第13話<冬華side>

「体調大丈夫?痒いの治った?」

「まだ少し痒いけど、さっき程じゃないよ。心配してくれてありがとね」


 パパの家からの帰り道、とぼとぼとあからさまに落ち込んで歩く綾瀬がいたたまれなくて、思わず声をかけてしまった。あんなに可愛い小雪をアレルギーのせいで触れないなんて可哀想すぎる。


「げ、元気出しなさいよ。小雪に触れないのは辛いだろうけど……。あ、そうだ。帰りに甘いものでも買って帰りましょ?」

「うぅ…。ありがとう冬華ちゃん」


 いつも元気で無駄にニコニコ笑顔を振りまいている綾瀬が落ち込んでいると、私まで陰鬱な気分になってきてしまう。だから綾瀬には、せめて私の前でくらいは笑っていて欲しいのだ。


「ねぇ冬華ちゃん」

「なにかしら」

「今日の夕飯はなにがいい?」


 有難いことに綾瀬は家での食事を全て取り仕切ってくれていて、こうしていつもリクエストを聞いてくれる。短い間ながらも綾瀬の手作りの料理を食べているうちに、完全に胃袋を掴まれてしまった。それ故綾瀬から買い物前にされる定番の質問に、毎度の事ながら色々と想像を巡らせてしまうようになった。


「んん……どうしよう」


 今まで食べさせて貰ってきたどの料理も全て等しく美味しくて、また同じものを食べたいと思いつつも、まだ食べたことの無い綾瀬の手料理も捨て難く思ってしまう。


「なんでもリクエストしてくれていいからね」

「…でも、落ち込んでる時くらいは外食とかでもいいのよ?」


 ついつい綾瀬からの質問に欲望のまま答えそうになってしまったが、今の綾瀬は小雪に触れないことで心底落ち込んでいる途中。普段から食事についてはおんぶにだっこの状態なのだし、今日くらいは楽してもらうべきだろう。


「いいよいいよ。私が作るから」

「でも…」

「私が作りたいの!……だって今日が手料理を振る舞える最後の日になるのかもしれないんだから…」


 そう言って目を伏せた綾瀬は見るからに気落ちしていて、続く言葉に私は首を傾げることになった。


「最後ってどういうこと?」

「それは……私が猫アレルギーとかになっちゃったせいで、小雪ちゃんと一緒に暮らせないわけじゃん…。だから、冬華ちゃんは小雪ちゃんと暮らすために今の同居解消だろうなって……」


 理由を口にしていくほどに目線も下がり、とぼとぼと歩いていた綾瀬はついには立ち止まってしまった。絶望的な状況に直面してしまったかのようにその目に光は無く、明日を生きる希望すらないと言いたげな様子だ。


「え、小雪に触れないから落ち込んでるんじゃないの?」

「それは確かに残念だったけど、私にとってはまたひとりぼっちの家になる方がずっと嫌だから…」


 力なく笑う綾瀬の姿は、誰とも仲良くできなくて泣いていた幼き日の自分と重なって、柄にもなく思わず抱きしめて励ましたくなってしまった。


「綾瀬…」

「ご、ごめんね!急に変なこと言っちゃって。別に今までだって一人で暮らしてたんだから、すぐに慣れるし大丈夫だよ。私のことは気にしないでいいからね」


 今の今まで落ち込んでいたはずの綾瀬は、突然ハッとしたように顔を上げて、下手くそな作り笑いを浮かべて歩き出した。


「私の事なんかよりも、冬華ちゃんは自分の心配しなきゃだよ。ついこないだ引っ越したばかりなのに、またお引越しの作業しなきゃとか大変だし、忙しいと体調崩しやすくなっちゃうからね!今日は体力つけるために沢山食べて貰わなきゃね」

「綾瀬止まって!」


 あからさまな空元気で、私の顔も見ようとしないまま歩く綾瀬の背中を眺めていて、ふと目の前の十字路に設置されているカーブミラーに車の影が写ったのが見えた。


「ふぉ?」


 慌てて綾瀬の腕を引っ張って、バランスを崩して背中から崩れ落ちそうになった綾瀬を背後から抱き留めた。


「全く…。ちゃんと前見て歩きなさいよ。危うく轢かれかけたじゃない」

「ご、ごめんなさい」


 私の腕の中で放心したままの綾瀬は何度も目をぱちぱちと瞬いていて、前方を走り去って行った車の方向を眺めていた。


「少しは落ち着いたかしら?」

「…え?」


 暫く経って、未だ私に抱えられたぬいぐるみ状態の綾瀬は、お腹にまわした私の腕をぺたぺたと触って、困惑した声を漏らした。


「なに、これ」


 私から綾瀬の顔は見れないが、目の前にある耳介が徐々に血色良く色づいていくのが分かる。


 少し前までなら綾瀬の立場なら好きな人に抱きしめられていて照れているのかもしれないなんて思っただろうけど、今となってはそんなことはありえない。おそらくは自分の不注意に気がついて、先程までの上の空だった自分を恥じているのかもしれない。


「も、もう離してくれて良いよ。助けてくれてありがとね!」


 少し前までの私ならすぐに離していたけど、綾瀬と同じように私も変わった。今の綾瀬の心情を聞かされて、はいそうですかと流す訳にはいかないのだ。


「ひとりぼっちにはさせないから」


 私は綾瀬に見放されて独りになるのが怖かった。どんな形であれ、高校生になってようやく出来た綾瀬明莉という繋がりを失いたくなくてつい先日まで枕を涙で濡らしたこともある。そんな孤独への恐怖は、私だけのものと思っていた。でも、実際はそんなことなくて、私にとっていちばん身近にいる女の子も、同じことを怖がっていたのだ。


「絶対に、綾瀬は独りになんかならない。勝手に同居解消とか言わないでよ。綾瀬が嫌になったなら別だけど、そうじゃないなら私は綾瀬と一緒に暮らしたいから」

「冬華ちゃんが、デレた…?」


 言葉にすることで自分の心も整理することが出来た。私は綾瀬と一緒に居たい。独りぼっちに戻りたくないというよりも、今ある繋がりを失いたくない。綾瀬を手離したくないというのが、私の本心らしかった。

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好きな人に彼氏がいたから自分磨きを頑張ります かんころもっちもち @kankoromotti

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