OL飼いのフリーランス

八澤

if傷舐【-j暗黒 -d残酷】 -☆未来編◆



「組織じゃなくて86の方……、そう、それを選んで」

「でも手順書には機械の方って書いてますけど」

「昔は組織を使っていたの。でも稼働するとコケることが多いから、今は86の方で作成してます」

「はい、選びました」

「じゃあさっき作ったファイルあるでしょ。それを選択して」

「はい、選択しました」

「残りの設定は、最初に作ってもらった設定ファイルの値を参照しながら埋めてください」

「あのぉ……」

「ん?」

「物凄くとても大変丁寧に教えてもらっているところ、大変恐縮なんですけど、私って、事務なんですよ」

「ジム?」

「あ、そういう筋トレのジムじゃなくて、パソコンの前でパチパチキーボードを打って、なんかデータをソフトに入力する、あの……あ、ド忘れしました、……表計算ソフトに」

「表計算ソフト」

「その事務なんです。事務するために入社して、この部署に配属されたんだと思います」

「そう」

「なので、こういうなんかソフト? を設定する作業は、お門違いというかわからないというか」やりたくないというかもうおうち帰りてぇというか……。

「誰でも初めはわからないものよ」

「そうですけど、そーなんですけどぉ……」

「まぁ、言いたいことはわかる。けど、今は人手不足なの。事務だけってわけにもいかないの。何でもこなせるようにならないと」


 有無を言わさぬというか、私の必死の訴えの意味を理解しようとしてない。右耳から左耳にそのまま通り抜けた。


「はい、ファイルのアップロード完了したね。次は、検証するからその検証機を起動して──」


 ピピピピっ!


 私の机に設置された電話機がけたたましい音を鳴らした。

 私は無視しようとした。

 だって、私宛ての電話じゃないから。

 フロアに設置されてる電話機が揃って鳴ってる。まるで鳥の巣で親鳥が帰ってきた時の雛みたいに喧しく。

 でも誰も出ない。

 反応しない。

 けど、じんわり伝わってくるよ。

 一番下っ端が取れっ、って圧がかかってきます。そっと後ろを見やると、先輩はマスクの位置を手で整えながら、早く出ろと顎で電話機を指され、仕方なく腕を伸ばした。


「はい、サポート部です。はい、お世話になっております。はい……え、パソコンが動かない……フリーズ、ですか? はい、少々お待ちください」


 保留ボタンを押して、「フリーズしたっぽいです」と伝えた。

「じゃあ席までお伺いして、PCの点検お願い」

「えー」

「えーじゃない。露骨に嫌そうな顔しない」

「だってわかりません」

「だから実機の動作を確認して、色々試して問題の切り分けを行い、原因を特定する」


 二階に上がると、早速声をかけられた。パチパチとキーボードの音だけがBGMのフロアを早足で駆け抜ける。

 PCが使えないんですけど、ってムスッとするユーザー様にぺこぺこ頭を下げながらパソコンを弄る。鼻マスクだからそれ意味無いですよ! って指摘したいけどもちろんしないよできません。だってお局と囁かれるフロアのボスの一人だから、私は恭しく頭を下げるしかないんだ。特に若い女には当たりがキツイって噂を聞く、はぁ……怖いよ〜。


 はい動かない。マウス反応しない。キーボードヌルテカベットベト……。一通り操作を試して、もうこれは完全に強制シャットダウンしかないですね、と説明したら渋々頷いて了承してくれた。助かった。わけじゃない! まだ油断しちゃダメ! ここで起動せずに真っ青な画面が広がったら私の顔まで真っ青な絶望に染まってしまう〜〜〜!


 けど、パソコンさんはシャットダウンで正気に戻ったのか、普通に起動してくれた。ありがと、私は信じていたよ! 作業中のファイルもバックアップが残ってたって。はぁ~一・件・落・着っ!

 帰り際、いつもありがとね、ってなんかお土産のお菓子を一つくれた。

 え、

 待って、

 この人、

 ……実は結構いい人なの、かも──。


 自席に戻り、対応ログに報告資料を書き込みながらお菓子を頬張る。

 美味しい……。

 帰りに一袋購入しようと思うけど、でもこういうのって味が濃いから数個食べたら飽きそう。


「終わった?」先輩が足音も無く近づいて声をかけてくる。

「はい……」

「無事だった?」

「どうにか、大丈夫でした」

「お土産もらったの?」

「はい。でも再起動で治らなかったら逆にお菓子請求される勢いでした。はぁ、今日は朝ご飯食べ損ねたので、お昼までこれで食い繋ぎ──あっ」


 私は反射的に鞄を漁った。

 ……ない。

 内側に隠すように吊るされたクマたんキーホルダーの尖った部分が指に突き刺さる。痛い!


「どうしたの?」

「忘れ、ました」

「何を?」

「財布」

「え、事故?」


 ぞわっ、と周囲の人たちから視線が突き刺さる。


「あ、違います違います! 始末書書きません! うちです! 家に、忘れてしまいました」

「あ〜そうなの。であれば問題無し、か。お昼はどうするの? 今日はお弁当?」

「うちの人に持って貰うから大丈夫です。今日はお昼一緒に食べる予定でしたし」

「あ、同棲してるんだっけ?」

「そうです」

「平日にうちにいるって、まさか……無職?」

「……そうです」

「え、もしかして――ヒモ?」

「いやぁ、ヒモじゃないと思います……」


 多分、どちらかと言うと、私の方が──。


◇◆◇◆


 お昼休み。

 ビルから外に出て、日差しを浴びる。

 全身にのしかかっていたプレッシャーからの開放感に震えた。

 あの後三回も二階に呼び出されて(しかもしょーもねー問題!)、もう肉体的にも精神的にもボロボロだった。社会人として野に放たれて1ヶ月、これをあと数十年もこなすと思うと体が焼き切れそうだった。


 首からカードをまるで首輪みたいに吊した人の波をかき分けながら、待ち合わせの場所を目指す。

 横断歩道を渡り終えた瞬間だった。


 ぞわっ。


 背中をべろっと舐められるような悪寒。


 ――ブォォンッ!


 続いて背後からまるで地響きみたいな騒音が鳴り響く。体が吹き飛ばされそう。

 何事? と振り返ったら――巨大なバイク! 銀色にぬらりと輝き、巨大な怪獣が立ち塞がる。思わず後ずさると――。


 がちゃっ。

 足を降ろし、ライダーシューズの音が響く。

 バイクに負けず劣らずの禍々しいドライバーが地面に降り立った。ヘルメットを取り外すと厳つく刈り上げされた髪型の喧嘩の強そうな女性が現れた。真っ黒なマスクは威圧感と金属みたいな冷たさを表現していた。

 ゆっくりと……私に近づいてくる。


◇◆◇◆


「おまたせ」


 地響きのようにバイクを鳴らしながら去って行ったバイクを眺めていると、背後から声をかけられた。


「サクラ~」

「さっきの人、誰?」

「知らんよ。道に迷ったから私に声をかけてきたんだって。怖くて小動物みたいにブルブル震えてたよ」


 ブルブル振動してると、よしよし……と頭を撫でてくれた。【震えるレイ可愛い~~!!!】


 そのねっとりした視線に今日一番に震え上がった。研ぎ澄まされた槍みたいな圧力がずぶっと私に突き刺さる。


 ――さっきの感覚、バイクのお姉さんに声をかけられる瞬間に感じた威圧感の正体はそう、サクラです。

 コイツが一番恐ろしいよ。

 妖しい笑みを顔に貼り付けるサクラを見上げながら、「で、今日はどこ行く?」

「駅の反対側にある、居酒屋」

「おい、私は午後からも仕事だぞ。顔赤くしながら戻ったら首切られる」

「ランチタイムの親子丼が美味しいって評判なのよ」


 サクラはスマホを取り出し、画像を私に見せ付ける。

 大きなどんぶりにふわとろ感満載の親子丼!

 ごくっと喉が鳴った。サクラも私を見ながらごくっと喉を鳴らしている。もう数年食欲を浴びてるけど未だに馴れません……。


「え~美味しそう。行こう行こう! 朝ご飯抜きだったからもぉ倒れそう」

「あら、パンを机に置いたでしょ? 食べなかったの?」

「だって朝時間無くて……」

「いつもの時間に起こしたじゃない」

「起きてない。完全に起きてなかった。何故ならあの後二度寝したから。危うくサクラのせいで遅刻しかけた」

「人の所為にしないでよ」


 朝の支度は起床からご飯、化粧、スーツの準備と全てサクラが手伝ってくれる。……お母さんか! ってくらいに何でもしてくれる。それに私は甘えてる。だってサクラの気持ち、無下にできない!

 で、今日は油断した。

 基本毎日朝起きてから30分くらいはサクラとイチャイチャしてるから、その感覚が抜けなくて二度寝してしまった。

 だから私は悪くない。

 私をほっぽってさっさと出かけたサクラが悪いんだ。


「サクラが並ばないと手に入らないって消えるから」

「仕方ないでしょ。このチャンスを逃すと、購入までに時間空くのよ。レビュー早くあげないと再生数稼ぐの大変なんだから」

「ってか、購入できたんだ」

「もちろん。レイの分もあるわよ。ほらっ」


 サクラはバックの中に手を突っ込むと、真っ黒な物体を取り出した。

 ……リモコン?

 いや違うこれは――「間違えた」「ちょ、ちょい待て! 今の、今のって……ス、スタンガン!」「自衛用の。さっきレイが襲われてるように見えたから、背後から近づいて使おうとしたの」

「え~有り難いけど、でも当たり前のように取り出すの怖ぇ……」

「はい、青色で良かったのよね?」

「わぁ、ありがと~」


 最新機種のスマートフォンだった。

 だけど、私が受け取るよりも早く、サクラはバックの中に戻してしまった。


「なんで!?」

「まだ撮影終わってないわ。それに設定やデータ移行もできないからすぐに使えないわよ」

「うぅ、まぁそうだね」


 目当ての居酒屋に到着した。少し並んでいたけど、お昼休み終了までには戻れそう。


◇◆◇◆


「はぁ、美味しかった……。焼き鳥専門居酒屋の鶏肉は伊達じゃない」

「ね、でも量は結構あったわね。お腹いっぱい」

「これ午後は意識保てるかわからん……。ね、コーヒー飲んでいい?」

「ダメよ」


 サクラは露骨にイヤそうな顔をする。

 ……タバコ、コーヒーなどの臭いがつくものを摂取することを私はサクラに禁止されていた。タバコは別に興味無いからどうでもいいけど、コーヒーは眠気覚ましに飲みたいよ……。


「午後寝ちゃう、仕事にならないよ」

「寝たらいいじゃない」

「いやいやそんなのぶっ飛ばされますっ!」

「じゃあ今日は、もう早退したらいいじゃない」


 って真顔で言ってくるんだよコイツは。


「まだまだ半人前の分際で、なんか午後眠いから帰りますわ、って言ったら飛び蹴り喰らうよ」

「はぁ、真面目な社会人に変化してしまったのね。学生の頃は度々授業をサボっていたのに」

「学費払ってるのにサボるなんて許せないよ。この不良JKが!」

「私は拒否したのに、誰かさんに引きずられて……」

「はぁ~? サクラだって音楽サボりたいじゃない! って喜んでついてきました」


 指摘すると、サクラは苦笑しながら一歩私に近づいた。


「別に……今思うと、そんなに音楽が、サボりたかった、ってわけじゃないかもしれないわ」

「だったらどうして」

「レイと」


 周りには誰も居ない。

 私たち以外の人間は突如蒸発したみたいな静寂。

 空を覆い尽くす高層ビルが建ち並び、人が溢れ返したど真ん中のはずなのに――。


 ──あの高校に存在した狭間の空間を思い出す。

 卒業後、一度文化祭で訪れた時、久しぶりに入ろうと二人で向かった。でも、何故かあの入口に到達できなかった。消えていた。学校の先生にも確認したけど、工事とかした記録も無いとか。(サクラはその事実で恐怖のどん底に陥り、一週間殆ど私にしがみついて震えて生活を送った)。

 消えていたあの空間。

 でも、あの感覚が、時々訪れる。

 私たち以外が消えてしまう世界。

 ──二人で依存し、手を絡め合い、意識を混ぜ合うことでしか理性を保てない。


「ずっと一緒にいたかったから」ブラウンカラーの可愛いマスクを外し、声が私にしっかり通るように宣言する。


 サクラは殆ど私を抱きしめるような格好だ。

 私よりも頭半分デカいので、まるで大きなコートに包まれるみたいだった。

 すっと手を重ねる。

 指が絡まる。

 ――想いを、感情を悟らせるために。

 体は大きくなったのに、手は本当に小さいよね。


 見上げるとミディアムボブカットの隙間から覗くように大きな瞳がじっと私を見つめている。

 高校生の頃は、同じくらいの身長だったはずなのに、何故か大学生になった途端サクラの身長は伸び、現在168センチ。私と、10センチ以上も差があった。そんなバカな、ありえない、ずるい!

 で、なんか私が髪を伸ばす代わりなのか、バッサリと髪を切った。まるで私の昔――いや、なんというか私の理想とする私を表してるのか、学生時代に磨き上げた(途中ギャルに走ったけど)お洒落力は天元突破し、誰もが振り向くような完璧可愛いコーデにまとめ、さっきのバイクから降りてきた女性とも対等にバトル? できるような強い女っぽい雰囲気を醸していた。

 だからむかつく。

 高校の頃に出会って殆ど毎日一緒に生活し、大学生になって4年も同棲してるのに、未だになんか見つめられるとドキドキ胸が高鳴る……。

 サクラの【好き】という張り裂けそうな衝動以上のパワーを、私の中噴き上がってくる。


「ね~あのさ、そういうことやられるともう会社戻れなくなりそうだから、辞めてって言ってるじゃん。高校の時に決めた、授業前は……キス禁止の延長です」

「うん、ごめん」【戻りたくないなら一緒に帰りましょう】

「明日は在宅で一緒に過ごせるから我慢して……。明日は椅子になっていいから」

「そうね、明日のために、今日残ってる作業は全て終わらせるわ」


 はい、お財布、と手渡された財布を鞄に押し込みながら、サクラを見送る。後ろ髪を引かれるというか、私の体を半身無理矢理引きちぎられるような痛みがある。



 // 続く

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