第4話 supplication〈後〉
イルクの背後、応接室の扉を開けて立っていたのは、魂を掻き消してしまうかのような美貌の少女だった。
星屑を零したような白金の髪に、薄紅の大きな瞳。ふっくりとした頬に細い顎、まだ十かそこらのあどけない顔立ちからは幼さが奪われ、大人びた表情をしている。
イルクはもちろん蘇芳でさえも目を見張って少女を見つめていた。
「あの……待って、どうか話を聞いてほしくて」
「テトラちゃん!? 寝ていなくちゃだめだとあれほど言っただろう?」
咄嗟に席をたった環波が少女の元に駆け寄り、細い肩を支えてやっている。
先ほどの狡猾で隙のない悪魔そのものといった態度からは想像のつかない優しい声色。純粋な気遣いがそこに表れていた。いつも鷹揚に構えているイルクが怪訝な顔になるほどに。
「神父様、ごめんなさい。でも、すこしなら……平気だから」
「しかし、まだ体力も回復していないだろう? 二階へ戻って眠ったほうがいい」
「いいの。それに、ぼくは神父様にこれ以上嘘を吐かせたくないから。だから、ぼくに悪魔の契約者としてお話をさせてください」
最後の一言は環波ではなく、蘇芳たちに向けられたものだった。
蘇芳は足を止めて少女の方に向き直る。イルクは再び椅子に座り直していた。
「ごめんなさい。神父様とのお話、こっそり聞いてしまっていたの。確かにぼくは造られた存在で、寿命も短い。それくらい、もう知っています」
間接的にでもこの少女に事実を突きつける形となっていたことを自覚し、蘇芳は舌打ちをした。
だが、眼前の少女の意志は強く、残酷な真実などに動じる様子は微塵もなかった。
「……なら、なんで契約した」
「ぼくは自分の力では到底敵わないような人たちに襲われていたから。あの場ではそうするしかなかったんです」
「お前が生き延びるには選択肢が他になかった、それはわかる。だが、そいつはその機会を利用したにすぎない」
「違うの。確かにぼくにはあの時選ぶ選択肢が他になかった。でも、そこに付け込まれたとは思っていない。悪魔は確かに多くの契約者とその魂を求めている。それも知ってる。けれど、同時に手にする魂の質――その気高さや尊さを重視していることもわかっている。ただ生きることに必死で……生きていたい、こわい、死にたくないって、それだけしかないちっぽけで貧しいぼくの魂に、このひとは価値を見出してくれた。だから、時が来ればぼくはこの魂を差し出してもいい。そう思っている。だから、打算も計算も含めて助けてくれた理由なんてどうだっていいの」
悪魔は尊く気高い魂をこよなく愛している。それは、その魂が欲望によって堕落する瞬間、その落下のエネルギーこそが彼らの最大の糧であるからだ。
そうして神への背神者がまた一人増えたと悪魔は嘯くのだ。
「慈悲の心だなんてそんなもの、我ちゃんたちは本来持ち合わせていないはずなんだけどにゃ〜?」
イルクは意味ありげに蘇芳に視線を送りつつ、そう宣う。それでもテトラは揺るがなかった。
「どっちだって関係ない。最後のときにこのひとがぼくを導いてくれるのなら、もうそれでいいの」
「……そうか」
蘇芳はそれだけ言った。
どの道、契約はすでに交わされている。それに約束を交わした二人の間に成立しているものがなんであれ、他人でしかない蘇芳たちが立ち入る理由など、これ以上は何もない。
「……テトラちゃんはおれを買い被りすぎだよ。さっき話していたことだって嘘なんか吐いていない。全部本音さ。おれはきみの魂が早く欲しいだけだ」
「そうね、神父様。そういうことにしておいてあげます」
無垢な笑みを浮かべるテトラに、環波は困ったように微笑みかけ、頭をぽんぽんと撫でてやっている。
「さぁ、今度こそベッドに戻って大人しくしておいで」
「まだだめなの。……もうひとつ、ぼくにはお願いがあるんです」
二階へ戻るよう諭す環波を抑え、テトラは蘇芳たちをまっすぐに見て告げた。
「蘇芳さん、イルクさん。どうか神父様に、いいえ、ぼくたちに協力してくれませんか?」
「テトラちゃん!?」
「協力? どういうことだ」
想定などしていなかったのだろう。驚く環波と、対照的に蘇芳は静かにテトラに視線を向けた。
「神父様はこの街で、ある人を探している。それがこの教会を選んで訪れた理由。そしてあなたがたも誰か――イルクさんの標的と言っていた悪魔を探している。さっきの会話からわかったことです」
「うーん、話をただ聞いていたってワケじゃないか〜。天使ちゃん、可愛い
テトラはイルクの言葉に遠慮がちに微笑む。そして話の続きを口にした。
「この街は広くはないけれど、とても複雑に入り組んでいる。地下に向かって奥深くにまでネットワークが形成されています。裏社会のことは、ぼくにも少しだけわかるから……。だから人を探すのなら、多少なりとも協力しあった方が有効です。それに土地柄、悪魔と悪魔憑きも多い。強い悪魔は他の悪魔をひきつける。集めた契約と魂を狙う他の悪魔の襲撃を受けることも多い。ですよね?」
「あっちゃ〜。こっちの状況はほとんどお見通しって感じ?」
「神父様もそうだから。契約して伝わってきたけれど、この教会にも魔術で何十にも封印が施されている。それは他の悪魔を寄せつけないため、でしょう?」
確かめるような視線を環波に向け、テトラが先を促している。
既に人間の姿に戻っていた環波は頭を押さえて天を仰いだ。
悪魔と契約した人間には、ある程度の感覚や情報――つまり記憶が共有されることもある。テトラはとりわけその感応能力が高いらしい。
「テトラちゃん……きみがそこまで考えていたなんて、正直なところ誤算だった。おれが思うより、きみはずっと強い子だったんだなァ。いい。とてもいいよ。それでこそ奪いがいがある」
環波はそうして壊れたように少しの間笑っていたが、やおら真面目な顔になって蘇芳たちに向き直った。
「協力――いや、共闘といった方がいいかな。これはおれからもお願いしたい。おれとイルクちゃん、互いの悪魔のことは幸か不幸かもう知れてる間柄だ。蘇芳くんとテトラちゃんにとっても悪魔憑き同士の結びつきは心強いものになるだろう。どうかな?」
互いの探す標的を見つけ出し、本懐を遂げる――。
確かに有益な申し出ではある。だが正体だけを晒したばかりの状態で相手を信用してもよいのだろうか?
そも、なんのための人探しなのか、肝心なところをまだ聞いていないし話してもいないのだ。
「……お前はなんのためにそいつを探してやがるんだ」
「ただもう一度会いたいから」
「女か」
「まあ、平たく言えばそういうことだねェ」
「神父で悪魔なのにぃ? 案外エモエモだったりしちゃう系?」
「おれにも色々事情があってねェ。そう、おれは昔の恋人を探している。で、そっちは? 標的ってことは――」
「そ、復讐だよん。復讐。
「人間のほうが悪魔の願いを叶えようとしているってこと? きみら、どうかしてるなァ」
「あんたらに言われたくないんだよ?」
イルクと環波は互いに挑発し合いながらも、意図を確かめ合ったようだった。テトラはそれをただ見守っている。
情報。そして戦力。確かにそれらは必要不可欠なものだ。
蘇芳はようやく首を縦に振った。
「……わかった。共闘する」
「我ちゃんは面白そうだからそれでオッケーだよん! よろしくね、テトラちゃん!」
「あ、よ、よろしく?」
「イルクって呼んでい〜よ!」
距離感のつめ方がどこか狂っているイルクがテトラを軽くハグして頬擦りしている。イルクに猫可愛がりされながら、テトラが蘇芳にも挨拶をした。
「それじゃあ、イルク……と、蘇芳さんもよろしくお願いします」
「よろしく頼む」
軽薄な態度を取るくせに絡んでこない環波は、どこか遠いものを見るような眼差しで彼らをみていたが、何かを感じ取ったのか、すぐに顔を上げた。
「――それじゃあ早速ですまないが、ひとつ教会周りの掃除を頼まれてくれないかなァ? おれらはともかく道中イルクちゃんの気配に釣られた低級妖魔が集まってきてやがるんでねェ」
環波が、にっ、と胡散臭く笑って手を伸べる。
「しゃあないねぇ〜。いっちょ暴れに行くっしょ、蘇芳ちゃん!」
「……面倒を押し付けられている気もするがな」
面倒臭いことこの上ないという態度で息をついて蘇芳が立ち上がり、イルクがそれに続いた。
妖魔を片づけ、互いの連絡先を交換すると、環波たちとは定期的に連絡を取り合う算段をつけ、その場は一旦解散となった。
§
「蘇芳ちゃん、お風呂開いたよん?」
湯気を纏い、タオルを肩にかけ、脱衣所からTシャツ一枚の姿で出てきたイルクが奥で書き物をしていた蘇芳に呼びかける。
「明日の発表用のレジュメが終わっていない。おれは後でいい」
自宅での勉強時には遠視用の眼鏡をかけている蘇芳がそっけない態度で応じる。
イルクが顔を出すと、蘇芳はいつも通りテーブルに向かっていた。
自宅での蘇芳は大抵トレーニングか論文執筆、もしくは読書に勤しんでいることが多い。この夜も同じように研究結果をまとめているようだった。
「ンなこと言ってぇ、もう二時半じゃぞい? そろそろ支度して寝たら〜?」
ぺたぺたと裸足で歩いてきたイルクが蘇芳と彼のノートパソコンを覗き込む。そこにはホムンクルスを用いた魔導科学分野の研究内容についての詳細がまとめられている。
「あんま根をつめてもよくないよん? ね、蘇芳ちゃん……」
蘇芳の広い背に腕を回し、背後からぎゅうと抱きしめる形で寄り添ったイルクが囁く。蘇芳はイルクを邪険にはせず、しかし作業の手は止めずに時折考え込みながら文字を打ち続けている。
「今日はいろいろあったねぇ」
「……そうか?」
「そうだって。我以外の悪魔とまともに話したの、久しぶりだったよ」
「……おれはおれ以外の悪魔憑きと初めて喋った」
「あは。そーなん? 平然としてっからぜんぜん気づかなかったにゃー」
イルクはさらに体を寄せ、余剰を埋めるように蘇芳の背に豊満な胸を押しつけた。そのままぐいぐいと体重をかけて蘇芳に凭れかかる。「重い」とだけ蘇芳は言った。
「あの悪魔神父は正直よー分からんかったけども……でも、戮神父とテトラちゃん、なんかいい感じだったよねぇ。いいなぁ、ああいうの。我ちゃんちょっと痺れて憧れちゃうなぁ」
「阿呆か。女絡みだとあいつは自分で言っていたろうが」
「んー?」
「……それで他の女を巻き込むのは無粋だ」
「まーた、硬派ァ。それともなになにぃ、テトラちゃんのこと気にしてる〜?」
「していない」
「嘘。顔に書いてあるよ。ああいう自分とおんなじ境遇の〜、健気でかわいー子が好きだってぇ〜?」
「惚れてない」
湯上がりのしっとりとした肌をぴたりと合わせ、イルクは蘇芳の首筋に唇をあてがい、そのまま耳許に寄せた。しなやかで細い手指が蘇芳の腰を撫で上げる。髪と肌の甘やかな匂いが蘇芳の鼻をくすぐった。
「じゃあ、さ、シて。今日は我に一日中いっぱい魔力を使わせたでしょ? 我ちゃん、疲れちゃったよ。だから今度は蘇芳ちゃんが頑張る番だよ〜」
「……しない。寝床に魔力回復用の陣を張ってやっただろう。疲れたのなら早く寝ろ」
「え〜! 蘇芳ちゃんのドケチ〜! 悪魔にとっては憑いた相手の精気がいっちばんよく効くんだからさぁ? ね、お願ぁい! 先っちょだけ! 先っちょだけだからぁ!」
「阿呆みたいな定型句を吐くな。もう寝ろよ」
「むぅ。じゃあおやすみのちゅーして。じゃなきゃ寝ない。このまま夜中ずっと邪魔しちゃうんだから」
蘇芳に被さったままイルクが軽く暴れた。イルクが跳ねる度に柔らかな乳が蘇芳の背中にきつく押し当てられた。
蘇芳はため息をつくとPCから手を離し、振り向きざまにイルクの唇を奪った。
きつく、深く口付け、舌を絡ませるように口内をぐるりと撫ぜる。それだけでイルクの体から力が抜けたのが伝わってきた。
唾液を捏ね、嚥下を促すように唇を塞いでやれば、イルクがおそるおそるそれを飲み下す。
空いた手でイルクの胸を荒く愛撫しながら、蘇芳は緩んだ下肢の間に膝を割り入れ、手近な床に少女を押し倒した。
「……ぷ、はッ。ちょ、たんま……あッ…待ってよ、蘇芳ちゃん……」
「待て? 誘ってきたのはお前の方だろう」
酷薄な笑みを浮かべて、首筋を弄ぶように嬲れば、イルクが身を捩って半ば本気で抵抗をした。
「や、だっ。だめ、ダメだって! やっぱ嘘っ! さっきのはただの冗談で――」
「おれを揶揄っておいて、それで済むと思うか?」
言葉を突きつけられたイルクが恐怖と情欲が綯交ぜになった表情で唇を噛む。イルクは蘇芳から視線を逸らすと、小さく首を振ってみせた。了承の合図というには弱々しく、頼りのない仕草だった。
蘇芳は今度こそ深くため息をつくと、イルクから体を離し、起き上がった。
「……冗談だ」
そっくりそう言い返してやれば、イルクは呆然としながらも自分自身を抱きしめるように体に腕を回し、ごろりと横に転がって背中を向けた。
白くまろやかな尻を隠せていない姿が蘇芳にとってはどうにも可愛らしかった。
「……蘇芳ちゃん。いっつも、ごめんね」
やがてイルクが消え入りそうな声でぽつりと言った。語尾が震えているのを隠しきれていない。自分自身を抱きしめているのも震えを隠すためなのだろう。
「べつにいい。もう寝とけ。明日も早い」
「……そうするよ」
緩慢な動作で立ち上がったイルクが立ち止まり、踵を返して蘇芳の傍に再び――今度はそっと、遠慮がちに近づく。
「おやすみ、蘇芳ちゃん」
イルクはおずおずと控えめに告げて、蘇芳の頬に触れるだけのキスをくれた。
そのまま今度こそ寝室へ引き上げていく。
「臍を出して寝るなよ。風邪でもひかれたらさすがに笑えない」
そう言ってやると「出さないもん、ばかー」という声が返ってきた。
蘇芳は少し安堵したように肩をすくめ、テーブルに広げた実験データの取りまとめへと戻っていった。
〈続く〉
デビルズ・ラック・ストラック・ミー 津島修嗣 @QQQ
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