夕焼け

島尾

理論的な夕焼け(改)

 夕焼け(朝焼け)は、太陽と観測者の間の「大気の存在する距離」が日中と比べて長くなることによって、散乱を受けにくい赤色が届くことによって起こる。一方で、日中には波長が短い青が観測者のほうに散乱されることにより、空全体が青く見える。


 レイリー散乱と呼ばれる。

 

 トムソン散乱の全散乱断面積σ_Tは、散乱強度に相当し、


 σ_T ∝ (入射光の振動数)^4


と、相当に青が散乱されやすいと分かる。


 しかし、これが青空と夕焼けの説明というのは、納得いかない。





 青空を見たとき、私はときどき、心が晴れる。謎の希望が湧いてくることや、青色を手に入れたいと欲することも、たまにある。

 夕焼けもまた、心が晴れる。それはきっと、空が青いという常識を打ち破っているのに加えて、太陽が一日の終わりを告げている際の声だから、だと思う。


 


 でも冷静になれば、光という電磁波の一種が散乱という物理現象を起こしているにすぎない。空の色は、心の色でもなければ太陽の声でもなく、単に光の散乱なのだ。


 当時はその発見が、素晴らしい偉業だったのかもしれない。

 しかし現代、このストレス社会において、その発見は「知らぬが仏」という一面がありはしまいか。空は空のままで良かったし、夕焼けは夕焼けのままで良かったような気がする。空の色は光の散乱という物理現象が決めた結果、という無機質な事実は、なんにも私のストレスを和らげてくれないし、決して私を感動させもしない。短い数式で空の色が片付けられたことに、小さな悲しみさえ覚えている。


 現代の日本は、ほとんどの人が科学を信じる時代だ。それはもう簡単に戻せないところまで来ている。いろいろな神秘が科学の目によって解明されるということは、言い換えれば、いろいろな神秘が尋常ならざる速さで常識に変わってゆくということだ。いくら神秘の数が膨大だからといって、「人間が直感で感じ取れる神秘の数」はきっと限りがある。その意味で、科学で自然を記述することは、身近にあって毎日見たり聞いたりできる特異な神秘を、単なる科学的常識に堕落せしめた。これは法律で裁くことのできない名も無き罪に当たる、と、私はひそかに思っている。

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夕焼け 島尾 @shimaoshimao

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