第20話 獄中の希望 前編


 あの後、防壁街には毒ガスが散布され、理論上生存者は居なくなった。ただ、その際現場に居た者たちによると、街を焼いた業火は不思議と真っ暗な空と溶け合い、やがて黒く爆ぜるようにして一瞬で居なくなってしまったという。

東雲の頃には、炭灰と化した廃墟を冷たい雨が静かに濡らした。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 裏悲しげな顔で連行されるシルビアを見送った後、俺とローレンスも白騎士団の馬車に乗せられて、1日か2日……多分・・それくらいの時間馬車に揺られた。というのも、俺たち二人は手錠を掛けられた上で、扉には外側から鍵が掛けられ、窓にも黒い布を被せられていたので、外の様子が良く分からなかった。騎士たちの休息のために度々止まることはあったが、その末にようやく下ろされた場所は巌々がんがんそびえる灰色の要塞の中だった。また、その規模からして、そこが防壁街から北東に位置する「バーグ砦」だと言うことも解った。バーグ砦は先住王国との戦争で鹵獲した城で、今では教会連盟の軍事・司法部門の拠点となっているのは有名な話だ。


 俺はあれからすぐ地下牢に収容されて、また日付感覚が麻痺してしまったけれど、時々看守が運んでくる食事を目安にすれば、まだ数日しか経っていない。その間、俺はずっと不潔な牢の天井を見詰めていた。……考え事をしている内は飽きなかった。

シルビアの心配。

ローレンスに対する疑問。

アシュレイへの罪悪感。

防壁街が襲撃を受けた事実。

母や知人たちの安否。

現在の自分の状況……

何度脳内整理を行ってもゴツゴツとした苦しみが掘り出され、心に淀んだ負の感情ばかりが濃縮されて行くのだった。

こうして思い返した今もそれを強く感じており、また、回数を重ねるごとに激しくなっているのも自覚できる。怒りや苦しみがたかぶって堪え切れなくなると、俺は囚人用のベッドに爪を立てて、力の限りガリガリと引っ掻いた。劣悪な状態のベッドは、その度に黴のカスを吐いた。

そんな乱心の真っ最中、廊下の奥で鉄扉の開く音がした――看守が来たのだ。その様子を見られるのは流石に気が引けるので、俺は熱くなった目を擦りながらも平然を装う。すると、今頃になってローレンスが連れて来られて、「1」と書かれた番号札の独房に入った。俺の居る「4」番の独房とすぐ隣だ。用が済んだ看守が去って行くのを見送ってから、俺は話し掛けた。


「これまでどこに?」

「拷問部屋で白騎士どもの世話になっていた」

「大丈夫? ――って言いかけたけど……」


見る限り、血の跡のようなものはあっても、特別目立った外傷は無い。この二日ほど拷問に掛けられていたと言うには不自然だ。


「それも、今から話そう」

「拷問では何を訊かれたの?」

「俺は何も答えなかったが、全てシルビアのことだ。『どこであの聖血・・を手にしたのか』とな」

「……やっぱり」


「聖血」について、俺の知っている限りの情報はこうだ。

祟りの研究を進めるにあたって確立された医療概念「血性」は、人間の血液の質を数値で表したもの。俺のような庶民は詳しいところまで知らないけれど、この血性と祟りの感染には直接関係があり、高ければ高いほど罹りにくいらしい。必然的に、教会連盟は祟りの予防薬として血性の高い血を探し求めている。そして、極めて血性が高く、それこそ人類が祟りを根絶できるほどの伝説的なものが「聖血」である。


「……知っていたのか?」


ローレンスの表情は相変わらずベールで隠されていたが、かなり驚いている声だった。


「いつだったか、シルビアが紙で指を切ったのを見たんだ。そのとき彼女から出ていた血の色は俺の知ってるものじゃなかった……あの極端に濃い赤、黒薔薇ばらみたいな色をよく覚えてるよ。あのときは気のせいだと思ったし、それ以降もわざわざ掘り返して訊かなかったけど、もしかしたらって」

「……」

「あ、勿論そのときは手当てしたよ?」


急いでそう付け加えると、ローレンスはほんのり笑ったかのような吐息を洩らして言った。


「……俺とシルビアあの子のことを教えよう。ルドウィーグ、お前には知る資格がある」



 俺たちは祟りの病原体を持っている疑惑があるから、地下牢に隔離されているのであって、わざわざ近寄ろうとする者は居ないだろう。だからこそ、ローレンスは盗み聴きなどを恐れず、包み隠さず話してくれた。


「まず俺についてだが、ローレンス・・・・・・として生きたのは直近の20年程度だ」

「と言うと?」

「記憶障害らしくてな。未だに微塵も思い出せない、素性を知っていた奴もいない。だが、俺にも聖血が通っている……少なくとも、普通の立場の人間ではなさそうだ」

「拷問の傷が無いのはそういうことか」


こんな近くに二名もの聖血保有者が居たとなると、流石に感覚が狂って来る……いや、待てよ。なら、なぜローレンスは連盟の聖血狩りの手から逃れていたのだろう。


「……シルビアより先にあなたが嗅ぎつけられるのが自然じゃない?」

「それが、特異体質? なのか、血が体から離れた時点で失活するんだ」

「特異体質過ぎるだろ……というか、こんなのシルビアも知らないんだろう? どうして俺に」

「弟子には弱いところを見せられない、ましてシルビアには。その点、お前は躊躇いなくさらけ出せる対等な相手だ」


「なるほど」と、俺は黙って頷いた。


「次はシルビアのことだ。あの子は3年前、憑き物から生まれた」

「⁉」


俺は耳を疑った。

しかし、あの絶世の美少女が一体どうやって憑き物から生まれて来るのか想像できない。さらに言えば、そういうもととして受け止めてしまう豪胆さが俺の中に育ち始めていたので、「驚いた」で済ませてしまった。


「……俺はそれを保護したが、一度孤児院にやってしまった」

「それが原因であの子の聖血が狙われ始めたのか」

「だが、あの子は自力で逃げて俺の手が届く所まで戻って来た。だから、俺の娘にした」

「そうだったんだ……ローレンスって、自分よりシルビアの方に詳しいんじゃない?」

「そうかもな」


ローレンスがそう呟いて会話が一区切り迎えた辺りだった。ここに来て空腹感が込み上げて来て、俺は壁に倒れ掛かった。

ローレンスも俺の足元に置かれた食事の盆を見つけた様子。半日前からここにあるわけだが、元々粗悪なパンには何なのかもよく分からない塵みたいな蟲が這い寄り、コップに入った水は蒸発してかなり水面が下がったうえ、埃がたっぷりと浮いている。


「……これまでもずっと食ってないらしいな」


彼は厳しい拷問が終わった直後だというのに、俺のことを気に掛けてくれている(自覚が無いだけで、俺がそれくらいげっそりしていたのかもしれない)。ただ、その厚意に対して最初に返事をしたのは俺の腹の虫で、少し恥ずかしくなった。


「……まだ混乱してて、そういう気分じゃなかったんだ。このまま飢えてどうにでもなれば良いとか思ってたから」

「今は、どうだ?」

「……まだ、こんな所で死ぬわけにはいかないさ」


俺がそう答えると、ローレンスは見えもしない空を見上げて呟いた。


「ルドウィーグ、脱獄する気は無いか?」


その言葉を聞いて俺は目を見開いた。


俺は・・・もうすぐ死ぬ」

「……病気?」

「さしずめそんな所だ。シルビアあの子との約束はどう足掻いても果たせそうにない」

「そんな、シルビアはあれが最後だなんて思ってもいない! あなたのこと――」


俺は声を大きくして言いかけたが、ローレンスの静かな視線を感じて、気を宥めた。少し間を置くと、今度は彼が話し出す。


「だが、俺は死ぬ瞬間まであの子を守り抜くと誓った……死んだ後も無事で居られるように手を尽くす。だからルドウィーグ、手伝ってはくれないか?」


また頼られている、一人の男として。全てを失った今、こんな幸甚はそう無い。俺は目元を引き締めて、首をはっきりと縦に振った。






・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――


 「血性」について補足(かなり重要だから覚えておいて欲しい)

血性とは、祟りの研究の中で確立されたドリフト諸島独自の医療概念。血液の循環効率、血球の密度、免疫力、血量などを総合し、数値で示したもの。

血性が高くなるにつれて身体能力や再生速度、新陳代謝などが向上する一方で、同時に毒性も帯びる。

また、これは完全に遺伝的なものであり、両親のどちらかに近い血性を持って生まれ、以後自然に変異することはない。

生物が世代交代を通して段々と進化するように、代を重ねることでごく僅かずつ血性は上がっていく。1世代重ねるごとの上昇量は指数関数的増加の傾向にある。


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