ると生き物はそこに降り立った。
『ここだったら良かろう。巫女、我は伊豆名の女神と誓約せしもの。代々、伊豆名の神に仕える巫女を守護してきた』
生き物はそう言うとカッと眩い光を放った。あたしはまぶしくて目を閉じた。
しばらくして目を開くと銀の鱗と青の瞳の美しい東洋風の龍が鎮座している。
「……龍だったんだ」
『左様。我は御統を受け継ぐ巫女しか姿が見えぬ。伊豆名の女神は多忙なお方故。代わりに巫女を守ってきた』
ふうんと言うと龍はククっと笑った。鋭い牙が見えてちょっとゾワッとなる。
『……巫女。汝の名を教えておくれ』
「……怜。水之江 怜」
『レイというか。あいわかった。が、他の龍の前では名字を名乗れ』
「何で?」
『……龍にとってレイという音はその。色恋の呼びかけの時に使う声と似ていてな。男龍の前で迂闊に言うと勘違いされるぞ』
えっと言うと龍はふうとため息をつく。その仕草と表情は妙に人間くさい。
「……色恋?」
『わからぬか。今の時代でいうと。恋愛と言った方が良いかな』
「……げ。あたしの名前を迂闊に言うと。アプローチしてるって思われるって事なの?!」
『そういう事になるな。女龍は良いのだが』
「わかった。けど他の龍と会う事ってあるのかもわからないよ」
そう言うと龍は面白いのか目を細めた。ククっとまた笑う。
『まあ、そうかもしれんがな。ああ、言い忘れておった。我は名を蒼月。レイ、これからよろしく頼むぞ』
「……うん。よろしく」
龍こと蒼月は自己紹介をした後、ごおっと疾風を巻き起こす。あまりの風の強さに腕で目を庇う。風がやむと目を開ける。だが、既に蒼月の姿はそこになかった。月がぽっかりとあり満天の星がある。雲と夜空と。それらが視界に入るだけであたしは唖然とした。何のことやらと思いつつもふうとため息をまたついた。仕方ないので勝手口から中に入る。この日は夕食を食べて学校の課題をやって。お風呂に入り普通に寝たのだった。
翌日、起きると早速御統が熱くなって輝き出した。虹色の光に包まれて眠気が一気に醒めた。
「……一体、何なの?!」
『怜。起きたようだな』
低い男性らしき声が頭の中に響いた。これは昨日に知り合った蒼月だ。何だと思いながら返答する。
「もしかして蒼月さん?」
『ああ。おはよう。ちょっと用があってな。怜、今日は時間あるか?」
「……ううんと。今はゴールデンウィークだから時間はあるけど」
『なら、決まりだな。軽食と飲み物を持って外へ出てきてほしい。後身支度はちゃんとしろよ』
「余計なお世話だよ。身支度はちゃんとするに決まってるでしょ」
言い返すと蒼月はククっと笑う。面白がる響きがある。それだけでムカッとなった。
「……蒼月さん。軽食と飲み物持ってどこへ行くっていうの。あたし、今日はゆっくりしたかったのに」
『今の時代でいうピクニックをしたいと思ってな。ああ、時間は昼の2時にする。今は朝方の8時だろう。十分に準備する時間はあるだろうが』
いきなり何を言いだすのだ。この龍は。ていうか、あたしはこいつの便利屋か!!
「わかりましたよ。準備すればいいんでしょ」
むすっとなりながらも言った。蒼月はじゃあなと言って通信を切ったらしい。何も聞こえなくなる。仕方なく起きて歯磨きと洗顔をしに一階に降りたのだった。
「……おはよう。怜」
「おはよう。母さん。聞いてよ。朝っぱらからお祖母ちゃんのペンダントが光り出して。そしたらあんのバカ龍。いきなりピクニック行くからお弁当や飲み物用意しろとか無茶苦茶言ってくんのよ。もうムカッ腹が立って仕方ないったら」
「え。バカ龍って。もしかして巫女の守護龍様の事かしら?」
「そうだよ。バカ龍の野郎。会ったらただじゃ置かないんだから!」
「……そう。仕方ないわねえ。お弁当は母さんが急いで作ってあげるから。朝ごはん、食べちゃいなさい」
はあいと言ってあたしは母お手製のお味噌汁とほかほかのご飯、だし巻き、納豆、お野菜の煮物を食べ始めた。しばらく黙々と食事をする。その間に父が起きてきた。今日は土曜日の為、父も会社がお休みだった。
あたしは既に納豆とだし巻き、煮物を全部食べ終えている。後はお味噌汁とご飯だけだ。ガサガサッと男の子ばりにかきこむ。お行儀が悪いけど急いでいるからしのごの言っていられない。こうして朝ごはんを食べ終えると再び二階の自室に戻る。すると、何故か信じられない光景が目に入った。なんと、あたしの部屋に白銀に輝く美しい長い髪と透き通るような藍色の瞳の和服を着た麗人がいたのだ。
「……あのお。ここは個人の住宅ですよ。勝手に入ったら不法侵入になるんですけど」
「……不法侵入か。確かにそうなるが。怜。私だ。わからぬかな」
「はあ?私だと言われてもわかるわけないでしょ。まずは自分の名前を名乗ってからじゃないの」
あたしが警戒心丸出しで言うと麗人はふむと考え込んだ。
「……本当だな。名を名乗ってなかったな。私は蒼月だ。お前の守護龍の」
「ええっ。あなた、昨日に会ったあの蒼月さん?!」
「そうだ。昨日は守護龍っぽく見えるように言葉遣いを変えてみたんだが。朝方は悪かったな」
あたしは仕方なく頷いた。蒼月は苦笑した。
「……怜。とりあえず、ご両親に挨拶させてくれないか?」
「わかった。付いてきて」
あたしは蒼月を連れて一階に再び降りたのだった。
その後、蒼月と父母が会するという奇妙な現場に立ち会う。いきなり白銀の髪と藍色の瞳の麗人が現れたので二人ともすごく驚いていた。父は持っていたお箸を落としてしまい、母は固まっていたが。
「……驚かせて申し訳ない。私は水の巫女の守護の者で蒼月という。初めましてでいいかな?」
蒼月が苦笑しながら言うと一番に復活したのは母だった。持っていたしゃもじを炊飯器の横に置くとよそ向きの笑顔でふふっと笑う。
「……あらあら。守護龍様だったのね。いきなり人間の姿でおいでになるからびっくりしましたよ」
「怜のお母様だったな。私の名を知っているようだが」
「ええ。義母から伺っていますよ。お祖母ちゃんと言った方が怜にはわかりやすいかしらね」
ほほうと蒼月は言う。母はにっこりと笑ってから大きな包みをあたしに差し出した。
「……はい。怜、お弁当よ。蒼月様とあんたの分が入っているから。たくさん食べていいわよ」
「ありがとう。母さん」
「どういたしまして。それより怜。服を着替えてきなさいな。蒼月様はここで待っていてください」
「え。私も……」
「……怜が恥ずかしがるでしょう。いいですね?」
母が有無を言わせぬ圧力をかける。蒼月はこういう時の母には逆らえないとわかったらしい。大人しくコクリと頷いたのだった。
その後、あたしは大急ぎで薄い水色の長袖のシャツとジーンズ、黒のパーカー、グレーの靴下と動きやすい服装に着替えた。ピクニックだともうちょっと気取った格好でもいいだろうが。急だったのでそこまではできない。仕方なく髪をブラシで整えて寝癖直しを軽くかける。手櫛でざざっと直し、お化粧水と乳液をパパッと塗り込んだ。カラーリップクリームを塗ってから身支度は完了だった。何せ、あたしはまだ高校三年生でメイク道具は買わせてもらっていない。これくらいが精一杯だった。その後、一階の台所に行くと父母と蒼月が和やかな雰囲気で待っていた。
「……怜。準備は出来たか?」
「うん。じゃあ、行きましょうか」
あたしはお弁当の包みを部屋から持ってきたトートバッグに入れた。そうして荷物持ちに徹して蒼月とピクニックに出発したのだった。
と言っても近所の自然公園に行った。片道で十分程の所だ。てくてくと人化した龍神様と歩く。今日がいい天気で助かった。ほっと胸をなでおろす。けど通りすがりの方々の視線が痛い。何あろうこのバ、ゲフンゲフン。龍神様のせいだ。あたしは蒼月を無視しながら足を進める。蒼月は気にせずに付いて来ていた。何だってゴールデンウィークにわざわざ出かけなきゃいけないのだ。自室でのんびり過ごしたかったのに。ブツブツ胸中で文句を言いながら自然公園を目指す。
十分経って辿り着くとあたしはベンチを探した。丁度よく近くにあったので蒼月に告げる。
「……ねえ。こっちにベンチがあるから。座りましょう」
「ああ。本当だな。座ろうか」
意外にも蒼月はすんなりと頷いてベンチに腰掛けた。あたしは疲れたのでちょっと蒼月から距離を取って座る。横にお弁当を置いた。が、ピリッと何か嫌な空気が感じられた。それは蒼月も気づいたらしい。表情を険しくしている。
「……怜。御統は持っているな。危ないからそこから動くなよ」
「……え。蒼月さん。何かがいるの?」
「ああ。とびっきり嫌な奴がな」
蒼月さんがそう言うや否や、黒い霧の様なものが現れた。それは人の姿を取る。黒い髪に黒い瞳。だが肌は青白くてこの世の者ではない事があたしにもわかった。
「……この土地に縛られた地縛霊だな。怜。祖母君を呼べ!」
「ええっ。いきなりそう言われても」
「いいから呼べ!」
大声で怒鳴りつけられる。それでもモタモタしていられる暇はない。御統を手に持ってお祖母ちゃんの顔をイメージする。そうして来てくれと必死に祈った。
『怜ちゃん。どうかしたの?』
すぐに聞き覚えのある懐かしい声が頭の中に響いた。ふんわりとお線香の香りが鼻腔に届く。
「お祖母ちゃん。来てくれたんだね!」
『ええ。怜ちゃんの声が聞こえたからねえ。あらら。地縛霊が出ちゃったの。じゃあ、あんたに霊の調伏の仕方を教えてあげる。よく聞きなさいよ』
そう言うとお祖母ちゃんは御統を指差した。
『いいかい。その御統は強い霊力を持っている。地縛霊はそれを狙って出たのよ。御統を使って攻撃をしてみなさい。祝詞は覚えているでしょう?』
「……えっと。確か。我は伊豆名の神に請い願う。かの者を清め給え、祓い給え!!」
そう唱えると御統は白く輝き出した。黒い髪と瞳の地縛霊は嫌そうに顔を歪める。
『……くっ。これは清めの光か。俺はまだ成仏する訳には!!』
「ふん。お前、ここに何十年も居座ってた癖して何を言っている。いい加減、あの世に還れ!」
『おのれっ。俺に還れだと?!』
「ああ。先代の巫女に祓われそうになって逃げたのは私も覚えている。そうだろう。修二」
『……あ。お前は。あの時のヤロウか』
修二と呼ばれた地縛霊は忌々しげにもっと顔を歪めた。すると蒼月が一歩奴に近づく。手から呪文を唱えて一振りの細身の剣を出した。修二も舌打ちをしてサバイバルナイフによく似た刃物を出す。目にも止まらぬ速さで二人は互いの間合いを詰める。ギインと剣とナイフがかち合う音が甲高く響いた。
『ふん。お前、あの時と姿が変わらんな。一体何者なんだ?』
「お前には関係ない。私は巫女の守護者だ」
『……守護者だと。あの時の婆さんをお前は守っていたな。今いるあの小娘は……』
蒼月はすっと目を細めた。細身の剣をすっと上げて後ろに飛び退いた。修二は何かに気づいたらしくにいと笑う。サバイバルナイフを持ったままで何を思ったかあたしの方に近づいてくる。
「……くっ。水之江。逃げろ!」
あたしはベンチから立ち上がって向かって右側に駆け出す。必死で走る。はあはあと自分の呼吸音と心臓がうるさく鳴っていた。額に汗が浮かぶのがわかる。それでも無我夢中で足を動かす。だが修二は思いもよらぬ速さで追いついてきた。
『追いかけっこは終わりだ。そうだろ、お嬢さん』
修二はにたりと笑うとナイフを振り下ろす。あたしは何とか逃げようと横に移動する。が、左肩に熱い何かがぶつかるような衝撃を感じた。激痛と言える物が身体中を駆け巡る。
「……水之江!!」
蒼月の悲痛な声が聞こえた。ぽたぽたと生暖かいものが肩から腕、背中に滴り落ちた。目だけを動かす。やがて視界に入ってきたのはナイフが深々と刺さった自分の肩だった。ああ、だから痛かったのか。ぼんやりとそれだけは理解する。
『ははっ。良いざまだな。お前が守っている巫女をようやっと消せる。ずっと邪魔だったんだよ。お前らは!』
「よくも巫女を。お前だけは赦さん。ヤクモ!!」
『……ふん。俺の真名を知っているとはな。お前の父の江月(こうげつ)はその小娘の祖先の維佐奈(いさな)とは恋人同士だったが。お前も同じ罪を犯すつもりか。蒼月』
「うるさい。お前には関係ないだろう」
『維佐奈もうっとおしかったが。小娘も同様だ。今ここで完全に消してやるよ』
ヤクモとも呼ばれた男はあたしの肩からナイフを勢いよく抜いた。ざしゅっと鈍い音がする。その途端、肩を押さえて蹲ってしまう。男と蒼月は睨み合った。
『……怜。御統に願いなさい。清め給えと』
「……誰?」
『わたくしは伊豆名。お前を巫女に選んだもの。ヤクモはわたくしの弟です。維佐奈が生きていた頃に想いを寄せていて。けど江月に彼女を奪われて嘆き悲しんだの。それからは維佐奈と江月を恨むようになってしまいました。今では邪神になってしまった。お願い。あの子を祓ってあげて。そうしないとお前もヤクモも助からない』
「……そうだったんですね。じゃあ、祈るしかないと」
『……今まで以上に強く願いなさい。自分の愛する人を思い描きながら』
あたしは痛む肩を物ともせずに御統に強く願う。お願い。蒼月を守って。そしてあの悲しい邪神を清めてと。すると今まで以上に御統が熱を持ち、強く光る。自分の身体の中にもう一人の誰かがいた。その人と一緒になって言った。
「……清め給え、祓い給え!!今、我はアメノミナカノカミに請い願う。かのヤクモを祓い賜う!!」
『……う。これは姉上の力。しかもアメノミナカノカミだと?!』
あたしはもう肩の痛みを忘れて身体の中のその人と無我夢中で一緒に祈る。ヤクモを救ってくださいと。目を瞑るとヤクモの放つ嫌な気が徐々に薄れていく。
『くっ。姉上。俺がそんなに邪魔なのですか……』
『……何を言いますか。わたくしはそなたを邪魔だと思っていません。ただ、救いたかっただけです』
悲しげなヤクモの声に厳しくも優しい女性の声が被さるように聞こえた。そうして御統の光がやむ。目を開けるとヤクモの姿はどこにもない。
「……よくやったな。ヤクモは祓われた」
「そうなんですね。よかった……」
あたしはそう呟くとその場にへたり込んだ。気が抜けると左肩がズキっと痛む。けど不思議な事に出血はない。
「怜。もう帰ろう。弁当は無事だから家で食べたらいい」
「わかった。帰りましょうか」
あたしは頷いた。無事な方の右肩で弁当の入ったトートバッグを担いだ。ゆっくりと自宅に帰ったのだった。
その後、あたしはゴールデンウィーク中は自宅にて療養した。蒼月が心配して一日に一度は様子を見にきた。
「……怜。大丈夫か?」
「今日も来たんだね。大丈夫だよ。痛みも薄れてきたし」
「油断はするなよ。魂に傷をつけられたんだ。また明日も様子を見に来る」
わかったと頷くと蒼月は懐から何かを取り出した。手を出せと言われる。両手を出すとチリンという音がする物が乗せられた。
「……これは」
「清め用の鈴だ。お前のお祖母様にも渡した事がある」
「そうなんだ。ありがとう」
お礼を言うと蒼月は笑った。
「……礼はいい。お前の身体の方が大事だ」
「……うん。あたしも痛みが完全に無くなるまでは家を出ないようにするよ」
「そうしたらいい。私も見回りくらいはしておく」
あたしは頷いた。手の上の金と銀の鈴がチリリと澄んだ音を立てた。それにほんのりと温かい。
「ではな。養生するんだぞ。怜」
「うん。またね。蒼月さん」
びゅうと凄い風の音がして蒼月が龍の姿で外に出ていく。あたしはそれを見送る。ほうと息をつくとベッドにもぐりこんだ。そうしてトロトロと眠りについたのだった。
あれから、半月が過ぎた。季節は梅雨になっている。あたしは隣町の温海高校に通うため、最寄りの駅に歩いて向かっていた。頭上には蒼月もいる。警護だと言って付いて来たのだ。ちょっとウザいけど。仕方ないと諦めている。
今は午前七時半だ。雨が降っているので傘をさしていた。空はどんよりと曇っていて梅雨特有な感じだった。
『……怜。誰か来たぞ』
人の気配に聡い蒼月が知らせてくる。前を見るとそこには同じ高校の制服を着た女子生徒が立っていた。どこかで見覚えがあるような。そう思っていたら向こうの方から近寄ってきた。
「あ。やっぱり怜ちゃんだ。ねえ、覚えてる。私だよ」
「……えっと。どこかでお会いしましたか?」
「もう。怜ちゃんの分からず屋。いとこのつぐみだよ。忘れたの?」
あたしは目を見開いた。いとこのつぐみちゃん?!
「……ええっ。あの身体の弱かったつぐみちゃん?!」
「……あのは余計だよ。でも本当に久しぶりだねえ。怜ちゃん。私も今月から温海高校に通うことになったんだ。転入生としてね。これからよろしく」
「つぐみちゃんが温海高校に通うって。その。大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。私ね、中学に入ってからバレーボール部に所属していて。おかげで身体がだいぶ丈夫になったんだ」
「そうだったんだ。よかったね」
そう言うとつぐみちゃんはあたしの頭上を仰ぎ見る。ふむと唸った。
「……あの龍。もしかして守護者の蒼月様?」
「そうだけど」
「ふうん。面白くないなあ。蒼月様は怜ちゃんを選んだんだね」
あたしは首を傾げた。つぐみちゃんの言葉にトゲを感じる。どうしたのだろう。
「つぐみちゃん?」
「あ。ごめん。私が言いたいのはね。怜ちゃんは江月様の好きだった維佐奈様にそっくりだから。気をつけてって言いたかったの」
「……え。あたしは。蒼月さんの事はボディーガードくらいに思ってるよ。恋愛感情はないって」
「……本当にそうだと言い切れる?」
「……どうしたの。なんか様子が変なんだけど」
つぐみちゃんは無表情になる。まるで能面のようだ。一体どうしたというのか。
「蒼月様。私から怜ちゃんを奪わないで。もしあなたが怜ちゃんを想うようになったら。その時は容赦しないからね」
『……何が言いたい。娘』
「……私の事は覚えていないみたいね。私は維佐奈の娘の深月(みづき)。かつてのあなたの妹よ」
『深月だと。江月と維佐奈の。お前は……』
「私は先祖還りと言われる怜ちゃんを守りたいだけ。でないと二千年前と繰り返しになってしまう」
あたしはあまりの事に頭がついていかない。維佐奈さんと江月様。娘の深月さん。その人達の名前がぐるぐると頭の中を回る。傘を持つ手が震えた。ざあっと雨が強まった。
「……怜ちゃん。ごめん。そろそろ行かないと電車に乗り遅れちゃうよ。学校にも遅刻しちゃうし。急ごう!」
「う、うん。わかった」
あたしとつぐみちゃんは急いで駅に走った。ギリギリで電車に乗ったのだった。
その後、つぐみちゃんはあたしと同じクラスになり担任の先生が彼女を転校生として紹介していた。席は偶然にもあたしのすぐ隣だ。
「……本当にこれからよろしくね。水之江さん」
「うん。よろしく。阿佐田さん」
名字で呼び合うと二人で苦笑した。電車の中で話し合い、しばらくはいとこ同士だと言うことは隠そうという風に決めた。表向きは他人として振る舞うと。つぐみちゃんは席に座ると教科書やノート、筆記用具を出した。あたしも同じようにする。こうして予鈴が鳴り授業が始まったのだった。
五時限目が終わりあたしは母さんお手製のお弁当をカバンから出した。包みを広げる。お弁当箱の蓋を開けた。中にはだし巻きにウィンナー、ほうれん草のソテー、デザートでオレンジ、おにぎりが入っている。おにぎりは三個あって梅干し味におかか味、海苔卵味とバリエーションが豊富だ。お箸を持っていただきますと手を合わせた。おにぎりやほうれん草のソテーなどを黙々と口に運んだ。うん。今日も美味しい。
「水之江さん。お弁当、美味しそうだね」
一人で食事をしていたら同じクラスの女子が声をかけてきた。えっと、名前は丘野さんだったか。
「……丘野さん。どうかした?」
「……んっと。ちょっとね。いつも水之江さんって一人でお弁当食べているじゃない。寂しそうだと思って」
「え。寂しそうだと思われてたの?」
「……えっ。自覚なかったの?」
「うん。あたしはお弁当を味わいたいから一人でいるだけだよ。寂しいと思った事はなくて」
そう言うと丘野さんはくすっと笑った。
「ははっ。水之江さんって変わってるね。あ、あたしの事は美恵でいいよ」
「うん。わかった。美恵ちゃん。あたしの事も怜でいいから」
「そっか。わかったよ。これから改めてよろしく。怜ちゃん」
「よろしくね」
「……じゃあ。一緒にお弁当を食べよう。あたし、急いで持ってくるから!」
「うん。待ってるよ」
頷くと丘野さんもとい、美恵ちゃんは急いでお弁当を取りに行ってしまった。それをあたしは笑いながら見送ったのだった。
学校も終わりあたしは放課後の教室でカバンに教科書などを入れていた。廊下ではつぐみちゃんが待ってくれている。それと何故か美恵ちゃんもいた。美恵ちゃんだけにはつぐみちゃんとあたしがいとこ同士だと言っておいたのだ。そしたら美恵ちゃんはすごく驚いていた。「嘘?!」と言っていた程だ。
「……怜ちゃん。もう終わった?」
「うん。終わったよ。それじゃあ、帰ろうか」
そう言うとつぐみちゃんと美恵ちゃんが頷いた。あたし達は駅へと向かう。空はまだ日が暮れていない。影が長く伸びる。てくてくと歩きながら今日あった事を話す。そうして駅に着いた。美恵ちゃんとはここでお別れだ。バイバイと手を振って見送る。美恵ちゃんは先に駅の構内に入っていく。彼女の姿が見えなくなるとつぐみちゃんはあたしに向き直った。
「怜ちゃん。朝方の事だけど。蒼月様の事で話し合おうよ。明後日は土曜日だから私も家にいるし。その日に怜ちゃん家に私が行くよ」
「……えっ。あたしん家に来るのはいいけど。蒼月様の事ってそんなに重要なの?」
「私にとってはね。蒼月様は水之江家の大事な守護者よ。何かあってからでは遅いんだから」
「まあ。そうなんだよね。わかった。あたしもそういう事なら明後日待ってるよ」
「それじゃあ決まりだね。駅に行こっか」
「うん。わかった」
つぐみちゃんと二人で駅の構内に向かった。その時、あたしは蒼月が龍の姿でいながらもこちらを悲しげに見ているのがわかった。どうしてと思ったのだった。
そうして二日が過ぎ、約束の土曜日になる。つぐみちゃんが実際に自宅にやってきた。あたしは両親に言い、二人きりにしてくれるように頼んだ。そしたら両親は蒼月がいる状態であればいいという条件付きで了承してくれた。あたしは蒼月にも頼み込み、龍の姿でその場にいてほしいと言う。渋々、ミニサイズでいると言い、頷いてくれたが。それでも心配そうだ。あたしは深く考えないようにした。こうしてつぐみちゃんとの話し合いになった--。
「……まず。怜ちゃん。私が江月様と維佐奈さんの娘の深月の生まれ変わりだという事は言ったよね」
「うん。昨日につぐみちゃんが言っていたのは覚えてるよ」
「それで。どうして私が怜ちゃんと蒼月様が恋人同士になるのを嫌がっているかわかるかな?」
「……そこまではわからない。どうしてなのか一昨日から考えてみたけど。なかなか結論が出なくて」
「それはそうだろうと思う。でもね。あえて言うけど。蒼月様は神様なの。怜ちゃんは人間。神と人が恋人になってもその末路は悲しい結末になる事が多かったの。私はね。怜ちゃんに不幸になってほしくない」
真面目につぐみちゃんは言う。あたしはあまりの事に言葉が出てこない。
「……大昔にも神と恋に落ちた女性がいたんだ。維佐奈さんもその内の一人。維佐奈さんは水之江家の初代の巫女だったの。けど彼女はある時に蒼月様のお父さん--江月様と恋に落ちてしまった。維佐奈さんは江月様とそれこそ十年以上もの間、愛し合った。そうしてやっと出逢ってから十二年後に一人の女の子が生まれたの。その子が私の前世の深月。けど深月が生まれから維佐奈さんは日に日に弱っていって。深月が生まれて二年後に亡くなったんだ。もちろん、江月様は深く嘆き悲しんだわ。江月様は維佐奈さんが亡くなって数カ月後に姿を消してしまったの。一人残された深月は維佐奈さんの妹夫妻に引き取られて育てられたと聞いているわね」
つぐみちゃんはあたしを見据えるといきなり抱きついてきた。ほのかにシトラスの香りが鼻腔に入った。
「……怜ちゃん。龍の恋人は作らないで。蒼月様とでは幸せになれない」
「……なんで?」
「さっきも言ったでしょ。維佐奈さんは最後には不幸な中で亡くなったって」
「そうだったね」
「……私が聞いた話によるとね。神との間に子供ができると。同じ神同士であれば大丈夫なんだけど。人間の場合は子供を育てるために栄養をごっそり持っていかれちゃうんだって。それで最後には。魂は空っぽになっちゃうし体もやせ細ってしまうしで。そのせいでお産の時には体が衰弱して。子供が生まれるのと同時に亡くなるケースも多かったらしいよ」
「……そうなんだ。うわあ。あたし、蒼月様とは恋人にならない方が余計にいいね」
あたしが言うとふうとつぐみちゃんはため息をついた。
「そういう事。怜ちゃん。私も頑張ってあんたの彼氏見つける為に協力するから。蒼月様にも認めてもらわなきゃね」
「うん。ありがとう」
あたしは頷いた。こうしてつぐみちゃんは他にも龍に関して気をつけたらいい事をレクチャーしてくれたのだった。
「なるほど。要はつぐみちゃんが言いたいのは。蒼月様と恋人同士になるなという事だね。わかった。あたし、蒼月様とは付き合わない。その代わり、人間の彼氏を頑張って作るよ」
「わかってくれたんだね。ごめんね。もし本当に怜ちゃんが蒼月様を好きになっていたら。無理にでも別れさせなきゃいけなくなってたよ」
何気にさらりと怖いことをつぐみちゃんは言う。あたしはつくづく蒼月に恋愛感情を持っていなくて良かったと思った。その後、つぐみちゃんは「美恵ちゃんに彼氏を紹介してもらえないか頼んでみるよ」と言っていた。あたしはそこまではいいよと言ったが。つぐみちゃんは善は急げとばかりにスマホで美恵ちゃんにパパッとメールを送ってしまった。そしたら向こうもすんなりとOKしてくれる。これにはかなり驚いたのだった。
あれから、ゆっくりと時間は過ぎていく。あたしが水の巫女に選ばれてからちょうど五年が経っていた。あたしには高校生の時から付き合っている彼氏がいた。名前を斎藤 祐也という。眼鏡で見かけはオタク系だが。女子からは隠れ美形と密かに呼ばれていた過去がある。祐也は実は切れ長の涼しげな感じの正統派の美形だった。彼と付き合うきっかけや出会いの場を設けてくれたのはつぐみと美恵だ。この二人には感謝してもしきれない。今日は大学を卒業したあたしと祐也の結婚式だ。今、あたしは純白のウエディングドレスに身を包んでいる。控え室で祐也が来るのを待っていた。コンコンとドアがノックされた。返事をすると音もなく祐也が入ってきた。両親とつぐみ、美恵も一緒だ。
「……ああ。綺麗だな。怜」
「ありがとう。祐也。あんたもカッコいいよ」
「ありがとう。じゃあ、そろそろ時間だ」
「わかった。また式場でね」
「うん」
祐也は頷くとにっこりと笑って手を振ってくれた。あたしは同じように小さく手を振った。そうしてブーケを持って式場へと向かったのだった。
その後、父とバージンロードを歩き、祐也のいる壇上に行く。祐也が手を差し伸べてくれた。あたしはそっとその手を取って握った。
『……我が巫女よ。龍ではなく人を選んだのですね。わたくしは祝福しますよ』
『怜。これからもお前と祐也を守ろう。幸せにな』
祐也の手を取って神父様に向き合った時、二柱の神の声が聞こえた。キリスト教でもないのに不思議だ。胸中でしきりと首を傾げながらも誓いの言葉を言い、指輪の交換をする。最後に顔を隠していたベールを上げられた。唇に軽くキスをされた。すぐに祐也の唇は離れる。こうして挙式は無事に進み、礼拝堂の外に出た。皆から「おめでとう!」と祝福の声とライスシャワーをかけられる。あたしはそれに笑顔で応えた。そうしてブーケを投げた。そうしたら不思議な事にそれは美恵の両手の上に落ちた。それでも良かったと胸を撫で下ろす。美恵にも彼氏がいる。これで彼氏がプロポーズをしてくれたらめっけ物だ。そう思いながらふと空を見上げた。そこには穏やかな眼差しで龍の蒼月と見慣れぬ一回り小さなけれど緑色の鱗と瞳が美しい龍がいた。
『……怜。私にも妻ができた。名を結藍(ゆいらん)という。しばらく新婚旅行に行くから祐也と仲良くな』
あたしは胸中で「うん。お幸せに。蒼月さん」と答えた。すると蒼月と結藍様はぺこりとお辞儀をしてその場を立ち去っていく。それに小さく手を振る。あたしはこれで一区切りがついたと安堵した。こうして挙式は無事に終了した。その後、披露宴が行われ、結婚式は恙無く終わったのだった。
あれから、蒼月と結藍様が帰ってきた。新婚旅行のお土産にと綺麗な珍しい宝石を見せてもらったりお土産話も聞かせてもらった。結藍様は意外と明るくておおらかな性格だった。あたしにも嫉妬したりせずにフレンドリーに接してくれる。すぐに打ち解けて仲良くなれていた。つぐみと美恵も結藍様を慕っている。ちなみに後で聞いたら美恵もあたしやつぐみと同じく霊感があるらしい。そのおかげで蒼月と結藍様も見えていたようだ。最初に見た時は非常に驚いていたが。今ではすっかり友人関係になれている。
今日も水之江家は賑やかで平和だ。いずれ、結藍様は蒼月を幸せにしてくれるだろう。あたしも負けずに祐也と幸せになろうと決めたのだった--。
終わり
水の巫女と青銀の龍 入江 涼子 @irie05
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