第6話 種をあやす



「す、すいません。お耳障りでしたか?」


 小麦は慌ててギターを降ろす。しかし中国人女性が大きく首を横に振った。

「違います! 故郷を思い出していました。来日する為に日本語を勉強する私たちは、この曲を繰り返し聞きます。私は子守歌に母に歌って貰いました」


 ……妈妈おかあさん


 下を向いて、呟く女性。茶話会は一時完全に中断した。

「こりゃいかん。研修生たちに里心が付いちまうぞ」

 美紀が、お道化た声を上げる。その声で会の空気が一変した。異なる母国語を持つ研修生たちが、小麦を取り囲む。


「是非、スペイン語でボサノヴァを」

「カリプソも良いよ。フランス語で聞きたいなぁ」

「島歌やれーやまとぅぐちやくとぅ、ちゃーき歌えいさぁ(沖縄の歌なら日本語だから、すぐ歌えるよ)」


「……キュウ」


 興奮した研修生たちに再度、揉みクシャにされ小麦は目を回した。



 それから小麦は農作業の休み時間毎に、強制的に外国語のレッスンを受ける事となる。ギターによる伴奏は直ぐに出来るが、歌唱に使用する言語の問題が壁となった。英語は出来たが中国語やスペイン語の発音の難しさに圧倒される彼女。

 繰り返し小麦の歌声を聞きたいとのリクエストに応える事も出来ず、弾き語りを録画する事で納得してもらう事になった。


「コムギサン。演奏ハ私ガヤリマショウカ?」


 見かねたリュカに声を掛けられる程の騒ぎとなる。その内に画像データをネットに上げるように、リクエストされた。快諾する小麦。心配した朋子が声をかける。

「あらあら。それで酷い目にあったのに、大丈夫なの」

「私の演奏など、誰も興味を持ちません。個別に録画してデータをやり取りするのが、ちょっと負担になってきましたし」

 確かに彼女の予想通りPV数も上がらず、侮蔑や罵倒などが吹き荒れる事も無かった。アカウントのクレジットは『wheat小麦』のみ。プロフィールも何もない。何しろ大人し気な女性が、ギターでワールドミュージックを弾き語るだけなのだ。途中から返信するのが億劫で、コメント欄も閉じてしまった位である。炎上する要素が、まるでなかった。


 しかし、ある時期から小麦の予想は大きく外れる事となる。初めは小さかったPVの伸びが、ジワジワと増え始めた。恐らく何度も繰り返し視聴するリスナーが居たのであろう。更にリュカたちの母国語での拡散が始まる。

 その結果、英語や中国語で歌った楽曲を配信した回に、大きく再生時間を延ばすことになった。それも日本では無く、様々な国からの視聴である。日本発では無く、世界的な注目を集めることになった。いつの間にか登録者数など規定数を超え、広告収入が入るようになる。



 彼女の躍進と反比例するように、聖司たちのグループの存在感は減少して行った。構成員の何人かはグループを撤退し、他の職業に就く者も出始める。聖司や派手な美女などは、何とか喰い繋ごうと合法ギリギリの画像などを流すが、効果は認められなかった。

 気まずい所から活動資金を借り始めたグループ。登録者数も減少し、総再生時間数も右肩下がりとなる。


 物珍しさから成りあがったグループが、視聴者から飽きられるスピードは恐ろしく早かった。ライブハウスなどでの活動も行ったが、更に評価を下げる事になる。


 ……彼らのグループは、実際の演奏ライブが壊滅的に下手糞だった。


 DTMによる加工エフェクトで、何とか視聴できるレベルの演奏手腕では、人前での活動は過酷な作業となる。料金を支払ってライブに参加したファンから、怒りコメントが拡散される始末となった。

 決定的だったのはグループのメンバーが、違法薬物使用者として検挙された事である。この情報が広まると一定期間、僅かなPVが上がった。直後にUチューブなどでのアカウントを凍結され、グループ活動は完全に停止する事になる。


「……」

 これらの情報は、すぐにSNSの世界に行き渡る。小麦はスマホをポケットにしまうと、農作業に戻って行った。



「全部クソだな」


 聖司は桑原家の最寄り駅で呟いた。顔色は悪く、服装もくすんで見える。金策が尽き、どうにもならなくなった彼が、頼れるのは小麦だけになった。金利の分だけでも入金できなければ、どうなるかは明白である。

 彼の懐には白木の鞘の短刀が収まっていた。気まずい所からの借金の、督促担当者から渡された物である。


「これを使え」

「へ? これドスって奴ですか。初めて見た」

「スケコマシしか能が無いボンクラが。使い方は分かるな?」

「いや、初めて見たって言ったでしょうに」

 聖司は後頭部を強めに叩かれる。

「そういう事を聞いているんじゃない。これを使って金を持って来いって事だ。人に使えなければ、自分に使う事になるからな」

 普段は笑わない担当者が不気味に微笑んだ。その笑顔を見て、やっと自分の立ち位置が確認できた間抜けなスケコマシは、震え上がる。その脚で地方在来線に接続する列車に飛び乗った。


 聖司は考える。真正面から桑原家に突入しても、前回の大男や大勢の研修生に阻まれて、小麦と話も出来ないに違いない。どこかに隠れて一人になった所を攫う方が、成功率が上がるだろう。駄目なら支給された短刀を使うまでだ。

 彼は良く整備された畑を、できるだけ気配を殺して歩き続けた。どうやら母屋に到着するまで、人目に触れる事は無かったようだ。そのまま物置のような小屋に侵入して座り込んだ。


「ん?」


 ギターの音と女性のハミングが耳に入り、目を覚ました。どうやら物置で眠り込んでしまったらしい。そういえば連日の返済督促で、真面に眠る事も出来なかった。聖司は苦笑を浮かべる。

 音を立てないように物置から出ると、音の方角に人だかりが出来ていた。


「!」


 彼は息を呑んだ。人だかりの中央には小麦と、リュカとかいう大男が座っていた。ギターを抱えた黒人を見ながら、彼女はハミングを繰り返す。ふとした瞬間に彼らの視線が交錯する。


 バン!


 大男はギターの前面を掌で叩いて、リズムを刻み始めた。それと同時に弦を爪弾き、弾けるようなメロディーを紡ぎだす。小麦は立ち上がり、聖司が理解できない言葉で歌い始めた。周辺の景色が変わる。

 炎が噴き出すようなギターの演奏。それをガッチリと受け止めた彼女の歌声が、長閑な農家の庭先で流れ始めた。息を付く間もない、双方のやり取りに聴衆達は手拍子の一つも打てずに、耳を傾けるだけだ。


 ますます早くなるリズムと、大きくなる音量。とても一本のギターと痩せっぽちの女性一人から、出ている音とは思えない。

 聴衆たちは皆、乾燥した大地に根を張り、凛々しく自分の足で立つヒマワリを思い浮かべた。どんな強い風に吹かれてもヒマワリは倒れない。太陽を捕まえようと花を上に向け続ける。さらに早くなる曲のリズム。


 ダダダン!


 ギターの演奏が止まり、曲が終わった。一瞬の静寂。その後、研修生たちの大歓声が沸き起る。彼らに揉みクシャにされた小麦は、またもや目を回して倒れてしまった。


(俺たちのグループと物が違う。これが本物か)


 聖司は二人の演奏を聴いて、雷に打たれた様な衝撃を受ける。小首を振って、その場を離れようとした彼は、背後から声をかけられた。


「何だ、坊主。何もしないで帰るのか?」

 振り向くと、美紀が一人で立っていた。聖司は皮肉な微笑を浮かべて、彼を睨みつける。

「この前の盗撮ジジイか。今、あそこに突っ込んでみろ。俺は袋叩きになっちまう」

 本当は黙って立ち去る気など無かった。しかしもう駄目だ。小麦は彼の手の届かない所に、行ってしまったのだから。一曲聞いて分かった。彼女と大男の魂は繋がっている。以前は俺と繋がっていた筈なのに。


「あの娘は「音をあやす」才能があるようじゃな」

「……そりゃ、何の話だ?」

「儂には「種をあやす」ことが出来るらしい。坊主は何ができるのかの?」

 聖司は唾を吐いて肩を竦める。美紀の質問に答える気はないらしい。


「……「あやす」という言葉には、二つの意味がある。一つは良く使う、子供の機嫌を取るという意味じゃ」

「うるせージジイだな。何を言ってるのか分かんねーよ」

「もう一つは、汗や血などを滴らせるという意味じゃ。お前さんは、これまでに何か血が滴るような努力をした事があるのかね」

 何かを言い返そうとした聖司は、その口を閉じた。地面を蹴りつけると一度も振り返らず、姿を消した。


「あれ、美紀さん。そんな所で何をされているんですか?」

 物置の影に一人で立っていた老人に気が付き、小麦は声をかけた。彼はニカリと笑うと、肩を竦めた。

「ちょっと、ボーとしておった。お前さんは、大した歌い手じゃな。知り合いのテレビ局の者が、アンタに興味を持っているそうじゃよ。取材を受ける気はあるかな?」

「……少し考えさせて下さい」

 そうでなくても、農場以外で歌う事が多くなった小麦は、少し躊躇した。音楽で食べていける様な技量は自分にはないし、するつもりもない。しかしここで歌う事は大好きだ。もう少し考える時間があってもいいかもしれない。

「コムギサン、マダ、リクエストガ終ッテイマセンヨ」


 リュカに声をかけられた彼女は、大きく手を振って仲間たちの元に帰って行った。



 聖司の、その後? 最寄駅のゴミ箱に二台のスマホが捨てられていた。一台は気まずい所から渡されたGPS機能搭載(居場所を特定する為)の物。もう一台は料金未払いで、メモ帳の代わりにしかならない自家用のものであった。


 彼のその後を知る者は、一人としていない。


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種をあやす @Teturo

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