憑いた彼女の祓いかた~あるいは男の奇矯な趣味について~
スギモトトオル
本文
『私はいま、事件の現場に来ています』
画面の中で、スーツを着たレポーター風の男が神妙に語る。
ばかばかしい。俺はビールを片手にそれを眺めていた。
生配信サイトの映像だ。男たちが入っていくのは、
話題の事件のあった現場にこっそり入り込んで、中の様子を配信する。はっきり言ってヤバい奴らだが、やり方を見ているとただの素人だと分かる。
『うわぁ、すごいな……壁が黒コゲ、匂いも……』
映像内は夜の暗さで非常に見えづらい。まあ、派手に照明を
暫くすると飽きてきて、横のウィンドウで開いていたサイトを表に引き出す。「亡者の手形」という名前のサイトだ。
管理人は何を隠そう、もちろん俺。
そこには、首都圏で起きた様々な事件現場の”ホット”なレポートが、豊富な写真と共に並んでいる。肝試しみたいな映像しか撮れない配信者とは違うぜ。実際に現場に俺が赴いて、こだわりの機材で撮影した臨場感たっぷりの写真だ。
プライベートの時間も資金もつぎ込んできた、自慢の宝だ。俺の記事は、界隈では一目置かれているという自負もある。
「へぇ~、あなた変な趣味してるのねえ」
突然隣から声がして、訳も分からず俺は飛び上がった。
「ひあえっ!?だ、だだ誰だ、おおお前っ!?」
空になったビールの缶を放り投げながら俺が見たものは、見慣れた部屋の中に立つ、制服姿の女の子だった。
そして、その子には、膝から下が透けていて、足が無かった。
「お、お化けぇっ!?」
* * * *
突然俺の前に現れた白いセーラー服の少女は、どうやら本物の幽霊らしかった。記憶がなく、気が付いたらこの部屋にいたそうだ。
自分の名前、元居た場所、誕生日、いつ死んだのか、家族のこと、友達のこと、学校のこと。何一つ、その子は覚えていないと言った。
「いつ、どこで俺に憑いたのかも分からないってのか」
こんな趣味をやっているせいで、霊が憑くような心当たりはあり過ぎる。
幽霊女子高生は、椅子に座って、半分から下が消えている脚を揺らしている。彼女にその椅子を譲ったので、俺はベッドの端に座っていた。なんでお化けに気を遣わにゃならんのか。
「ねえ、信じて?何がどうなって幽霊になってあなたに取り憑いたのか、私にも分からないの」
「やっぱり、俺に憑いてるのか?」
「それは……うん、感覚で分かる」
「そうか……」
思わずため息が深く漏れる。
「いや、疑ってる訳じゃないさ。とはいえ、俺としては、どうにか早いところ成仏でも何でもしてもらいたいな」
「どこで、どんなふうに死んだのかもわからないけど、私が最後にいた場所に連れていって欲しいの。そうしたら、消えることが出来そうな気がする」
俺はおもむろに立ち上がり、部屋の隅に転がったビール缶を拾い上げ、ゴシャ、と手の中で潰した。まったく、なんて日だよ。
「手伝って……くれる?」
おずおずとその子が窺ってくる。俺はそちらをなるべく見ないまま、
「俺がこの世で一番嫌いなもの」
と口にしながら、部屋を横切って台所のドアを掴む。
顔に疑問符を浮かべるその子を一瞥して、
「幽霊、だよ。だから、早く消えてくれるなら何でもするさ」
と言い放ち、俺は部屋を出た。
なにが幽霊女子高生だっつーの。酒に酔った幻想でもあるまいに。
空き缶を投げ込んだ袋の底で、重なった缶が乾いた音を立てた。
* * * *
それから俺たちは、俺のサイトを手がかりに、これまで俺が取材してきた事件現場を巡ってみた。死人が出た事件に絞って探していたが、今のところ成果はない。
「これで15件が空振りか」
部屋に戻って、事件現場のリストに線を引く。
「やっぱり、何も思い出さないのか」
「うん……」
振り返って声を掛けると、奈々の元気がない。
暗い顔をしていると、脚が透けているのもあって、よっぽどお化けらしい。俺は嫌な寒さを背中に感じて、一刻でも早く成仏させようと心に決める。
とはいえ、実際、難しくはなってきた。
女子高生が被害にあった事件は、早々に潰し終わっている。今はもう少し広く、若者が犠牲者となった事件を回っているが、それもリストが尽きそうだった。
現場巡りには進展がない代わりに、彼女の呼び名は『奈々』に決まった。名無しの奈々。寄る辺がなく、俺以外には見えも聞こえもしない少女。
「私、どこの誰だったんだろう……」
「俺が知るかって。それを捜してあっちこっち出向いてるんだろうが」
俺は過去に訪れた現場の記事の一覧と手元のリストを見比べる。
「次はいっそ、死人が出ているかどうかに関わらず捜してみるか……」
「……随分と協力的だよね」
「あのなあ、俺だって何も好きでこんなことしてる訳じゃねえよ。新規の事件現場にだって暫く行けてないし」
「そんなに私といるの嫌なんだ」
「はあ?」
思わぬ硬質な声に、顔を上げる。画面の黒い壁紙に、背後に立つ少女の泣きそうに歪んだ顔が映った。
「早く消えて欲しいんでしょ?別に私、呪ったりとかしないよ」
「……別に、そんなのが怖いわけじゃねえし」
「ねえ、このまま私の過去が分からなかったら、ずっとここにいるかもよ」
「冗談言うなって。幽霊と暮らすなんて、出来ねえよ」
途端、奈々の眉がきっと吊り上がって、大きな声を上げた。
「何よ!私だって、好きであんたになんか取り憑いた訳じゃ無いし!」
肩を怒らせて、感情を振り絞るように俺を睨む。
「いい歳してお化けが怖いなんてお笑いね!何が『亡者の手形』よ、ただの悪趣味な不法侵入者じゃない!」
俺は呆気にとられて何も返せなかったが、奈々は一通り叫び終えると、顔を背けて部屋の隅にうずくまった。そこが、奈々が俺から精一杯距離を取れる場所なのだ。俺に取り憑いている彼女は、ある程度以上離れる事が出来ないから。
「本当の家族に会いたい……」
か細い声で呟いた奈々の声は、しかし、静かな部屋の中ではっきりと俺に届いていた。
* * * *
その後も現場巡りは続いていき、収穫の無いままに日々は過ぎていった。
会話も無いまま一定距離を開けて連れ立ち、帰る前に、何か思い出したか一言訊いて、首を横に振る。それを繰り返すばかり。俺も奈々も、少し疲れてきたかもしれない。
「私、結構楽しかったの。あなたと色んな現場巡って、あーでもないこーでもないって何かヒントが無いか捜すのが」
ある日、温めたコンビニ飯を食べようと箸を割ったところで、突然、奈々がそんなことを言い出した。
「気がついたら幽霊になってて、でも自分のこと、何も分からないし。っていうかあなたにしか見えないし」
膝を抱えて、スカートに顔を半分埋めながらぶつぶつと続ける奈々。無視して食べ始める訳にもいかず、箸を持ったまま黙って聞く。
「本当のこと言うと、最初はちょっと怖かったの、あなたのこと。変な趣味持ってるし、お化けは消えろとか言うし。でも、何だかんだ言いながら私の望みを手伝ってくれるし、悪い人じゃなさそうって思ってたんだ」
「私だけだったんだね、楽しかったのなんて」
奈々が口を閉じ、部屋に沈黙が降りる。引き絞った少女の唇は、気丈に震えるのを我慢しているみたいだった。
俺はため息を吐いた。箸を置いて、沈黙を破る。
「……子供の頃、家の前に寺があってな。そこに併設された墓地があったんだ」
昔の記憶を呼び起こし、ゆっくりと俺は語る。
その墓地と寺は、昼間に通っても何か嫌な感じがするくらい不気味で、俺は家に帰ってくるとき、必ず角から走って玄関に飛び込んでいたくらいだ。
ある日、何か悪さをして父親にこっぴどく怒られた。父は、俺を叱るだけでは飽き足らず、まだ低学年だった俺を肩に担いで墓地の奥まで連れて行ったんだ。そこで俺を下ろし、父は一人で帰ろうとした。
俺は泣いて許しを乞いた。父の脚にしがみつき、近所中に響くくらい大声で泣きじゃくった。世界が終わってしまうくらいに怖かったんだ。
「……それ以来、駄目なんだ。幽霊とか、そういうの」
話し終えてちら、と
「ぷっ、ぷふふ……お墓が怖くて、お化けが駄目とか……」
「……お前、バカにしてるな俺のこと」
「だって、んふ、そんな小さい時のこと、くくく、まだ怖いんだ」
肩を揺らして、忍び笑いが完全に漏れている。
「これでも立派なトラウマなんだからな!今だって、お前といるとちょっと怖いんだよ!お前足無いし!」
「あはははっ!私のこと怖がってたんだ!こんな女子高生のこと!あーっははは!」
奈々はとうとう堪えきれなくなり、転がって床を叩き、腹を抱えて笑っている。そのままたっぷり5分ほど、奈々の笑いは止まらなかった。
温めたコンビニ飯はすっかり冷めていた。
* * * *
「大体、それでなんでそんな趣味してるのよ」
「……知るか。好みなんて人それぞれだろ、ほっとけ」
ようやく発作の収まった奈々と、
「それにしたって、他にもっとマシな趣味とか無いわけ?」
「これだけは譲れないな。なにせ、サイトを立ち上げてからもう7年だ。この部屋に引っ越してくる前からずっと……」
話しながら、その時、俺の頭の中で何かが光った。
クローゼットの中を探り回す。奥の段ボールに詰められていた、家電製品や保険の説明書といった書類を引っ張り出しては積み上げていく。
突然何かを始めた俺のことを
それは、この部屋を借りた時の書類を収めたファイルだった。
思い出したのだ。事件現場巡りを趣味にしていた俺が、事故物件を探してこの部屋にたどり着いたことを。
「あった。奈々、これに見覚えは無いか?」
書類と一緒に入れられていた物を取り出して、奈々に渡す。
「これ……」
奈々の表情に戸惑いが浮かんでいた。それはピンク色の折り畳みケータイだった。
何の変哲もないケータイだが、明らかに奈々はそれに反応していた。
「なんだろう……すごく、懐かしい気がする」
奈々はそのケータイを
その様子を眺めながら、俺はもう何年も前にこの部屋を紹介してきた不動産屋のことを思い出していた。
知り合いに紹介してもらった、不景気な顔に不吉な笑顔を浮かべた不動産屋の男は、悩む俺に、このピンクのケータイをカバンから取り出して渡してきたのだ。
『先ほど説明した通り、ここは一家全員が強盗殺人の被害に遭った事件が起こっていてねえ。もう随分前のことだし、内装もすっかりリフォームしたんだけど、全然住む人がいなかったんですよ』
過去に人の死があった物件を扱う場合、不動産屋にはそのことを客に伝えなければならない告知義務が法的に決まっている。そんな凄惨な事件の現場ならば、住もうという人が現れないこともあるのだろう。
『ところで、そのケータイはその被害者一家の娘の持っていたモノでね。どうやら警察が取り逃したのが、内装工事のときに見つかったのを、まあ、私が預かっていたんですよ』
つまり、その特典に惹きつけられて、俺はこの部屋を契約したという訳だ。
「それで、後生大事に私のケータイ持ってたってわけ?悪趣味……」
かつて自分の物だったケータイを守るように胸に抱きながら、ドン引きした目を奈々が俺に向けている。
「まあ、今まで忘れてたくらいで、そんなに大事にしてた訳でもないが」
「ひどい!人の遺品を何だと思ってるのよ!」
「なんだよ、気味悪がったり怒ったり面倒くせえな……」
改めて手の中のケータイを眺める奈々は、眩しいものでも見るように目を細めていた。
「そっか、私、ここに住んでたんだ……」
ピンクのケータイを手に微笑む奈々を前に、俺はあることに気が付いた。
「あれ、ってことは、『死ぬ前に住んでいた場所に連れていく』っていう目的は最初から達成していたってことになるのか」
「あ……そうだね」
「えっと、どうだ。改めて、成仏する気配は……?」
「ないね……」
変な間が通り過ぎる。
「あはは、まあ、これからもよろしくってことで」
「ふざけんな、俺は幽霊がイヤなんだよ!!」
「私の成仏、頑張ってね〜」
俺の趣味がそれからしばらく除霊術になったことは、いうまでもない。
<了>
憑いた彼女の祓いかた~あるいは男の奇矯な趣味について~ スギモトトオル @tall_sgmt
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