死んだはずの元婚約者が戻ってきたから、お前はもういらない?じゃあ好きに生きますね。
かのん
死んだはずの元婚約者が戻ってきました
夜に下した判断は、だいたい間違える。
1年前に私がエリオットを選んだのも、今のような三日月の晩だった。
「エ、エリオット様!」
結婚前夜。夫婦の寝室に、執事が慌てて駆け込んできた。
シルクのベッドで寝返りを打ちながら、私は言った。
「あいつならいないわよ」
「レイナ様。では、どちらへ……」
「知らない。いつも夜はいないしね」
身体を合わせたことはなかった。愛もなかったから、当然だ。
去って行く執事の背中を見ながら、広いベッドに仰向けになった。
「それでも結婚前夜くらい、もしかしてって思ったんだけどなー」
無駄にセクシーな下着を着てみたけど、誰の目にも触れずに終わりそうだ。
せっかくメイドたちが頑張って探してくれたのに、申し訳ない。
「でもTバックは意外と履き心地が良い。これが分かったのは収穫だったよね」
だだっ広い部屋に、独り言が響く。メイドたちが噂していたのは本当だった。
信じられるものは、生の情報だけだ。あとは自分の直感だけ。
「女の勘」は外れるが、「自分に不利になりそうな予感」は大体当たる。
「レイナ、帰ったぞ」
だからエリオットが寝室に戻って来て、後ろにいる女が目に入った時。
「うわ。とんでもない厄介をもたらしそうな女だな」と感じた。
この予感は、もちろん当たることになる。
☆
私はベッドから身を起こした。
辺りに散らばる本をかき集めながら、言った。
「おかえり。後ろに女性が見えるけど、背後霊かしら?墓で拾ってきたの?」
「彼女はリリー。俺の元婚約者だ。失礼な口を聞くな」
黒髪で色白、大人しそうに見える。でも黄色い瞳は、抜け目なく寝室を見渡していた。
完全にレイナ・ナイズドされた部屋。男女の営みが行われていないことは一目瞭然だろう。
勝ち誇ったような目で、リリーは言った。
「こんばんは。貴女がレイナ?貴族の出と思えないくらい、野蛮なお方ですこと」
「敬意を払う相手は選ぶよう、教わって来たからね」
「ふん。動物園で教育でも受けて来たのかしら」
エリオットは割って入って来た。
「やめないか、レイナ!リリーに失礼だぞ!」
「え、私?喧嘩ふっかけてきたの、あっちじゃない?」
私の言うことは無視して、彼はリリーの肩を抱いた。
「大丈夫か?リリー」
「信じられませんわ。あたしが消えてから、あんな方と……」
しくしくと泣き出す女。大根役者にも程がある。
子どもの方がもっと良い演技をするだろう。
しかしエリオットには効果が抜群だったようだ。
彼はつかつかと私の方へ歩み寄り、見下ろして来た。
「やっぱり僕が間違っていた。君との婚約は破棄したい」
氷のように冷たい声だった。でも、もう慣れてしまった。
以前はその声に温かさが宿るように努力してきたのだが。
「これで良いか?リリー」
「……」
上目遣いでエリオットを見つめる悲劇のヒロイン、リリー。
丸顔で童顔のくせに、厚い唇だけが妖艶だった。
「なんだい、何でも言ってごらん?」
「あの人がこの国にいるのかと思うと、あたし眠れませんわ……」
「そうだよな。お母様も同じことを言っていた」
彼は、きっとして私へ再度向き直った。
彼の心も身体も、私の入る隙は全くないことは明らかだった。
「レイナ、国も出て行って欲しい」
私は彼の後ろにいる、リリーを見た。
彼女の口元は弧を描き、空に浮かぶ月のように、冷たい美しさを放っていた。
☆
深夜の森は、訪問者を快く受け入れてくれた。
「寒っ!」
春の宵なのに、随分と冷える。
もこもこパンツとあったか下着が欲しい。でもクソ男のために、着ているのは……
「こんなことになるなら、スケスケ下着とTバックなんて履くんじゃなかった!」
怒りのあまり、暗い森で叫んだ。
返答があるはずもない。期待していなかった。しかし―――
「スケスケとTバックが何だって?」
少なくともエロ男の耳には、届いたようだった。
☆
彼は宙に浮かんでいた。
いかにも魔法使いといった服装で、大きな杖が光を放っている。
銀髪をなびかせ、すっきりと端正な顔立ちをしている。
「……別に、何も」
「何もないのにあんな言葉を叫ぶのか?やばいな、レイナは」
「違うわよ!」
彼が私のそばに来ると、杖は穏やかな炎を纏った。
身体が温められていき、思考がクリアになってきた。
先程は反射的に突っ込んでしまったが、私はあることに思い至った。
「どうして私の名前を知ってるの?」
「あぁ、この姿で逢うのは初めてだよね」
彼は杖を大きく振ると、執事の姿になった。
先程、夫婦の寝室を訪れて来た執事に。
「目に見えるものなんて、光の錯覚に過ぎない。そうだろ?」
彼は歌うように言った。
そして瞬く間に、魔法使いの姿へ戻った。
「す、すごい……」
彼はまた杖に炎を宿らせた。
そして私に近くに来るよう、手で合図した。
「これで寒くないかい?」
彼のローブに、すっぽりと覆われる。どこか懐かしい、ひまわりのような匂いがした。
それはささくれだった心を、随分と慰めてくれた。
「どうして、私を助けてくれなかったのよ……」
気付いた時には、泣いていた。
彼は私を強く抱きしめた。頭をぽんぽん、と叩きながら、そっと言った。
「んー。レイナが、心から望んでなかったから」
「そんなことない。いつも辛くて、孤独で、惨めで……」
「本当?
私は思い出した。愛のない婚約にくたびれていた日々を。
エリオットの気を引こうとしては徒労に終わり、本と共に過ごした夜を。
―――あぁ、そうか。
私は思った。良い娘、良い婚約者として振る舞い続けて、忘れていた。
本当に欲しかったのは、他人から認めてもらうことじゃない。
「私が望むのは、好きに生きること。それだけよ」
「えらい。よく気付けました」
魔法使いは頭を撫でてくれた。
くすぐったくて、思わず身を放す。もう寒くはなかった。
「そういえば、あなたの名前は?」
「ローラン。これからよろしくね」
彼は微笑んだ。あたたかく、深い笑みだった。
☆
「もう少し歩いた先に、小屋があるからね」
ローランと森を歩きながら、空気を胸いっぱい吸いこんだ。
夜の大気は澄んでいて、身体が幸せで満ちていく。
いかに城が濁っていたのか、思い知らされた。
「さっきみたいに空を飛ばないの?」
「うーん。できることはできるけど。あれ、目立つからね。魔物が寄ってくるんだよ」
そうだった。生まれてからずっと、国にいたから忘れていた。
人々が国を出ないのは、外に魔物がいるからだ。
「はは、怖がってる?かわいいね、レイナは」
「だって、本でしか見たことないから」
「大丈夫だよ。かわいいのが多いから。女性を狙うのは厄介だけど……」
私たちは、何かにぶつかった。
表面はぬめぬめしていて、鱗のように固くもある。
「そう、まさにこれ。下半身はヘビで、上半身は女性なんだ」
「!?」
彼が言い終わらないうちに、その尾は勢いよくこちらへ向かってきた。
彼は私を抱えて、宙に舞い上がる。
「ほら、見えるかい?」
視界にいるのは、全身7メートルほどのヘビ女だった。
確かに上半身は裸の女性だ。黄色い瞳が、凶悪そうに光っている。
それは口を開け、長い舌が私たち向かって伸びて来た。
ローランが杖を振ると、炎が飛び出した。
炎が舌に当たり、ヘビ女は悲鳴を上げた。
大地が轟くほどの、大きな声だった。
ローランと私は地面に降りて、木の陰に隠れた。
「ヘビ女は新しい女性を食べると、上半身がそれに代わる」
「今の上半身はどうなるの?」
「女性になるよ」
「元に戻るってこと?」
「いや、人の不幸と男の養分を吸って生きる。つまり悪役令嬢ってやつになる」
ヘビ女の黄色い瞳が、頭から離れない。
辺りが静寂に包まれたことを確認して、私は言った。
「ねえ。リリーって、もしかして……」
「あぁ。そうかもしれない」
「じ、じゃあ城に戻ろうよ。エリオットが危ない」
「リリーを追い出すのかい?どうやって?」
ローランの言うとおりだ。下手したら私が処刑されるだろう。
彼は私の手を優しく取った。
「レイナは優しいね。大丈夫、王子はすぐには死なないよ。それに僕は、もう君を失いたくないんだ」
「どういうこと?」
「魔物が王子と婚約したと聞いて、僕は執事に変身した。倒したら次の婚約者として、レイナが来た。それが全ての始まりだった」
彼は立ち上がり、ある場所を指さした。
そこには、かわいらしい小屋が見えた。
「さ、行こう。スケスケを拝ませてもらわなきゃね」
「ちょっと、何言ってるの!」
「ははは、冗談だよ」
小屋には幸い、ベッドが2つあった。
それを見た時の彼の落胆ぷりと言ったら、後世に語り継がれるほどだった。
☆
目を覚ました場所は、小屋ではなかった。
「え、城?どうして?」
広いベッド。豪華な部屋。しかし、前の城とどこか違う。
私が起き上がると、ローランの声がした。
「やあ、起きたんだね」
「ここ、どこ?」
「お城だよ。僕のね」
「ローランって王子だったの?聞いてないんだけど!」
「ははは、聞かれなかったからね」
唖然とする私の横に、彼は腰かけた。
そして、髪を優しく撫でてくれた。
「ずっと連れてきたかったんだけど、さすがに王子の婚約者をさらうのはね。それに……」
彼は私の右手の薬指に指輪を通した。
エリオットから指輪すらもらっていなかったことを思い出した。
「レイナの婚約指輪も作りたかったから。人間界には一流の職人がいるからね」
私は指輪を見つめた。
きらきらと光るそれは、いつまでも眺めていられそうだ。
「きれい。ありがとう」
「月の輝きを封じ込めた指輪だよ。これで君も魔法が使えるようになる」
彼はぐっと距離を縮めて来た。そうして耳元でささやいた。
「僕と婚約している間はね」と。
言葉を失っていると、彼は私を抱きしめた。
「はは、耳まで赤くなってる。レイナはかわいいね」
やられっぱなしも、なんだか悔しい。
私は彼から身体を放した。彼の銀色の瞳を、まっすぐに見つめる。
「それは、つまり……」
そして、彼の頬にキスをした。
「これから先、ずっとって意味でしょ?」
ローランは、ぽかんとした顔をしていた。どこか少年のようにも見えた。
彼の整った顔には、じわじわと笑みが広がっていった。
「もちろんだよ、レイナ。一生、君を幸せにするよ」
私たちは深く口付けた。
1日の始まり。朝っぱらから何をしているのだろう。
でも、まあ良いや。朝にした判断は、だいたい間違えないから。
死んだはずの元婚約者が戻ってきたから、お前はもういらない?じゃあ好きに生きますね。 かのん @izumiaya
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