寂しいひと

鍋谷葵

寂しいひと

 東京の繁華街を歩いていると高揚感を抱くことがままある。それは別にお目当ての店が近づいてきたからだとか、本能をくすぐる掲示があるとか、私が上京してまだ一年半しかたたない田舎者の若い大学生だからというわけではない。単に歩いているだけで気分が上がるのだ。自分でも原因は分からないが、とかくどういう訳か胸が弾むのである。

 夕方五時。

 深い秋であれば陽はすっかり暮れて、辺りは真っ暗になるころ。そんな時間の繁華街は明かりで満ち満ちている。パチンコ屋の激しい灯りに、風俗案内所のけばけばしい黄色の灯り、居酒屋チェーンの安っぽい看板を照らす灯りに、コンビニや商品が所狭しに陳列されている狭苦しいスーパーの生活的な灯り、そして時たま挟まれるオフィスやアパートから漏れ出る必要最低限な灯り。そういったあらゆる種類の灯りが、秋の暮れの繁華街には満ち満ちている。もっとも、これらの灯りに付随するようにマンホールから漏れ出る腐乱臭、水か尿かもわからない汚らわしい水たまり、踏みつぶされてぐしゃぐしゃになったチラシやティッシュ、室外機やダクトの排気が籠り切った路地裏でうごめくドブネズミといった街を腐らせるものも数えきれないほど存在する。だが、それもまた繁華街の背負う宿命であり、私の心に生じる謎めいた高揚感の要因の一つだろうと思う。

 非日常的な空間を闊歩しながら、私は色とりどり、形状豊かな秋服を着ている街行く人をちらちらと見て、蒸しているのに寒い秋を実感する。そうしていると、ふと私の高揚感はある対象を捉える。それは一組のつがいである。ああ、ドブネズミのつがいではなく、人の、男女のつがいである。

 かのつがいは小さなパチンコ屋と半ばつぶれかけの個人書店の間のビルに入ったマクドナルドから出てきた。おおよそ、早めの晩御飯を食べた帰りなのだろう。全身を黒い服で包んでいる若い男は、すらりとした背の高い体躯で、さらさらとした髪質は黒髪のウルフを映えさせている。加えて顔もすこぶる端正で、衆目にされされても誰もが彼のことを良い男と言うだろう。一方、彼と手を繋いでいる若い女は、ひらひらとしたリボンが多くついたゴスロリ風の服と厚底のブーツ、素顔がわからないほど濃い化粧をしており、いわゆる地雷系である。もっとも、この地雷系の化粧を成立させるだけの体躯なのかと言われれば疑問を抱かざるを得ない。もちろん、服装や化粧に対する自由は保障されるべきであるし、それを批判するだけの権利が私にはあるわけではない。しかしながら、ここには事実を記述することとしよう。ハーフツインの若い女の身長は低く(男よりも頭が二つほど低い)、ふくよかであり、骨格と肉付きはがっしりとしている。また、しもふくれの顔はそのがっしりとした印象を際立たせているような気もする。という訳で彼女の容姿というのは男ほど優れていないと言わざるを得ない。

 不釣り合いのつがいは指と指とを絡め合い、女が男を見上げる形で店前の赤と黄色の看板の前で談笑をしている。そうした様子を私は道のわきで立ち止まって、とりつかれたように見つめる。傍から見れば不審者であり、通報されてもおかしくない立場だ。証拠に私の横を通り過ぎる幾らかの人々は、私に対して不信の目をちらりと向けてくる。それに対して窮屈な思いをしないほど私は世間知らずではない。しかしながら、不釣り合いというただ一点において私の興味を捉えたつがいから知的好奇心が離れるほど私の欲求に対する執着は弱くない。むしろ、私のこれはある妨げがあるほど高まる。とはいえ、突っ立って凝視していれば通報されかねない。ゆえに私は適当なところに避難しなければならない。

 ただ、こういう時、ある追い詰められた時、運は私に味方してくれる。知的欲求を叶えるように私を導いてくれるのだ。選民的優位性がこういうときだけ私を助けてくれる。

 私の欲求を捉えたつがいは私がこの場を離れて、閑散とした書店に入ろうとしたそのタイミングで、歩き始めた。それは××駅の方面に向かう足取りであり、人の流れに逆らうような足取りではなかった。つまるところ、ここに私が追従することの違和感は周囲の人によってかき消されるのである。

 さて、二人の歩みに一歩を遅らせる形で私は歩きだした。人混みを歩いているときの蒸し暑さや飲食店から排出される臭い、そういった不快感を生じさせるいくらかの要因さえ知的欲求はかき消してくれる。代わりに私の心をくすぐるのは一歩前を談笑しながら歩く男女である。会話の内容は街の騒音と雑踏の足音によってかき消されてしまう。だから、私にその内容はさっぱりわからない。けれども、これだけ不快感を覚える環境に身を置いている中で口の動きと笑みが一切途切れていないことからすこぶる楽しい会話だろうということは容易に想像がつく。なるほど、容姿の差はあれ、中身は一致しており、そのために手を固くつないで歩いているのか。そう思うと胸中に生じる謎めいた高揚感に陰りを覚える。

 はて、いったい何が私の心をそうさせているのだろうか。私はここに知的欲求を携えているし、ここに満足さえ覚えている。それらは私に生じた高揚感を増幅させる効果を持っているはずなのにも関わらず、私の心は暗い何かを訴えている。どういうことだろうか、どうして私は高揚感に反したものを抱いているのだろうか。

 疑問が生まれると私の集中はそちらに奪われてしまう。所詮は一人であるし、自分との会話の種を見つけたらそれにはまってしまうのだ。そして、これを何と芽生えさせようと、つまり疑問を解決させようと私は必死になって自問自答に励んでしまうのである。周囲を取り囲む雑音や異臭、妙な電灯の点滅でさえ私の集中を奪うことはできない。あの持ち合わせていた好奇心も今や消え失せてしまうのである。

 とはいえ、内省的に物事を考えたところでこの疑問を解決させるだけの解が導かれることはない。全ては経験によって導かれるのだし、生じている疑問点自体も経験から生じるのだから。したがって、私のすべきことは閉じこもって、うじうじと疑問を見つめるのではなく、あくまでも外から疑問を解決するための種を手に入れることである。

 しかしながら、こう判断したところで私が動けるというわけではない。私は所詮、人の波に流される一介の凡人でしかない。こうやってぶつぶつと頭の中で言葉を展開しているのも、凡庸なる人間の他ならないのだ。いや、この評価は凡庸な人に失礼である。自然の流れに身を委ね続けてきた、つまるところ関係を自ら構築しようとする努力をせずに、ただただ時間を浪費してきたくだらない人間が私なのだ。凡人、いや、こんな言い方は高慢ちきだ。つまり、そう、普通の人との方が、私よりも遥かに高い位置に存在しており、私などは底辺に住まう薄汚いドブネズミだ。だから、行動を起こそうにもそれをするだけの勇気を持ち合わせていない。けれども、足踏みするほどの停滞を嫌っている。よって、私に生じる行動というのは目の前を歩く男女のつがいの背中を、不釣り合いな背中を見つめることだけである。

 高揚感は徐々に薄れ、あの陰りは私の精神に苛立ちをもたらした。そして、私自身の鬱屈とした本性を浮き彫りにさせ、突飛のない暴力的な妄想さえ呼び起こさせる。もしも目の前のつがいを思いっきり殴ったらどうなるだろうか、そのような脈絡のない腐った妄想が苛立つ世界に立ち込めていくのである。ただ、このこと自体に驚きはしない。私は常々そうなのだから。自分に対する疑問が浮かび上がれば、自分に苛立ち、突飛のないある特定の妄想に耽って、さらに苛立つ。そのようなサイクルを延々と回すのだ。だから、今回の発作的妄想も何ら日常の他ならないのである。

 苛立ちと下らない妄想の中で悶々としていると、私は、いや、私を含む区切りを持たないある一集団は××駅前の大通りを横切る横断歩道の前に出て、社会の規範に則って立ち止まった。タクシーやバス、自家用車の流れの果ては見えず、ごった返しているこの光景はいつ見ても気疲れする。そして、不快感を覚えさせてくれる。今ならなおのこと不快感は覚えてしまう。苛立ちは悪い嗅覚を尖らせてしまうのだ。とはいえ、繁華街を抜けた後だから、鼻に着く臭いも蒸し暑さも減少した。おかげさまで私が感ずる心地悪さは、抜ける前と同程度である。しかし、繁華街を抜けてしまったということは、ここで目の前の男女のつがいと別れるということの表れでもある。すなわち、彼彼女らによって生じた疑問を解決することができないまま別れるということだ。

 ああ、なんという不幸だろう。どうか、私のこの疑問を、この苛立ちを、高揚感を消し去った暗がりの正体をお教えください。と、胸中で祈ったところで決まりきった行動が変わることはない。もしも、何か変わったことがあるとするのならば、二十分ほど前からジッと後ろを着けてきている私を通報することくらいだろう。もっとも、二人は二人の世界を楽しんでいたのだから私の期待? しているようなことにはならないはずである。そもそもあのマクドナルドから私の存在など認識していないのだから。

 夕方五時二十三分。

 歩行者用の信号は青に変わった。そして、私は人の流れに従って信号を渡ろうと一歩踏み出した。しかし、それが今までのように順調に進むことは無かった。


「好きだよ」


 目の前の彼が、彼女の手を固く握りしめ、彼女と目を合わせ、妙に熱っぽい声音で呟いかれた低い声が騒音を通り抜けて私に届いたのである。口の動きからしてそれは間違いなく彼が紡いだ言葉である。

 ああ、なるほど。

 彼の言葉を聞き、そして彼女の嬉しそうな顔を見た時、私は私が抱いた疑問の正体を見出した。

 ただ、同時に私は無性に死にたくなった。ひっそりと、いや、出来れば誰かに悲しんでもらえるような形の最期を熱望してしまったのである。そんな望みなど無いことを誰よりも知っているのにもかかわらず。


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寂しいひと 鍋谷葵 @dondon8989

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