天才魔女・モニカと冬の禁書庫

白井なみ

天才魔女・モニカと冬の禁書庫

 周囲一帯を標高の高い山々に囲まれた静かな田舎町。長閑な町並みの中心で一際異彩を放つ、ゴシック建築の宮殿がある。これは今年で創立400年を迎えるという、全寮制の歴史ある魔女養成学校、ヴァルドリア学院である。

 黄金に輝く建物の上部には無数の尖塔が立ち並び、隣接する巨大な時計塔を含め、細部に至るまで荘厳で細やかな彫刻が施されている。


 12月もあと数日で終わり、新しい年を迎えようとしているこの時期、町を囲む山々や雄大な大地はもちろん、学院の尖塔、野に咲く花々に至るまで、辺り一帯は全て白い雪に覆われている。

 少女たちの声で賑わう学院内で、小鳥も慌てて木の枝を飛び立つほどの大きな声が轟いた。声の主の名はモニカ。燃え盛る炎のような深紅の長髪にエメラルドの瞳を持つ、色白で小柄な少女である。


「ええっ!?みんな帰っちゃうの!?」

 大きな二つの瞳を見開き、モニカは顔全体の筋肉を使って驚愕の表情を表した。

 そんなモニカを見て、彼女の友人たちは困った様子で小さく笑い合う。

「そりゃあ帰るわよ。家に帰ることが許されるのって、年末年始のこの時期だけだもの」

「ほとんどの生徒は帰省すると思うわよ」

「そ、そんなぁ……」

 モニカは置いて行かれる仔犬のように落胆した。


 友人の多くが帰省することはわかっていた。友人どころか、この学院の生徒の多く──教師までもがこの時期は自分の家に帰るということも。

 モニカには帰る家がない。養護施設で育った彼女は類稀な魔術の才能を見出されてこの学院への推薦入学を果たしたが、彼女が入学してから数か月後に、あろうことかモニカの育った施設は別の大きな養護施設と統合されてしまったのだ。

 統合に当たり、施設の子供たちの多くが今は養子縁組の家庭で生活しており、モニカの面倒を見てくれた先生も、ほとんどが退職して既に別の場所で働いている。

 統合先の養護施設で生活している仲間も何人かはいるものの、モニカはどうしてもその場所へ「帰る」気にはなれなかった。そもそも、それを「帰る」と言っていいのかさえ怪しい。

 けれど、だだっ広いこの学院に置き去りにされて一人で寂しく年を越すなんて、モニカには我慢ならなかった。


 多くの生徒が待ちに待った、冬期休暇の一日目。授業から解放される冬期休暇を、これほどまでに恨めしく思っているのはこの学院で自分くらいなものだろう。そんなことを思いながら、モニカは故郷へと帰っていく仲間たちの晴れやかな笑顔を見送った。

 町に唯一ある駅は列車の本数が非常に少ない為、ほとんどの生徒が午前中の便に乗って帰っていった。

 急に静かになった学院内をモニカはあてどもなくブラブラと歩いたが、いくら捜しても自分以外の人の姿は見えない。それどころか、学院内で飼っているクロネコのルーシーの姿さえ、この時は見当たらなかった。


 きっと、帰省せずに学院に残っているのは私だけなんだ。

 モニカはこれまでに感じたこともないような深い孤独に苛まれた。

 友人たちが帰ってくるのは年が明けてから数日後。あと十日間はこの学院で一人で過ごさなければならないことに、元来前向きな性格であるはずのモニカは軽く絶望した。

 残り十日間もの間、一人で一体何をして過ごせばいいのか。食事を作ってくれるゴーレムや、寮の管理をしているケルベロスたちはいるけれど、彼らは不必要なコミュニケーションには一切応じない。

 

 閑散とした長い廊下を歩いていたモニカは、何を思ったかふと立ち止まって窓の外を見た。そして、寮の玄関に生徒と思しき金髪の少女の後ろ姿を確認する。

 自分以外にも残っている人がいた!

 その事実に胸を躍らせ、モニカは跳ねるように階段を駆け下りて、猛スピードで玄関へと向かった。


 ウェーブがかかった金髪のミディアムヘアの少女は、モニカが身に着けているものと同じ濃紺のケープを身に纏い、白い手袋をはめた手で熱心になにかを作っている。

 よく見てみると、それは小さな雪だるまだった。端正な横顔は真剣そのもので、少女の口から吐き出された息は、白く上空へと立ち昇っていく。

「ねえ、それって雪だるま?」

 モニカが声をかけると、金髪の少女は声を上げて驚いた。

「びっくりしたぁ。まさか私以外に残っている人がいるとは思ってなかったから」

 少女は艶やかな頬を蒸気させ、そう言って嬉しそうに笑う。

「私、モニカ。一年生よ。あなたは?」

「私はドロシー。二年生。よろしくね、モニカ」

「こちらこそよろしく、ドロシー。ねえ、それ、私も一緒に作っていい?」

 ドロシーが作っている雪だるまを指差して、モニカは言った。

「もちろん。も友達がいた方が嬉しいと思うし」


 二人は隣り合って雪だるまを作りながら、短い時間で随分と色々なことを話した。

「そういえば、ドロシーはどうして寮に残っているの?」

「私は……私はお母さんと二人で暮らしていたんだけど、お母さん、仕事が忙しくてなかなか家に帰って来られないの。オフィスが家みたいなものなのよ。家に帰っても独りぼっちなら、ここに居たって同じだと思って」

 ドロシーの笑顔は、モニカには少し寂しそうに見えた。

「独りぼっちじゃないわ。ここには私がいるもの」

 モニカの言葉に、ドロシーはにっこりと微笑んだ。

「モニカはどうして?どうして寮に残っているの?」

 モニカは自分が育った養護施設が統合されて、帰る場所がないことをドロシーに打ち明けた。

「そう……それは、とても寂しいわね……」

 雪だるまを作る手を止め、ドロシーは同情とも憐みともまた違う、哀しそうな目をモニカに向けた。

 しかし、当のモニカ本人は自分の境遇を嘆いてなどいないのだ。確かに、友人たちが揃って帰省するこの時期に自分だけ帰る居場所がないことは寂しかったが、今は自分だけでないことがわかった。


「そうだ!ねえ、ドロシー。私たちの他にも寮に残っている生徒がいるんじゃない?その子たちにも何か帰れない事情があって、寂しい思いをしているかもしれない。残っている生徒みんなで集まって、大晦日の夜にパーティーをしましょうよ!そしてみんなで一緒に新しい年を迎えるの!」

 モニカの提案に、ドロシーは碧色の目を輝かせた。

「素敵!名案よ、モニカ!あなたって天才?それじゃあ、早速残っている生徒を捜しに行きましょう!……って、ちょっと待って。よく考えたら、残っている生徒をどうやって捜せばいいのかしら?」

「ふふっ。良い案があるの。帰省中の生徒は外出届を提出しているはずだから、ケルベロスに頼めばもしかしたら名簿を見せてくれるかも」

「なるほど。よしっ、それじゃあケルベロスの所へ行きましょう!」

 ドロシーは立ち上がると、モニカの手を取って走り出した。その場に二人が作った二体の雪だるまを残して。



◇◆◇



 ケルベロスは、外出記録が記載された名簿を存外あっさりと見せてくれた。

「寮に残っているのは、私たちを含めて四人だけかぁ……やっぱり少ないね」

 ドロシーは残念そうに肩を落とす。

「あら、四人もいるじゃない。ええっと、残っているのは二年生のレイラっていう子と、あと一年生のメルね。ドロシーはレイラと話したことある?」

「ないわ。正直言って、どんな子なのかもわからない。同じ学年でも、クラスが違うと全然話さないもの」

「そうよね……私もメルとは一度も話したことがないわ」

「レイラとメルはどこに居るんだろう?」

「うーん……とりあえず、二人の部屋へ行ってみましょう!」

 二人はケルベロスにお礼を言って名簿を返すと、広々とした廊下を連れ立って歩き出した。静かな廊下に少女たちの楽しそうな笑い声が反響する。窓の外では、そんな二人を見守るようにいつまでも雪が降り続けている。



◇◆◇



 二人が最初に訪れたのは、二年生のレイラの部屋だ。同学年のドロシーがドアをノックし、中に居るであろうレイラに向かって声をかける。

「レイラ、こんにちは。私、二年のドロシーっていうの。ちょっと開けてくれない?」

 三秒間ほどの静かな時間が流れた後、様子を伺うようにゆっくりとドアが開かれる。

「……私になにか用?」

 中性的な落ち着いた声音だった。レイラは高身長かつ細身で、アイスグレーの切れ長な瞳を持つ高貴な猫のような少女だ。ハーフアップにした深い碧色の長髪が、知的な雰囲気を醸している。

「私、二年のドロシー。こっちは一年のモニカ。今、冬期休暇でほとんどの生徒が帰省してるでしょ?この十日間退屈だから、学院に残っている四人で集まって遊びましょうって話をしてたの!」

 正確には、「大晦日の夜にパーティーをしましょう」と話していたのだけど。と密かにモニカは思ったが、それは言わないでおいた。大晦日まではあと五日間ほどある。ドロシーの言った通り、それまでの期間もみんなで遊んで楽しみたい。


 レイラは切れ長な目を細め、訝しげにドロシーとモニカを見た。

「四人って、あと一人はどこにいるの?」

「まだ会っていないの。これからその子も誘いに行くから、レイラも一緒に行きましょう」

 そう言ったモニカの無邪気な笑顔に、固かったレイラの表情がほんの少し崩れた。

「まあ、別にいいけれど……だけど、遊ぶって言っても具体的には何をするの?」

「まだ決めてない!」

「ええっ!?」

 高らかに言い放ったドロシーに対して、レイラが呆れた様子の視線を向けた。

「大晦日の夜にパーティーをすること以外は、まだ何も決めていないの」

 モニカの言葉に、ドロシーがコクコクと頷く。

「これからメルっていう子を誘いに行って、四人全員が揃ってから決めればいいのよ!」

「ああ、そう……」

 笑ってばかりの二人に対してレイラは少し不安げな様子だが、彼女自身もまた、長い冬期休暇を一人でどう過ごそうかと考えあぐねていたので、二人の来訪を密かに喜んでいたのだった。




 モニカ、ドロシー、それにレイラの三人は、揃ってメルの部屋に向かった。しかし、モニカが部屋のドアをノックしても中から返事は返ってこない。

「留守なのかしら?」

 レイラの言葉にドロシーが応じる。

「外出届は出ていなかったから、学院の外には出ていないと思うけど……」

「ドロシーみたく外で雪だるまを作っているのかも?」とモニカ。

「えっ、あなた雪だるまを作っていたの!?こんなに寒いのに!?」

 レイラが信じられないとでも言いたげな目でドロシーを見ながら、寒そうに両腕で自身の身体を抱く。

「うん、途中からはモニカも一緒に!レイラも後で一緒に作る?」

「え、遠慮しておこうかしら……」

「とりあえず、メルが居そうな所を順番に当たってみましょう!」

 

 三人はロビーや食堂、音楽室、多目的ホール、玄関など、モニカの提案通りメルが居そうな場所を順番に訪れたが、どこを当たってもメルどころか人の姿は一切ない。

「メル、どこに居るのかしら……?屋内は一通り回ったと思うけれど……」

 学院内を歩き回ってやや疲弊した様子のレイラが言う。

「そうね……そうだ!中庭はどう?」

「まあ、屋内は大体見たし、あとは中庭と学院の外くらいだもんね」

 三人は中庭へと向かった。メルを捜し回っているうちにあっという間に時間は過ぎ、気付いた時には窓の外は薄暗くなっていた。


 モニカの考え通り、中庭のベンチにメルと思しき小柄な少女が座っており、どこか物憂げな表情で空から降る雪を眺めていた。耳の下で三つ編みに結った白髪に、真っ白な雪が溶け込んでいく。

「こんにちは、メル」

 モニカが声をかけると、メルは驚いた様子で振り返った。アメジストのような瞳が暫しの間モニカの姿を映し出す。

「こ、こんにちは……」

 か細い声でそう言った後、メルは視線をドロシーとレイラの方へ移した。

「突然ごめんなさい。私、あなたと同じ一年生のモニカっていうの。実は今、寮に残っている私たち四人で冬期休暇を一緒に過ごしましょうって話していて……後ろに居るのがドロシーとレイラ。二人とも二年生なの」

 モニカが事の経緯を説明し終えると、メルは嬉しそうに目を輝かせた。

「嬉しい!誘ってくれてありがとう!仲の良い友達がみんな家に帰ってしまって、すっごく退屈していたの!」


 メルを加えて、寮に残っている四人全員が揃った。その晩、彼女たちは食堂で一緒に食事を取り、入浴を終えた後はモニカの部屋に集まって夜中までボードゲームを楽しんだのであった。先生の不在を良いことに、思いっ切り笑い声を上げながら。



◇◆◇



 四人で過ごしていると、時間は瞬く間に過ぎていった。各々の自宅へと帰省する友人たちを見送った時は、絶望的なまでに長く感じられた冬期休暇だったが、今では夜を迎える度に、ずっと冬期休暇が続いてほしいと願っている。

 ある時は校庭でスキーをしたり、またある時はそれぞれの私服を持ち出してファッションショーを開催したり、時には休暇中の課題や魔術の練習も行いながら、帰省しないからこそ味わえる寮生の楽しみを満喫していた。

 そして四人は、大晦日の夜を迎える。


 だだっ広い食堂の中央のテーブルには、ゴーレムが作った美味しそうな料理が所狭しと並んでいる。モニカの隣にメル、ドロシーの隣にレイラが座り、四人は豪勢な食卓を囲んだ。

「それでね、その時先生が言ったんだけど──」

「あはははっ、あの先生、いつもそれやるよね!」

「私たちが入学した時は──」

「ええっ!?あの噂って本当だったんだ!」

 年が変わるのも忘れてしまいそうなほど、四人の会話は盛り上がった。

「あ、噂と言えば……知ってる?『冬の禁書庫』の話」

 そう切り出したのはドロシーだ。

「『冬の禁書庫』って、あの一つだけ鍵が掛けられているっていう……?」

 メルが不思議そうな顔をして目を瞬かせる。

「そう。この学院には全部で四つの書庫があるでしょう?それぞれ『春の書庫』、『夏の書庫』、『秋の書庫』、『冬の書庫』と名前が付けられている。みんなも知っての通り、『冬の書庫』以外は私たち生徒が自由に出入りして本を借りることが出来るけど、『冬の書庫』だけは生徒の立ち入りが許されていないの。その理由は、中に恐ろしい秘密が隠されているっていう噂なのよ……!」

 ドロシーがわざと怖い顔をして、怖がりなメルを驚かせた。隣に座っているレイラがドロシーの頭をコツンと叩く。

「恐ろしい秘密って?」とモニカ。

 ドロシーは「よくぞ聞いてくれた」と言わんばかりに話を続ける。

「『恐ろしい秘密』が何なのか、知っているのはきっと先生だけよ。だけど噂では、先生たちでも手に負えないようなほどの魔導書が保管されているとか、魔物が潜んでいるなんていう話もあるわ」

「ふっ、くだらない。どうせただの噂話でしょ」

 レイラはそう言って鼻で笑ったが、メルは白い顔を更に青白くしてブルブルと震えていた。

「面白そう!ねえ、今から行ってみましょうよ!」

 モニカの一言に、一同が静まり返る。

「……行くって、まさかとは思うけど『冬の禁書庫』に?」

 この話を最初に持ち出したドロシーが、恐る恐るといった様子でモニカをちらりと見る。モニカのエメラルドの瞳は爛々と輝き、今にも席を立って駆け出していきそうな雰囲気を醸していた。

 ドロシーとレイラ、そしてメルは、心の中で小さく溜息を吐いた。冬期休暇中の数日間でわかったことだが、モニカが「行きましょうよ!」と言えば誰にも止めることは出来ないのだ。


 モニカは一人席を立つと、まだ座ったままの三人を見て不思議そうな顔をした。

「あら?みんなどうしたの?行かないの?」

 数秒間の静寂の後、どこか諦めたようにドロシーが溜息を吐いて、椅子から立ち上がった。

「もう、仕方ないなぁ。けど、さっきも言ったと思うけど、禁書庫には鍵がかかっているから中には入れないわよ」

「それもそうね。まあ、行くだけなら行ってもいいけど」

 そう言ってレイラも立ち上がる。

「えっ!?ほんとに行くの!?」

「メルはここで留守番してる?」

 ドロシーが悪戯な笑みを浮かべながらそう尋ねる。

「……も、もう!私も行くわよ!」

 そうして四人は、年が変わる一時間前に禁断の書庫へと向かった。



◇◆◇


 四つの書庫は、正面玄関から廊下を真っ直ぐ進んだ先にある円形のロビーを囲むように位置しており、荘厳な木製の二重扉には各季節を表す植物や生き物の彫刻が施されている。

 四つの書庫の中で、冬の書庫の扉にのみ雪の結晶を象った魔法陣が描かれており、それがこの扉の鍵となっていた。

「ほら、やっぱり鍵が掛かってるでしょ?」

 扉の魔法陣をじっと観察するモニカにドロシーが言う。

 たしかに、魔法陣を構成している言語は一種類のみではなく、いくつもの言語が何重にも重なり合って複雑な模様を成している。ここで言う「言語」とは、魔女たちの体内に存在する魔力を現実世界に具象化させる為の魔術の形式のことを言う。コンピューターで言うところのプログラミング言語と似たようなものだ。

 

「一体誰が扉に鍵をかけたのか知らないけど、そんな高度な魔法陣を解くなんて出来ないし、諦めて戻りましょ」とレイラ。

「きっとコーボルト先生よ。書庫の管理をしてる。あの先生はこの学院の教師の中でもトップクラスで魔法に詳しいって言われているわ」とメル。

「さあ、そろそろ食堂に戻ろうか。ここ、すごく寒いし」

 ドロシーがそう言って、三人が冬の書庫に背を向けたその時、背後から淡い青色の光が流れ始め、それは次第に大きくなって空間全体を包み込んでいった。

 驚いた三人が振り返ると、そこには自身の杖を持つモニカの姿があった。

「開いたみたい」

 モニカは何でもないような顔をして言った。



◇◆◇



 冬の書庫の中は他三つの書庫と変わらぬ広さで、本がぎっちりと詰まった本棚が、入口から部屋の奥にかけて等間隔で並んでいる。他の書庫と違うところは、本のラインナップが専門的かつ高度でよくわからない……ということくらいだろうか。

 書庫の中は真っ暗で、明かりがどこにあるのかもわからない為、モニカたちは自身の杖に灯した光を頼りにゆっくりと進んだ。


「ねえ、早く戻ろうよぉ。こんなことして、絶対にバレて怒られるよ」

 泣き出しそうなメルの頼みも虚しく、モニカを先頭にして三人は奥の方へと歩みを進めていく。

「あ、ねえ見て。この本、一冊だけ光ってるわ」

 モニカがそう言って本棚から取り出したのは、透き通った氷にタイトルを刻んだかのような装丁の本で、それは黄金のきらめきを放ち、周囲の闇を照らしていた。

「NIGHTMARE……」

 モニカが呟く。それがこの本のタイトルだ。


 ドロシー、レイラ、そしてメルも気になるのか、ページを捲るモニカの横から本の中身を覗き込む。

「大晦日の夜、ヴァルドリア学院に残っている生徒で集まってパーティーを開く。料理長のゴーレムが作った美味しい食事を食べながら、四人で学校生活のことや恋の話などをして盛り上がった……って、これ、私たちのことじゃない!」

「それで、続きは!?」

 ドロシーにそう言われ、モニカは引き続き本に書かれている文章を読み上げる。

「学院の中にある冬の禁書庫へ行くことになる。モニカが書庫の鍵を解除し、中に入ることができた。書庫の中で黄金の光を放つ一冊の本を見つける。本の名は『NIGHTMARE』。永遠に続く悪夢の始まり。終わらない惨劇の詩。少女の肉体は骨の一かけら、一滴の血液さえも残さずに、舞台の装飾となるだろう……」

 メルの顔からみるみるうちに色が失われていく。その手はレイラの腕を引き千切らんばかりに強く掴み、小刻みに震えていた。メルだけではなく、いつも明るいドロシーや冷静沈着なレイラでさえ、恐怖に顔を引き攣らせている。

 

 その時、どこからともなく笑い声が聞こえた。恐怖に怯えるモニカたちを見下ろしてクスクスと嗤っているかのような──何人もの不気味な声だ。

「誰!?姿を見せなさい!!」

 杖を構えたモニカが見えない悪意に向かって勇ましく叫ぶ。

 その瞬間、モニカは自分たちが居る場所が舞台上であることに気が付いた。しかし、舞台の奥にはどこまでも書庫が続いている。観客席では顔の見えない大勢の「何者か」がモニカたちを見て嗤っていた。

「ひっ……い、いや……」

 メルは今にも気を失って倒れてしまいそうだ。レイラの腕がその小さな身体を支えている。


 落ち着け。モニカは自分自身にそう言い聞かせた。悪夢の元凶は「NIGHTMARE」とかいうこの本か。だったらこれを燃やすなりして、消し去ってしまえばいい。

 ……いや、だけど、この本の中に悪夢から抜け出す方法が記されている可能性もあるのではないか……?

「みんな落ち着いて!これは推測だけど、私たちが見ているのはこの本が生み出した幻影よ!解除方法は舞台上──あるいはこの本の中に、必ず書かれているはず!」

 モニカのその言葉によって、恐怖に憑りつかれていた三人は少し落ち着きを取り戻したようだ。


「みんな、ついて来て!」

 観客席の笑い声から逃れるように、モニカは舞台の奥へと続く真っ暗な書庫へ向かって走り出した。三人も慌てて後に続く。

 しかし、笑い声は小さくなるどころか、モニカたちが逃れようと走るほどに彼女たちを絡め取ろうと手を伸ばしているかのようだった。

 どれくらい必死に走っただろうか。モニカの目が、書庫の出口と思しき扉を捉えた。その扉は風貌だけ見れば、書庫に入った時にモニカが開いた扉と同じものだと思われる。


「みんな、あそこの扉まで急いで走って!!」

 レイラが真っ直ぐに杖を構え、異界から風の精霊を呼び出す。

風よ、翼となりて我らを包めスピリトゥス・ヴェローチェ!!」

 精霊の白い腕に手を引かれるように、書庫の中に充満した陰鬱な空気を掠め裂きながら四人は疾駆した。

 モニカが杖を構えると、杖の先端に光を纏った鳥たちがどこからともなく集い始める。

光よ、全てを散らし消せルクス・ディサトル!!」

 呪文が叫ばれると同時に一羽の巨大な鳥となって、凄まじい勢いで扉へ向かって突撃した。荘厳な書庫の扉は粉々に粉砕され、爆風で本が舞い上がり、真っ白い空へと舞い上がっていく。

 

「けほっ、けほ……っ」

 モニカは雪の上に倒れていた。なんとか身体を起こして立ち上がるが、辺りにドロシーたち三人の姿はない。

「ドロシー!レイラ!メル!みんなどこにいるの!?」

 叫ぶために口を開くと、冷たい雪が喉の奥へと流れ込んできた。

「ドロシー!!レイラ!!メルー!!」

 モニカがどれだけ叫んでも、それに答える声はない。

 濁った雪が降りしきる中、モニカは足を一歩また一歩と踏みしめるようにして歩いた。自分が今いる場所は学院の敷地内なのか、まだ悪夢の中にいるのか、それとも現実なのか。何一つわからない。


 どれくらい歩いただろうか。足は既に感覚を失っていた。

 ふと顔を上げると、少し進んだ先に誰かが立っている。雪の所為ではっきりとは見えないが、相手は一人でモニカのことをじっと見ている様子だった。

 もしかしたら、三人のうちの誰かかもしれない。身長は私と同じくらいに見えるから、ドロシーだろうか?

 そんなことを考えながら、モニカは人影に向かって懸命に歩みを進めた。


 しかし、雪の中でモニカを待っていたのは、モニカ自身だった。

「え……?私……?」

 は哀しそう──いや、ひどく寂しそうな目をして、モニカのことを憐れむようにじっと見つめている。その腕には一冊の本が抱かれていた。


「どういう……こと……?み、みんなは……?」

 そう言った声は震えていた。寒さの為に震えているのか、それとも恐怖からか、モニカ自身にもわからない。

「みんなって誰のこと?」

 もう一人のモニカが言う。

「ドロシーとレイラとメルのことよ!!」

「そんな人たちはいないわ」

「いるわ!!さっきまで一緒にいたもの!!一緒に書庫の中を走って……」

 モニカの頬を一筋の涙が流れ落ちる。それは雪の上に落ち、音もなく消えていった。

 魔法が解ける。解けてしまう。

「いやだ……」

 雪の上に崩れ落ちたモニカの身体を、の腕が優しく抱きしめた。

「大丈夫」

 自分自身の腕に抱かれながら、モニカが涙に濡れた顔を上げる。

「雪は直に止むわ」

 そう言った『モニカ』の顔は笑っていた。




 大晦日の夜。

 広い食堂の中心に、一人の少女が座っている。

 テーブルの上にはゴーレムが作った四人分の美味しそうな料理。

 そして、「NIGHTMARE」というタイトルの本。

 少女は退屈そうな顔をして、冷めた料理を口に運ぶ。

 一人、冬の終わりを待ちながら。

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