第5話 ハーモニー

『聞こえた! うただ!』


「本当か! どこからだ?」


『進行方向の少し右の…… ええと』


 普段方角を意識することのないブルームにとって、位置関係の言語化は難しいのだろう。彼のたどたどしい指示を基に、船を右へ左へと傾ける。彼からの細かい訂正に従いながら、ようやく目的地の直上へ到達した。船外カメラが取り込んだ映像を確認すると、確かに地上に小さな点が見える。俺は降下モードを起動させると、船はゆっくりと高度を下げ始めた。


 地上まであと、数㎞というところでエアロックから再びガコンという衝撃音が聞こえた。


「どうした? また何かにびっくりしたか? ……って、おいっ!」


 船外カメラはブルームが地上へ向けて真っ逆さまに落下していくのを映していた。


「なんてこった」


 船は水平を維持していたのに一体どうして。ブルームはあっという間に極小の黒点となった。彼が地面に衝突した際に発生したと思われる砂煙がわずかに確認できる。俺は自動制御から手動制御へと切り替え、下降速度を上げた。小さな二つの黒点の様子を見るに、少なくともバラバラ死体になってはいないようだ。しかし、ブルームを真上から見ると、正真正銘の円形でしかない。


 目視で確認できるほどの高度に差し掛かったあたりで手元がぶれ、船が大きく揺れた。操舵室で大きく尻もちをつくと、船はそのままの勢いで地面に突っ込む。


「まずい!」


 と、そこで船は自動制御へ切り替わり、とっさに行われた逆噴射のおかげで、なんとか最悪の事態は免れた。船の頭が良くて助かった。


 焦りを抑えて、エアロックへと向かう。エアロック内で大気の入れ替えが行われている間、手持無沙汰に宇宙服のカセットモジュールをいじっていた。ようやく、外扉が開き、数時間ぶりに惑星に降り立つ。


 ごわごわとした砂の感触を足裏で感じながら、辺りを捜索する。すると、起伏の向こう側から、不思議な音が聞こえてきた。乗り越えると、そこには寄り添いあった二人のブルームがいた。


 良かった。無事だったようだ。


 きっと、待ちきれずに飛び出してしまったのだろう。


 俺は、彼らから放たれている音に耳を澄ませる。ブルーム語のような空気の摩擦音とはずいぶん違う。もっと繊細で天然ものの絹のような清らかさをたたえている。透き通った空のもとで、満天の星たちと対話するブルームたちの姿が容易に想像できた。彼らのうたは融和の意味だけを持ち、それ以外に何一つ不純物が混ざっていない。人類には到底真似できない純真さだった。


「これが君の言っていたうたか」


『そう。あなたに聞かせられて嬉しい』


 片方のブルーム――二人のブルームは外見は全く同じで見分けがつかないが、おそらく俺の友である方――が質問に答えると、二人のハーモニーが中断してしまった。その瞬間、俺は激しい罪悪感に襲われた。このうたがひと時でも失われることは世界の損失であるように感じたのだ。


『あなたは我々の言葉を話せるのですか?』


 もう片方のブルームは、どこかで聞いたような口ぶりで驚きの声を上げた。


『この方は空なんだ』


『まさか!』


『我々を出会わせてくれたんだ』


『ああ……』


 彼らの感慨を微笑みながら眺める。これも立派な惑星調査の一環だ。俺の使用する全ての機器が録画したデータは本社セントラルの連中が確認することになっているが、やつらも文句は言うまい。


「めでたし、めでたし。って感じだな」


『本当にありがとう』


「礼を言われる筋合いはないさ。俺が本社セントラルへ帰った後は、人間どもが大量にこの星に押し寄せる。俺はむしろ疫病神ですらあるんだ」


『そんなはずはありません。あなたは我々が憧れていた空そのものです』


「そうかい」


 彼らは俺のことを少し過大評価しているようにも思ったが、ありがたく受け取っておくことにした。


「知的生物はVIP待遇だから、君たちが不憫な思いをすることはないはずだ。じゃあ、達者でな」


「もう行ってしまうのですね?」


『ああ。生きてたらまた会えるかもな』


『それはどういうことですか?』


「帰りは冬眠ハイバネーションってのを使うんだ。これは一定の確率で死ぬ。要するに博打さ」


 彼らの語彙にこのような単語は存在しないだろうと思いつつ話す。


『あなたには死んでほしくない』


「そう言ってもらえると嬉しいね。本社セントラルの連中は俺が生きていようが死んでいようがどっちでもいいんだ。データが届きさえすれば。俺の命を心配してくれるのは君だけだ」


 同じ種族であるはずの人間よりも、少し前に出会った不格好な異星人の方がよほどたっとい心を持っている。


『あなたには死んでほしくない』


 ブルームは一言一句違わず繰り返した。


「ありがとう。君たちの幸運を祈っている」


『我々も祈っている』


 彼らに背を向けて、船の方へと歩みを進める。背後からは、彼らの美しいうたのハーモニーが聞こえる。それにはへの祈りを込められている。


 船外のマイクがひろった彼らのうたを船内のスピーカーから流す。旅立ちの音楽にはもってこいだ。名残惜しい気持ちを抑えて、船は高度を上げていく。少しずつ、彼らの祈りが遠のいていく。ヘルメットには常に<翻訳不能>の文字が表示されていた。しかし、うたは彼らだけのものだ。人間なんかの言葉に翻訳できるはずがない。


 船外カメラが一面に赤褐色を映す。しばらくその状態が続き、次に画面に変化が訪れた時には、すでにそこは暗黒の宇宙空間だった。わずかな音すら伝わらない、虚無のような空間はひどく冷たい表情をしていた。


 船は自動で目的の方向へと旋回する。


冬眠ハイバネーション装置の利用を開始してください」


 アナウンスに促されると、俺は宇宙服を脱いでから長方形の棺桶みたいな装置に横たわる。ひんやりとした感触が背中から伝わる。


 蓋が閉じられると、青磁色のライトが点灯した。とはいえ、つるつるとした蓋の裏側しか見えない。


「深呼吸をして、体の力を抜いてください」


「命を懸けた博打とは思えないね」


 機械音声に悪態をついて、緊張をごまかす。


 そうだ。俺は緊張しているのだ。自分の命を惜しいと思っている。


 背中にちくりと小さな違和感を感じると、まぶたが重くなってきた。背中からじんわりと全身に広がる温かさは代謝を抑える薬剤だ。


 大勢の人間たちが惑星を訪れる。ならば、俺は人間とブルームたちの通訳として重宝されるはずだ。彼らの案外臆病な性格やうたに込められた祈りを知っているのは俺だけなのだから。


 俺が先頭に立って、ブルームたちを人間に紹介する。彼らがぷすー、という独特なブルーム語を放つと、人間たちはざわめく。俺はそれをなぜだか誇りに感じる。そんな光景を憧憬する。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

憧憬の星 秋田健次郎 @akitakenzirou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ