六十五番の話

融木昌

六十五番の話

 六十五番の話というようなタイトルを付けると、野球選手の根性物語かあるいはよく出るパチンコ台の話だろうと思われる読者も多いのではないかと考えるが、そんなこととは無関係で実は大学院の入学試験の話なのである。六十五というのはK大学大学院の定員の数で、K大四年生の私は大学院進学を目指し六十五番、即ちどんじりで試験に合格することを目論んでいた。拠所(よんどころ)無い事情により受験勉強に全力を注ぐことができないため、なんとかもぐり込もうという作戦である。しかしながら、これで行けると思ったところで予期せぬ事態に陥ってしまった。

 アルバイトを終え、真っ直ぐ下宿に帰っていればよいものを大学の研究室に寄ってしまったのがケチの付き始めであった。研究室にN大の学生が遊びに来ていて、彼を含めた数人と雑談の時間を過ごした。就職か大学院進学かの話題になったとき、彼から思いも掛けない発言が飛び出したのだ。

「俺はN大からここの大学院を受けるので合格するのは大変だと思う。だから六十五番で合格すればいいんだ」

 あっさりと言ってくれたが、私は慌てふためいた。

(六十五番で合格するのはこの俺だ。もし彼が本気で六十五番を狙っているのだとしたらどちらかが落ちることになる)

「いや君だったら勉強すれば上位の成績で合格できるよ。少しの勉強でも六十四番は絶対間違いなしだ」

 やっとの思いで口を開いた。六十四番にでも変えてくれればいいのだが……。ところが、彼は真面目な顔でこう言ったのだ。

「やはり無理だと思うな。外部から合格するのは結構難しいらしい。六十五番で通ればそれでいいんだよ」

(困った。どうしても六十五番に拘っているようだ。大学院進学を諦めてくれとも言えないし――落ち着け、何か良い方法があるはずだ)

 妙案を思いついた私は入試担当教授の部屋に飛んで行った。

「大学院の入試についてお話が」

 教授は秘書をしているアルバイトの女性と何かモゾモゾしていたが、驚いたように振り返り、裏返った声を出した。

「アラ 見てたのね!」

 これは嘘である。我がK大の教授に限ってこんなことはない。落ち着き払った低い声で宣(のたま)ふ。

「一体どうしたというのだ。そんなに慌てくさって」

「合格の定員についてお願いがあるのですが」

「はぁーん、君は合格するのが難しいので定員を増やして欲しいというのだな。駄目だぞ、それは」

「いえ、定員を増やして欲しいのではありません。六十五番を二人にしてもらいたいだけなのです」

 六十五番を二人にしてもらえば、私と彼とはめでたく合格する。

「それじゃ君、全部で六十六人になって定員が増えるじゃないか」

 煩わしいといった面持ちだ。

「そのことですが、六十五番を二人にする代わりに例えば六十四番を無くすのです。そうすれば定員は六十五人で変わらないじゃないですか」

「うーん、六十五番を二人にして六十四番を無くすのか。一番から六十三番までで六十三人。そして六十五番が二人の計六十五人。しかし、君はよくそんなことを思いつくなあ」

「教授、そうしてもらえますか。是非、お願いします」

「そうだなあ、私は定員が変わらなければ六十五番が二人いようと十人いようと構わないのだが、六十四番が抜けるとはムシ(、、)が好かんな」

 つまらない洒落を言って笑った。

「しかし、君、これは重要な事柄だから学部長出席のもと、会議を開いて検討しなければいかんだろう。明後日にでも結果を知らせてあげるからここに来なさい。それから今度来るときは必ずノックをしてから部屋に入るように」

          *

 さて、明後日が来て今日になった。私は勇んで教授室に向かった。

「どうなりましたでしょうか?」

「ああ、君か」

 教授は元気なく椅子に座っていて、「学部長はさすがに頭が良いな。私も将来、学部長になりたいと思っていたが……」と意味不明なことを言ってくる。

「教授、そんなことより大学院の入試の件は?」

「そのことだ。私は定員が変わらないからそれで良いじゃないですかと言ったのだが、学部長は『君、それはいかん。そもそも大学院は一定の資格を有するすべての人に門戸を開いていなければならない。何人も望む者は受験できる権利があるのだ。ところで、その受験者の中には六十五番を狙う人がいるように一番を狙う人もいれば、また六十四番を狙う人もいるということだ。即ち、六十四番を無くして六十五番を二人にすることは、六十四番を狙う人に受験し合格する機会を無くしてしまうことになる。先程も言ったように、大学院はすべての人に機会を与えなければいかんから六十四番を無くすことは出来ない』と仰せられたのだ。とても私ではそんなことは考え付かない。学部長の椅子は無理だ」

「ええっ!」

 私はショックの余り、側に立っていた女性秘書に抱きついてしまった。

          *

 それから三箇月、遂に合格発表の日がやってきた。すでに合格者名簿が貼り出され、人垣ができている。一番誰々、二番誰々、と試験の成績順に書かれている。私は六十五番での合格に自信があったので、六十五番はと目を向けた。あれ? 無い。肝心の六十五番が無い。目を擦ってもう一度睨みつけたが、後は合格者に対する注意事項が書いてあるだけで六十五番はどこを探しても無いのである。動転した私は教授のところへと駆け出した。

「六十五番が無いのですが」

「また君か。焦っているところを見ると不合格だったんだろう」

 教授はこちらを振り向き、当然だという顔をする。秘書の彼女は前回のことがあったからか、私が部屋に入って行くなり塵取りと箒を持って盾と矛のように身構えた。

「それが合格か不合格か判らないのです」

「どうして? 合格者は名前が貼り出されているだろう」

「はい、でも六十五番という席次が無いのです」

 事務局のミスではないかと告げようとすると、教授は「合格者判定結果の資料を調べるからそこで待っていなさい」と秘書に取りに行かせた。

 資料を眺めていた教授は突然、吹き出した。

「君はやはり不合格だ。それに六十五番が無いのは六十四番が同点で二人いるから飛んでしまったのだよ」

「何!」私は頭に来て叫んだ。「六十四番を無くして六十五番を二人にしてくれと頼みに来たときは駄目だと言っておきながら、いざ発表となると六十四番を二人にして六十五番を無くしてしまうなんて、これは詐欺だ、陰謀だ!」

 教授はポカンと口を開けている。

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六十五番の話 融木昌 @superhide

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