第四章
第十三話 二〇XX年十月十八日
羽音神社 二〇XX年十月十八日
菱沼更紗が意識を取り戻したのは、神事から二日後の早朝だった。何とはなしに頭の奥の方に重苦しさを感じる。布団から上体を起こし首筋を揉む。何気なく首に触れた親指に違和感があった。いや、傷が無かった。
「あー、そういう事……」
神事での出来事を最初から思い出していく。朝比奈家の父娘と鹿沼教授、下男さん達。
先の屏風岩で拵えを改め奥の屏風岩へ。
神楽鈴を鳴らし詠唱呪文を唱え、
とっさにワタシが鈴郁嬢の身代わりとなり、ワタシの形代を用意。神事を続行。
無事に生け贄の献上は行えた。
最後に覚えているのは「鈴郁嬢は無事に帰れるな」と安堵した記憶だ。
この記憶は正しい記憶だろう。
違っているのは肉体なのだろう。
布団を出、寝間着から巫女装束へ着替え晴道の元へ向かう。
「目が覚めたか。お勤めご苦労」居間で対面する
「一騒動ありましたが……。十五代目と鈴郁嬢は無事でしたか?」座布団に座りながら鈴郁が言う。
「無事戻られた。鈴郁嬢は、まぁ初見でアレは仕方在るまい。赤い瓶子のお陰で忌避感も強くは残っておらなんだ。当日の内に正気を取り戻し、とはいえ寝込んでいるとの事だ。後で見舞うといい」
「分かりました。……神事自体は」
「そちらも滞りなく終えた。毎年のことだが一安心だな。鹿沼君や朝比奈家の方々も無事だ」
「ワタシ自身は」
「連れて行かれた。その上で菱沼のモノであると奏上して戻して頂いた。どこか不都合はないか?」
「問題無いようです。後程、朝比奈家へ見舞いに行きます」
「それがいい。まぁ数日は身体を休めるように」
朝比奈家 二〇XX年十月十八日
「それで、結局神事は無事終わったの?」ベッドの中でダルそうな鈴郁が言う。
「全部無事に終わったよ。これでまた一年間、五穀豊穣・無病息災・家内安全だね。まぁ強いて言うなられーちゃんが卒倒した以外は無事?」
「ほんとイジワルだよね」むくれて布団をかぶる鈴郁。
「普通に平気だったんだけどな……。なんかあの眼にじーって見られてて、目が合ったらダメだった」
「まぁ、ほれ、タルトとチーズケーキ、どっち食べよる?」鈴郁が(もちろんあたしも)通い詰めるケーキ屋さんで買ってきたお土産を見せる。
「タルト」モゾモゾと布団から顔を出しぶっきらぼうに言う鈴郁。
「ほんじゃ起きて。お茶もらってくるから」
パタパタと台所へ向かった更紗を見送る。いや、親友と姿形、仕草、体温、体臭が同じ何かを。そんな事あり得ないのは分かっているのだけれど、何かが違う気がする。そんな妄想を払いのけることが出来ない。
説明も証明も出来ない。何もかも、二〇年間見てきた更紗だから、何も変わらないから、気味が悪い。
きっと神事がトラウマになってるだけ。更紗が更紗じゃないなんて意味わからんもん。そう自分に言い聞かせる。
「ハーブティーもらってきたよ」お盆にポットとカップ、お皿とフォークを手に更紗が戻ってきた。
カートンボックスからケーキを取り出し、それぞれ取り分ける。ハーブティーをカップに注ぐ。柔らかく清々しい香りが部屋に満ちた。
「ミントティー。自律神経が改善するんて」角砂糖を投入し、更紗がカップを口に運ぶ。「ほー、スッキリする」
「水野さんがよくいろんなハーブティー淹れてくれるんよね」鈴郁も一口。口内にすっと広がるフレーバーが、ざわざわと落ち着かない、気落ちした心を洗い流してくれるようだった。
十月のシーズナルメニュー、マスカットとヨーグルトのタルトを心ゆくまで味わい、更紗と軽口をたたき合い、ミントティーを二杯。ようやく人心地付いてきた。そんな気がしてきた。
「ねぇ更紗……」
「なーに?」
「なんか、ごめんね。いつもありがとう」
「何したん突然」驚いた顔をしているがチーズケーキを運ぶ手は止めない更紗。
「
「ほやねぇ。まぁ身長はれーちゃんの方が十五センチ大きいけど、包容力はあたしのが上ですし」ドヤ顔で胸を張る更紗。自ら言うだけあり、胸元は豊かに隆起していた。
「うるっさいのー! わたしだって有るのー!」ふくれ面で更紗の胸元をぽこぽこ叩く鈴郁、それを抱き寄せる更紗。鈴郁の喉あたりからふぎゅ、とおかしな音が鳴る。
「いっつも言ってると。れーちゃんの事はあたしが守るとよ。おねぇちゃんに任せなし」
「うん……」ぐずり出した鈴郁の背中をぽんぽんとあやすように叩き、いつしか眠ってしまった鈴郁をベッドに収め、更紗は部屋を後にした。
「おやすみ、
遺された約束 棗田智紘 @osprey74
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