第5話 夜来香
「トンでもねぇ、クソ田舎だな。良くこんな所で生きて行けるもんだ」
ド派手な髪形に革ジャンとジーンズ。付き合っていた頃より、派手な装いになった聖司が桑原家に現れた。雰囲気が若干、やさぐれたように感じるのは気のせいだろうか? ブーツに着く泥を気にしながら歩くものだから、立ち姿が長〇剛のようにも見えてくる。
小麦は目を丸くして彼を見つめた。聖司は彼女の前に立ち、口元を歪める。
「マンションにも戻っていないのに、どうして私の居場所が分かったの?」
「ヤサは変えても、携帯は変えないんだな。GPSって分かるか?」
使い続けていたスマホから、居場所の調査をされていた事に気づいた彼女。慌てて電源を落とすが、もうあまり意味は無いだろう。
「何をしに来たの?」
「また、曲を書いてくれよ。グループ販売するアルバムのストック数が減って来てな。景気付けに新曲を、バーンと発表したいんだ」
いけしゃあしゃあと新曲作成の依頼を行う聖司。小麦は数歩後退りすると、その場から逃げ出そうとした。しかしガッチリと肩を掴まれる。
「そんなにつれない態度を取るなよ。知らない仲じゃないだろう?」
そう言って整った顔を近づけてくる。小麦は不思議に思った。一緒に活動してた時、あんなにドキドキとした感覚が綺麗に無くなっている事に。今は聖司の薄っぺらい表情に、強い険悪感しか覚えない事に。
「離して。私は貴方と別れた後、DTMを一度も行っていない」
「そんなこと言うなよ。前みたいにパパッとさ」
「コムギサンハ、迷惑シテマスヨー」
肌の黒い大男のリュカが、二人の間に入った。彼の巨体を見て一瞬怯む聖司。舌打ちをして威嚇する。
「何だよ、お前は。間に入ってくんじゃねーよ」
しかし優男の威嚇など、全く気にしない大男は、小麦を研修生の方へ逃がした。
「勝手な事すんじゃねーよ」
ドン
聖司が振り回した右手が、大男の肩に当たる。しかし大男は何も抵抗をしない。嵩にかかって、彼の尻を蹴り上げる優男。リュカは困った様な表情を浮かべて棒立ちになった。
「へっ! そのデカい身体は、見せかけかよ」
聖司が本気で殴りかかろうとした時、研修生の中から声が飛び出す。
「リュカ! よう堪えた。もう我慢しなくていいぞ」
その声が聞こえた瞬間、優男の身体は空中に浮かんでいた。
ドスン
聖司は背中から、地面に激突した。何が起きたか理解できない彼は、頭を振って立ち上がると大男に向かって殴りかかった。
ドスン
気が付くと、また背中から地面に叩きつけられている。何回か同じことが繰り返された。腕力で事態を解決できない事を悟った聖司は、美しい顔を歪める。
「何だ、この暴力集団は! ネットで悪評を広めてやるからな!」
「それは止めといた方がいいぞ、坊主」
スマホを構えた美紀が、研修生たちの中から出て来た。今も聖司を撮影しているようだ。
「今までのやり取りは全部、録画しているからな。一方的にリュカを殴っている所も含めてだ。変な噂が立ったらすぐ、この動画を公開してやる」
SNSにおける影響力の強さを、誰よりも知っている聖司は顔を歪める。ここまでのやり取りを公表されて、傷が付くのは自分だと直ちに判断した。
「クソッタレが!」
舌打ちした彼は地面を蹴りつけて、その場を去って行った。
「ご迷惑をおかけしました。私は此処を離れます。今までお世話に……」
「何、言っているの!」
頭を下げる小麦の背中を、バシンと叩く朋子。
「ここまで来て水臭い! ここでドーンとしていなさい。誰も迷惑になんて思ってないから」
「……」
下げた頭を上げる事が出来なくなった彼女。今度はその背中を優しく摩りながら、老女は美紀に声を掛けた。
「貴方がスマホを操作できるなんて知らなかったわ。今までどんなに勧めても、手を付けなかった癖に」
「いや何、振りじゃよ振り」
彼はニカリと笑うと、近くの研修生にスマホを返した。
「良く若い者は、こんな風に撮影しているじゃろ? ちょっと真似をしただけで、撮影のやり方なんて分からんよ」
一瞬の空白
その後、農園は研修生たちの爆笑で包まれる。小麦も涙を流しながら、笑顔を浮かべた。
「それにしても、図々しい坊主じゃったな。自分勝手に捨てた人間から、更に何かを巻き上げようとは」
「ネットの世界は、流行り廃りが激しいですから。一度聞いた曲を、もう一度聞いてくれるような人は少ないんです。常に新しい曲を発表し続ける必要があるんですけど、それは本当に難しくて」
「良く分からんが、難儀な事じゃ」
その晩、小麦は久しぶりに聖司たちのグループの検索を行った。あれだけ勢いのあったグループも、その存在価値が驚くほど薄れている。テコ入れに音楽以外の配信も行っているようだったが、あまり効果が出ていないようだ。
芸能界もそうであるが、人気がある時は至る所から声がかかる。しかし一度落ちた人気を取り戻す事は、非常に難しい。TVに出演し続けるタレントは、それだけで才能であると言われる所以であった。
比較的自由な桑原家の研修制度であったが、幾つかの決まり事があった。それは出来る限り食事を一緒の時間に取る事と、茶話会への参加である。
農作業中は至る所で、個別の仕事をすることが多い。そんな彼らのスケジュール調整や各種連絡を行うのが、全員が顔を揃える食事中であった。茶話会とは夕食後、一~二時間ほど開かれる勉強会である。
内容は農業的な物に縛られない。スケジュールを割り振られた担当者が、それまでに調べた事などを発表し、全員で勉強して行く。すっかり担当日を忘れた者は、慌てて自国語の講座を開いたりして、お茶を濁していた。大学の研究室での、ゆるいゼミに近い会だった。
茶話会の担当者に小麦の指名日が来た。彼女に農業の事で参加者へ、教えるような知識は無い。仕方なく弦楽器におけるコードと、その進行を解説する事にした。初めの十分間ほどは参加者の注意を惹く事が出来たが、彼女はそこで力尽きた。
余った時間をどうするか悩んでいると、参加者たちから弾き語りをリクエストされる。そういえば中国語の即席講座の中で、日本語訳のある歌を教えて貰ったことがあった。中国語と日本語で、これほどまでに歌詞の内容が異なっても通用する事が分かるという、ある意味興味深い講座である。
その曲は昔、中国語名を持った日本女性が、中国語で歌って爆発的なヒットを生んだ。夏の夜に芳しい香りを放つ花を歌った曲。講義の際に教わった中国語で歌い始める。拙い発音ではあるが、何とか完走した事に安堵する小麦。
「!」
中国語講座を開いた男性と、周りの中国人たちが涙を流して彼女を見つめていた。
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