アスノクジラ

芽福

アスノクジラ

「全身が痛い...見える、走馬灯が。さよなら、お父さん、お母さん」

母星を発ち、宇宙統一歴で10年経った。コールドスリープによって維持された体は今目覚め、窓から見える青と緑の典型的な知的生命体向きの色をした星、つまり連合未登録高度文明惑星ナンバー001223、あるいは現地の言葉で『アース』とか『地球』とか呼ばれるその場所のどこかにこっそり着陸して、調査を進める筈だった。だが。

「宇宙船は破損。宇宙服はビリビリ。帰還するだけでも困難の極みだ。もう終わり...ん?」

あれ?僕、意識あるじゃん。草の一本もない平たい地面で、横たわっているようだ。

「あれっ、あれ?ここどこ?」

体に、違和感を感じる。痛むのは当然として、遠く幼少期に味わった不快感と似ている。少し体を起こしてその違和感のある部分をよくみたらば、なんと股間がびしょびしょに濡れているではないか。

「お、おねしょ?気を失っていたから?いや、排泄全般は着陸体制に入る直前に全部済ませたから、今更何か出るわけもないし...ん」

今度は手をついて言うことを聞かない体をハイハイの姿勢にし、地面を観察する。すると股間のあたりにあったのは、正体不明の穴。そして唐突に、僕の頭の中に直接、声が聞こえてきた。

「ようやく起きたか、宇宙からのお客。言いたかったことを言わせてもらうぞ。...いてぇなこの野郎!急に墜落して来るんじゃねえ!」

「うわ、テレパシー!相互に許可の無い突然の脳内接続はプライバシーの侵害で重大な罪...っていうか」

「ていうか、なんだよ」

「地球言語だ。ずっと生で聴きたかったんだ!ずっと勉強していたけど、テキストデータじゃないネイティブ発音を聞くのは初めてだ。ああ、僕は感動している!あなたは誰?現地人ですよね。どうか姿を拝ませてください!」

「いや、お前。随分とお熱みたいだが、それより先に色々とあるだろ。ここはそもそも、どこなのかとか」

ぶしゅ!勢いよく、足元の噴出口から水が吹き出る。

「...え」

手をついて、体を完全に立ち上がらせる。満月が煌々と輝く夜の世界。雲一つなく、星が輝く空と地面とに境界を引くのは、潮の香りがする、ぬるっとした、白い大地。だがそれは果てなく続いている訳ではなかった。曲線のその向こうには、ぱたぱたと動く、ハートの形をした尻尾。これはどう言うことだ?頭を振り絞って、今この状況に合致する地球の地球の知識を引っ張り出す。...まさか。

「まさか。まさかとは思うけど。僕は鯨の上に居るのか?」

「そう、大正解!宇宙の兄ちゃん、よく学んでくれてるね」

うおっと。また、水が出てきた。僕はそれを避けながら、自分の中から涌き出てくる興奮を抑えず語り出す。

「ふふん。僕はこの星の『オタク』ですよ?舐めてもらっちゃあ困ります。研究機関に許可をもらってこの星を直接調査しに来るほどなんですから!知っています、この星には『人間』と呼ばれる生物が居るんですよね?僕たちはこの星における『犬』が二足歩行を手に入れたような姿形をしているが、この星の知的生命体、つまり人間は僕らとは違うところから、つまりおおよそ『猿』から派生した生命体であると私は知っています。それに加え興味深いのは...」

「応、ストップストップ。それよりお前さん、俺が何者かについて興味はないの?それと、あんた名前は」

やべ。しばらく生の生き物と喋っていなかったからつい。

「こっ、これは失礼しました!熱意が先走りしてしまいつい。えっと、僕はアスノと言います。コロワ星の出身で、この星に調査に来ました。あなたは?」

「俺の名はピース。言っとくが、この星にはもう人間は居ないぜ」

「ええ?それはおかしいですよ。僕の事前知識じゃあ、この星の生き物で高度な知能と文明を持っているのは『人間』だけであるはずだ。...だが、可能性が在るとすれば僕がここに来るまでの10年、コールドスリープで寝ていたその間に...まさか」

「たぶん、そのまさかだぜ。人間は、あんたがコールドスリープした間に大戦争をやって、細菌兵器が原因で絶滅した。俺は数ある文明の一つが遺した実験生命体、高度な知能を持った人工クジラの"ピース"ってんだ。俺を作った文明の言葉で"平和"を意味する。今後よろしく」

「よろしくお願いします」

短期間の一斉絶滅。ある程度文明が進んだ星では、稀にあることだ。だが自分の調査したかった大好きな星に限って、しかも僕が調査に行けるようになったタイミングでそうなることを、僕は想定していなかった。というより、想定したくなかったのかもしれない。

「...この目で見るまでは信じたくない。けれど、宇宙船は大破してどこかへ行ってしまったしなぁ」

「大破?あーそう。やっぱり?流れ星みたいに何かが光ったと思ったら、大量の緩衝材に包まれたあんたが落ちてきたんだよ。このぶんじゃ落ちた船は原型も無さそうだ。それよりあんた、その格好。宇宙服も大破してるじゃあないか。死なないのか?」

「その点は問題ありません。この星の大気の組成や環境は、僕の母星とよくにている。まだ少し慣れませんが、生きていくには問題ないはずです。」

「応、そうか良かった。なあ、聞きたいことがあるんだが」

「なんです?」

「お前は人類の絶滅を信じたくないと言ったな。」

「ええ」

「そりゃ、殊勝な心がけだ。だがな、俺の推測、つまりシミュレーションの結果的には99.99997%の確率で人類は全滅してる」

「でも僕はどのみち宇宙には帰れない。残りの0.00003%の可能性に賭けることは普段なら絶対にしないが、今この状況下ならば調べる価値はある」

「嫌だといったら?」

「あなたも一人じゃ暇ですよね?できれば、協力して欲しいなー」

「...はぁあ。仕方ねぇ。じゃ、一緒に地球を回るか?」

「えっ、良いんですか!?」

「断っても死ぬまで食い付いてきそうだからなあんたは。幸い、俺を作った文明は、海水に浸って飯を食う限りは半永久的に動くカラダを作ってくれたからな。それを基に稼働する俺の脳に埋め込まれた回路には、この星に関する様々な事が記録されているんだぜ!他にも、俺が自ら考えるブレーン、つまり超高性能AIも搭載されている。勿論シンギュラリティ経過済みの奴だ」

「なるほど。それは、僕にとってかなり得のある話です。お言葉に甘えて、その話乗りましょう」

「俺にとってはどうだかな...」

それから僕らはゆっくりと、星を周遊した。事前に学んでいた様々な観光名所を見ることができて、心のそこから感動した。だが、そのどこにも人間はいない。食べ物も豊かだった。ピースのブレーンには、この星の食文化に関するデータが全て内包されていた。取れ立ての魚や野生化した家畜、地上で僕がとってきた植物なんかからあらゆる料理が再現された。それらは舌に合ったり合わなかったり、僕の星にも似たような食べ物があったなと懐かしんだり。

そうして、ピースとの絆を育んだ。時に衝突し、その度に仲直りして。彼は大きかった。彼は大地であり、友達。故郷への寂しさは留まることはなかったが、それが生む心の隙間はいつもピースが埋めてくれた。そして。

とてもとても、長い時間が経つ。

「全身が痛い。もう、僕は歳だ。走馬灯が見える」

「諦めることはないぜ、アスノ。あんたはここ十年ずっと歳だ歳だと言いながら死にはしなかっただろう」

「だか、今度こそ本当に長くはもたないんだろう」

「...何故それを」

ざぁあ。静かに揺れる海の波が、静寂を美しく彩る。

「わかるさ。どれだけ一緒に居たと思っているんだ?僕には、君がどこか哀しそうなのがわかる。ピースはいつも、身体を診てくれているから」

「そうか。バレたか」

ピースは潮を噴く。長年の相方の永遠の眠りが近いことを知って、その魂の門出を祝福するために。

「結局、人類は見つからなかった。でもいいんだ。君という無二の友が居てくれたから、寂しくはなかったよ」

「...俺は寂しい。アスノが記憶だけの存在になってしまうのが。どうか、俺を置いて逝かないでくれ」

「君のコンピューターの寿命予測精度は100%に限りなく近い。辛い思いをさせて済まないね」

空はあの日と同じ、満月の、雲一つ無い綺麗な星空。この星が何十回にも渡って廻るほど時間が経ったのに、それなのにどうしてだろうか、まるで全てが昨日の事のよう。

「眠たくなってきた。今日はもう寝るよ。おやすみ、ピース」

「ああ。おやすみ」

徐々に冷たくなるアスノ。背中のものを振り落とせないピースは彼が骨になるまで身体を放置し、その感触の変遷を肌身に感じた。

俺の維持装置は半永久的。だが、本当の永久には程遠い代物だ。俺も、いずれ、君の元に。



長い時間が経った。



...俺は、自分の意識を担保してくれている高性能ブレーンに致命的なノイズを発見した。これが広がれば、高度な知的生命体としての俺は死ぬ。

そんな時。突然、長年使っていなかった反応機構が刺激される。

「ヒト。人間の声」

少ない。だが、居たんだ。遠くの、小さな島の上。文明的なモノとは程遠く、見知った言語を喋ってはいるが、その生活はかつて俺を作った人間たちと同一とは思えないほどに退化していた。

「なあアスノ、人間だ。...聴こえているかい」

アスノの残骸は日々、風に吹き飛ばされて消えていた。だが、まだ骨の破片が残っている。俺の肌はそれを感じている。

「残った者たちが原始的文明を築いていたんだ。また、あいつらは永い永い時間をかけて爆発的に増えるのだろうな」

心のどこかで、幸せを感じていた。

「君の夢は叶ったよ」

...ああ。消える。記憶情報を蓄積したメモリカードの記憶が。

「脳が...思うように動かない。苦しい。痛いよ、アスノ。頭が...」

ああ。言語。まともに操れない。

この時...来てしまった。


あれは...船。人間の。


迎えに来てくれたのか?


今となってはトオクなって忘れていた


オレを産んでくれたお母さん、お父さん


見える


走馬灯が...





「居たぞ、食料だ!!」

「刈れ、かなり大きい個体だぞ!」

鳴き声をあげ、力尽きる鯨。その背中に張り付いていた白い、小さな破片が風によって剥ぎ取られ、どこか遠くに飛んでいく。

彼らは、鯨の頭の中に埋まって居る、『食べられないゴミ』が何を意味して居るのか、それを知る由もない。

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