寺の隣に鬼が棲む

三鹿ショート

寺の隣に鬼が棲む

 自分でも気が付いていなかったようだが、どうやら私は、幸福な人生を送っていたらしい。

 特段の事件に遭遇することもなく、つまらぬ日常を過ごしていたことに不満を抱いていたのだが、私は間違っていたのだ。


***


 道端に傷だらけの人間が倒れているという光景は、珍しくない。

 そして、その人間の衣嚢から財布を盗んでいく人間の姿も、見慣れたものである。

 初めてその光景を目にした際、盗人を捕らえようとした私のことを、彼女は止めた。

 無言で首を横に振っている彼女に何故かと問うと、

「あなたの行動は、褒められるような素晴らしいものですが、この場所においては、そのように考える人間は存在していません。誰もが己の好き勝手に生きているのです」

 彼女が指差した先では、盗人が別の人間に襲われ、奪った財布をさらに奪われていた。

 つまり、この場所は、弱肉強食の世界ということなのだろうか。

 私の言葉に、彼女は首肯を返した。

 彼女いわく、この場所において、無傷で成長することが出来る人間など、存在しないらしい。

 彼女もまた、何者かによってその肉体を陵辱されたことがあったようだが、後日、彼女は自分自身で相手に報復したということだった。

 何故これほどまでに物騒な土地から出ていかないのかと訊ねると、その答えは単純なものだった。

「この場所では、自分の欲望のままに生きることが出来るためです」

 確かに、他の土地において同様の行為に及んだ場合、即座に制服姿の人間たちが駆けつけてくる。

 だが、この場所では、彼らはほとんど仕事をしていなかった。

 しかし、それは怠惰によるものではない。

 悪行の数があまりにも多いために、仕事を放棄せざるをえないためなのだ。

 一人が捕らえられたとしても、五人は野放しといった状況なのである。

 ゆえに、その五人は、好き勝手に過ごすことが可能と化すというわけだった。

 では、彼女は何を望んでいるのだろうか。

 その問いに、彼女は人差し指を己の唇に当てるばかりで、何も答えなかった。


***


 全員が全員、悪人というわけではない。

 普段はそのように過ごしているのだろうが、自身の愛している人間が傷つけられた場合、その報復のために動くことがある。

 日常生活や報復の手段を思えば、誰かのために動いたとしても、悪事が帳消しと化すわけではない。

 だが、そのような思考を抱くことがあるのならば、彼らには救いがある。

 その部分を強くすればするほどに、善人としての側面が顔を出すのではないだろうか。

 そのことを彼女に伝えると、彼女は小さく息を吐いた。

「一度でも染まってしまった場合、どれほど綺麗にしようとも、汚れが完全に消えることはありません。善人としての生き方に魅力を感じたとしても、過去の行いを思い出す度に苦しむことになるのならば、生き方を変えない方が良いでしょう」

 この土地で生き続けてきたことを思えば、彼女は他者の言葉も代弁しているということになるのだろう。

 しかし、私は諦めることができなかった。

 何故なら、この土地で平穏に生活することができないのならば、彼女もまた、常に危険と隣り合わせだからである。

 彼女に対しては恋愛感情を抱いていないが、大事な友人だった。

 その友人の安全を思うことは、当然のことではないか。


***


 それから私は、毎晩のように行動することにした。

 変装し、悪事を働いた人間に鉄槌を下すと、

「同じような行為に及んだ場合、次は生命を失うと思うが良い」

 そう告げ、その場を後にする。

 多対一では分が悪いために、単独正犯のみを標的とすることにした。

 しばらくは話題にもならなかったが、めげることなく同じ行為を続けたところ、やがて私の存在が人々の間で語られるようになった。

 そして、その行動に賛同するかのように、私と同じような行為に及ぶ人間が姿を現すようになった。

 中には集団で悪事に立ち向かう人々も現われるようになり、私の行動が無意味ではなかったことが証明された。

 これで、この土地の治安が良くなれば、これほど嬉しいことはない。


***


 ある日、駅前に人集りが出来ていた。

 近くに立っていた人間に何事かと問うたところ、どうやら見せしめとして、悪事を働いた男女が磔にされているとのことだった。

 磔にされている人間がどのような顔をしているのかを見るべく、私は人混みをかき分け、進んでいく。

 其処で私は、磔にされている人間の中に、彼女が存在していることに気が付いた。

 呆然とする私の横で、人々が会話をしていた。

「あの二人は、恋人関係にあるらしい。女性はわざと異性を誘惑するような格好で夜道を歩き、襲われると、男性と共に報復へと向かっていたようだ」

「聞いたところによると、女性はかつて、本当に襲われたことがあったらしい。そのときの報復があまりにも愉しかったことが影響し、同じような行為を繰り返すようになったのではないだろうか」

「大人しそうな顔をしているが、人間というものは分からないものだ」

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寺の隣に鬼が棲む 三鹿ショート @mijikashort

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