ハードモードだった俺の人生は、どうやらインフェルノモードに突入したらしい

しろとらだんちょー

第1話 拝啓、人生、敬具

逆月さかつきはじめ。25歳、男。

今まで生きてきた中で取り分け何かを成した訳じゃないが、そんな俺でも一つだけ確実に語れるものがある。それは『人生』についてだ。高々、25年。薄っぺらい言葉じゃ語れない事くらい分かってる。


でも聞いて欲しいんだよ。俺が〝こんな風〟になった理由を。



―――『人生』ってのはクソだ。


まず夢は叶わない。

昔は確か、警察官になりたかったんだっけな。どこかのテレビ番組で特集を見て、犯罪者にも臆さずすぐに捕まえる姿に憧れたんだよ。でも結局、夢は夢のまま終わった。引くぐらいブラックなのを知って諦めたってのもある。だけど、それまではちゃんと志してたんだよ。筋トレとか、法律とかもおまけで学んでた。


けど、努力は報われない。

下を見れば這い上がろうとしてくる奴らがうじゃうじゃいて、上を見ればまだ勢いを止めてない奴らが山程いる。俺はまさにその中間にいた。良く出来た人間なら、ここで『心燃やして頑張る』事が出来るんだろうけどな。いつまで経っても上がらない成績を抱えてた俺にとっては、到底無理な事だった。


そんでもって、人には恵まれない。

警察官を目指している奴は、全員正義感ってのを持ってると思ってた。でも現実は違う。蹴落とす為の暴力や嘘なんてのは当たり前で、一度その標的にされちまえばクソ共が蝿みたいに寄ってたかってくる。しかもその標的は俺ときたもんだ。何度も抵抗を試みたが、数の力には抗えなかった。そんな奴らがちゃんと今働いてるってのを想像すると、いつもの吐き気と嫌悪感は二割増しになる。


最後に、生まれが全てだ。

親父はアル中で無職でDV野郎。お袋はデパートの雇われ店員で虚弱で馬鹿。学校に通う為の金も全部バイトで俺が稼いだ。稼いだ金の半分は親父にブン取られたけどな。笑えるだろ? 俺と同じ年の奴は皆、スマホを持ってたんだとよ。週に一回は外食して、休みの日には旅行なんかも行ったりして、そんな団欒がなくても母親は飯を作って、父親は仕事に行ってたんだとよ。そりゃあ俺も同じくクソになるわな。トンビが鷹を生む筈ないんだから。


挙げ出したらキリがない。

そのくらい『人生』ってのはクソだ。だけど他の奴らの人生はクソじゃないらしい。だから余計にやり切れない。今テレビに明るく映ってる何とかってアイドルも、心底羨ましいような家庭で育ってきたんだろうな。


「……ッチ! おい、ババァ!! 飯まだかよ!!」


静まらないイライラも収まらない鬱も空腹のせいにして、下の階にいるお袋に罵声を飛ばす。感覚的に言えば左程腹は減ってない。多分進まない箸も、お袋のせいにしちまうんだろうな。あぁ、自分でも分かり過ぎるぐらい俺はクソでクズだ。他人のせいに出来る範疇なんかとうの昔に超過してる。だけどこうして俺のクソさに理由付けしなきゃ、この人生にしがみ付き続ける事が出来なくなる。


じゃあ、しがみ付く理由は何だ?

親父に復讐する機会なんて一生来ない。もう何年も前に心筋梗塞で死んだ。夢を叶えるために返り咲く事も、今後一切ないと断言出来る。じゃあ、何だよ。


―――ずっと昔に見た、お袋が泣く姿。―――

―――殴られたからじゃない。自らを省みた訳でもない。―――

―――ただ、俺が一度家出をしただけだ。―――

―――専門学校に寮があるって分かった時も、すげぇ泣いてたっけな。―――


「……ほんと、クソほどくだらねぇ」


足元にあったクッションを強く遠くに蹴り飛ばすと、テレビを消してベッドに倒れ込む。


「あーあ! 変わんねぇかなー、世界!」


つい数分前に飯を頼んだ事も忘れて、俺はゆっくりと瞼を閉じる。

別に俺に都合の良い世界じゃなくなっていい。ただ、全てをリセットして欲しい。しがらみとか、バカバカしい社会通念とか、常識とか。そうなったら俺もきっと、望む以上に輝ける筈だから。お袋の喜ぶ姿も、鬱陶しいほど見れる筈だから。


「……なんてな」


世界が変わったって、俺が変われる訳じゃないのに。

そう思い直して、俺は都合の良い夢が見れるように願って微睡みに身を委ねた。


◇◇◇


「あー……今、何時だ?」


部屋にある時計の目覚まし機能は基本飾りだ。朝早く起きなきゃいけない理由もないし、時間に縛られる約束もしない。ただ目を横にやるだけで時間が分かるから置いているだけ。俺はそれで時間を確認する。そこには、意外な数字が示されていた。


「8時……?」


俺にしちゃ随分と珍しい時間に起きたもんだ。

普段なら夕方から夜にかけて起きる。オンラインとか流行りのゲームを夜通しやってるからな。カーテンの隙間から差す僅かな光が、どれだけ新鮮味の溢れたものに見えたか。だけどその光も、すぐさま邪魔に感じてしまう。光過敏か何かだな。


「へっぶしょい! くそ、暗闇族にはきついぜ……」


光を見てくしゃみをするのは、何らかの体の反射だった気がする。木漏れ日程度の光で起こしてたら世話ないけどな。しかし、ティッシュもカーテンも遠い。今すぐにでも超能力に目覚めたら楽なのになぁ。なんてな、馬鹿な事考えてないでさっさと起きて――


〝ズッ〟

「……あ?」


今、ティッシュがこっち側に寄らなかったか? カーテンも僅かに動いた気がする。

まぁ、すぐには頭も起きないだろうしな。きっとまだ寝ぼけてんだろ。


「やべ、鼻水。ティッシュ……」


〝ズッ〟

「は?」


いや、今明らかにティッシュが動いた。何だ、下にゴキブリでも潜んでんのか? だとしたら最悪だ。俺の部屋には殺虫剤なんて物はない。ついでに言えば新聞紙もねぇ。かといって、素手を選択肢に入れるほど馬鹿でもない。いや、馬鹿だけどよ。でも素手は流石に嫌だ。


「どうすっかな……とりまカーテンを閉めて……」


〝ズズッ〟

「あぁ!?」


何で急にカーテンが閉まるんだよ。ゴキブリってこんな器用だったか? つーかゴキブリじゃねぇだろ。何でゴキブリ如きが俺の意思を汲み取れるんだ。明らかに別の要因だ。でもそれらしいものは思いつかない。一か八か開いてみるか? 何か見つかるかも……


〝シャッ!〟

「ぐおっ!? 眩しいっ!!」


今度は何で開くんだよ!!

おかしい。何かおかしいぞ。これじゃまるで本当に超能力に目覚めたみたい……


「……いや、まさかな? そんな訳ないよな……?」


思考に過った夢物語が否定しきれず、試しにティッシュを浮かせてみる。

手も足も道具も使わず、ましてや『浮かせる』だなんて。寝起きじゃなけりゃ、バカバカしくてやってられない事だ。だって短絡的だろ? もっと他の要因を探すべきだ。ゴキブリの以外の……蜘蛛とかな。でけぇ蜘蛛ならカーテンを開く事が出来るかもだし、何なら科学現象も視野に入れた方が良い。俺が知らない事なんて腐る程あるからな。それに、別にカーテンが開く事自体も、なんでもない事だ。


さぁ、こんなバカバカしい事に時間をかけてないで、さっさと鼻水をかもう――


「―――うっそだろ」


ティッシュ箱はふわふわと浮いていた。

体のどこかでそれを支えているような感覚がある。だけど、俺は指一本も触れちゃいない。正真正銘、俺が目の前のティッシュ箱を浮かせていた。


「はは、ははは……んだよ、これ……」


まだ夢でも見てるんだろうか?

明晰夢、それもかなり鮮明に感じるタイプだ。まぁまぁ無理矢理な解釈だが、それ以外考えられねぇ。確かめる為に、一発。続いて二発と頬を叩く。


「ってぇ……」


打撃はちゃんと脳まで響いて、皮膚にだってヒリヒリとした余韻を残した。

強めにやった証拠だ。なのに効いてねぇ。これだけ痛みを感じていて、夢だなんて言える訳ない。まごう事なく現実だ。俺が、俺の力でティッシュ箱を浮かせている。


カーテンの開閉だって思いのままだ。

光がいい加減眩しいから閉めるだけにしておくけどな。


「マジで本物だ……これでテレビにも出れんじゃねぇのか?」


と思ったが、ふと考え直す。

人智を超えた力なのは明白だ。これは疑いようもない。ただ、正直言ってしまえばかなりしょぼい。超能力と胸を張っておきながら、実際起こせる事象は矮小そのもの。Mr.マ〇ックならこれ以上の事をするだろう。だったら、少しくらい鍛えた方が良いんじゃないか?


「メディア進出はもうちょい後だな……今は見栄えを良くしねぇと」


内側からふつふつと湧き上がってくる、失われていた野心のようなもの。万能感に似たそれが俺の全てを満たして、今は何だか最高に気持ちが良い。きっと、今なら何だって出来る。諦めた夢の何倍も大きな事を、成し遂げられる気がしてならなねぇんだ。


「お袋にも見せてやるか」


日頃からストレスをぶつけておきながら、結局一番に想ってるのはお袋だ。マザコンだなんて言ってくれるなよ? 俺はただ苦しみも喜びも、等しく分かち合いたいだけなんだ。もし真っ当に成長していたら、その分喜びの方を多く分かち合ってただろうよ。なんて、たられば言ったってしょうがない。今はただ特別な力に目覚めた事の喜びを、お袋に伝えなきゃな。


「――――何だ?」


そう思って自室の扉を開けた矢先。

俺は大きな違和感に包まれた。


「臭ぇ……」


鼻孔を通り抜ける、不快な鉄の臭い。

表情があからさまに歪み、胃の内容物が微かに込み上げる。


「料理でも失敗したのかよ」


足を一歩踏み出して、階下の様子を見る。

踊り場、一階の床は共に清潔のままだ。


「おえっ、マジで何なんだよこの臭い……」


形容し難い不快感が再度上がってくる。

それほどまでに強く、濃い。事態を重く見た俺の体は、緊張からか唾液を多く分泌し出す。手足も微弱だが震えを見せ始めた。先程までの万能感を忘れさせるように、脳内で危険信号がけたたましく鳴り響いている。


一歩、また一歩。

踏み締めながら階段を降りていく。

ここに来て古さが目立ったのか、やけにギシギシと軋んでいる気がする。


「おい? お袋……?」


心臓が激しいくらい俺の体を打ち付ける。

こんな息苦しさを感じたのはいつぶりだろうか。久しく、確かめるように呼吸をする。一呼吸吞む度に体を動かし、徐々にリビングへと向かっていく。いつも通り笑いかけるお袋の姿がそこにあると信じて、異臭が濃く漂う廊下を一心不乱に進んだ。


先に、ふすま一枚。


この向こう側にリビングがある。

玄関の他に開けたくない扉が存在するなんて、思いもしなかった。


「(大丈夫だ、きっと、何かの勘違いだ……そうだろ?)」


俺の勘は外れる。

目の前で親父が倒れた時だって、次の日には何食わぬ顔で帰ってくるもんだと思ってた。だから俺の考えってのは、俺が思う以上に浅はかで、当然のように外れるもんなんだ。


だから、開けろ。俺。

見なきゃ分かんねぇだろ。


そう強く思い直して、力の入らない手を窪みに当てがって、横に引いた。




瞬間。




「うゔ……ッ!!」


堪え切れなくなった感情が床にぶちまけられる。

蛆や蝿もたかっていない、赤く鮮明なままの物体。異常なまでの不快感を醸し出すが何であるか、数秒とかからず理解した。びちゃびちゃと穢れていく音がして、吐瀉物が特有の臭いを発する中でも、それの存在が薄れる事は無い。俺の頭は明瞭にそれを形取り、認識し続ける。





は、誰よりも蔑ろにし、誰よりも尊ぶべき人。










何者かによって無惨にお袋の死体だった。

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