キスで目覚める魔王様~復讐の姫と一緒に人類史を滅却します~序曲

薄 コウ

キスで目覚める魔王様~復讐の姫と一緒に人類史を滅却します~序曲

 金色に染めた髪を自然にクシャっとさせた軽薄そうながら整った容姿の男子が、わざとらしくいまにもスキップをしそうな軽快な足取りで朝の廊下を歩いている。いかにも軽そうなカバンを肩に担いで、ポケットに入れた左手で上機嫌の元である最近買ったとある物を弄んでいた。教室の扉の前につくと、髪をすこしいじって、1つ息を吐いてから手をかけた。


「ぐっもーにーんっ!」


 彼がいつものように朝にしてはテンションが高めな挨拶をすれば、扉から入って真正面の窓際の席にたむろしている、ひときわ声がよく通る一団から返事が返ってきた。


「今日はおそかったじゃんか、七星」

「おはよう。七星」

「ぐっもーにん! 七星くん!」


 窓際の一番前に座っている爽やかで誠実そうな男が真っ先に声をかけ、それに反応した長い黒髪の女性が振り返り一音一音はっきりした声で挨拶をして、最後に空いた窓枠に腰を掛けている金髪をフワッと巻いた女子が同じくらいのテンションで返してくれた。三人は教室に入ってきた男子――我満 七星に挨拶し終われば、また会話を始めた。

 七星は教室から入ってすぐの自分の席に荷物を置いてから、窓際の一団に向かった。近くまでいくと、金髪の女子が席についている男子に楽しそうに何かを話していた。


「菖蒲、なに話してんの?」


 七星ははっきりとした目元が特徴の黒髪の女性――北条 菖蒲に問いかけた。


「蘭華がRAINに送ってたネコちゃんの話。南十君があのネコちゃんのチャンネルを見つけたみたいで、ほら」


 気安い距離に寄って来た七星を気にも留めず、菖蒲はスマホを操作して話題のチャンネルを映したスマホを彼に見せた。そこには昨夜SNSに送られてきたネコが映ったサムネがずらっと並んでいる。七星はそれをスライドさせて見ながら金髪で日に焼けた女子――通李 蘭華が興奮するわけだと納得した。思考が蘭華の方に向いたからか自然と視線を彼女に向けた七星は、そこで驚愕に目を見開いて口をふさいだ。


「可愛いわよね。蘭華が最初に送ってきた子がナオくんで、こっちのサムネの子が……なに変な顔してんのよ七星」

「いやだってあれ、まずいでしょ」


 そう指差された先に菖蒲も目を向ければ、蘭華の左側のスカートが盛大に捲れあがってた。ちょうど席についている誠実そうで純朴そうな男子――相川 南十からは死角になって見えてないし、教卓側が捲れているので誰にも見られていないはずだがそのままにしていい状態ではない。それを見た菖蒲も彼と同じように口をふさいで何とか驚きの声を飲み込んだ。変に騒いでしまったら恥ずかしがり屋の蘭華が傷ついてしまう。二人は口をふさいだ状態で囁きあった。


「なんとかしなさいよ七星!」

「あー、どうすっかなぁ……。あ」


 七星は左ポケットに入っているとある物を思い出した。練習してある程度の技が出来るようになったから、今日みんなに見せようと持ってきていたのだ。


「なんか思いついたっぽいわね」

「まぁな。オレが気を引くからその間になんとかして」

「まかせて」


 短い言葉で打ち合わせを済ませれば、会話の切れ目に滑り込ませるように七星はすこし発声法を変えた通る声で南十に後ろから声をかけた。


「そうそう、聞いてくれよ南十。とうとう買っちまったんだ」


 その舞台でしゃべるような声を聴いた南十は一瞬だけニヤっと口角を上げると、すぐに努めて平静な顔を作って同じ発声法で返した。


「いったい何を買ったんだい七星。わざわざ言うってことはさぞ良いものなんだろう?」

「あぁそうさ! みて驚くなよ。こいつを買ったんだ」


 いかにも悪そうな顔でポケットに手を入れると、そこから畳まれたバタフライナイフを取り出して突き付けた。南十は大げさに体を逸らして席を立って見せる。


「なっ!? おまえ、よくそんなものを堂々と出せたな!! ここは学校だぞ!?」

「へっへっへ。そー固ぇこというなよ。な? ほらすごいだろ」


 七星は片手でそれを弄び、開いたり閉じたり回したりと某両足義足のスピード野郎みたいな連続トリックを決めて見せた。バタフライナイフを取り出したあたりから周囲の視線が集まり、トリックを行っているときには周りの関心は七星に集中していた。蘭華ももちろんこちらに視線を注いでおり、そのすきに菖蒲がスカートを直し終わったらしく七星にアイコンタクトを送る。


(ミッションコンプリートッ! ……んじゃついでに)


 手首を回したり手首の周囲で回したりする横目でやり遂げた感を出している菖蒲と無邪気な顔でこちらを見ている蘭華を捉えて、七星は内心でガッツポーズした。歓喜する頭の片隅でこの茶番のオチを考え、何通りか想定してアクションをかける。


「どーよ、かっこいいっしょ」

「そりゃそうだけど、どうしてそんなもの買ったんだ」

「そりゃあオメェ……」


 南十の前に回って視線で立つように促す。南十はその視線に素直に従って無警戒に、無防備に、無造作に立って近づく。七星もそれに合わせるように笑顔を貼り付けて不自然なほど違和感なく近づく――バタフライナイフを持ったその手を向けて。


「ほく…………と……」

「ずっとこうしたかったからに決まってんだろ。鈍感野郎」


 侮蔑を耳に突き立て、刃をその腹に突き刺した。

 南十は急に力が抜けたのか膝から崩れるように倒れる。あまりに静かに倒れるものだから、その姿を見た蘭華の悲哀を搾りだしたか細い悲鳴の声の方がよく聞こえた。


「あら、1人でやってしまったの? 抜け駆けなんてずるいじゃない」

「悪いな、我慢できなかったんだ」

「カット」


 菖蒲は倒れている南十に目もくれず、あくどい目つきをした七星にしなを作って寄り添う。


「堪え性のない人。私だって刺したかったのに」

「そっか。ならほら。今なら刺し放題だぞ」


 七星は横向きに倒れてバタフライナイフを抑えてる南十からそれを引き抜くと、なんでもないかのように菖蒲にナイフを差し出す。足元で泣き崩れている蘭華などいないかのように振る舞うその顔はどこまでも冷え切っていた。


「あら怖い。でもとても魅力的だわ♪」

「……カット!」


 光っていない瞳で菖蒲はとても楽しそうにナイフに手を伸ばす。


「おぉこわ、ほどほどにしとゲブェ!!」

――スパァァン!っと生徒名簿で頭をはたかれた小気味よい音が鳴った。


「カットだっつってんだろ馬鹿野郎どもっ!!」


 頭を強かに打ち据えられた七星の後ろには、よれよれの白衣を着てボサボサの頭をしたおっさん――このクラスの担任教師にして演劇部顧問、八木 彦太郎先生が気だるげな目で2-Dの生徒名簿を振り抜いていた。


「ひこにゃん、私と蘭華は野郎じゃないですよ」

「そうだそうだっ!!」

「やかましいは女郎ども! あとちゃんと先生とよべ」


 さっきまで号泣する演技をしていた蘭華がケロッとした顔でヤジを飛ばし、菖蒲が涼しい顔で軽口を飛ばす。八木先生はいつものように顔いっぱいにめんどくさいという表情をはっつけながらも律儀に返す。


「イッッッタイじゃんかひこにゃん先生! オレが何したってんだよ~」

「朝っぱらから騒いでたろうがダアホ! いつもいきなりエチュードをおっ始めるなと言ってるだろうが。それにんなもんを学校に持ってくるなよ。あと、先生つければ良いわけじゃねぇからな」

「ホンモンじゃねーよこれ」

「当たり前だっ! 本物もってきてたら教室から蹴り出してるわ」


 七星が自分の手のひらを刺して、何食わぬ顔で偽物だとアピールをするが八木先生の額には青筋が増える一方である。


「おら相川。お前はいつまで雑巾をやってるんだ、とっとと座れ」

「あーい」


 八木先生の声を受けて自分の席に南十が戻っていく。それと同時に教卓の前を横切って自分の席を目指す。ふと、視線をクラスメイトの方に向けてみる。

 俺らの様子を面白そうに眺める人、逆に迷惑そうに神経質そうな目で睨んでくる奴や面白くなさそうにしてる奴、眠そうにしてる人や友人と話してる人に恋人同士でイチャついてる人たち、静かに本を読んでる人やいまだにヘッドホンで音楽を聴いてるやつにゲームをしてるやつら。


(いつも通り、相も変わらず刺激不足で平和で素晴らしい光景だこって)


 脳内でふざけた戯言を垂れる。そんなことをふと考える自分をおかしく思いながら歩いていると、視界の端――ちょうど教室の中央のタイルが青白く不気味に光った。


(は…?)


 ヤバいと思った。だけどそう思考しようとしたときにはその不気味な光はタイルを縁取るラインとなって四角とひし形を繰り返して瞬く間に増殖、拡大してから内円、中間、最外円の丸が描かれる。


「なんだこれ?!」

「まぶしっ!」

「キャッ!」


 次の一秒には幾何学模様の空いた空間に文字のような、それでいて記号のようなものが刻まれる。


「おまえら! 今すぐ教室から出ろっ!!!」


 次の一秒には八木先生の切羽詰まった声が響き、何人かの悲鳴を上げるための息を吸う音が聞こえる。しかし、地面に描かれた模様は円を境に3つの図形となって、それぞれが立体的に乱回転をしながら際限なく輝いて周囲の色を奪いつくす。

 七星はなぜか、それをどこか冷めた目で見ていた。


 色が戻ったときにはそこに人は一人もおらず。

 彼ら彼女らに、次の一秒はなかった。





 ○   ○   ○






 目を閉じていても貫く青白い閃光が収まり瞼の裏にいつも通りの暗さが戻ったとき、七星が最初に感じたのは数十人規模のどよめきと先ほどまでとは比べ物にならないほどに澄んだ空気、そして先ほどまでなかった空気を満たす何かだった。それらのことからここにいる全員が直観的に別の場所に移動していることを察していた。


「おい、お前たち。全員いるか? いないやつがいれば教えてくれっ!」

「その心配はない。しかと全員が召喚されておる」


 八木先生が切羽詰まった声でみんなに安否を確認すれば、全く聞き覚えのない年齢と威厳を感じさせる声が返答した。その声に反応してほとんどの生徒が目を向けたその先には、数段高い場所で金色混じりの白髪を豪奢な王冠でまとめた偉丈夫が重量感のある豪奢な椅子に座っていた。現代日本ではまずお目にかかれない、けれどパッと見で王の証だとわかる輝きと高貴さを持った冠を戴いた初老の男性は圧を感じさせる視線で召喚された生徒たちを睥睨している。

 八木先生を始め生徒たちが王様っぽいじいさんにうろたえてる中、七星はその視線を意に介さず周囲をざっと確認した。自分たちがいるのは最下段。左右に計十人の甲冑を着て帯剣している人間がおり、後方の見上げるほどデカい扉を特にガタイの良い二人の人間が、これまたどデカいランスを持って守護している。視線を前に向ければ自分たちと同じ段に三人、王様を挟んで向かって左側に自分と同い年ぐらいで、サファイアを思わせる青色の鎧を着た金髪の清涼感のある青年。その反対にツヤのない深い黒の鎧を着た、この場の誰よりも重厚感を持つおじさん。その隣に寺の坊さんが着ている法衣を真っ白に染めて、西洋っぽさをブレンドしたような服をまとって穏やかな笑みを浮かべている水晶を持ったおじいちゃん。


(引くほど物々しいなぁ。冷たそうな兄ちゃんにいっちばんおっかなそうなおじさん。それとあのじいさんはうさんくせぇなぁ。腹黒たぬきのウチの校長と同じ笑い方してる)


 緊張感の薄い脳内品評会を行っている七星はそのまま視線を一段上に移す。そこには二人の美姫がこれまた王を挟む形で立っており、その姿は対照的だった。

 向かって右にはまだ幼さを感じる愛らしさを放ち、王様に近い色の金髪を煌びやかな青の宝石でハーフアップにした薄桃色のドレスを着た少女が、悲哀のこもった面差しで立っている。鮮やかでエネルギッシュ、というのが七星の第一印象だった。七星はそこで彼女から視線を切り、恐る恐る左を向いた。そしてそこには、鮮烈なモノクロが佇んでいた。飾り気の一切ない空白のような白い長髪、情を感じさせない面差し、意志を示す瞳は静かに固く閉じられている。その華奢で凛とした立ち姿は黒のドレスで覆われており、七星は彼女のことを死んでいるんだと思った。


(……んなわけはないか。けどこの中だとダントツで関わりたくねぇ、絶対ロクなことにならない。死ぬほど綺麗だけど。あ、てかロクなことにはすでになってないんだった)


 周囲を確認するついでに大事な友人たちである演劇部の面々も確認する。菖蒲は七星と同じで周囲を鋭い視線で確認しており、南十は惚けた顔して一心に鮮やかな方の姫さんを見ており、蘭華は魅入られるように、または憑りつかれたようにただ上を仰いでいた。またうろたえていた他の生徒たちも大多数は蘭華ほどではないが、熱心に上を見ていた。


(たしかに、すっごい存在感だよなぁアレ……)


 七星は周囲の生徒と同じように視線を上げる。王様も気にはなるが、それ以上にソレは一度意識を向けてしまえば否応なく引かれてしまう力を放っていた。

 王の座る最上段の玉座の後ろ、出入口と思われる見上げるほどデカい扉よりもさらに大きい女神像が、手を胸の前で交差するポーズをして見下ろしていた。

 

「あまり、仰ぎ見るものではありませんよ異世界の戦士様方。ヒュマリア様のご尊顔を拝するのは不敬です」

「異世界の……戦士様方だぁ??」


 法衣の老人の優しく咎める声に七星を含む何人かの生徒が視線を前に向けただけだが、八木先生だけはその言葉の一部が引っかかったようで老人を睨んでいた。というよりメンチを切っていた。


「さよう。そなた等は女神ヒュマリア様がみそめた異世界の勇者方である」


 王が立ち上がりながら先ほどと同じ自然と視線を集める重さを持った声で語りだす。


「いきなりの召喚に戸惑うのは当然。しかし安心せよ。王である我みずから説明しよう、心して聞くがよい」


 尊大な態度の王様曰く、この世界には魔物を率いている魔族がいて人類は有史以来ずっとその脅威にさらされ続けているのだそうだ。そして近年は魔物の脅威が増してきており人類は追い詰められている。壊滅した村や町は数知れず、滅びた国すらあるんだとか。

 しかしそこで人類の守護神たる女神ヒュマリアから天啓があった。この魔物の侵攻は伝承に語られる魔王が出現したせいであること。その対応策として異世界から勇者を含む強大なスキルと類まれなるジョブと絶大たるスキルを持つ戦士たちを召喚せよ、というものだった。

 

「異世界の戦士諸君。そなたらにとっては唐突なことで申し訳なく思う。しかし、どうか人類のため、世界を救うために戦ってはくれないだろうか」


 王様は沈痛な表情でそう締めくくった。

 これを聞いた生徒たちの反応は様々だった。テンプレだクラス転移だと騒ぐ人間がいれば今にも泣きそうな人間もいる。かと思えば鋭い視線で王を睨みつける者もいれば薄ら笑いを浮かべる者もいる。その中で七星はというと……。


(死ぬほど胡散くせぇ!!)


 心の中でそう叫んでいた。あとムカつくとも思っていが現状、自分たちは誘拐された状況で情報がない。ついでにここでの安全の保障もない。うかつに動けないことに歯噛みした。


「……ざけんなよ」


 マズイことになったと、演劇部の面々だけでも一緒に脱出できないかと七星がどうやって逃げ出すかを考えてると、八木先生が固まる生徒たちから出て鬼のような剣幕で王へと歩み寄り始めていた。


「ざけんじゃねぇぞクソ野郎どもがっ! こいつ等は異世界の戦士なんかじゃねぇ、俺の生徒だ。守られなきゃならねぇ子供たちだ!! いますぐこいつ等を元の世界に帰しやがれ!!!」


 八木先生が口角泡を飛ばして叫ぶ。普段のどこかやる気のなさそうなくたびれた様子とはかけ離れた姿に生徒たちは驚いた。


「確かにそなたらには悪いと思っている。しかし、人類が奴等を駆除するにはこうするほかないうえに、そなたらが戦うことは女神ヒュマリアの意志なのだ」

「女神の意志なんざどうでもいいんだよッ! 戦いに子供を巻き込むんじゃねぇ。今すぐ帰り方を教えろ!!」

「できぬ」

「アァッ!? ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ……!」


 ズンズンと肩をいからせて王へと近づく八木先生。しかし段差に差し掛かる手前で黒鎧が手で制す。


「止まれ。これ以上ちかづくことも、王への狼藉も許さない」

「邪魔すんなこの野郎」

 

 生徒側と王側の間で睨みあう二人。八木先生は男性としては平均的な体格だが、相対する黒鎧の男はその八木先生より頭二つ分も高く、身にまとう巌を思わせる雰囲気も相まって気の弱いものならそれだけで気絶させるほどのプレッシャーを放っていた。しかし八木先生はそのプレッシャーに一歩も引くことなく対峙している。


(おぉ、ひこにゃんがいつになくカッコイイ……ってそれどころじゃねぇ! マズイマズイマズイ、止まってくれひこにゃん先生!)

 

 右も左もわからなければ自分たちの手に生殺与奪の権があるのかもわからない状態で、相手を刺激するのは得策じゃない。先生の気持ちも言い分もわかると思いながら、七星は彼の言動にヒヤヒヤしていた。変に目立つのは避けたい、しかし目立ったとしても止めるべきか悩んで二の足を踏む。

 

「なぁ、テメェも大人ならわかるだろ。これが間違ってるってことぐらい。そこをどいてくれよ」

「……できん」

「オイ!」

「できんのだ! 我々では、お前たちを元の世界に帰してやることもできんのだ」

「……どういうことだよそれ」

「そうだ」


 王は緩慢な動きでひじをつきながら肯定する。


「天啓によれば魔王を倒したときに異世界の門が開くのだ。そうだったな枢機卿?」

「さようでございます。陛下」


 黒鎧の隣に控える法衣の老人が恭しく腰を曲げながら答える。そのやり取りがどこか芝居ががって七星には見えた。


「んだよそれ……! それならせめてあいつらを戦わせないでくれッ。俺なら戦うから!!」

「ならん」

「どうしてだよッ!!!」

「それは神が定めたジョブによって決めることだからだ」

「んだよそれ……ふざけんな!!」

「……」

「なんとか言えよ犯罪ヤロ……」

「はーいそこまでひこにゃん先生!!」


 王の左腕が上がる動作が見え、それに反応するように青鎧の男が柄を握った瞬間に七星は飛び出して先生の口をふさいだ。横を見れば菖蒲が右腕を抑えている。二人がかりで完全に頭に血が上ってしまっている八木先生を抑え込む。


「ひこにゃん先生ストップ! ここであーだこーだ騒いだってどうしようもないって」

「そうですよ先生。私たちには圧倒的に情報が足りてないんです、ここで彼らと争うのは得策じゃないですよ」

「うっせぇ! こんなこと許しちゃいけないんだよ!」

「止まって先生!!」

「離せ北条! 我満!」

「……わるい先生」


 七星はなおも進もうとする先生に対して小さく呟くと腕を首に回して締め上げる。その行動に菖蒲が小さく悲鳴をあげた。


「ちょっと七星!」

「ガッ……ァ、わが…みつ……! 何し……やがるッ!!」

「先生は正しいし、その気持ちはむっちゃ嬉しい。さっきの言葉に救われた奴だっているはずだ。でもそのやり方じゃ、どうにもなんないんだ。今のオレ達はあまりに不利すぎる」

「テ……メ……おぼえ…とけよ…………」

「おぅ先生。説教はあとでちゃんと聞くよ」


 八木先生はそれを最後に意識を落とした。





 ○   ○   ○






 先生を締め落として菖蒲に預けた後、ふんぞり返る王の前に立つ。


 (さてと、優しくないタイプの王様っぽいし、どうしようかなぁ)


 七星はアニメは見る方だし、ラノベだって読む。そのうちのテンプレの中からだいぶハズレを引いたなと思いながら、頭の中でいくつかパターンを思い出していく。そして王様の左手が下がったのを確認して小さく安堵の息を吐いた。


「陛下の御前にてお見苦しいことをしてしまい誠に申し訳ございません。しかし、私たちはなんの前触れもなくここに召喚されました。また彼は役職上、私たちの保護者であり、先ほどはその職務を全うしようとしたに過ぎません。陛下、どうかお許し願います」

「ふむ、元より罪に問うつもりもない。構わぬ。そなたは話がわかるようだな」

「寛大な処置をいただき、ありがとうございます」

(うそつけ、殺すつもりだったくせに)


 七星は過去にやった中世の演目を思い出しながら礼をする。一応、そこまで外れていない所作が出来たことに安堵しながらこの先のことを考える。

 舞台に上がるつもりで面を上げた。


「さて陛下。私たちはこれからいかがすればよろしいでしょうか。私たちには類まれなるスキルとジョブがあるとのことでしたが、このままジョブの鑑定でもします? それともハロワにでも行きましょうか?」

「 “はろわ”というものはわからぬが、いまからそなたらに授けられたジョブとスキルを確認する。その後のことはまた追って指示をだす」

「かしこまりました」





 ○   ○   ○






 それから生徒たちはクラス委員でもある菖蒲の指示のもと、名前順で確認を行っていった。確認の仕方はいたって簡単で、枢機卿が持っている水晶“女神の瞳”の前に立ち、水晶から投影されるホログラムを枢機卿が確認して読み上げてもらうだけ。水晶から投影される文字は自分たちでは読むことはできず、あちら側の反応を見るに一部の人間にしか読めないようだ。また教えてもらえるのはジョブとスキルの名前だけで詳しいことはまたあとで説明されるらしい。

 

(オレはなんになるんかねぇ)


 七星はすでに終わってなんだかんだ盛り上がっている者たちを眺めながら、ぼーっと自分の番を待っていた。まだ確認していない者も固まってしゃべっているが、いかんせんさっき八木先生を締め落としたせいで怖がられて誰も近寄ってこない。

 七星の周囲だけ悲しいくらいに誰もいなかった。そしてこんなとき助けてくれる演劇部の面々はいま、大なり小なりクラスメイトに囲まれていた。


(菖蒲のジョブが“賢者”でスキルが“ワイズマンズシー”、蘭華のジョブが“聖女”でスキルが“アンサングワン”んで南十が……)


 七星は視線を動かしてひと際クラスメイトに囲まれている南十を見る。そこには照れたような、困ったような笑顔を浮かべている南十がいた。


( “勇者”で“インハーティスト”ねぇ。似合わね~。てかどれもピンとこね~)

 

 南十は確かに優しいやつだが、荒事は苦手だ。虫も殺せないなんて表現はまさしくアイツのためにある言葉だろう、七星は胡乱気な目のまま視線を前に戻す。


(まぁどうやら強大なスキルと類まれなるジョブというのはホントらしい。さっきから読み上げられるたびに、どよめいたり驚いたりしてるし。あの白い姫さん以外。てかホントにすごいな、さっきから微動だにしてないじゃん)


 「貴女のジョブは“錬金術師”、スキルは“ウィスパーアマテリアル”です」

 

 枢機卿のじいさんが読み上げるとおぉ、という感嘆の声がした。読み上げが始まってから周囲の反応がいい。菖蒲のときは周囲の顔は驚愕に染まってたし、蘭華のときは祈りだす者もいた。特に南十が勇者だとわかったときはそれこそ勝鬨のような歓喜の声が響いたものだ。その希望の灯がともったような反応を見るに、人類が追い詰められているっていうのもあながち嘘でもなさそうである。

 それなのに、白黒の姫さんだけはそのすべてがどうでもいい様子で立っている。


(そういや、菖蒲が死ぬほどつまんなくて下手な演劇を見てた時はあんな顔してたっけ。あの姫さん、マジでなに考えてんだか)

「おい、貴様の番だ」

「あ、は~い」


 黒鎧に呼ばれて段差のすぐそばまで行く。左右を黒鎧と青鎧に囲まれ、目の前には枢機卿と呼ばれたじいさんが一段高いところに水晶をもって立っていた。

 その枢機卿の前まで行くと黒鎧が話しかけてきた。


「貴様で最後か」

「そっすね」

「……先ほどとは随分、態度が違うのだな」

「もう取り繕う必要もないかなーって。あれ疲れるし。アンタにする理由もないし」

「……そうか」

「ウッヴン。これはこれは騎士様、大変ご無礼を働いてしまい誠に申し訳ございません。その大層な鎧、さぞ高名な騎士様とお見受けします。わたくしたちは王のいない、命の危険もない場所からやってきた哀れで礼儀知らずな一般市民でございますれば。どうか今後はその鎧と剣に見合うご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」


 七星はわざと慇懃無礼な態度で言葉を連ねる。


「そうかそれはよかった、貴様たちの教育は俺の仕事だからな。死なんように扱いてやる」

「それはありがたき幸せ。どうぞよろしくお願いいたします」

「……はぁ、もうよい。さっさと手をかざせ」

「ヘ~イ、ハイタッチ!!」

「俺にではないは馬鹿者!!」

「フフ…」


 一段高い位置から女性の笑い声がした。


「……はぁ、貴様の相手は疲れそうだ」

「そっすか? オレはおっさんのことわりと好きっすよ」

「なにをいっておる……」

「さっき、オレと菖蒲が先生を抑える前に先生のこと守ろうとしてくれたでしょ。ありがと。だからわりと好き」


 先ほど七星たちが先生を抑えるまえ、青鎧が柄に手をかける動きをした瞬間に先生とソイツの間に入るように体を動かしていた。七星にそれが見えたわけではないが、抑えてるときに立ち位置が変わってるのを見て察したのだ。


「……はぁ、貴様の相手は本当に疲れそうだ」

「そいつぁーご愁傷様です」

「いいからとっとと手をかざせ」

「あーい」


 その声に従って七星は気楽に手をかざす。


「深呼吸をして落ち着いてください。この瞳を通して女神ヒュマリアが貴方の魂を見通します」

「さいですか」

「……心を無にして、水晶を見つめてください」


 なんだかテレビの特番とかで見るいかさま催眠術師みたいで徹頭徹尾このじいさん胡散くせぇ、そう思いながらも七星は言われた通りに水晶を見つめた。するとだんだん水晶の中に別の空間が存在するように感じられ、より深く、より中を見通すように意識が引き込まれていく。

 ふいに、とても気に入らない何かと目が合った気がした。七星は吐き気のしそうな嫌悪感を隠すことをせず、むしろ瞬時にウジ虫に向けるような目をしてその嫌悪感を込めてソレをねめつけた。すると水晶はまるで睨み返すように瞬き、七星はそこから自分が向けたものと同じような感情を受信した。気づいたら七星はとっさにかざした左手で中指を立てた。

 

(F〇CK YOU!!)

 

 反射的に心の中で絶叫した。七星は直接つばを吐きつけなかっただけ褒めてほしい心持ちだった。

 水晶は燃えるように赤く瞬いたかと思えばひびが入り、そこからドロッと漏れるようにホログラムが投影された。また、ひびが入ったのを機にぱったりと目が合っている感覚がなくなり、気持ち悪さも気分の悪さもなくなっていた。七星はほかのクラスメイトとは違って少しノイズが入ったホログラムを見てみたが、やはり読めなかったため首を傾る。


「さて、最後のアナタのジョブはっ……あ……!」


 枢機卿は恐怖に彩られた目を大きくかっぴらいて、まるで逝ってしまったかのように固まる。


「なぁじいさん。オレのジョブはなんなんだよ」


 訝しんだ七星が枢機卿に目を合わせた瞬間。


「ヒィッ!! こっちを見るなーーー!!!」


 枢機卿は錯乱したようにしりもちをついてあとずさり、手から零れた“女神の瞳”がレッドカーペットに落ちてくぐもった音を出す。


「こ、こや、こ、こやつは……魔王じゃ……! “魔王”が現れたのじゃぁぁああーー!!!!」

 

「――――あ?」





 ○   ○   ○






 枢機卿の叫びが無駄に高い天井に昇って響いて、まるで天使が通ったかのような静けさが空間を満たす。しかし、空間を満たした静寂は膨らみ切った風船にも似た緊張感を孕んでおり、その風船は恐怖によって膨れていた。血走る目、震える指先、異世界側の人間はモノクロの彼女を除いて少しの刺激すら恐れるように呼吸を忘れている。

 七星はいまいち実感がわかずに見渡すと、鮮やかな方の姫と目が合った。彼女はゆっくりと首を振りながら後ずさろうとしたが、足がもつれて転んでしまい小さく引きつった悲鳴が漏れた。

 

「きゃ」


 それが、いやに響いた瞬間。

 

「ぎゃぁぁああーー!!」

「助けてくれーー!!!」

「死にたくないっ!!!」


 はじけた様に端に控えていた兵士たちが恐慌状態となって一目散に出口に駆け出したり、その場にへたり込んだりしてしまう。その様子を見た生徒たちは恐怖にあてられて震えたり、困惑して七星を見ていた。


「おい、怪我してな――」

「動くなッ!!!」


 当の七星は目が合って転んだ姫に手を差し出そうとしたが、動く瞬間に両サイドから剣が伸びて首を挟まれる。冷汗が流れるのを感じながら両手をあげて姿勢を元に戻した。左右を視線だけで確認したら黒鎧と青鎧が敵意を込めた形相で睨んでおり、そこからさらに周囲を確認すれば転んだお姫様は恐怖で動けないでいたり、王様は腰を抜かしたのか間抜けな顔で玉座で固まっている。

 しかし、モノクロの姫だけは平然としてそこに佇んでいた。変化があるとすれば驚いた様子で目を開けてホログラムを見ていることぐらいだ。そしてその瞳はほかの人間と違っていて、深紅色だった。七星はそれをとても綺麗だと思った。

 だからか、こんな状況なのに声をかけた。


「ねぇ、そこの綺麗なお姫さん」

「喋るなッ!!!」

「別にしゃべるだけで何もしやしないって。てかできないし」


 黒鎧から鋭い声で咎められるが、気にする風などなく飄々と流す。


「そこの綺麗な紅い瞳のお姫さん!」

「……もしかして、私か?」


 声をかけられたことが意外なのか、モノクロの姫は驚いた様子で反応する。七星はこちらを見る動作もいやに綺麗だなと思いながらも何をしゃべるのか決めていなくてすこし焦った。


「イエス。あー、なんて言おう……。あ、そうだ。オレってホントに魔王なのか?」

「その水晶はそう言ってるな。そこの老害が見間違えたのかと思ったが、私の目にも“魔王”と読める。ちなみに君のスキルは“ミクスキング”だそうだ」

「あ、そうなんだ。言われてもわかんないけど」


 意外とお口が悪いらしい、七星は不思議な親近感を抱き始めていた。


「てか魔王ってことはオレどうなんの?」

「どうだろうな。異世界からの客人、ということを勘定に入れても良くて投獄だろう」

「投獄かぁ。あ、てか魔王を倒したときに帰る扉が開くんだろ? ならオレって殺されなきゃダメじゃね?」

「……言われてみればそうだな。なら処刑するしかないだろう。投獄するだけ税の無駄だからな」

「アッハハ、お姫さんは冗談が上手いな~」

「フフ、私は初対面の相手に冗談が言えるほど、話すのは得意じゃないぞ」

「アハハ」

「ウフフ」


 恐怖一色となった謁見の間に場違いな朗らかさを持った笑い声がした。そうして笑ってる裏で七星は冷汗をながしながら、必死に生き残るための算段を巡らせる。


「はぁ……。なぁおっさん、あの姫さん言ってることってホント?」

「……ホントだ。お前が魔王だというのは残念だよ」

「そっかぁ……」

「処刑だけは免れるよう、私が掛け合おう。だから大人しく捕まれ」


 そう絞るように話す黒鎧の顔を見て、さらに玉座で恐怖に引きつっている王を見て、七星は真っ当なルートで生き残ることを諦めた。

 ――――そして賭けに出た。


「Hay Siri。リマインダーセット」

『なにをリマインドしますか?』


 ポケットに入れっぱなしだったスマホから声が返ってくる。その声に黒鎧がぎょっとしたのを確認した七星は、とりあえず時間稼ぎは出来ると確信した。

 

「10秒後に水爆」

『かしこまりました』

「おい貴様、何をした!?」

 

 その問いかけを無視して七星ははったりをかます。


「――全員動くな!」


 七星が声を張って注目を集め、スマホを高くかざす。その顔は先ほどまでのボケっとしたものではなく、鬼気迫る悪人の顔をしていた。





 ○   ○   ○






「あと10秒もしないでコイツが魔王の魔力で爆発する! ここを跡形もなく消し飛ばす威力でな!! ほら、死にたくなきゃ解除してみなッ!」

「アラン、王を守れ!!」

 

 七星がスマホを無造作に黒鎧に放り投げると同時に、黒鎧は向かいの青鎧――アランに指示を飛ばす。彼らは騎士。その至上目的は王族を守ることであるからだ。


「どーせオレは処刑なんだ。なら全員ふっ飛んだ方がいいだろう!!?」


 アランは真っ先に鮮やかな方の姫を抱えて王のところに駆ける。液晶を見た黒鎧は残り時間を確認した瞬間、全身に魔力を巡らせながらスマホを抱え込んだ。鎧がさらにごつくなりどこからともなく兜が出現し、さらに半透明な光でできた複数の盾を出現させて自身の周囲を囲む。


「ほーらあと3秒だ!」


 七星の嘲笑を含んだ邪悪さを感じる高笑いが切迫した空気に鋭く響く。

 

(クソッ! 規模が読めない。魔力を感じないからどれだけの被害になるのかわからんッ! せめて俺の身一つだけで……魔力を感じない、だと!?)


 黒鎧はハッと息をのむ。そんなことはありえない、と。なぜなら、先ほどアイツは“魔王の魔力で爆発する”と言ったのだから。


(それならなぜ魔力を感じない!?)


 疑念が頭を埋める黒鎧の視界へ、意図せず一か所に固まる生徒たちが入る。その様子は怯えるわけでもなく、ただ困惑しているだけだった。

 それに気づいたとき、自分がとんでもない間違いを犯したことを黒鎧は悟った。そして、ついに無機質な電子音が黒鎧の懐から鳴る。


 ――――PiPiPiPiPi


「はーいゼロ。そしてもう一回だ。全員動くな」


 黒鎧が言葉に反応して顔をあげれば、七星は先ほどまで話していたモノクロの姫を後ろから押さえて、刃物を首にあてがっていた。

 聞き馴染みのない音がざわつく心を掻きむしり、冷汗が吹き出した。




 


 ○   ○   ○





(さぁて、やっちまったもんはしょうがないけど。こっからどーしよ……)

 

 七星はモノクロの姫を人質に取り、ゆっくりと後ずさりながらいまだに脱していない危機を前に思考を回す。とっさにポケットに入っていた練習用のバラフライナイフを首にあてたのはいいが、これが切れない偽物だってバレた瞬間に取り押さえられて終わる。そうすれば情状酌量の余地なしで処刑台へ直行だ。だから、なんとしてもここから逃げ出さなきゃならない。黒鎧とアランの向こう側から飛んでくるクラスの連中の叱責やら悲鳴やらを無視して考えを巡らせる。


(とりあえず時間稼ぎはできた。けど、さっきすっげぇ魔法っぽい盾出してたな。てことはガチで魔法があると考えて、幻術とか睡眠みたいな精神に干渉する魔法があったら詰むなコレ。てか、安全に逃げられる足があるとも限らないし、乗るのに訓練がいるグリフォンしか飛べるものがないとか言われたらそれでも詰む。姫さんを抱えたまま歩いて城を出ようとしたとしても、城内を歩けばあっちはいくらでも仕掛けられるしそれを捌く能力なんて俺には無い。やっぱ詰む! クラスの連中、誰でもいいから助けてくれないかなぁ……無理だよなぁ。あ"あ"ぁぁぁ、早まったかなぁ)


 やっぱ温情に期待して獄中で時間を稼ぐべきだったかと後悔し始めた。その間も思いつく魔法名を呟いてみたり、さっきのスキル名をしゃべってみたりしてみたが、都合よく何かが目覚めることはなかった。


「お前。コレ偽物だな」

「そうだけどほんっとに動じないねアンタ!? ……あ」

「認めるべきじゃなかったな」


 状況に全く則さない日常のようなテンションについツッコンでしまって青ざめる七星。その顔をちらと見てモノクロの姫はニヤッと口角をあげる。


「あのぉ、できれば叫ばずにそのままでいてくださるとありがたいんですけど……」

「私が叫ばずとも、そのうちバレるだろ」

「だからアンタの顎のラインと髪でなるべく刃を隠してんの。マジで一分一秒が惜しいんだって」

「随分と小賢しい細工をして。必死だな」

「そりゃー、捕まったら必ず死ぬからな」


 七星は剣を構える黒鎧たちから目を離さずに彼らを注意深く見ながら話すが、腕の中の彼女はなんとも呑気でどこか楽し気だ。彼女を抱え込んでいる右腕からも一切緊張が伝わってこない。


「そうか? 投獄されてればそのうち帰れたかもしれないだろ」

「あのおっさんの言葉を鵜呑みにできるかよ。仮にそのつもりがあったんだとしても、あの王と枢機卿の様子じゃ処刑されるか、獄中で殺されるのがオチだ」

「よくわかってるじゃないか」


 その返答にわかってはいたが七星はげんなりとした。する気もなかったが投降する選択肢が消えうせた。

 

「そりゃどーも。てかまぁ、処刑云々の話がなくても逃げ出していたし、結果的には敵対してたと思うけどな」

「ほう? それはなぜだ?」


 彼女のいたって平坦な口調は変わらないが、そこには少し興味の色がにじんでいた。七星は余裕のない頭の片隅でなんでこんなことを聞くのかと疑問に思いながら答えた。


「枢機卿も王も信用できない、自分の目で見てないのに魔族とやらが悪いとも思えない。なにより、神ってのは昔から嫌いだ」

「……フフ。確かにな、同感だよ」


 彼女はすこし、楽し気に笑った。その声が場違いすぎて訝し気に腕の中の彼女を見た。

 

「ヒュマリア教には吐き気がするし、言いなりになってる国も気に食わない。なにより、私も神は嫌いだ」


 彼女はクスリと小さく忌々し気にこぼした。その様子にあてられて、七星は彼女に見入る。そうやって彼女に意識が向けば、いままで触れていたその儚い腰つきに触るのが怖くなる。しかし同時に、その目を凝らすほどに消えてなくなりそうな透明感のせいで、抱きかかえる腕に力が入る。


「お前はいいな」

 

 モノクロの姫は腕の中で身をよじり、その紅玉のような瞳で七星を見上た。その紅に映る自分は、まるで地獄をのぞき込んでいるようだった。

 彼女は耳元で微かに、何気ない口調で囁いた。



「なぁ魔王。世界の半分をくれるなら、私が仲間になってやろう」

「――わかった。アンタに世界の半分をやる、だからオレの仲間になれ」



 一瞬悩んだが、七星は承諾した。自分の口から出た言葉に内心おどろいたが、不思議と嘘をついている感覚はなかった。それに相手の言葉も嘘とは思えなかった。なにか、内から湧き上がる大きな根源的衝動に突き動かされている。

 耳元から顔を離した彼女は、その血のような紅を引いた薄い唇を妖しくゆがめた。


「魔王、お前の名前は?」

「……七星だ。お姫様は?」

「シャルロット。この時からただのシャルロットだ」

「なるほど。んじゃよろしく、シャルロット」

「あぁ、契約成立だ。七星」


 こちらを見るまなざしに頷き返せば、彼女は少し背伸びをした。


「姫様なにをッ!!」

「ダメだ七星ッ!!」

「やめて姉さま!!」

「ィャ……」


 驚愕する黒鎧、叫ぶ南十、引きつるもう一人の姫、悲しむ蘭華。それら一切を無視して、彼女に呼応するように少し腰をかがめる。

 そうして彼らの唇は重なり、魔王と姫の契約は結ばれた。


 「――――ッ!!」


 重ねた唇からふぅ、と息を吹き込まれるとタイムの香り交じりの清廉な吐息が鼻を抜けた。それと同時に多量の知らない知識が流れ込む。それは魔術についてだったり、スキルについてだったり、魔王についての彼女の知識だった。その中には彼女の動機に関することもあった。また知識と一緒に少量の熱いなにかが流れ込んでくる。それは脳髄を溶かすような、または乾いた魂に染み込むような破滅的な甘さ。


(なんだ……こりゃ……ッ!)

 

 シャルロットは唇を離して苦悶の表情を浮かべる七星を見やる。いっぽう七星は感触がなくなったことや向けられる視線に気づける余裕はなかった。入ってきた知識と何かが今までの自分をバラバラにする勢いで暴れて浸透していき、やがてどうしようもない暴力的な渇きを生んで視界を赤く塗りつぶしていく。

 

「いま感じてるのが魔力だ。私が少し流して回路を開けたからわかるだろ?」

「ま……りょく」


 ただ回路を開けただけとは思えない苦しそうな表情にシャルロットの頭に疑問が浮かぶ。開けば最初からそうであったかのように馴染むものが魔力だから、こんな様に何かをこらえる様に表情を浮かべることはない。しかし彼女の常識から外れて七星の本能は衝動に蝕まれた。

 

「あぁそれが魔力だ。……どうした?」

「……タリナイッ!!」

 

 先ほどまで黒だった七星の両目が鮮血のような赤に変わると同時にカラン、と彼の手放したバタフライナイフが床に落ちて跳ねた軽い音が鳴る。そして彼は空いた左手で彼女の後頭部をつかんだ。渇きに侵された肉体が思考を引きちぎって動き、強引にシャルロットの唇を貪るように奪う。


「んン……!」


 彼女はその勢いに少しびっくりはしたが、横目で見ている者たちを――特に生徒の中で涙を流している金髪の少女を見て、目を細めて逡巡したようなそぶりを見せた。しかしすぐに目をつむって自分から迎え入れる。

 すると、繋がった口から先ほど分け与えたより大量の記憶と魔力が吸われていく。シャルロットはそのことに驚いて瞼をあげたが、目の前で起こっている彼の変化にさらに目をむく。


(なるほど、これが魔王か……!しかし、持っていきすぎだ!!)


 くすんだ金髪は白に染まり、口元に触れる犬歯はチクっとするぐらい伸びる。こちらを見る赤く光る瞳からは理性の色が欠如していた。吸われる魔力の数十倍の、それこそ可視化されるほどの濃密なドス黒い魔力が漏れ出し、呼吸を許さないほどの圧力を生んでいる。


「お前はここで殺すッ!!」


 変化を続ける七星へ右側側面、姫がいない方向へ瞬く間に移動したアランが突きを放つ。その鎧は先ほどよりもより洗練されたフォルムをしており、顔はどこか狼を思わせるフルフェイスの兜に覆われていた。高速の突きは正確に七星の心臓を狙い、素人では反応できない速度でしなやかに迫るレイピアは、刹那に彼の命を食らいつくす殺意が乗っていた。

 しかしその殺意の牙は噛みつけなかった。


 「な……!!」


 七星が放つ威圧感が増したのと一緒に漏れ出していた魔力が急激にあふれ出し、暴力的な魔力の圧力だけで彼の切っ先は止まっしまった。その結果に一瞬、アランは呆けてしまった。その一瞬があだとなった。


(しまッ!)


 そして魔力は臨界に達し、破裂してアランを壁がへこむほどに吹き飛ばした。

 

「何してんだよ七星ッ!!!」


 南十が精いっぱい声を張り上げて語り掛けるが、七星は無反応だ。

 

「大丈夫かアラン!」

「大丈夫です……しかし…!」


 二人は魔王の方を見る。そこには破裂した黒い魔力が二人に収束しドーム状に形を作る。そして魔王と姫を隠していく。完全に見えなくなる瞬間、七星達はより深く身を寄せた。





 ○   ○   ○





 大きく息を吸って、口を離した。

 それに合わせるように黒いドームは霧散した。


「いきなり悪かった。我慢できなかったんだ」

「なかなかに情熱的で悪くなかったぞ?しかし、その怖い顔はいただけないな」

「それも悪かった。あんたの記憶を見ちまった」

「……仕方ないさ。今回だけは許してやる」

「そりゃどうも」


 そうこぼす七星の赤い目には先ほどまで失われていた理性の色が戻っている。そしてその姿も大きく変わっていた。


「それに随分とカッコよくなったじゃないか。いかにも魔王だ」

「ん? あー、ホントだ。なんだこれ。ちょっと写真撮ってくんない?」

「シャシンはわからんが、あとで鏡はやるさ」

 

 そうやって抱いていた腕を開放して自分の腕を眺めれば、人の腕とはかなり違っていた。特段、体格が良かったわけではなく腕もそれに合わせるように太くはなかったが、いま自分の意志で動かしている腕は一回り太くなっていた。また先ほどの攻撃を受けた時に余波で肘辺りまで破けた袖から覗く腕は、黒く硬質化していて爪は悪魔のように伸びて凶器のようだ。頭には火が燻っている木炭のような角が二本、側頭部に沿うように生えていた。なにより身にまとう雰囲気が先ほどまでの平凡な学生から、泰然とした人外のそれに変わっていた。先ほどまでの魔力の重圧ではなく、そこにあるだけで息が詰まる存在感を放っている。

 

「さてと、それじゃ逃げる、でいいんだよな」

「あぁ、いちど城外へ逃げる。しかし、今更だがあの二人を振り切るのは骨だぞ」

「アンタには悪いが、そこで転がってるもう一人の姫さんを程よく焼けば足止めは出来るだろ」

「死なないならそれが早いな。別に構わないさ」

「少しは構えよ怖ぇよジョークだよ」

 

 二人の会話が聞こえたのか、アランと黒鎧の近くに座り込んでいる姫と王様から引きつった悲鳴がした。


「それに、焼くなら普通はあっちだろ」

「殺すなよ?」

わかってる」


 七星の血色の瞳が王を映した。


「けど、我慢できる自信はない」

「させるかッ!!」


 先ほどまでなかった七星の攻撃の意志に素早く反応して王との間に黒鎧は割り込む。しかし意味がなかった。


「そういや、ドルトンさんはこの国の盾なんだろ?」

「なぜ俺の名前を知っている!?」


 先ほどから振り回されっぱなしの黒鎧――ドルトンにさらなる驚きが襲う。目を見開くドルトンに頼むように七星はいう。


「なら、みんなを守ってくれよ」

 

 七星が手を頭上に掲げれば、霧散していた魔力が集まり形を成していく。

 魔力は炎となり、雄々しい毛並みを、猛々しい爪を、禍々しい牙と相貌となって燃える怪物が姿を現す。

 掲げた手が天井を指さした。


「ッ!!アラン、陛下たちを勇者たちの近くへ!!」


 ドルトンの掛け声にすぐに反応して、アランは青白い雷光となって駆けた。

 アランが王たちを連れて生徒たちの近くに現れたのと同時に、七星は黒く燃える狼を放った。

 

「吹き飛ばせ、『日喰いの黒スコールアブスラト』!」


 黒く燃える狼は空気を引き裂いて雄叫びのような炎音を鳴らし、王の間の天蓋を食い破る。その天上まで駆ける勢いに天蓋全域が崩壊した。生徒たちから恐怖の悲鳴が鳴り響くが、崩れる轟音に飲み込まれるほどに小さい。しかし、降る脅威の音を跳ね返すように力ある声がした。

 

人類守護の断盾ガーディアン・オブ・ラウンド!!』


 ドルトンが叫び唱えれば、大きな黒鉄のタワーシールドが生徒たち頭上に現れ守った。


「アランッ!陛下たちは無事か!!」


 崩壊が収まったが、舞い上がる塵に視界が効かないためにドルトンは安否を確認する。


「無事です!勇者様方も問題ありません!」


 塵が晴れ始め、天蓋が崩れたために日の光が照らす中に傷一つない面々の顔が確認できた。ドルトンは安堵の息を吐く。

 

「よくやったアラン!」

「しかし団長、魔王と姫は!?」


 ドルトンが弾かれた様に後ろを振り向けば、そこにいたはずの二人はいなかった。視線をさまよわせてから上を見ようとした瞬間、頭を垂れざるえないプレッシャーが王の間全体に放たれた。身体に纏わりつき、脈打つ心臓が身体の外にあるような悪寒を感じさせた。修羅場になれていない学生たちの中には呼吸不全に陥るものや、意識を飛ばす者が続出した。アランに抱えられた王は歯の根が合わない様子だ。


「おっと。やりすぎた」


 気の抜けた声に合わせてプレッシャーがフッと軽くなる。王の間で意識がある物が恐る恐る頭を上げて仰げば、玉座の後ろの女神像。崩壊のまぬがれた日陰、高い天井の近くにある女神像の頭の上に魔王と姫がいた。


「聞け!愚劣な王国と傲慢な女神の下僕ども!!」


 シャルロットは女神の頭上から、その足を踏みしめて日向に出て声を張る。


「喜べ、貴様らの無知蒙昧な妄言を現実にしてやろうじゃないか」


 声に最大限の侮蔑を込めて、聞く者の心に深く楔を打ち込んで苛むように言葉を放つ。


「私が、必ず貴様らの息の根を止めてやるッ!!!」


 先ほどまでの涼しく透明感のある表情が剥がれ、憎しみと怒りをあらわにして彼女は吠える。


「一つ訂正だ。シャルロッテ」

 

 シャルロッテの背後の闇から七星が歩みでる。彼女の隣に立ち、仰ぐ人類を睥睨する。

 七星は彼女にだけ聞こえる声量で語り掛ける。


「オレはあんたの記憶と感情を取り込んじまった。だからといって、あんたの抱えてるもんが全部わかったなんていえねぇけど」

「……なにがいいたい」

「あんたの知識のおかげでオレにもあいつらを殺さなきゃいけない理由ができた」

「は?」


 なにを言っているのかわからないと言いたげにシャルロッテは顔をしかめる。


「二人で世界を半分こにするんだ。それにオレにもあいつらを殺さなきゃなんない理由がある。なら、矢面に立つのだって二人でだ」

「……そっか。お前には記憶と感情を吸われてるんだったな。バカな奴だ」

「勝手に契約を反故にして離れようとした奴に言われたかねーよ」

 

 七星は彼女の腰を片手で抱き寄せてさらに一歩前に出る。


「おい、気安く触るな!」

「ちょっと我慢してな。演出って大事だから」

「……はぁ。ホントにバカな奴だな」


 シャルロッテは挑戦的で、場違いな少し楽しそうな顔で笑った。

 七星は不敵に笑って返し、黒い魔力を放出して『日喰いの黒スコールアブスラト』を呼び出して背後に控えさせる。それに合わせてシャルロッテから彼に寄り添う。これからのことは二人の総意であると伝える様に。


「さて王国の諸君。まずはありがとう。オレを魔王に目覚めさせてくれて感謝する。そしてお悔やみ申し上げるよ。異世界召喚なんてしなきゃ、お前ら王国はさらに発展できたかもしれないんだから」

「な、なにをいっておるのだッ!!」


 王が怯えを抑えて問いかける。七星はそれに獰猛な笑顔で答える。


「そして祝福するよ。おめでとう諸君!!はれて貴様らは獲物となった。待っていろ。やがて、幾千の魔族と共に、幾万の魔物を従えてこの国を蹂躙してやろう」


 絶望を与える様に、死を想起させる様に語り掛ける。お前らは決して逃れられないのだと。


「――が、必ず貴様らの息の根を止めてやるよ」


 舞台役者のように大仰な声で、宣戦布告する。


「七星ッ!!」


 南十が叫び呼びかけるが、七星はニヤっと口角を上げるだけだ。


「それではごきげんよう諸君。その残り少ない生涯をせいぜい謳歌できることを祈っているよ」


 その宣言と共に、控えていた『日喰いの黒スコールアブスラト』が足元の女神像と後ろの壁を噛み砕いた。


「なっ……!」


 そして二人は、女神像の崩壊とともに後ろの中空に落ちていった。


 ――ここから、人類史の終わりが始まった。

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キスで目覚める魔王様~復讐の姫と一緒に人類史を滅却します~序曲 薄 コウ @idaka

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