金髪の傭兵

 北暦四五二年。ノエリア王国の王シャルル七世の病状が悪化した事は王国内部に政情不安を引き起こすに十分だった。三年前にアキーヌ公爵子アニエス・ラ・フォンテーヌ王太女が暗殺されて後、新たな王太女に冊立さくりつされたシャーニュ公爵子ブランシュ・ド・オクレールの統治者としての資質には諸侯から疑問符が付き、シャルル七世が病に臥してから各地で小規模な動乱が相次ぐようになった。

 こうしたノエリア王国の混乱を見て取った北方の蛮族インゲルミア帝国の軍勢が旧ガルト王国の地峡からランドック、ペリ、フランといった辺境伯領へと侵入し、こうした事態への対処のためノエリア王国は手持ちの軍勢では事足りず、南エーリア大陸各地の傭兵団の力を借りる事を余儀なくされた。


 ノエリア王国王都ノエルはここ最近殺伐とした空気が漂っている。政情不安は元より、傭兵が王都の城壁の中に駐留するようになって一般の市民に狼藉を働く例が増えたのだった。近衛兵だけでは王都中を警備する事はできず、苛烈な取り締まりで傭兵団の離反を招く訳にもいかずノエリア政府関係者は頭を悩ませていた。

 「ノワール傭兵団を出動させ、王都から追い払ってくれ。奴らの犯罪行為は枚挙に暇がない」

 閣議の場で主張したのは近衛兵長官ランサール伯爵である。

 「だが出動には金がかかる。国庫は限界、徴税が間に合わん」

 大蔵大臣アルゴール侯爵が反論する。

 「だが元はと言えばインゲルミアの侵略のためだろう。傭兵だろうが何だろうが全て投入してでも奴らを撃退すれば傭兵共を雇う必要も無いのだ」

 大法官シャーニュ公爵の主張には数人が同意のしるしに頷いた。

 「しかし現実はその金も払底しているのです、公爵閣下——」

 「南北アルビオンやエルニアに支援を要請しては?」

 大蔵大臣の悲観論を封じたのは王太女ブランシュであった。事実上シャルル七世の代理として、彼女は閣議に席を連ねるようになっていた。

 「ですが殿下、彼らにとってノエリアの動乱は対岸の火事も同じ。むしろ南アルビオンはこれを期にカルリを狙う姿勢すら見せております」

 「では私が参りましょう。エドワード王とは面識がございます」

 王領地大臣ラザル伯の反論をぴしゃりと封じ、ブランシュは席を立った。短く切りそろえた赤毛が松明の灯を受け煌めき、闘志を宿したエメラルド色の瞳は若々しい活力に満ち満ちている。

 「現状を取り繕っても事態は悪化するばかり。事態を変える“ハイドの剣”が必要です」

 だがその彼女を右手を挙げてシャーニュ公爵が制した。

 「お前が今王都を離れるのは危険だ、ブランシュ。陛下の病状も思わしくない今、お前がここを離れて不測の事態があってはならない」

 その言葉にブランシュは目に見えて期限を害したように一同には見えた。

 「宮殿で閣議を繰り返しても状況は悪化するばかり!アキーヌ公領の民は今まさに侵略を受け苦しんでいるのです!他国の財政援助や援軍を仰いででも北の蛮族を撃退しなければ、国内の不安も収まりません!」

 ブランシュの感情が最高潮に達する直前に、緩慢な肉体から同じくらい緩慢な調子で発声したのはこれまで閣議を為すがままに任せていた宰相ブルラン候だった。

 「お待ちくださいませ、王太女殿下。殿下の御懸念はごもっともでございますれば、これは我々が検討しなければならぬ事項。しかしながらお父君シャーニュ公の仰るように殿下ご自身が行かれるのは危険にございますれば、一度改めて話し合いの機会を——」

 ブルランが喋り終えるよりも早く、室内に反響する程大きな舌打ちの音を残し、王太女は扉を背に廊下へと消えていっていた。

 会話の起爆剤が無くなった室内は、再び退嬰の雲がゆたる。

 「しかし殿下はお気が短い」

 苦笑いか嘲笑か分からない笑みと共に宰相は椅子にもたれかかった。

 「気性が荒いのは若さ故の事ではあられましょうが、あれでは……」

 「私がその点は抑えましょう」

 シャーニュ公の発言に室内の視線が集中した。

 「あれは中々軽率ですが、やがては摂政となる私があれば、最悪の事態とはなりますまい」

 「アニエス殿下がご存命であれば——」

 大臣の一人がぼやいたが、自分の発言の軽率さを悔いて縮こまった。

 シャーニュ公は決して人格的な評価に優れた人物ではない。とは言え彼の王国最大の貴族家としての地位と政府の要職としてマイナス要素の無い政治的才覚を見て、若く激発的なブランシュに権力を委ねるよりはシャーニュ公に摂政として国政の権力を握ってもらった方が良いと、大臣たちは思うのだった。

 何も決まらなかった閣議をそこそこに、散会の空気が漂い出した室内に急報がもたらされたのはその直後の事である。

 使者は告げた。

 「ノルン市、叛す——」


 王都の街角で一人の少女を屈強な男たちが囲んでいた。

 「姉ちゃん、一体何持ってるんだ?」

 少女は二十歳に達しようか達しないかと言う程の若さである。市井の人にしては妙に身なりが小綺麗だったが、貴族ではないようで待機するだけでやる事のない傭兵連中の目に留まったようだった。

 「おい、こりゃ宝石じゃねえか!」

 少女の首に掛かったペンダントを汚れた手で乱暴に握り、男が酒臭い下種の笑い声を上げる。

 「離して!母の片身なんです!」

 「ママは随分と金持ちだったみたいだな、嬢ちゃん」

 男たちが少女の身体を掴む。

 「独り身で寂しいだろう?俺たちが可愛がってやるって」

 周りにいる市民たちは叫び声を上げる哀れな少女に同情するが、武器を差した傭兵に面と向かって立ち向かおうとする者たちがいるはずもなく、遠巻きに避けて立ち去ろうとするばかりだった。

 「何をしている!やめないか!」

 騒ぎを聞きつけて近衛兵が駆けつけてきたが、その首根っこを大柄な傭兵に掴まれた。

 「俺たちがお前らのおまんま守ってやってんだから、ごちゃごちゃ騒いでんじゃねえぞ」

 「黙ってその辺に突っ立ってろよ兵隊人形が」

 そのまま放り投げられて石畳に伸びた近衛兵が、これ以上傭兵たちに抵抗しようとするのは無理な相談だった。

 「やめてください!」

 男たちに持ち上げられて絶叫し、手足をばたつかせる少女をまさぐり、路上で服を剝ぎ取ろうとする。傭兵の一人が首のペンダントを掴み、勢いのまま引っ張った。

 首の痛みに叫んだ少女の元を離れたペンダントが傭兵の手に収まる。だがそれを別の傭兵が奪おうとした。

 「俺の物だぞ!」

 「最初に見つけたのは俺だ!」

 小競り合いが起き、その勢いでペンダントは飛んで道に転がった。それを取ろうと二人の傭兵が駆け寄る前に、手を伸ばして一人の男がペンダントを拾い上げた。

 「おい、何しやがるお前!」

 汚い声で罵り男に殴りかかろうとした二人の傭兵は、二秒後には二人とも石畳に叩きつけられた。その音に気付き、少女を玩んでいた男たちも以上に勘付いて振り向く。

 新手は線の細い青年だった。漆黒の革張りの服に身を包み、兵士のような屈強さはほとんど感じさせない。絹糸のような金色の髪とルビーのような真紅の瞳が印象的だった。総じて純真な美少年と言うような風貌で、その視線の苛烈さと全身を覆う殺気を除けばとても二人の傭兵を一瞬で片付けた強者には思えなかった。

 「その子から手を離せ、豚共」

 容赦の無い口撃に、屈強な男たちが思わずたじろいだ。だが相手はどこかの王宮で詩でも作っていそうな美青年である。口だけ達者な“人形”に歴戦の傭兵たちが負ける筈がない。

 「抜かしおるわ、小僧めが」

 傭兵たちは少女を硬い石畳に放り捨てると、誰が命じた訳でもなく剣を抜いた。武器を一切持っていない青年相手に誰何もなく問答無用で斬りかかる。

 第一撃をバックステップで躱すと、青年はその腹に強烈な一撃を食らわせた。一人目が泡を吹いて倒れると近場に落ちていた棒を手に取り、多数の敵を相手に渡り合う。

 少女が痛みに耐えて身を起こした時、屈強で大柄な傭兵連中がたった一人の青年を相手に一人また一人と棒によって打ち倒され、最後の一人は股間を蹴り上げられた後で棒を使って顔面を往復で殴られ、鼻から鮮血を飛ばして道に倒れた。

 最後の一人が倒れ、青年がため息ひとつと共に棒を道端に投げ捨てると、周囲で見守っていた市民たちが拍手喝采を挙げた。皆傭兵団の横暴ぶりにはうんざりしていたのだ。

 人々の歓呼の声には愛想一つ見せず、青年は制御された歩調でリーダー格の男に歩み寄ると、倒れている相手をかなりの勢いで蹴り飛ばした。うめき声を上げて男が仰向けに伸び、その視線の焦点が金髪の青年に合う。

 「何者だ、貴様……」

 「ロワール傭兵団三番隊隊長、アラン・ジュアットだ。同じ傭兵団だ豚共」

 青年は誰がどう見ても傭兵連中より遥かに年下に見えたし、それ以上にとても傭兵には見えなかった。小綺麗な身なりは戦場の雄とは思えない。だがその名を聞いた傭兵たちは竦み上がった。

 「ジュアット……!?まさかあんたが……」

 「女のケツを追いかける事しかできないとは情けない限りだな」

 既に近くには数人の近衛兵が参集していた。騒ぎを聞きつけて武装してやってきたのだが、彼らの出番なくこのアラン青年が一人で片付けてしまっていた。

 「近衛兵!この屑共を牢にぶち込んでおけ」

 指揮官らしい人物は困惑したようにアランに歩み寄った。

 「ですが、傭兵を牢に入れては団長の方から抗議が——」

 「俺が良いと言った。三番隊隊長がそう命じたと言っておけ」

 アランの物言いに反論を許す意図はなく、近衛兵の指揮官は機械的に頷いて部下を手招きした。

 近衛兵に後処理を済ませてアランはようやく道にへたり込んでいた少女へと歩みより、その目の前に片膝をついた。紐が切れてしまったペンダントを差し出す。

 「あ……ありがとうございます」

 「あの屑共がすまなかった。俺の部下ではなかったが、代わりに謝罪するよ」

 相変わらず不愛想な口調と表情だが、少女を安堵させるには十分だった。だが少女は目を見開くと鞄の中から白い布を取り出してアランの額に当てた。

 「血が出てる。剣先が掠めたんだと思います」

 アランは意外そうに身を微かに揺らすと、立ち上がろうとした。

 「ありがとう。けど君の手間はかけさせないよ」

 「駄目です。ちゃんと当てないと血は止まりませんよ。出血をそのままにするとやがて膿み始めますから」

 アランの手を取って頭の布に当てさせ、再度鞄の中をかき回す。

 「医学を学んでいるのか?」

 「はい。ノエル大学に学んでいます」

 「だからそんなに良い身なりなのか。商人の家か?」

 少女は長い布をアランの頭に巻き付けた。白い布を血が赤く染めていくが、やがてそれ以上血は出なくなった。

 「いえ、農民です。両親は病で早く亡くなってしまったんですけど、おじいさまがお金を持っていて、私を大学に送ってくださいました。死んだ親のためにも医学を学びたくて」

 「色々あるもんだな」

 一人うそぶいたアランは出血が止まったのを確認すると立ち上がろうとした。

 「傭兵連中がいる内はあまり出歩かない方が良い。俺も見て回ってはいるが追いつかんからな」

 「あの、お名前アランさんって言うんですか?」

 「アラン・ジュアット。ただの傭兵だ。覚えて得になる事はない」

 「私はデジレ……!デジレ・マローって言います!もう会う事が無くても、あなたのご恩は忘れません!」

 皮手袋に包まれた手を握り、デジレは数度振った。その真摯な表情にアランは感情の読めない表情を見せると、その相好を僅かばかり崩してデジレの肩を叩き、踵を返した。

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【北暦世界】金髪傭兵の物語 智槻杏瑠 @Tomotsukiaru

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