午前1時、砂浜にて

桜河浅葱

第1話

午前1時。月明りが照らす砂浜に、ただ、僕の足跡だけが残っている。周りには勿論誰もいない。辺りを見渡しても何もない。海岸線が続いているだけだ。

こんな夜も良い。ずっと誰かと一緒にいるのは、疲れてしまうから。

数十分前の光景を思い出しかけては、もやを払うように消した。

ふと後ろを向くと、30mくらい先に、ログハウスのようなものが見えた。

……さっきまでは見えなかったはずだけど。

明かりがふわっとついている。海の家にしては解放感がない。どちらかというと森の中にあるカフェのような雰囲気だ。ちょっと寄ってみよう。僕は歩を進めた。

ログハウスのドア横の黒板にはWelcomeの文字。窓から中の様子をうかがうことは出来ないが、あたたかな暖色の光が零れてきている。意を決して、少しさびているドアノブに手をかける。

 

「いらっしゃいませ」

扉の先で、男性がこちらを見て微笑んだ。少し童顔な顔、ふわふわした茶髪、女性ウケがよさそうだ。ウェイターの黒い制服が、高い身長によく映えている。軽く会釈を返すと

「お席にご案内致します」

と、こちらに歩み寄ってきた。

店内はぼんやりと薄暗い。ランプがいくつか天井から下がっているぐらいで、あとは目立った照明は見当たらない。店内を照らすのは、無数のキャンドルだ。キャンドルの底の方は赤や青、緑や紫と色とりどりで、芯へ向かうにつれて半透明になっている。机の上や窓枠、カウンターにセットで置かれており、幻想的な雰囲気を作り出していた。

「こちらへどうぞ」

案内されたソファ席には、青と緑のキャンドルが置かれていた。

「……どうも」

ソファに身を沈め、店内を見渡す。カウンター席やソファ席が数席ずつあって、机は雰囲気に合わせて木製である。それ以外は何も―いや、

「一人用の席しかない……」

「よくお気づきで。そうです、ここに来るお客様は皆、お一人様なので」

「どうして一人なのですか」

それはね、

「ここは、いわば『大人の迷子センター』だからです」


「いや、あの、別に親とはぐれたわけではないのですが」

ウェイターの彼は指を横に振った。長い睫毛がゆっくりと瞬きする。

「違いますよ。ここでの迷子は、悩みを抱え、自分の居場所を見失ってしまった人のことを指すんです。あなたもそのはずです」

涙目で袖を引っ張ってきた彼女が瞼の裏に―

「確かに、僕もそうですね……」

すると彼はしゃがみ込み、僕と目線を合わせ

「でも、どんなお客さんでも迎えに来てくれる人は必ずいるんです」

「迎えに来てくれる人……?」

「はい……あ、いらっしゃいませ」

少々お待ちくださいとこちらに手を向け、彼は新しく来た男性客の方を見た。白いTシャツにジーパンというラフな格好の彼は、きょろきょろと周りの様子をうかがっていた。ウェイターはソファ席に座るスーツ姿の男性の元へと向かい、Tシャツの男性を指した。すると彼は安堵の笑みを浮かべて、共にカフェから出て行った。

一部始終を見ていたが、僕には何が何だか分からなかった。すると、例のウェイターが再びこちらに戻ってきた。

「今のお客様は仕事で悩んで鬱状態だったのですが、高校時代の旧友が助けに来てくれました。彼はかなり長い時間ここにいましたが、無事、相談できる相手が見つかってよかったです」

「なるほど」

一つ疑問が生じた。

「すみません、でもやっぱり誰も迎えに来てくれないことってあるんですか?」

するとウェイターは目をぱちくりとさせ

「いえ、それは絶対にありません。必ず誰かが迎えに来てくれます」

「本当に?」

「本当です。ただ、」

と、彼は言葉を切って、ゆっくり噛んでふくめるように言った。

「子供の迷子センターとは違って、迎えに来てくれるように自分から発信することが必要なケースもございます」


「周りの人が気付いてくれるケースも勿論あります。しかし、そうではないケースも少なくない。特に人前では笑顔を絶やさない人、本音を人にあまり語らない人とかは、なかなか気が付いてもらえない」

「確かに、周りから見ると何か悩んでいるようには見えませんからね……」

でも、とウェイターは言葉を区切る。

「時期は人によって違いますが、誰かに助けを求めれば、必ず迎えは来ます」

「必ず……」

今度は女性が入ってきた。店内を見回すと、ウェイターが駆けつける前にお目当ての人を見つけ、カフェから出て行った。

「あの方は……?」

「ああ、彼女は以前、ここに迷子としてやってきました。でも職場の同僚に見つけてもらって、助けてもらった。そうして今度は迎える側となってここに来たんです」

だからここの仕組みは分かっていたのですよ、とウェイターは頷いた。

なるほど。助け、助けられて、の繰り返し。

「ほら、あなたにも来ましたよ」

彼が指さす先には、泣きながらこちらを見る女性がいた。彼女だった。

「あなたの居場所。もう見失っちゃだめですよ」

微笑んだ彼の姿が、揺れるキャンドルの光にぼやけ――


気が付けば、部屋のベッドで洋服のまま寝ていた。もしかして夢だったのか。夏の夜の幻、なのかもしれない。ぐっと腕を引っ張られた。そこには、パジャマ姿で眠る彼女がいた。幸せそうに笑っている。どんな夢を見ているのだろう。


―自分の居場所。誰にでもあるはずなのに、ほんの小さなほころびをきっかけに、糸がほつれていくように、信じられなくなっていく。失いたくないからこそ、疑ってしまう。


そんな自分の葛藤が。誰かにはきっと伝わる。それを知った上で、隣で寄り添ってくれる人がいる。

ふと、優しい香りが鼻腔をくすぐる。服の裾から香るのは、アロマキャンドルだった。


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午前1時、砂浜にて 桜河浅葱 @strasbourg-090402

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