第4話

 玄関まで降りて、前庭が見えた。早く逃げなくちゃと上履きのままで外に出る。四階から、貴崎先生、と呼ぶ声がした。いつの間にか出ていた涙でぼろぼろに顔を上げると、


 先生が落ちてきた。


 飛ぶように軽やかな体勢で、だけどドスンとその身体は落ちた。途中で木か何かに掠ったのか血が降って来て、あたしのおさげの髪に降りかかった。


 慧天は近付いて、

 あたしは脚を引いた。

 慧天は即死ではなかったらしい先生に何かを言われていたようだった。

 そして、絶叫する。


「うわあああああああああああああああああ!」


 耳を塞いであたしの脇を擦り抜けて、慧天は走って行く。ランドセルは保健室に置いたままだ。保険医さんが呼んだのか救急車の音が近づいて来る。

 あたしも逃げた。自分の家まで。鍵を開けて真っ先にしたことは、お母さんの裁ちばさみで自分のおさげを切る事だった。血の匂いがするそれに耐えられなくて。捨ててもまだ残ってる気がして、いそいでバスルームに向かった。何度洗っても取れない感覚が嫌で、泣いてしまった。泣いて、しまった。

 あたしの所為だったのか。あたしが大人しくうさぎ殺しになっていれば、先生は飛び降りなかったのかもしれない。ご機嫌な彼女の裏側にあったのが小動物を痛めつけることだったのならば、保険医の先生から学校に話を回してもらった方が良かったのかもしれない。仕事で疲れていたとか。でももうすべては遅い。


 隣の家からは慧天の悲鳴が聞こえていた。それからロック・ミュージックが大音量で響いて行く。あたしは着替えもせず、ざんばらの髪のまま慧天の家に向かう。警察も同時に辿り着いたようだった。そしてあたしを見た制服の警官さんに、ぎょっとされる。

「お嬢ちゃん、どうしたんだい、その髪。びしょ濡れでざんばらで――」

「おい諏佐! はやく来い!」

「子供の保護も職務のうちです! それに多分、彼女ですよ、本条静紅。保険医さんが言ってた」

「うわっ! くそ、こっちは部屋に入ろうとするだけで本投げてくるぞ! お母さん、どうにかなりませんかこれ」

「私達もさっきから入れなくて困っているんです! 一体今日学校で何があったんですか!?」

「それは、その――」

「班長! 例の教師の持ち物からアーミーナイフが見つかったそうです! 至急うさぎの死骸との関連性を調べているそうですが、着いていた脂が新しいことから間違いはないかと――」

「教育現場にアーミーナイフだあ!? くそっおい! 西園君! 西園慧天君! 聞きたいことがあるんだ、出て来てくれ!」


 あたしは――

 自宅の台所に走って、冷蔵庫からバターを取り出した。


 作ったのはアップルパイ。シナモンは抜き。慣れてるから目分量でも作れる。それから紅茶。ガラスポットでジャンピングさせるのはダージリン。そしてクッキー缶。あまり大きくないものを。

 これはあたし達が庭でお茶会を開くのと同じメニューだった。きっとこれなら出て来てくれる。変な確信を持って隣の家に向かうと、憔悴したおばさんに迎えられる。そのまま靴を脱いで、あたしは慧天の部屋に真っ直ぐ向かった。

 扉を開ける。かかっていたのはフラッシュ・ゴードンのテーマ。アメコミヒーローの曲だと、英語の先生が言ってた。轟音。紅茶の匂いに部屋の隅で足を抱え耳を塞いでいた慧天の顔が上がる。


 慧天は叫ばなかった。ただ、あたしを受け入れた。

 だけどそれ以降、慧天はあたし以外の他人の声が怖くなってしまった。両親でさえ、恐ろしくなってしまった。

 いわゆる心身症だ。だからあたしは喉にマイクを着け、慧天のヘッドホンに自分の声を飛ばせるようにした。


 名探偵とヒーローの、誕生だった。

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ヒーローは救われない ぜろ @illness24

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