第23話 獄中の希望 中編

 ローレンスが言うには、俺の見立て通りここはバーグ砦で間違いないとのこと。

彼はこれまでに何度か仕事で訪れているため、この砦の構造などをある程度把握しているらしい。

これは脱出において大きなアドバンテージだ。

彼は早速、有用な情報を教えてくれた。


 バーグ砦はかなり老朽化が進んでいるため、何度か改装・修繕が行われて来たが、唯一それが行われていない区画があるそうだ。

……それこそが今居る地下牢だ。



 俺は監獄食に付いて来たスプーンを手に取り、ローレンスの指示通り壁の煉瓦の隙間に突き立てた。すると、固い雪塊を砕くくらいの感触で漆喰しっくいのようなものがこそげ落ちた。

それを続ける内に煉瓦がグラグラと動くようになったので、次はバランスタワーの1ピースを抜き取る要領で外してみる。

壁には穴が出来て、その奥は別の空間が広がっていた。


「そこから先の排水路が俺たちの脱出経路だ」

「分かった!」


俺は同様にあと何個か煉瓦を壁から外し、体が通る程の穴を確保した。

排水路の方に出て、今度は反対側から煉瓦を積み直す……ちょっとした隠蔽工作だ。

看守が見回りに来た際、牢がもぬけの殻になっていれば、当然直ちに捜索が始まるだろう。

そうなればこんな穴の存在はバレるだろうが、1分1秒でも余裕が欲しいのでだ。

最後の煉瓦を壁に戻すと、排水路は真っ暗になってしまった。

また、地下牢の淀んだ臭みはここから来ていたようで、俺は思わず顔をしかめる。

遠くでカサコソ音を立てているのは、そぞろ歩く害獣なのだろう。

衛生状態は下水道と大差無いのでは? と思いながら一歩踏み出した次の瞬間――




――爪先から恐ろしいみが襲って来た!


「くぁぁ……うぐぅ……」


これには呻きを堪え切れない。

暗くて失念していたが、ここは排水路。最初に足を着いた場所がたまたま濡れていなかっただけで、その安全地帯から離れようものなら真冬の水が肌を撫でる。

はっきり言って「寒い」以外考えられない。

勝手に顎の筋肉が痙攣して歯がガタガタ鳴った。

そんな地獄に脛まで浸った状態で、俺は水底の重いドブを蹴るように掻き分けつつ、何とか進む。

やがて前方に灯りが現れた……同じように牢から出ていたローレンスだ。

やはりと言うか、彼はちっとも寒さに動じていなかった。


「その灯り、どこで?」

「廊下の壁掛け松明だ」


確かに、牢の扉の近くにはそういうのが置いてあった気がする。

格子から手を伸ばして届くなら、俺も持って来れば良かった。

まぁ、ひとまず彼に付いて行こう。



 松明で気持ち程度の暖を取りながらしばらく移動していると、排水路の構造が土管らしくなって来た。

これまでは石造りの溝を様々な隙間に設け、狭い中を無理矢理通していたような感じだったので、土管の方がずっと通り易い。

また、上に繋がる排水口がところどころ設けられていて、上階の光が差し込んでいた。


「【看守室】はこの辺りか……ルドウィーグ、上まで登れるか?」


彼は排水口を指差して俺に頼んだ。

大柄な本人では厳しいのだろう。

勿論、排水口まで梯子が掛かっていたりなどせず、道は険しい。

けれど、牢から抜け出したときから――いや、防壁街から脱出するときから既に俺の覚悟は既に決まっている。


「何をして来ればいいの?」

「【押収品保管室】に行ってくれ」

「分かった、武具を取り戻すんだね!」

「そういうことだ」


俺はローレンスに押し上げて貰いながらよじ登り始めた。

土管の継ぎ目の凹凸に指を掛けたり、手足を上手く使って体を突っ張ったり……滑る場所もあって落ちそうになったが、やっとゴールまで来ると、慎重にバランスを取りながら鉄の格子蓋に手を掛けた。


(あぁ~、久し振りにマシな空気だ! 酸素美味ぇ~)


一呼吸すれば、悪臭に侵されていた肺が浄化されるようにすら感じた。

だが次の瞬間、手に激痛が走る。


(痛ーーーーーーーーってぇ!!)

「ん? ……何か踏んだか?」


通り過ぎた職員に手を踏まれたらしい……これは絶対皮が剥けてエグイことになってるやつぅ!

かなり危ういところだったが、直ちに手を引っ込めて、絶叫と転落も免れた。

人気ひとけが無くなった事を確認して、今度はしっかりと警戒して外に這い出た。

そして、格子蓋を持ったまま近くの物影に隠れる。

暫くして、看守が一人歩いて来た。

連れや後ろは居ないらしい。


「ん? この排水口、蓋が無いじゃねえか……全くどうなってるんだよ」


看守がそう言って足を止めている間に背後から忍び寄り、彼の後頭部を蓋で思い切り殴り付けた。

ガーン! と想像以上に大きな音が響いて、看守は気絶する。


「よ、よし……」


罪悪感には見舞われるものの、自分が生きて脱獄するには仕方の無いことだ。

制服を貰っておこう。

変装は勿論、着替えとしても丁度良い。

防壁街で災難に遭った時点でかなり汚れてしまったのに、ここに来てからの冷遇もあって着替える機会など無かったのだ。

脱ぎ捨てたものは煤・埃・泥・汗・下水……色々な物にまみれて酷い有様だった。



 奪った深緑色の制服に袖を通し、俺は堂々と押収品保管室に入ってみたが、中には誰も居なかった……拍子抜けしつつも、安全に動けるに越したことは無い。

しかし、肝心なことを想定していなかった!

押収品が入っているロッカーは幾つも並んでいるのだが、全て鍵が掛かっている。


「これはどうしたものか……」


近くに錠を破る手段は見当たらない。(そもそも、こじ開けるところを本物の看守に見つかったら絶対に言い逃れできない。)

俺は仕方無く保管室を出て【看守室】という札が付いた扉へ向かった。

鍵を借りて来るしか手は無いのだ。

固唾を飲んでから扉を開けると、中には何人もの看守が居た……当然と言えば当然か。

ただ、自分の仕事机で新聞を読んでいる者、行儀悪い姿勢で居眠りしている者、パイプを吹かしながら同僚とのトランプに耽っている者……目に入る皆が不真面目だった。


(無用心だな……なんにせよ、大チャンスだ)


と思いつつも、奴らはいつ睨みを利かせるのか分からない。

緊張が腹痛になって襲いかかると同時に、恐怖に包まれた使命感が俺の視線を固定し、部屋の最奥の壁に掛かった鍵束以外眼中に無くなった。

浅い呼吸、激しい発汗、体の震え、フラフラした歩き……怪しまれる事は極力しないように限界まで気を遣いつつ、何とか鍵束を掴んだ。

また、誰もこれに反応を示さないので、無事に戻れそうだ。

そのまま元来た経路を引き返し、扉を押して看守室を出ようとしたときだった。


「おい、お前。それ、何に使うんだ?」


俺を呼び止めたのは、鍵束の置き場から一番近くに居た男。

恐らく看守長だ。

慌てて振り向くと、さっきまで無関心だった他の看守も皆こちらに視線が向けている。

脳の奥がグッと締め付けられるような感覚と共に、平衡感覚がねじ曲がっていく。


「えっと……」


不味い。焦るな、俺。落ち着け。


「新入りか知らんが、不当な理由なら許さんぞ」

(考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ。考えろ考えろ考えろ考えろ)


 自分の理性は冷静に考えるように促しているのだが、看守たちの視線に含まれる疑いの色が強くなるにつれて頭は一層真っ白になって行く。

そのせいで、肩を掴まれるまで後ろの人に気付かなかった……いつの間にかドアから入って来たようだ。

鳥肌が立った背中に大粒の汗が流れる。


(ヤバい、詰みだ……)


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