殺し屋に一目惚れした女の子のお話

変な女

 ネイルを変えた喜びを最初に感じられるのは、サロンを出て、スマホをポケットから出した瞬間だ。

 長さ出しをしたつま先で、カツカツとわざと音を立てながらスマホを弄る。

 今回は茶色と黄色を混ぜたニュアンスネイルにした。秋っぽくて、直ぐに気に入った。

 睫毛を入念に仕上げ、深みブラウンのリップと、ボルドーのアイライン。

 新調したレトロなチャイナワンピースは、今日のメイクにもとても良く似合う。

 ショーウィンドウに反射する自分の姿は最高に可愛い。


 ――と、うきうきで出掛けた事を、陽向ひなたは走りながら後悔していた。

 太めのヒールとはいえ、ヒールはヒール。走りづらくてなんども躓きながら、とにかく全速で走り、逃げていた。

 ぜえぜえと息が上がる。脇腹の上、肋骨の奥の痛みに、さすがにもう無理だと思いかけたその時、目の前に開けた道が見えた。

 あそこまで行けば、と最後の力を振り絞り、なんとかたどり着く。

 近くの壁に寄りかかって息を整える。街の喧騒を眺めていると、先程見た光景が嘘のように平和に思えた。

 陽向は震える手足をおさえ、ぐっと目を瞑る。


 殺しの現場を見てしまった。


 賑やかなショッピング街から少しそれた路地に間違えて入ってしまい、完全に道に迷ったと気が付いた頃には、じめじめとした空気が重苦しく漂っていた。

 なんとか元の道に戻ろうと歩いていた時、ガサガサと袋の擦れるような音と、その後に「ぎゃあ」と短い、男性の悲鳴。

 そっと音のする方へ近付けば、ビルとビルの隙間に、人が立っているのが見えた。

 真っ先に視界に飛び込んだのは、血溜まりに倒れ込む男性だった。

 その傍では、長い黒髪の女性が立っている。

 後ろ姿しか見えなかったが、スラリと伸びた手足は外国のモデルのようだった。

 痴情のもつれからつい恋人を殺してしまった。そんな感じだ。

 もし、見てしまったことがバレれば、口封じに殺されるのではないか。

 陽向はぶるりと震える。

 バレないようにそっと後ろ足で下がり、少し離れたところで全速力で走った。

 こうして無事にここまでたどり着いたわけなのだが、追いかけてくる気配も特に無かったので、バレていないのかもしれない。

 呼吸も落ち着いたところで、陽向はもたれかかっていた壁から身体を離す。

「ねえ」

 途端に、誰かに肩を捕まれた。

「キミ、さっきの見てたでしょ」

 ――やばい。

 陽向は思わず振り返り、そして言葉を失った。

 一本いっぽんが絹のようにあでやかな黒い髪。黒目がちな大きな目を囲うようにびっしりと生えた長い睫毛。

 しなやかな両手脚は、遠目では分からなかったがしっかりと筋肉がついている。

 中性的な声色だが、男だと分かる。

 美人だと思った。確実に男性だが、美しい。

 女性じゃ無かったんだ、すみません誰にも言いません命だけは、なんて色々頭に浮かんだが、陽向の口から飛び出たのは、そのどれとも違うものだった。

「好き……」

「は?」

 思わず飛び出た告白に、男はぱちくりと目を瞬かせた。



 男は、殺し屋だった。

 日本人の母親が、行きずりの西洋人との間にできた子供。

 外国でひっそりと産み棄てようとしていたところを、スラム街に住む年老いた爺さんが見付け、育てることにしたらしい。

 爺さんは、殺し屋だった。

 老いゆく自身が身につけた殺人術を後世に残すため、まだ赤ん坊の頃から教えこんだ。

 十二の頃に肺炎で爺さんは死んだ。男は爺さんの後を継ぎ殺し屋になった。

 爺さんの遺体は、適当な路地に捨ておいた。どうせスラムではそこらじゅうに死体が転がっていたし、ひとつ増えたところで誰も気にしなかった。

 喉の仏だけはポケットに突っ込んだ。

 爺さんが散々聞かせてくれた大好きな日本へ連れてきてやるため、殺しで貯めた金で日本へ飛んだ。

 喉の仏は、綺麗な桜の木の下に埋めた。

 爺さんが「桜の樹の下には死体が埋まっている」と嬉しそうに話していたからだ。

 それから、日本でも殺しの仕事を続けた。そのうちのひとつが、ライバル会社の社長を始末して欲しいというものだった。

 殺すこと自体は簡単だった。日本は、一般人が一般人を殺すことが多い。

 ギャングやマフィアを殺すより、よっぽど楽だった。

 そうして油断をしていたところ、陽向に見られた訳だが。



 麻縄でキツく縛り、自由の奪われた両手。足首にも抜かりなく巻き付けたため、少し動くだけでもワンピースが捲れていく。

 その状態でむき出しのコンクリートに座らせて、男は陽向をじっと見つめた。

 幸いにも口は自由だったので、これ幸いと男へと愛を紡ぐ。

「ほんっと顔がいい。美人すぎる。付き合って欲しい……好き」

「……今の状況分かってる?」

 呆れたようにため息をつく男に「ため息すらファビュラス」と感嘆を零す。

 変な女だと思った。

 べらべらと止まらない口を塞ぐことも考えたが、命乞いよりも好きだなんだとのたまう陽向に少し興味が湧いたのだ。

 陽向の「お兄さん、お名前教えてくれませんか」に、あっさりと名乗る程には。

「桜」

 爺さんが付けてくれた名だった。

 呼ばれた事はほとんど無かったが、それでも男は気に入っていた。

「桜……名前まで素敵」

 陽向はうっとりと男――桜を見つめる。

 桜は近付いて、それから視線を合わせるようにしゃがんでやる。

「キミは……陽向か」

「あっ、私の財布」

 手足を縛り上げた際に取り上げた鞄から、財布を抜き取る。

 中に入っていた免許証の名前を読みあげれば、陽向は初めて「見ないで」と焦りを見せた。

「免許証の写真不細工なの」

「……ああ、そっち」

 殺しの現場を見て必死に逃げていたくせして、写真映りを気にするとはなんとも呑気だと思う。

「キミ、口封じに殺されると思ったから逃げたんでしょ。俺が怖くないの」

「怖かったけど、イケメンに殺されるなら本望かも」

 やっぱり変な女。

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