第11話 正体はやっぱり秘密のままの逃亡中の銀公主

「朱亞には、これからずっと俺の隣にいて欲しい。それだけで力が湧いてくるからな。なんなら、朱亞はあの力を使わなくたっていい」


 それでも、憂炎が殺されない未来はあまり見えない。

 あるとすれば、董太妃の罪を明るみにした場合だ。


「そういえば昨夜の宦官はどうなりましたか?」


「今朝、首を吊っていたよ。遺書もあったが──」


 つまり、董太妃に口封じのために消されたというわけである。

 そしてそれを告発するだけの力が、今の憂炎にはない。皇帝でもあるにもかかわらずにだ。


「それも、俺が成人すれば変わる。あと二年後、俺が成人することができれば、中立派の貴族たちがいっせいにこちらにつくはずだ」


 そうなれば、形勢は逆転すると憂炎は言う。  

 成人して正式に皇帝になることができれば、董太妃派を追放することができる。

 それまでなんとか生き延びなければならない。


「俺が成人するまででいい。どうか力を貸してはくれないか?」


 差し出された手を、朱亞は静かに見つめ返す。


「断れば?」


「……そういえば逃亡中の銀龍国の銀公主だが、見つけた者には董太妃が褒美を出すそうだ」


「董太妃が?」


「ああ。董太妃は銀龍国のことが嫌いらしく、王族は見つけ次第、例外なく車裂きの刑で処刑するらしい。銀公主もそうなるだろう。可哀そうなものだ」


「そ、そうですね……」


「だが、川の魚が気絶するほど美しいという銀公主が裂かれて死ぬのはできれば見たくない。そうは思わないか?」


「も、もちろんでございます……」


「話がそれたな。それでもしも、俺が成人するまで生き伸びることができ、董太妃たちを失脚することができれば、どんな願いであろうと一つだけ朱亞の望みを叶えてやろう


(これって、もしかして私の正体がバレてる?)


 いや、そうとも限らない。

 朱亞は銀龍国の民であり、銀公主と同じで先祖返りをしている。

 哀れな銀公主をしのんで、力を貸して欲しいという意味かもしれない。


 もしくは、皇帝の言葉があれば朱亞を偽りの銀公主としていつでも処刑できるのだから、嫌なら黙って協力しろという線だろうか。


(うん、絶対にこっちね。だって憂炎、実は腹黒そうだし)


 となると、朱亞が生き延びるためには憂炎の手を握り返すしか道はない。

 それでも、一つだけ尋ねたいことがあった。


「憂炎さまが即位されたのは、いつですか?」


「半年前だ」


 銀龍国が金鸞国に滅ぼされたのは、ちょうど一年前。

 つまり憂炎ではなく、前皇帝の命令ということになる。

 

 なら、憂炎は銀龍国を滅亡を指示した張本人ではない。


(それなら、別にいいか……)


 たとえ憂炎の父親が命令したとしても、憂炎とは関係ない。

 そう思うことにした。


「それで、朱亞の返答は?」


褒美ほうびとして、我が祖国の姫である銀公主の恩赦おんしゃを頂戴できれば、亡国の民としてこれ以上嬉しいことはございません」


「そうか、銀公主の命を所望しょもうするか。俺も個人的に銀公主には生きていて欲しいからな。約束が成就じょうじゅされた際にはその願い、叶えてやろう」


「ありがたき幸せでございます」


 朱亞は憂炎の手を握る。

 池で助けたときとは違って、温かい人肌を感じることができた。


「つまり、今日から俺たちは共犯者というわけだ」


 池での密漁の共犯者の次は、随分と大きな目的になったものだ。

 それでも、後悔はない。

 こうなってしまった以上、朱亞が生き延びるにはこれしかもう道は残されてはいないのだから。


「その髪、もう染めるのはやめにしないか?」


「先祖狩りだと、嫌われてしまいます」


「この国でそんなことを思う者はいない。それに、朱亞は本当に銀公主のように美しい」


「川魚を溺れさせるほど自分のことが美しいとは、思ったことは一度もございません」


「そうでもないぞ。俺は一度、銀公主と会ったことがある」


「…………え?」


「もしも俺が川を泳いでいれば、見惚れて溺れてしまったかもしれない」


 顔が熱くてたまらない。

 そんなことを真正面から言われたら、かの銀公主とはいえ恥ずかしくないはずがないのだ。

 それでも、このままやられたまま終わるつもりは朱亞にはなかった。

 元公主として、最良の笑みを浮かべる。

 

「では溺れた陛下を、妻である私が引き上げましょう。昨夜のように」


 恥ずかしいところを見たのは、憂炎だけではないのだぞと牽制けんせいしておく。

 意識のない憂炎を助けたのは朱亞だ。

 私はお前の命の恩人でもあるんだぞと、胸を張る。


「そういえば昨夜、妻が口づけをしてきてな。初心うぶなやつで、今のように顔を真っ赤にしていた」


(ウソ……あの時、憂炎は気絶していたんじゃなかったの!?)


「……もしやそれは、人命救助ではないですか? 我が祖国、銀龍国に伝わる、溺れた者を助けるための秘技なのですよ」


 目と目が合ったまま、憂炎の顔がゆっくりと近づいてくる。

 まるで、恋人同士のように距離が縮んでいいった。


「知ってたか。俺たち実は夫婦なんだ」


「し、知りませんでした……」


 妻であると自称したばかりなのに、朱亞はそんなことを言ってしまった。


「だからこの指輪は、朱亞につけていて欲しい」


 朱亞の右手の薬指にはめられていた指輪を、憂炎がゆっくりと外す。

 そして、朱亞の左手の薬指にはめ直した。

 その意味を知らない元公主ではない。


「いけません。きちんと返しますから」


「いいんだ……それは朱亞にあげたものだ。好きにしてくれていい」


 憂炎のお母さまである杜太妃の形見の指輪。

 そういえば、憂炎は『杜憂炎』と偽名を名乗っていたけど、本当の姓をまだ聞いていない。私たち夫婦になったのにと、朱亞は頬を膨らませる。


「よろしければ、憂炎さまの本当の名前を教えてくれませんか?」


「憂炎は偽名ではない。本名だ」


「姓は?」


ジン


 やっぱり姓は偽名だったじゃんと、朱亞は息を吸う。

 つまり新しく夫となったこの男の名前は、ジン憂炎ユーエン

 金鸞国の皇帝らしい名前だ。


「せっかくだ。俺の妻の名前をもう一度教えて欲しい」


「……朱亞です」


「元の姓は?」


「……………………シュウ、ですよ。ご存知ですよね。恥ずかしいから、もう言わせないでください」


 この場で姓を『イン』と打ち明けることもできた。

 それでも、そんな勇気は、今の朱亞にはまだなかった。


 公的には、朱亞と憂炎はたしかに夫婦である。

 だけど、恋人というわけではない。

 密漁仲間、焼き魚好きの友人、というのが良いところだろう。

 だから、自分の命に等しい公主という正体を、打ち明けることはできない。


(それでも夫婦になったんだから、やっぱりそういうことは避けて通れないってことなのね)


 まるで新婚の夫婦のように、憂炎は朱亞の体を抱き寄せる。

 このあと、何かをしようと狙っているかのようだった。


 憂炎は夫とはいえ、朱亞の仇の一族なのには変わりない。

 そんな男と、人命救助以外に口づけをする。

 そんなこと、あっていいのだろうか。


「綺麗だよ、朱亞」


 あごをくいっと持ち上げられる。

 もう逃げられない……!


「まさか陛下、私の唇を奪うおつもりですか?」


「二人きりのときは憂炎と呼べ。俺とお前は、そういう仲であっただろう?」


「それは、そうなんですけど……あっ! ご存知ですか、口づけのことを遠い西方の諸国ではキスというらしいです。それで東の海にはキスという魚がいるらしいですよ。いつか食べてみたいです」


 なんとか話をそらそうとするが それも限界だった。

 彼の顔は目と鼻の先まで接近していた。

 少しでも朱亞が体を傾ければ、お互いの唇が触れてしまうくらいの近さ。

 

(もうダメ……!)


 憂炎の顔が、朱亞と重なる。

 その瞬間、そのままバタリと朱亞と憂炎の体が床に倒れる。


(押し倒された!? ということは、つまりこれから初夜を……)


 皇帝が妃の宮を訪れるというのは、つまりそういうことだ。

 万事休す。

 ご先祖様、どうかお許しください。

 私は祖国を滅ぼした敵国の皇帝の一族に、このささげます。



「……………………あれ?」



 いくら待っても、憂炎が動かない。

 というか、なぜか朱亞の隣でうつ伏せになって倒れたままになっていた。


「もしかしてこれ、寝息?」


 信じられないことに、憂炎は眠っていた。

 しかも、ぐっすりと。

 いくら体をゆららしても、起きる気配がない。


「……まあ、良しとしましょうか」


 襲われずに済んだことで、指の震えは完全に止まっていた。

 それは命が助かったうえにこの身が清いままで済んだからなのか、それとも期待が裏切られたからなのか。


「こんな大事な場面で寝てしまうほど、お疲れだったのかな」


 憂炎はこの数日、暗殺を警戒して一睡もしていなかったようだった。

 妃はたくさんいるのに、その誰にも頼らずに、こうして朱亞の横ですやすやと寝ている。


(私の隣でなら、安心して眠れると思ったのかな)と、彼の金色の髪をかき分ける。

 悪い気はしない。


 そういえば十年前、銀龍国に使節として訪れていた金鸞国の皇子を見かけてたことを思い出す。

 彼は人質として数年の間、銀龍国に滞在していたらしい。

 たしかあの時の少年の髪は、金色ではなかっただろうか。


(まさか、また会えるなんて……)


 思い出の中の少年の顔を頭に浮かべながら、目の前の幼馴染の頭を撫でる。


 

 朱亞と憂炎の周りは敵だらけ。

 気を抜けば、二人そろって暗殺されてしまうだろう。

 

 それだけでなく、自分の正体が銀公主だとバレれば、その時点で捕まって処刑されてしまう。

 逃亡中の公主を捕まえたことを手柄てがらにされて、憂炎に裏切られる可能性だってある。


 そうならずに生きて後宮から出るためには、憂炎が成人して一人前の皇帝として認められるまで、守らなければならない。


(そのために、私はこの後宮で朱徳妃として生きるんだ!)


 亡国の銀公主としての立場を隠しながら、今度は皇帝の妃として生きよう。

 朱亞の、第二の人生が始まったのだ。



 それでも、今夜だけは物騒なことを考えるのはやめよう。

 銀公主の逃亡生活は、まだ終わってはいない。

 敵国の皇帝の妃となって、どこまでも逃げてみせる。


(そのために、あなたの力を借りますよ)


 だから、今夜はゆっくりと休んでくださいね。

 そして明日からは、一緒に戦いましょう。

 

 それと晩御飯は、焼き魚がいいな。塩をたっぷりとまぶしたやつ。

 皇帝のお墨付きだから、もう密漁ではないですよね。


 それでも、朱亞の胸の中には、気になる言葉が残っていた。


(私の正体が逃亡中の銀公主だとわかったら、憂炎は私を殺しますか?)


 それを尋ねたとき、朱亞の命は終わりを迎えるかもしれない。

 もしくは、そうならない未来も考えられる。 


(それとも本当は、私の正体が、銀公主だと知っているんですか? だから私を徳妃にしたのでは?)


 気になるけど、この疑問は夢の中で尋ねることにしましょう。

 実際に憂炎に尋ねるのは簡単だけど、怖くてそんなことはできない。

 でも、夢でなら怖くないから。


 それに夢の中でくらい、本当の自分をさらけ出したい。

 本来の自分である、銀公主として。



 だから代わりの言葉を、朱亞は共犯者である夫に優しくささやく。



「憂炎、おやすみなさい。良い夢を」





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お読みいただきありがとうございます。

こちらの小説は中編コンテストの参加作品になりまして、規定期間内の更新期日を過ぎたので、いったんここで更新をお休みさせていただきます。


様子を見てまた更新を再開しようと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします!

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後宮の亡国公主 ~後宮の池で密漁をしていたら皇帝に見つかったうえに妃にされたのですが 水無瀬 @minaseminase

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