1時間にキーボードを叩いた回数

浅賀ソルト

1時間にキーボードを叩いた回数

上司に嫌われていると思ったがそろそろ敵意を隠さなくなってきた。メールによる注意から呼び出しによる注意に変わった。

5日の午後、俺は会議室に呼び出された。

うちの会社の会議室はガラス張りで外側からでも誰と誰が中にいるかが見えるようになっている。もちろん暴力などがあれば丸見えだ。監視カメラのようなものは会議室にはない——少なくとも俺はそういう説明は聞いていない。会社の中に監視カメラがあっても盗撮やプライバシーの侵害にはならないそうだが——が、変なことはできないようになっている。もちろん外から見られないようにするためのブラインドはある。プロジェクターは用意されているが、ノートパソコンは各自のを持ち寄りとなっている。

一方は鏡張り、一方には窓があり隣のビルが見えた。

俺が中に入り、上司の挨拶があった。席につくと、今回の面談は以前メールで話した件の詳細であるという説明があった。

プロジェクターにパワーポイントによるプレゼン資料が映し出された。

10月1日、進捗について報告を求められるも当日の報告は無し

2日、督促を受けて資料のまとめのために1日の猶予を求める。猶予を許可し、翌日の報告とする。

3日、連絡なし

4日、先方から返事が来ていないという報告がされる(のちにそもそも先方に連絡を取っていないと判明する)

6日、返事が来たかと聞かれて来てないと回答する

俺は黙ってそのパワポを見ていた。次のページにも続いた。

俺はきっちり仕事をしたのに、まったく仕事をせず、虚偽の報告を上げ続けていたことになっていた。

「これは何です?」俺は聞いた。

「ここに書いてあることに嘘があれば指摘して欲しい」

「嘘だらけですよ」俺は言った。「なんですか、これ?」

「具体的にどこが嘘かを言って欲しい」

「報告はしましたよね? 忙しいですって何度も言ってます」

「それはいつの話をしている?」

広田ひろたさん、本当になんですか? これ」

「ここに書いたのは俺の一方的な報告だからな。ここにお前の言い分も書かなくてはならない」

「俺の言い分を広田さんがまとめて前中まえなかさんに報告するんですか?」——前中さんは広田さんのさらに上司である。

「そういうことになる。ここで指摘しないとそのまま前中さんに行くが、お前の言い分も聞く必要があるからな」

「それを広田さんがやる意味あるんですか? 広田さん、俺のことが嫌いでしょう?」

「俺は仕事をしない奴が嫌いだ」

「俺のことが嫌いなんでしょう?」

「あのさあ」上司は言った。「嫌いとか好かれてるとか贔屓されてるとか、少女漫画みたいな基準でものを考えないでくれないか? 嫌われてるからこんなパワポを作ったと思っているのか? お前が仕事できないから、これを作ることになったんだ。お前が仕事できるならこんなもん作らなくて済んだんだ」

「嫌われていたら……」

「仕事ができないからだ」

「仕事ができてもどうしようもないでしょう。評価されるはずもない。先に嫌いがあっての評価で……」

「仕事ができないから評価されていないんだ。お前が報連相もできない人間だというのは不当な評価か?」

「仕事ができないってのは嫌いって言うわけにはいかないからあとづけしているだけですよ」

「違うだろう。お前は報連相もできないいい年こいて使えないクズだよ」

文章だと分かりにくいがお互いに声を被せあっての言い合いになった。アメリカのホームドラマみたいだ。

俺を嫌っている上司の広田は見た目が若いが四十代にはなっているはず。俺はちょい下の35歳だ。上司はガタイがよくなんとなく体育会系を思わせる。俺は典型的な文化系だ。

面談面接の場で言ってはいけない言葉が出てきたようにも思うが俺もそこを問題にするつもりはない。気にくわないことがあれば言葉が汚くなることはどうしても避けられない。

嫌われているというのは——本人は何回も否定して、決して認めようとしないが——このやりとりで分かるように疑いようのない事実だ。

俺は新卒の正社員ではない。中途採用だ。エンジニアとして採用されて働いている。普通に仕事をしているし、なんなら俺より仕事のできない人間もたくさんいる。上司の方は俺を採用した当人ではなく、引き継ぎして新規に俺の上司に割り当てられた上司ということになる。俺を採用した人は別のプロジェクトに移動してしまった。プロジェクトチームが解散して人が他のプロジェクトに散らされるというのはよくあることである。

この上司の広田とはソリが合わないというか、そもそも俺が仕事できないと決めつけている。というか俺のことが嫌いなんだろう。クズだと言ってくる人間に公平な評価を望むのは無理というものだ。

「ここのパワポに、お前が報連相をしてこなかったという事例が五つ書いてある。代表的なものだけだ。『ちゃんと報告連絡相談をしました』と言いたいならその日時をここで言って欲しい。すぐに言えないならあとでもいい。実際に何も報告しなかったというなら『何も報告しませんでした』と認めてくれると手間が省ける」

「そういう言い方をしてすいませんでしたと謝ると思ってるんですか?」

上司は溜息をついた。ふー。「これは仕事の話だぞ。ごめんとか握手をして仲直りとか、そういう話をしているんじゃないのが分からないのか?」

「いや、だからね、広田さん。言い方の問題なんですって。別に私はここで謝ってもいいんですよ。すいませんでした。連絡してなくてすいません。ついサボってしまいました。それは認めます。ただね。言い方がおかしいって話をしているんです」

「だからね、日下部くん。これは言い方の話をしているんじゃないんだよ。すいませんとかそういう話をしているんでもないんだよ。仕事をどこまでやっているのか、終わったのか終わってないのか。終わりそうにないのか。そういう報告をやるかやらないかという話をしているんだよ」

「だからそういう言い方だと報告する気もなくなるって話をしているんじゃないですか」

「どんな言い方でも報告をしなくていい理由にはならないってのが分からないんですか?」

「なんでいい年してそんな子供みたいなヘソの曲げ方になってるんですか?」

「なんでいい年してこんな話が分からないんですか?」

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