第26話
その直後、警察や救急車を引き連れた斎恩が現れた。斎恩の指示で、警官が放心状態となっていた上杉たちをすぐに連行していく。
そこで秋の意識が強制的に、美波へと移った。秋は美波の体を立ち上がらせると、上の服を脱ぎさらにその下に着ていた防弾チョッキを脱いだ。それから防弾チョッキに仕込んでおいた血糊の入った袋を取り外す。
そこに駅員さんが寄って来る。
「なかなか、名演技だったよ」
そう言って、駅員さんが美波にウインクをした。
「僕もあなたが味方だとは思いもしませんでした」
「斎恩先生は上杉に悟らせないため、私のことを誰にも話していなかったみたいだからね」
「そうですか………」
そこで美波の視界の端で、雫の腕へと収まっている優音が見えた。
しかしなぜか胸の中に強烈な悲しみが広がることはない。
するとそのとき、雫がひとりでに動き出した。彼は優音をそっと地面に寝かせると立ち上がり、斎恩を見つけては詰め寄っていく。
「優音は死なないはずじゃなかったのですかっ!」
雫は斎恩の胸倉を掴む勢いで、叫んだ。秋は驚愕し、慌てて雫の体に意識を移そうとする。しかし、いつものように雫の体に入り込もうとしても何か硬い壁のような物にぶつかり、押し返されてしまう。
そこで秋は悟った。もう自分は二分の一重人格ではないのだと。そして、優音を失った悲しみを雫が全て背負ってくれたことを理解する。
そんな雫が、なおも叫ぶ。
「僕はあなたの計画通り、自らの心を偽り、上杉に負けたかのような演技をして、最終的に美波を撃つことで、上杉の心を折った。でも、その計画に、優音の死なんて入ってなかった。なのにどうしてっ、どうして優音は死んだんだ‼」
それに斎恩が、答える。その声は珍しく、悲しみに沈んでいるようだった。
「私は彼女の愛を見誤っていた。優音君は私の想像を遥かに超えるほど君を想い、そして葛藤していた。許してくれとは言わない。君は私を憎み続けなさい。それがいつかきっと大きな力になるはずだ」
斎恩はそう言うと、踵を返し歩いていく。
雫は宙を見つめたまま、口を呆然と開け、その場に崩れ落ちた。
後日、スーパーの地下にある研究施設と新しく太平洋の孤島に作られた施設は斎恩が買い取ることになった。そして、前者は図書館に、後者は太平洋のプレートを研究する施設に改装されることが決まったらしい。
そして秋はそのまま美波の体を出ることが出来なくなり、美波として生活することになった。一方、新たに誕生した雫は、ずっと下を向いたまま社会に背を向け、自分の部屋に籠り続けている。
学校で、優音の死は不治の病だと説明された。しばらくは、優音のクラスメイト達の間で悲しいムードが漂っていたらしい。美波も、やはりよく知っている人物の死という意味ではショックを受けたが、それ以上の感情は沸き上がってこなかった。その代わりに、雫は深い絶望を抱え込み、日に日にやつれていっている。
悲しみだけを背負って完全な別人となってしまった雫との距離感を掴めないまま、美波は気づけば三年生になっていた。
部活動を終えて、グラウンドの端で美波がスパイクの紐を緩めていると、赤木が近寄って来た。
「今日はのんびり、帰る準備をしてくれ」
という謎のメッセージを残して、赤木はさっさと帰っていった。美波は、赤木が何をしたいのか分からなかったけれど、言われた通りゆっくりと帰路についた。
そして斎恩から借りている家に辿り着いた時である。部屋に電気が点いていた。
美波は恐る恐る、玄関の扉を開ける。鍵はかかっていなかった。するとその瞬間、パンッという音とともに何かが飛んでくる。
「誕生日、おめでとう‼」
なんと家の中には、赤木が待ち構えていた。赤木はクラッカーを持って、美波を迎えてくれる。
美波が驚きすぎて、言葉も出せずにいると赤木が美波の腕を引っ張って、リビングへと連れていく。
リビングには武男がいた。武男も、美波の姿を見るとすぐに、
「誕生日おめでとう」
と優しい声で言ってくれた。
美波はそのまま赤木に促されるまま、ソファに座らされる。すると赤木が階段を駆け上がっていく音が聞こえた。
「やめろよ」
数秒後、二階から雫の声が聞こえてくる。赤木が抵抗する雫の腕を強引に掴んで美波の隣へと連れてきた。美波はかけるべき言葉が見当たらず、かつての自分との間に気まずい空気が流れる。
すると、武男が部屋の電気を消し、赤木がテレビをつけた。
美波はみんなが何をしようとしているか見当もつかない。しかしすぐに、美波の視線はテレビへ釘付けになった。
テレビの画面に現れたのは優音である。彼女の部屋で撮影されているのだろうか、背後にはレースのカーテンが映っていた。
「自分でもなぜだか分からないけれど、私が雫君から大事なものを貰った証明として、映像を残さなきゃいけない気がして、今撮っています。なんだか、カメラに向かって話すのって恥ずかしいね」
優音は頬を赤らめながらも笑いかけると、画角の外から、いつしか雫があげたヴァイオリンを取り出した。そして、深呼吸をするとゆっくりと弓を動かし始める。
優音が弾いているのはハッピーバースデートゥーユーだった。優音らしい、優しいヴァイオリンの音色が部屋に響き渡る。その音はかなり安定していた。それだけで、相当の練習を積んだことが伺える。
美波は心を空っぽにして、優音の演奏に集中した。一音も聞き逃してはいけない気がするのだ。体が温かい音に浸かって、何かが胸に込み上げてくる。まるで優音が、心を毛布でぎゅっと包んでくれたかのようだった。
そこで美波はふと横の雫に視線を送る。雫は、まるで幻覚をみているかのように、テレビを見つめていた。
やがて柔らかなビブラートとともに曲が終了する。
「雫君。この映像を見ているってことは、きっと私の事憎んでいるよね。本当にごめんなさい」
雫は画面の中の優音に向かって首を横に振る。
「憎んでいる訳ないだろう」
雫がポツリと呟く。
「でも、これだけは言わせて。雫君と一緒にいると、私は笑顔になって、心が温まって、少しだけ自分に自信が持てるようになった気がするの。だから、ありがとう。そしてお誕生日おめでとう‼じゃあねっ」
そこで映像は終了し、再び部屋の電気が点いた。そして、今度は赤木達の生歌によるハッピーバースデートゥーユーが聞こえてくる。それと同時に、赤木が蠟燭の並んだホールケーキを二人の前のテーブルに置いた。
雫はまだそこに優音がいるかのように、テレビの黒い画面を眺めている。
美波は、運ばれてきたケーキの火を吹き消した。すると、赤木と武男の拍手が部屋に響く。
そこで美波はフォークを雫の手に握らせた。そこで雫は初めて、目の前にケーキがあることに気が付いたようである。
美波は優音が初めてこの家を訪ねて来た時好きな食べ物を聞かれて、ケーキと答えた日のことを思い出す。
そして、横に座っている雫の目を覗き込むと美波は口を開いた。
「初めてのケーキ、優音が持ってきてくれたぞ」
すると雫は促されるまま、フォークでケーキを切り取る。そしてそれを恐る恐る口へと運んで行った。そのとき、雫の瞳に光が蘇る。
その頬を、一筋の雫が流れ落ちていった。
二分の一重人格 譜久村 火山 @kazan-hukumura
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