【北暦世界】金髪傭兵の物語

智槻杏瑠

序幕

 炎が夜闇を突き破った。

 燃える屋敷。業火は天をも焼き尽くさんばかりに湧き上がる。たった数分前まで全王国貴族が羨む豪華絢爛の限りを尽くした広間は、今や誰もが尻尾を巻いて逃げ出す火炎の舞踏会場と化していた。

 「大公殿下はどちらにおわす!」

 火に追われるように屋敷から飛び出してきた侍従を捕まえて庭番が問うた。

 「お姿が見えません!東棟はもう火に包まれて誰も近づけません!」

 「何と……」

 この家の主に長く渡り仕えて来た庭番は膝から崩れ落ちた。松明を投げ捨て両手を握り締めて猛火に向け祈る。

 「主よ、どうかアキーヌ公爵を守り給え……!」

 庭番の懇願を以てしても火勢は収まるどころかその勢いを増々強め、建物は爆音と共に崩れ落ちていく。


 ノエリア王シャルル七世は家臣に叩き起こされて目を覚ました。

 「陛下、アキーヌ公の邸宅が炎上しております!」

 侍従の言葉の意味を解した途端、老王は数年来見た事が無い程のスピードで身を起こした。発条のように跳ね起きた王が寝巻のまま寝室を出ると、侍従長が控えている。

 「一体何事だと言うのだ!」

 唾を飛ばして問い詰める王に、侍従長は首を横に振った。

 「不明でございます、陛下。突如公爵の邸宅が燃え上がりました」

 「それとも何者かが火をつけたのか?」

 「衛兵の申すところでは屋敷の中で火が使われているはずがなかったと」

 憶測を大声で喋る訳にもいかず、侍従長は声を落とした。

 「……恐らくは火をかけられたものと思われます」

 そこへ宰相ブルラン候が風船のように膨れた体を引きずるようにやってきた。走るだけで全てのエネルギーを使い果たしたようにも見える。

 「アキーヌ公の邸宅が燃えております、陛下!」

 「見て分かるわ、痴れ者が!」

 夜闇を衝いて燃え盛る火焔は宮殿の窓からも見える。

 「アキーヌ公はご無事でしょうか?」

 「それを確認するのが卿の責務であろう!」

 血走った目で睨まれ、元々赤子のように丸々とした顔を紅潮させてブルラン候は踵を返した。それと入れ替わるようにして王都の警護を担う近衛兵長官が駆け寄ってくる。

 「陛下!」

 「今度は何事か!」

 俗物の宰相にうんざりしていた老王は煩わし気に手を振った。それを無視して長官は声を張り上げた。

 「屋敷に火をかけた狼藉者を捕らえました!」

 王の態度は百八十度転回した。

 「何だと!何者か!」

 「公爵邸の庭師にございます。燃える屋敷にあってただ一人燃える松明を持っておりました。屋敷の構造も知り尽くし、火災を起こせるのは彼一人しかいないと……」

 「牢に入れよ。急ぎ大法官と大司教を呼べ」

 一礼して立ち去る長官の背中から窓の外の景色へと視線を映し、王は嘆息した。

 「アンリを失ったと言うのに、何と不幸な一族か……」


 王宮審問室には人が満ちている。王都にその身があった者に限らず、“アキーヌ邸炎上”の知らせを受け取ってノエリア中から馬を走らせた貴族たちが傍聴席に居並び、彼らの低いさざめきと、裁判官の弾劾が広大な部屋に反響し続けた。

 被告席は鳥籠のような檻に囲われ、被告は両腕を鎖に繋がれている。これは神の御名によって行われる裁判が、有罪判決のための手続きでしかない事を如実に語っていた。

 裁判官の席には中央に大法官シャーニュ公爵が座り、法服を纏った法官と祭服を纏ったノエリア大司教エリーを始め教会の関係者が囲む。

 これ程壮大な面々が並ぶのは、当然事件の重大さに鑑みたものである。ノエリア最大の貴族家であるアキーヌ公が邸宅の炎上により死に、第一王太女たるアニエス殿下の命も奪った。王位継承者まで死したとあれば、その罪は大逆罪に匹敵する。

 「コーム・ロラン。お前はかつて妻が魔女であると判決を受けた。此度の凶行はその意趣返しのつもりか」

 檻に繋がれた庭師は首を横に振った。

 「違います!私は何もやっておりません!」

 「皆が一様にお前だけが松明を持ち、火を点けられる立場であったと証言しておるのだぞ!見苦しい言い訳はやめんか!」

 大法官シャーニュ公は舌鋒鋭く庭師を弾劾する。シャーニュ公の妻は王シャルル七世の次女であり、娘ブランシュは王太女アニエスの死で新たな王位継承者となる立場だった。喜んで良い立場ながら厳しく犯人を追及する様に、傍聴席の一同は感服せずにはいられない。

 「庭師として夜の内に庭の手入れをしていたのみ!大恩ある公爵に私が叛するとお考えですか!?」

 怒りを露わに大法官は机を拳で叩きつける。

 「魔女を娶り闇に呑まれたのであろうが!生まれもランドック伯領と聞く。ヴァイジャの闇に染まった背教の徒が!」

 「謂れなき事にございます、公爵閣下!火をかけるべき理由がございません!」

 両目から涙を飛ばして庭師は叫ぶ。公爵は背もたれに背中を預け、傍らの大司教に視線を向けた。

 「大司教猊下、お考えをお聞かせください」

 見事すぎる顎髭を擦り、大司教は瞑目した。それを重厚さと威厳の表れと取るか単に何も考えていないと取るかは人次第だろう。

 教会は王権をも上回る現世と天界における最高権力である。大司教はノエリアにおける至高の権力者であり、その巨大な権威を前に野次馬達も息を潜めてその白髭に囲まれた口の開く時を待った。

 「魔女と交わりし者は、その闇を身体に宿す。この庭師もその被害者に過ぎぬ。生も死も全ては主の御前には同じ事。だがその魂の救済は、火によってのみ為される」

 火刑に処す。大司教はそう述べたのである。そしてそれに逆らおうとする裁判官がいるはずもなかった。

 「火の救済を!」

 「殺せ!」

 傍聴席がざわめく。

 大法官は身を乗り出し、被告人を指弾した。

 「被告人コーム・ロランは魔女の一員としてその魂を闇に堕とした!その救済は王国と教会に神が与えたもうた至高の義務である!これより判決を決する!」

 裁判の名を戴いたショーの熱気は最高潮に高まっていた。一部には決闘裁判を見たいと思う者がいたにせよ、死刑判決と言うのは傍聴人たちにとって肉湧き血躍る劇的な場面である事に間違いはない。

 「死刑!」

 「死刑!」

 裁判官たちが続々と決まり文句を並べ立て、その度興奮が声の形を取って爆発する。中には帽子を取って振りかざす芝居がかった者もいたが、法廷の長たる大法官がそのような軽率な真似はしない。最後に判決を述べる彼は一同の熱気が収まり、彼の動作へと注目が集まるまで待ってから口を開いた。

 「死刑」

 檻の中で老いた庭師は項垂れた。判決を覆す力は彼にはない。警護官が檻の四方を持ち、被告を連行する。興奮の熱は急速に冷却され、観客たちは席を立ち始めた。


 王都は水神ハイドが水桶を引っくり返したかのような豪雨に見舞われていた。このような雨で通りを歩くものがいるはずがないが、それにしても都中から漂う喪失の寂寥感は雨のせいばかりではないだろう。

 夜半に突如発生した火災は炎神ヴァイアの怒りの火炎の如く、天まで焦がさんばかりの勢いでノエリア最大の貴族家であるアキーヌ公爵の邸宅を焼き払い、アキーヌ公爵フランシス・ラ・フォンテーヌと王位の第一継承者であった王大女アニエス殿下の命を奪った。骨すら見当たらない程の業火で燃え落ちた邸宅は土砂降りの雨に打たれ、原形を失って黒焦げた残骸を晒している。

 邸宅の閉ざされた門の前に、一人の青年が佇立している。大雨に打たれる大通りには人っ子一人おらず、そのような環境に一人立ちすくんでいる時点でその精神の安定を疑われるべきであろう。

 その絹糸のような金髪は多量の水を含んで貼り付き、粗末な服も相まってみすぼらしさを助長している。

 もし叩きつける水の轟音が無ければその歯が軋む音が近くにいる者に聞こえただろう。手は突き立った爪によってどす黒く血が滲んでいる。

 ルビーをはめ込んだような赤い瞳から零れ出た涙を打ち付ける雨が流し去って行く。誰もいない大通りで、青年は一人もう誰もいない屋敷を睨みつけていた。


 公爵が死したとあればその葬礼も大規模なものとなる。アキーヌ公家の一族郎党が皆火災で死した事でその葬礼を担うのはアキーヌ公の直参家臣として領地であるノエリア王国北東部を代理で治めていたランドック辺境伯であった。

 シャーニュ公爵子ブランシュ・ド・オクレールは葬送の列の一員として王都中心のエイエンヌ通りの石畳を歩いた。彼女の目の前には父たる大法官シャーニュ公爵ブノワと母アナベルが隣り合っている。

 ブランシュは中に誰も入っていない王太女アニエス・ラ・フォンテーヌの棺に目をやった。アニエスの死は、次の王位がブランシュへと回って来た事を意味する。彼女が次の女王となる事は既に枢密院の決定事項であり、葬礼の後王太女に叙される決まりとなっていた。

 「呪われた一家だ」

 そう噂する声がブランシュの耳にも入ってくる。

 「アンリ様が暗殺されたばかりか、アニエス様まで亡くなるとは……」

 「やったのは魔に憑かれた庭師だと。悪魔の所業じゃ……」

 アニエスはその朗らかな人柄と、何者にも劣らぬ絶世の美貌が多くの人々から次の女王として不動の人気を集めた。可憐で美しいすみれ色の瞳、透き通るような金色の髪、大理石の彫刻のような白く形の整った顔立ちは神の傑作とまで評され、暗殺された兄アンリに代わり、次世代の王国を統べる王として誰もが期待をかけた存在だった。

 アニエスはブランシュより優れていた。同い年の従姉妹なのに多くの人の信望を集め、絶世の美貌を持ち、古今東西の詩や書を諳んじ、そればかりか弓の腕まで立ち、そしてブランシュが想いを寄せた人の心まで奪い去って行った。

 ブランシュはアニエスを憎んでも良かった。彼女が望んで持ち得なかった多くを彼女の従姉妹は持っていた。そしてその彼女が女王として王位に就く。常にブランシュはアニエスの陰に隠れた存在だった。

 だが常にアニエスはブランシュの親友だった。宮廷の娘たちがブランシュを指して“アニエス様の廉価品”と嘲った時、鬼神も慄く表情で彼女たちを引っぱたいたのがアニエスだった。“人を罵る事でしか自分の価値を示せないの!?”そう詰め寄るアニエスを前に、バツが悪そうに娘たちは退散した。劣等感に打ちひしがれるブランシュを何も言わずかき抱き、共にいてくれた。

 ノエルにある彼女の家や、アキーヌ公領の広大な庭園で開かれる園遊会やお茶の席には必ずブランシュを招き、時には二人だけで庭や東屋で遊んだ。庭師の息子だったジルベールと会わせてくれたのもアニエスだった。アニエスに勝るとも劣らない美貌を持ったその少年に、ブランシュは思わず恋をした。結局ジルベールはアニエスを選んでしまったけど、アニエスは女王になるのだから庭師の息子でしかないジルベールがアニエスの側にずっといれる訳もなかった。

 私はアニエスの側にあって、彼女が手にし切れないあまりもの・・・・・にありつければ良いんだ。これまでそれでうまくいっていたんだから——

 そう自分に言い聞かせていたのに、アキーヌ公の邸宅が燃えて、二十歳の若さでアニエスは命を落とした。庭師が犯人として火刑に処され、その息子ジルベールは王都から姿を消した。皆は悪魔に憑かれたと庭師を責め、その焼死体に石を投げた。

 でもブランシュは知っている。ジルベールを男手一つで育て上げたあの庭師が、決して公爵の家に火をつけるような真似をする人ではない事を。あの夜、いつも屋敷にいるべきヴィクトルが一人険しい顔をして出て行った姿を。普段もう寝ているべき時間の父が、あの夜はずっと部屋に煌々と明かりを灯していた事も。

 ノエリア王シャルル七世に直系の男子は無く、二人の娘を嫁がせたアキーヌ、シャーニュ両公爵の下に生まれた子供たちが王位継承権を持つ。アキーヌ公の長兄アンリが死に、妹たるアニエスにお鉢が回った。アニエスが女王となれば、アキーヌ公はその権威を絶大なものとし、シャーニュ公の勢力は減退する事となる。

 シャーニュ公が謀り、アキーヌ公爵家を皆殺しにしてブランシュを王位に就けるためにやったんだ。ブランシュは確信せざるを得なかった。最大のライバルが消滅した事で、シャーニュ公はノエリアにおいて不動の地位を確立した事になる。アキーヌ公爵の位を誰が継ごうと、ラ・フォンテーヌ家には及ばないに違いない。

 ブランシュの心の庇護者であり、最大の親友を父は殺した。ブランシュは内心に怒りの溶岩が沸騰するのを覚えた。だがアニエスがいなくなれば、ブランシュがノエリア王国で至高の権力者となる。それに気づいて、彼女の心にパレットをキャンバスにひっくり返したようなぐちゃぐちゃの感情が沸き上がった。

 アニエスが死に、ブランシュは女王になる。初めてブランシュはアニエスが手に入れられなかったものを手に入れる事ができる。その王位を手にしたことでアニエスが喜ぶものでない事をブランシュは知っている。元々政治や権力などに興味ある人ではなかった。だがそれでも、彼女が追い落とされてブランシュは次の王位を手に入れた。

 胸中でモザイクが蠢く。幾重もの感情が入り乱れ、ブランシュの中に暗雲をかけた。そして栄光の地位が自分の力で手に入れられた事でない事も、彼女に片付けられない想いを抱かせるには十分だった。

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