死んだはずの元婚約者が戻ってきたから、お前はもういらない?じゃあ好きに生きますね。

かのん

死んだはずの元婚約者が戻ってきました

夜に下した判断は、だいたい間違える。

1年前に私がエリオットを選んだのも、今のような三日月の晩だった。


「エ、エリオット様!」

結婚前夜。夫婦の寝室に、執事が慌てて駆け込んできた。


シルクのベッドで寝返りを打ちながら、私は言った。

「あいつならいないわよ」

「レイナ様。では、どちらへ……」

「知らない。いつも夜はいないしね」


身体を合わせたことはなかった。愛もなかったから、当然だ。

去って行く執事の背中を見ながら、広いベッドに仰向けになった。


「それでも結婚前夜くらい、もしかしてって思ったんだけどなー」


無駄にセクシーな下着を着てみたけど、誰の目にも触れずに終わりそうだ。

せっかくメイドたちが頑張って探してくれたのに、申し訳ない。


「でもTバックは意外と履き心地が良い。これが分かったのは収穫だったよね」


だだっ広い部屋に、独り言が響く。メイドたちが噂していたのは本当だった。

信じられるものは、生の情報だけだ。あとは自分の直感だけ。

「女の勘」は外れるが、「自分に不利になりそうな予感」は大体当たる。


「レイナ、帰ったぞ」


だからエリオットが寝室に戻って来て、後ろにいる女が目に入った時。

「うわ。とんでもない厄介をもたらしそうな女だな」と感じた。


この予感は、もちろん当たることになる。



私はベッドから身を起こした。

辺りに散らばる本をかき集めながら、言った。


「おかえり。後ろに女性が見えるけど、背後霊かしら?墓で拾ってきたの?」

「彼女はリリー。俺の元婚約者だ。失礼な口を聞くな」


黒髪で色白、大人しそうに見える。でも黄色い瞳は、抜け目なく寝室を見渡していた。

完全にレイナ・ナイズドされた部屋。男女の営みが行われていないことは一目瞭然だろう。


勝ち誇ったような目で、リリーは言った。

「こんばんは。貴女がレイナ?貴族の出と思えないくらい、野蛮なお方ですこと」

「敬意を払う相手は選ぶよう、教わって来たからね」

「ふん。動物園で教育でも受けて来たのかしら」


エリオットは割って入って来た。

「やめないか、レイナ!リリーに失礼だぞ!」

「え、私?喧嘩ふっかけてきたの、あっちじゃない?」


私の言うことは無視して、彼はリリーの肩を抱いた。

「大丈夫か?リリー」

「信じられませんわ。あたしが消えてから、あんな方と……」


しくしくと泣き出す女。大根役者にも程がある。

子どもの方がもっと良い演技をするだろう。


しかしエリオットには効果が抜群だったようだ。

彼はつかつかと私の方へ歩み寄り、見下ろして来た。


「やっぱり僕が間違っていた。君との婚約は破棄したい」


氷のように冷たい声だった。でも、もう慣れてしまった。

以前はその声に温かさが宿るように努力してきたのだが。


「これで良いか?リリー」

「……」


上目遣いでエリオットを見つめる悲劇のヒロイン、リリー。

丸顔で童顔のくせに、厚い唇だけが妖艶だった。


「なんだい、何でも言ってごらん?」

「あの人がこの国にいるのかと思うと、あたし眠れませんわ……」

「そうだよな。お母様も同じことを言っていた」


彼は、きっとして私へ再度向き直った。

彼の心も身体も、私の入る隙は全くないことは明らかだった。


「レイナ、国も出て行って欲しい」


私は彼の後ろにいる、リリーを見た。

彼女の口元は弧を描き、空に浮かぶ月のように、冷たい美しさを放っていた。



深夜の森は、訪問者を快く受け入れてくれた。


「寒っ!」


春の宵なのに、随分と冷える。

もこもこパンツとあったか下着が欲しい。でもクソ男のために、着ているのは……


「こんなことになるなら、スケスケ下着とTバックなんて履くんじゃなかった!」


怒りのあまり、暗い森で叫んだ。

返答があるはずもない。期待していなかった。しかし―――


「スケスケとTバックが何だって?」


少なくともエロ男の耳には、届いたようだった。



彼は宙に浮かんでいた。


いかにも魔法使いといった服装で、大きな杖が光を放っている。

銀髪をなびかせ、すっきりと端正な顔立ちをしている。


「……別に、何も」

「何もないのにあんな言葉を叫ぶのか?やばいな、レイナは」

「違うわよ!」


彼が私のそばに来ると、杖は穏やかな炎を纏った。

身体が温められていき、思考がクリアになってきた。


先程は反射的に突っ込んでしまったが、私はあることに思い至った。


「どうして私の名前を知ってるの?」

「あぁ、この姿で逢うのは初めてだよね」


彼は杖を大きく振ると、執事の姿になった。

先程、夫婦の寝室を訪れて来た執事に。


「目に見えるものなんて、光の錯覚に過ぎない。そうだろ?」


彼は歌うように言った。

そして瞬く間に、魔法使いの姿へ戻った。


「す、すごい……」


彼はまた杖に炎を宿らせた。

そして私に近くに来るよう、手で合図した。


「これで寒くないかい?」


彼のローブに、すっぽりと覆われる。どこか懐かしい、ひまわりのような匂いがした。

それはささくれだった心を、随分と慰めてくれた。


「どうして、私を助けてくれなかったのよ……」


気付いた時には、泣いていた。

彼は私を強く抱きしめた。頭をぽんぽん、と叩きながら、そっと言った。


「んー。レイナが、心から望んでなかったから」

「そんなことない。いつも辛くて、孤独で、惨めで……」

「本当?元婚約者リリーがいなければ良かった?王子エリオットと暮らしたかった?」


私は思い出した。愛のない婚約にくたびれていた日々を。

エリオットの気を引こうとしては徒労に終わり、本と共に過ごした夜を。


―――あぁ、そうか。


私は思った。良い娘、良い婚約者として振る舞い続けて、忘れていた。

本当に欲しかったのは、他人から認めてもらうことじゃない。


「私が望むのは、好きに生きること。それだけよ」

「えらい。よく気付けました」


魔法使いは頭を撫でてくれた。

くすぐったくて、思わず身を放す。もう寒くはなかった。


「そういえば、あなたの名前は?」

「ローラン。これからよろしくね」


彼は微笑んだ。あたたかく、深い笑みだった。



「もう少し歩いた先に、小屋があるからね」


ローランと森を歩きながら、空気を胸いっぱい吸いこんだ。

夜の大気は澄んでいて、身体が幸せで満ちていく。

いかに城が濁っていたのか、思い知らされた。


「さっきみたいに空を飛ばないの?」

「うーん。できることはできるけど。あれ、目立つからね。魔物が寄ってくるんだよ」


そうだった。生まれてからずっと、国にいたから忘れていた。

人々が国を出ないのは、外に魔物がいるからだ。


「はは、怖がってる?かわいいね、レイナは」

「だって、本でしか見たことないから」

「大丈夫だよ。かわいいのが多いから。女性を狙うのは厄介だけど……」


私たちは、何かにぶつかった。

表面はぬめぬめしていて、鱗のように固くもある。


「そう、まさにこれ。下半身はヘビで、上半身は女性なんだ」

「!?」


彼が言い終わらないうちに、その尾は勢いよくこちらへ向かってきた。

彼は私を抱えて、宙に舞い上がる。


「ほら、見えるかい?」


視界にいるのは、全身7メートルほどのヘビ女だった。

確かに上半身は裸の女性だ。黄色い瞳が、凶悪そうに光っている。


それは口を開け、長い舌が私たち向かって伸びて来た。

ローランが杖を振ると、炎が飛び出した。


炎が舌に当たり、ヘビ女は悲鳴を上げた。

大地が轟くほどの、大きな声だった。


ローランと私は地面に降りて、木の陰に隠れた。


「ヘビ女は新しい女性を食べると、上半身がそれに代わる」

「今の上半身はどうなるの?」

「女性になるよ」

「元に戻るってこと?」

「いや、人の不幸と男の養分を吸って生きる。つまり悪役令嬢ってやつになる」


ヘビ女の黄色い瞳が、頭から離れない。

辺りが静寂に包まれたことを確認して、私は言った。


「ねえ。リリーって、もしかして……」

「あぁ。そうかもしれない」

「じ、じゃあ城に戻ろうよ。エリオットが危ない」

「リリーを追い出すのかい?どうやって?」


ローランの言うとおりだ。下手したら私が処刑されるだろう。

彼は私の手を優しく取った。


「レイナは優しいね。大丈夫、王子はすぐには死なないよ。それに僕は、もう君を失いたくないんだ」

「どういうこと?」

「魔物が王子と婚約したと聞いて、僕は執事に変身した。倒したら次の婚約者として、レイナが来た。それが全ての始まりだった」


彼は立ち上がり、ある場所を指さした。

そこには、かわいらしい小屋が見えた。


「さ、行こう。スケスケを拝ませてもらわなきゃね」

「ちょっと、何言ってるの!」

「ははは、冗談だよ」


小屋には幸い、ベッドが2つあった。

それを見た時の彼の落胆ぷりと言ったら、後世に語り継がれるほどだった。



目を覚ました場所は、小屋ではなかった。


「え、城?どうして?」


広いベッド。豪華な部屋。しかし、前の城とどこか違う。

私が起き上がると、ローランの声がした。


「やあ、起きたんだね」

「ここ、どこ?」

「お城だよ。僕のね」

「ローランって王子だったの?聞いてないんだけど!」

「ははは、聞かれなかったからね」


唖然とする私の横に、彼は腰かけた。

そして、髪を優しく撫でてくれた。


「ずっと連れてきたかったんだけど、さすがに王子の婚約者をさらうのはね。それに……」


彼は私の右手の薬指に指輪を通した。

エリオットから指輪すらもらっていなかったことを思い出した。


「レイナの婚約指輪も作りたかったから。人間界には一流の職人がいるからね」


私は指輪を見つめた。

きらきらと光るそれは、いつまでも眺めていられそうだ。


「きれい。ありがとう」

「月の輝きを封じ込めた指輪だよ。これで君も魔法が使えるようになる」


彼はぐっと距離を縮めて来た。そうして耳元でささやいた。

「僕と婚約している間はね」と。


言葉を失っていると、彼は私を抱きしめた。

「はは、耳まで赤くなってる。レイナはかわいいね」


やられっぱなしも、なんだか悔しい。

私は彼から身体を放した。彼の銀色の瞳を、まっすぐに見つめる。


「それは、つまり……」


そして、彼の頬にキスをした。


「これから先、ずっとって意味でしょ?」


ローランは、ぽかんとした顔をしていた。どこか少年のようにも見えた。

彼の整った顔には、じわじわと笑みが広がっていった。


「もちろんだよ、レイナ。一生、君を幸せにするよ」


私たちは深く口付けた。


1日の始まり。朝っぱらから何をしているのだろう。

でも、まあ良いや。朝にした判断は、だいたい間違えないから。

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死んだはずの元婚約者が戻ってきたから、お前はもういらない?じゃあ好きに生きますね。 かのん @izumiaya

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