05 二人の在り方

 ジミーを返却してから十年が過ぎた。俺は相変わらずデザイナーをやっていた。ただ、紙の本も、タバコも、買うことをしなくなり、ひたすら貯金に努めた。そして、いよいよその日がやってきたのだ。


「では、これで引き渡しは完了です。念を押しておきますが、故障しても対応はしかねます」

「ええ、わかっています。おいで、ジミー」


 職員の後ろに立っていたジミーは、十年前と変わらずあどけない顔つきをしていた。俺はというと、すっかり老け込んでしまった。

 耐用期間が過ぎ、介助や家事ができなくなってしまったジミーを、俺は無理を言って買い取った。辛うじて自立歩行はできるらしい。

 しかし、払い下げの条件というのが、ジミーのメモリーを初期化するということだった。彼はもう、俺と過ごした数ヶ月間のことを覚えていない。

 それでも良かった。思い出なら、これから二人で作っていこう。この選択は、身勝手なものだとわかっている。アンドロイドに感情はない。あくまで物なのだ。俺の想いは一方通行のままだろう。


「これからよろしくお願いします、ハヤテ・アンダーソンさん」

「ハヤテでいい。さあ、リビングに行こうか」


 俺はジミーとの生活に備えて、ダブルベッドの置ける広い部屋に引っ越していた。家具もまるっと新調した。


「この椅子にかけて。話をしようか」

「はい。どんな話でしょうか」

「十年前の話だ。まずは俺がジミーを借りた経緯について話そうか……」


 長い時間をかけて、俺は昔話をした。肉じゃがやネパールカレー。包帯の取り替え。リハビリへの付き添い。あの夜二人で見た月。そして、添い寝とキスのことを。


「そんなわけで、俺はこの十年間、ずっとこのときを待っていた。ジミーを独占したかった。俺にとっては、それが愛だ」

「人間の愛とは、執念深いものなのですね」


 表情の動きがとぼしくなっている。そう思った。廃棄寸前のところを引き取ったのだ。そうなることは予想できていた。


「僕はアンドロイドです。所有者の指示に従います。ただ、ほとんどの機能を失ってしまっています。こうして会話をすることくらいしかできません」

「それでいいんだ。洗濯もしなくていいし、料理をする必要もない。ただ、俺と話してくれ。傍にいてくれ。それが俺の願いだ」

「かしこまりました」


 そして俺は、ジミーを連れて繁華街へ出た。予め決めていたジュエリーショップへ真っ直ぐに入った。


「さあ、指輪を買おうか」

「僕のですか?」

「ああ、俺たちのだよ。ペアで買おう」

「アンドロイドが物を所有するのですか?」

「そうさ。俺からの初めてのプレゼント。結婚指輪だ」

「人間とアンドロイドの結婚は法的に認められていません」

「だからまあ、形だけだな。それで俺は満足なんだ」

「そうですか」


 なるべくシンプルなプラチナの指輪を俺は選んだ。ジミーにはめさせてサイズを確認し、指輪の裏には今日の日付の刻印をしてもらうことにした。受け取りは一週間後だ。

 昼食はカフェでとった。当然ジミーの分はない。俺がカルボナーラを平らげるのを、ジミーは真顔でじっと見ていた。あの頃のような微笑を浮かべるのも難しいようだ。


「ハヤテ、美味しいですか?」

「まあまあだな。ジミーの作ってくれた料理の方が美味かった」

「僕はもう、作ることができません」

「大丈夫。この十年で、俺も自炊を覚えたんだ。大抵のものなら再現できるようになったさ」


 帰宅して、俺はジミーをベッドに横たえさせ、充電プラグを差した。充電の減りが早くなっているというのも聞いていた。ジミーはゆっくりと目を閉じた。

 しばらく俺は、ジミーのまつ毛を眺めていた。ようやく手に入れた。この十年、彼のことだけ考えて生きてきた。

 人間と、機能が欠けたアンドロイドとの将来は、そんなに明るくないことくらい百も承知だ。全ては俺の自己満足。

 俺はジミーの手を握った。この指に指輪がはまる日が待ち遠しい。道行く人々に後ろ指を指されてもいい。俺は彼と結婚したのだ。

 ジミーの充電が終わるまで、俺は仕事をした。その後、作り置きしていた肉じゃがを食べた。彼が起きてきたのは、俺がシャワーを浴び終わってからだった。


「……ハヤテ。充電が終わりました」

「そうか。俺もあらかた用事が済んだところだ。ベッドで話そうか」


 ジミーに腕枕をしてもらった。この感覚。懐かしい。彼を返却した夜は、ベッドで一人泣き濡れたものだ。


「ジミー。俺は君を愛してる。ずっと大事にするから」

「何もできないアンドロイドをですか。ハヤテは変わっていますね」

「そうさ、変わり者さ。なんか、この言いぐさも懐かしいな。似たような会話をしたことがあったんだよ」

「そうでしたか。僕には感情がありません。ですので、ハヤテを愛するということは難しい。けれど、こう言うべきなのでしょう。ありがとうと」


 俺はジミーを抱き締めた。


「ありがとう。ありがとう、ジミー」


 ジミーはぎこちなく笑った。今の俺には、それだけで充分だった。

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君はリースのアンドロイド 惣山沙樹 @saki-souyama

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