第2話

 華金だから飲むぞと大衆居酒屋に来たりまは、既に三杯目である生ビールをぐいとあおる。

 りまの目の前に座るのは、二十年来の付き合いがある木村きむら 和日わか。彼女はお酒よりも食い気なので、先程からメニューを見ながら次々にタッチパネルに注文を打ち込んでいる。

 社会人になってからはもっぱら仕事の愚痴が多くなっていたが、今日の話題は少し違っていた。

「意味わかんなくない!? 悪魔だよ、悪魔。なんだよって感じだよね、新手の詐欺だよねこれ」

「ほーん。それで今は家に居るんだ、その人」

「そう、居着いてんの! 毎日毎日やれなんか願いは無いのかやれ寿命を食わせろってうるさくてうるさくて……」

 ルシフェルと名乗る自称悪魔が家に住み着きはや三日。悪魔と契約なんて非日常な夜を経ても、仕事に行かなければならない現実は来るものである。

 なんとか乗り切り今日この時を迎えた訳だが、家に帰るとルシフェルが居ると考えただけで何だか頭が痛くなる。

 働きたくないとか、会社が無くならないかとか聞いてみても「そんなカスみてぇな願い、貴重度合い低すぎて寿命の一日分も食えねぇわ」と却下された。なんだよ貴重度合いって。ふざけてんのか。

「今日はそのルシなんとかさんは何してんの?」

 明太子入りだし巻き玉子を箸で切り分けながら和日が聞く。

「家でテレビ観てる」

 和日はぶはっと吹き出し、一通り笑ったあとに「ヒモじゃん」と言った。

「お待たせしました、タレ皮とヒップです」

「きたきた、ありがとうござまーす」

 運ばれてきた焼き鳥串を嬉しそうに受けとる和日を、りまはうらめしく睨む。親友が困っているのに何とも適当なものだ。

 これは多分悪魔のくだりも聞き流していただろう。だがそれもそうかと思う。

 いきなり「悪魔と契約結びました」なんて意味わからないことを言われても、自分ならば信じない。

 空になったジョッキを見つめ、りまは大きなため息をつくのだった。



「おかえりぃ」

「……ただいま」

 和日と別れ終電で帰宅すれば、ソファでくつろぐルシフェルが気だるそうにこちらを見あげた。

 お風呂に入ったようで髪が少し濡れている。

 悪魔なのにお風呂入るんかよ、というツッコミは、既に出会ったその日にした。当たり前だろ、と返ってきたのは記憶に新しい。

 ルシフェルは悪魔のくせに人間のように生活していた。寿命を食べるとか言っておきながら普通のご飯も要求し、お風呂にも入り、トイレにも行く。

 やっぱり大嘘つき野郎で、新手の宗教詐欺にでも巻き込まれたんだろうか。

 目の前でふよふよと飛びながら「帰ってきたことだし俺は寝る」と寝室に向かう姿を見れば、そんな考えも一瞬で吹き飛ぶわけだが。

 背中に生えた真っ黒な羽は、手狭な1LDKには窮屈だと文句を垂れながら指パッチンで消していた。

 羽がないのに飛べるんだな、と思いながら「おやすみ」と見送る。

 それから化粧落としシートを手に取り、ぼーっと鏡を観ながら顔を拭いていた。ふと、先程のルシフェルの言葉が脳裏を過ぎる。

 ――『帰ってきたことだし俺は寝る』……?

 まるで、帰りの遅いりまを心配し、待ってくれていたかのような口ぶりだった。

 そういえばここ三日、毎度のように「おかえり」と言われていたような気がする。

 悪魔のくせになんだそれ。こんな事でトキメキを感じるのは、多分ルシフェルの顔がいいからだ。絶対にそうだ。




 ルシフェルと契約してから一ヶ月が経とうとしていた。変わらず世界征服を願えなどと無茶無謀をのたまうルシフェルを軽く交わしながら、りまはせっせと出社準備をする。

 化粧をし、髪を巻き、いそいそとストッキングに足を通す。流石に着替えなどはルシフェルも気を使ってくれているようで、「目が腐る」など暴言を吐きつつも部屋から出ていってくれる。

 ジャケットに袖を通したところで、スマホの通知音が鳴った。

「……あれ、和日だ」

 表示された和日の名前に何の用だと首を傾げる。

 メッセージアプリを開けば、今日会えないかという内容のものだった。

 りまはそれに了解スタンプを送り、スマホをポケットにしまいこんだ。



「ウッソでしょ」

「大マジ。紹介するね、悪魔のベルゼブブ君」

 りまは目の前の状況にただただ愕然とした。

 目も口もあんぐりとあけて凝視するりまに、和日は悠々と「なんか昨日契約した」と説明を始める。

 何時もならばしっかり朝昼晩の三食に加え、三時のおやつや間食も欠かさず食べていたという和日。

 だがしかし。

 昨日は炊飯器のスイッチを押し忘れて朝ごはんを食べ損ね、昼間はバタバタと忙しく、間食をとる間もなく定時がすぎ、まさかの残業という最悪なコンボを決め、飲み物しか口にせず夜を迎えたらしい。

 もともとお大食いで燃費も悪い和日なので、案の定「お腹空いた」「なんでもいいから食べたい」と帰路についていたところ、ベルゼブブに声をかけられた、と。

 食に対する彼女の執念は底なし沼より深い。その欲を、このベルゼブブという悪魔は、ルシフェルと似たような理由で勘違いしたのだろう。

「指パッチンひとつで目の前にご馳走様が並んだ時は、ベルゼブブ君が天使に見えたよね」

「悪魔だけどな」

「でも普通の歩道にフルコース出すのは違うと思うんだ。家に帰ってからでも良かったよね。他に通行人が居なかったから良かったけど、通報されてもおかしくなかったからね、アレ」

「すまない」

「いいよいいよ、次から気をつけよ。切り替えてこ!」

 順応すんの早くね? と思わず本音が漏れる。

 和日はへらへらと「こんな状況になったからりまにも報告しとこうと思ってさぁ」と笑う。

 和日の隣に並ぶ悪魔は、黒い短髪に真っ赤な瞳。ルシフェルと同様、人間離れの美しい顔をしていた。

 ベルゼブブは未だに固まるりまを見つめると、その薄い唇を開いて言葉を発した。

「和日から聞いた。ルシフェルと契約したのは君だったか」

「はあ、ほとんど当たり屋でしたけど」

「ルシフェルのこと、今後もよろしく頼む」

「よろしく頼まないでください!!」

 りまは大きく叫んだ。

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悪魔と契約する話 @q8_gao

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