パートB 紘一
うおおおっ!
命ある者には聞こえない叫び声を上げて、紘一は空中を転げまわる。
つれー、死ぬほどつれー。
悲しみにくれる葉奈の姿を見てもだえ苦しんだ。
そこから1メートルほど離れた場所で、一人の少女が様子を見ている。
少女は白く輝く鎧を身につけ背中に大きな羽が生えていた。
「ねえ。もう、そろそろいいんじゃない?」
「じゃあ、葉奈はもう大丈夫なんだな?」
「うーん。それはちょっとまだ色々とあるかな」
「じゃあ、あともう少しだけ見守らせてくれ」
「しょうがないなあ」
こんな会話をしているが葉奈は全く気が付かない。
幽霊となった紘一と天使の会話は生者には聞こえないのだった。
紘一は切なげに葉奈の姿を見やる。
こんなことになったのは半年ほど前のことが原因だった。
***
風邪をこじらせて気管支炎が酷くなった紘一は、病院に入院するも治療の甲斐なく亡くなってしまう。
すうっと肉体から抜け出た紘一の魂は、自分の亡骸に取りすがる葉奈を見て途方に暮れた。
そこへ登場したのがこの天使である。
「はい。それでは天国に案内しますよ。ついてきてください」
紘一の魂は動かない。
「もう。何をしているんですか。ついてきてくださいって言ってますよね。聞こえてます?」
「聞こえてるよ。だけど、この体……と呼んでいいのかな。俺、動かないんだけど」
「えー。ちょっと待ってください。あー、魂の一部がこの女の人とくっついちゃってますね。だからこれ以上遠くへは動けないんですね。分かりました。切り離しますから」
天使は自分の背丈ほどの巨大な鋏をどこからともなく取り出した。
「ちょ、そんな大きなので切って大丈夫なの?」
「記憶や感情の一部が無くなったりしますけど、大丈夫です」
「全然大丈夫じゃないじゃないか」
「んー。困りましたね。私じゃこれ以上細かい作業はできないんです。まだ新米なので」
「じゃあ、誰かなんとかできる人連れてくれば?」
「そうしたいんですけどね。あそこに悪魔がいるんですよ。隙あらばあなたの魂食べようとしている」
天使が指さす方向には物凄い美形の少年の姿をしているものがこちらの様子を窺っている。
紘一に向かって手を振った。
「やっほー」
紘一の姿を隠すように天使が移動する。
その後姿に紘一が問いかけた。
「応援とか呼べないの? 電話かけたりとか」
「無理です。緊急事態でもない限りそんなことできません」
「じゃあ、どうするの?」
「仕方ないので、魂同士の結びつきが緩むのを待ちましょう。人間の時間で半年も経てば自然と綻びができるものなので」
それでは、ということで紘一はふよふよと浮かんだまま、葉奈を見守ることになる。
そして半年以上たったが、予想に反して紘一と葉奈の魂はがっちり結ばれたままだった。
「困りましたね。くっついているあのお姉さんは天国に行けるか微妙なところなのに、このまま離れないなんてことになったら……」
「どういうことだ?」
天使が言うには、葉奈の人生は不安定らしい。
ちょっとした選択の差で転落し、闇落ちしてしまう危険があるとのことだった。
「例えば、今日乗る予定の電車は事故で動かなくなって、大事なプレゼンに間に合わなくなるんだよねえ。そのせいで上司に疎まれるようになるし、退職に……」
紘一は慌てて葉奈を止めようとするが、これまでと同様にスカっと通り抜けてしまう。
「ダメダメ。君は霊体なんだから生きている人間には触れないし、話しかけることもできないって教えたでしょ。物ならほんのちょっとは影響を及ぼせるけど」
紘一は知恵を絞った。
葉奈の履いているパンプスは買ったきりしまっていたやつだ。
ひょっとするとソールのウレタンが劣化しているかも。
ここぞとばかりに念じてから踵をひねると取れた。
どうするか迷っていた葉奈は家に帰ることを選択する。
「ああ。良かった」
そこにひょいと現れた少年の悪魔が紘一に話しかけた。
「いい気分になってるところ悪いんだけど、プレゼンに間に合ってコンペ勝つとさ、取引先は不祥事起こして倒産するんだよね。あの女性の勤めている会社もタダ働きになっちゃって連鎖倒産するんだよ」
「この悪魔め。余計ないこと言わないで」
「お前だって未来のことしゃべったのは同じじゃん」
鋏を取り出して悪魔を追いかけ回し始めた天使は捨て置いて紘一はまたまた頭を悩ませる。
不参加はダメ。だけど、プレゼンが採用されてもダメって無理ゲー過ぎるじゃん。
***
なんとか切り抜けさせ無事に帰宅させた葉奈を切なげに見下ろす紘一から少し離れたところで、天使と悪魔がにらみ合いをする。
「あの男の魂は天国行きが決まってるの。邪魔をしないで」
「別に邪魔なんかしてないさ。俺は、あの女性を狙ってるんだから。さっさと男の魂を持って天国行けよ」
「だから、魂が堅結びになっちゃってて離れないんだって」
「その無駄にでかい鋏で切ればいいじゃないか」
「うるさいわね。あんたと違って人間の魂は繊細なの。それに男が死んだ直後ならともかく時間が経ってから切ったら私の責任問題になるわ」
「痛恨の判断ミスってわけだね」
「うるさいわね。そんなことよりも、余計な入れ知恵はやめなさいよね」
「だって、あの女の人が曇ったら魂の価値が落ちるじゃん。天国に行けるほど清らかなものを横から掠め取るから美味しいんだよ」
「その首刎ねてやる。待てえ!」
騒々しい追いかけっこが始まる。
それを見て、紘一はさっさと天国に行けば良かったかもと一瞬だけ思った。
すぐに考えを改め、紘一は葉奈に寄りそい、まなじりの涙に手を伸ばす。
決して触れられないが、要領が悪い天使のお陰で、こうやって見守ることができることができるのもラッキーなのかもという感慨を抱くのだった。
-おしまい-
あるいは幸運なミステイク 新巻へもん @shakesama
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
新巻へもんのチラシのウラに書いとけよ/新巻へもん
★101 エッセイ・ノンフィクション 連載中 259話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます