おばあちゃんと水ようかん

「うわあ速い。気持ちいいね」

 祖母は私の運転する車の後部座席に座り、窓から外の景色をキラキラした目でみつめて言った。

 私は祖母と二人、私の運転でドライブに出かけていた。

 祖母にとって私はただひとりの孫で、お盆休みは必ず、都内にある自宅から車で三時間弱の場所にある祖母の家に二泊三日で滞在するのが定番の過ごし方だった。そんな祖母ももう九十九歳、十年ほど前から認知症が進んでしまって、私のことはハッキリとは覚えていない。あくまで知っている誰かでしかないようだ。会話のバリエーションもごく限られている。足も少し悪く、杖や誰かの支えなしでは歩くことが出来ない。祖母は若くして夫を亡くし、私の母とその妹である叔母が結婚して家を出てからはしばらく一人で暮らしていたが、今は叔母が離婚して戻ってきている。

 お正月休みとゴールデンウィーク、お盆休みに帰った時くらいは、叔母に少しでも負担が軽く済むよう祖母を近所へ散歩に連れ出したり、トイレに付き添ったりはしていた。ほんの気休め程度だけれども。

 

 その日も例のごとく、叔母に少しでも休んでもらいたいと私は祖母とふたり、ドライブに出かけていた。

 車が走っている間は上機嫌だった祖母は車が赤信号で止まると途端に機嫌が悪くなる。

「なんで止まるの」

「赤信号は止まらなきゃいけないってルールなんだよ」

 赤信号の度に繰り返す。車が走り始めるとさっきの不満げな様子はどこへやら、また上機嫌に目を輝かせている。

 叔母も毎日このコロコロ変わる機嫌に付き合っているのだから大変だなとも思うし、もちろん祖母には悪気はなく、機嫌の振れ幅が大きいのを自分でコントロールできないだけなのだ。身体面にしろ、感情面にしろ、もどかしいことが多いのだろう、機嫌の悪い時が多くはあった。そんな祖母と接する時、本当に中身は祖母なのか?別人が乗り移っているのでは?という感覚を覚えるときがあった。祖母の状態は頭ではわかっている。ただ、たくさんの思い出たちが理解に霧をかけるのだ。けれども、バックミラー越しに見える、機嫌良く風景を眺める祖母は確かに昔から知っている私の祖母なのだ。


 私たちは、もうすぐダムの底に沈む温泉街や、よく家族全員でドライブに行った湖など巡った。祖母に「車から降りて外に出てみる?」と聞くのだが、どの場所でも祖母はちょっと不思議そうな顔で「出たくない」と言うのだった。ところどころまわったあと、祖父の眠るお墓が近くにある、廃校の校庭に車を止めた。再び祖母に「おじいちゃんに会いに行く?」と聞いたが返事は同じだった。祖父は私が生まれるずっと前に戦争で亡くなっている。祖母は相当苦労して二人の娘、母と叔母を育てたようだ。

「じゃあ、そろそろ陽も落ちてきたし、家に帰ろうか」

 ちょうど廃校のチャイムが鳴った。十六時十分、廃校とはいえ、ダム建設の拠点となっており、重機やトラックなどが校庭に置いてある。地面に半分埋め込まれた色褪せたタイヤはそのままだ。

 ふと民家がある方へ目をやると小さな筆文字で書かれた『喫茶店』という文字が見えた。祖母に、たぶん行かないだろうなと思いつつも

「喫茶店があるよ。行ってみる?」

と聞くと予想外にも「行く」という。祖母の腕を取り、喫茶店へと向かった。

 のれんをくぐると、そこは自宅の一室を改装したような小上がりのあるやや大きな部屋で、私と祖母は一番手前のテーブル席に並んで腰掛けた。

「いらっしゃいませ」

 母くらいの歳の女性が出迎えてくれた。メニューを見ると夏限定の自家製水ようかんがあったので二人分注文した。祖母も私がまだ小さいころよく水ようかんを作ってくれたのだ。

「あと、私は冷たい緑茶と祖母にはお手数おかけしますが白湯いただけますか?」

 祖母は物珍しそうに部屋の隅々を見回している。

やがて透明な葉っぱの形をした涼しげなお皿に乗せられた水ようかんが2つ運ばれてきた。店主らしき女性は祖母の前に白湯の入った湯呑みを置くと「この時間に緑茶飲むと夜眠れなくなったりしますからね。私も同じ歳くらいの母を面倒みていたので」

 過去形ということはもう亡くなったのかもしれない。私はちょっと気まずくなって掘小さな声で「ありがとうございます」とだけ言い、水ようかんを口に含む。優しい甘さと柔らかな口当たり、祖母の作ってくれたようかんにとてもよく似ていて、懐かしい気持ちでいっぱいになった。

 祖母もひとくち口に含み、店主の女性のほうに向き直ると、

「この時期の水ようかんは美味しいですね。昔はよく作ったのですよ。この時期はあんこを炊くのも大変でね。うまくやらないと寒天とあんこが分離しちゃって」

 女性は祖母の言葉に

「手間をかければかけるほど美味しくなるのですよね」

と微笑むと厨房へ戻っていった。

 私は、祖母のいつもと違うハキハキした口調にびっくりして、

「おばあちゃん、おばあちゃんの水ようかん覚えているよ。おばあちゃんの水ようかんも美味しかったよ」

と慌てて伝えた。あの頃の祖母に戻ったような気がしたのだ。

 祖母は私の精一杯の言葉には、きょとんとした表情で、それでも水ようかんをぺろりと平らげていた。

 

 祖母はその年の冬に亡くなってしまった。祖母の、思った以上に冷たくなった足先に触れて、祖母は亡くなったのだな、と実感した。その時なぜか祖母と食べた水ようかんのことを思い出した。あの時、自分の言葉が祖母に伝わったかどうかはわからないけれど、一瞬でも祖母と記憶を共有できたのかもということが嬉しかった。

 そうだ、夏になったら今度は叔母と母を連れてあの喫茶店に行ってみよう。そして一緒にみんなで祖母の水ようかんを食べたころの話をしよう。

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