第9話 蟲と血と炎と

ガランによって閉じられた洞穴の前で、ザハが谷底の民の一人に念を押す。

「ここに逃げ込んだのは確かなのだな?」

「ああ。蟲瘤だらけの男がその穴に、ガキと知らない女を連れ込むのを見た」

ザハは鼻を小さく鳴らす。

「子連れか。そいつは性教育でも始めるのか?」

「知らねえよ。それより、褒美くれるって話だろ」

男は上目遣いでザハに催促する。

ザハは外套のポケットから銀貨を数枚出して投げた。

「失せろ。…おい、まだ開かないのか?」

部下二人はさっきから入り口を塞ぐガランに苦戦していた。剣で切り付けて傷はつくのだが、すぐに黒い液が滲みだして傷を塞いでしまう。しかも固まった液はおそろしく硬度が高い。

「それはきっと蟲術だな。簡単には開かないぜ」

銀貨を拾っていた男が鼻で笑った。

「蟲術か…。ならば火を放て」

ザハは短く命令した。

「しかし、御子さまが中にいるのです。…危険では?」

「是非もない。やれ」

部下二人は顔を見合わせていたが、やがて頷くと剣を収め、背負っていた筒を取り出した。燃射器である。一人が革袋のポンプを抱え、もう一人が筒の先に点火する。やがて猛烈な勢いで炎が噴き出し、たちまちにガランは焼けただれた。

「所詮は蟲。火には弱いか。行くぞ、デカいの」

テラスは火に怯えている。ザハにブーツの先で小突かれ、小さく呻き声を漏らす。だが動かない。火への恐れのせいで身体が痺れてしまったらしい。

ザハは舌打ちして巨漢を捨て置くと、洞内に向かった。

「おい!追加の情報代は…」

男の声が後ろから追いかける。ザハは振り向かずに銀貨を一枚投げた。


地底街入り口。

ザハたちとマヴロがにらみ合っている。

「蓋を開けてみれば、これほどデカい巣穴があったとは。…御子はどこだ?」

「存じ上げないな。お帰り願おうか、パレスの番犬どの」

「レフなんて知らないよ!」

グリが叫ぶ。おいおい、とマヴロは頭を掻く。

「茶番はいらん。御子の胎が欲しいのか?血を浄化したいのなら、功徳を積んでパレスに頭を下げることだな」

「僕らは蟲と共に在る。血の浄化など興味はないよ」

「蟲術使いか。おぞましい血の呪術ですべてを穢そうとする」

ザハは部下二人に目配せし、燃射器の準備を急がせた。

「焼いてやれ。貴様を蟲から救ってやろう」

「グリ、頼む」

「わかった!」

マヴロの合図で、グリは持っていた大きな音叉を石で叩き鳴らした。女の悲鳴のような、あるいは地響きのような、形容しがたい音が鼓膜を突く。

ザハと二人の部下はその音によって、身体が痺れたように動かなくなる。彼女たちだけではなく、地底街の一定数の人間が麻痺してその場に釘付けになった。

「この音は、多くの蟲が忌み嫌う。特に一部の蟲には効果てきめんでね。蟲が騒ぐせいで宿主である人の神経伝達がうまくいかなくなるんだ」

マヴロも麻痺こそしないが、不快そうに顔をしかめている。

「君たちは知らないだろう?火を恐れない人の血に潜む蟲は、ある種の音には弱い。例外もあるから確実ではなかったけど、賭けが当たってよかったよ」

マヴロは傷をつけた床に手のひらに傷を擦り付ける。

「〈縛れ〉」

ザハたちの足元を覆うガランがぱっくりと口を開け、逃げる間もなくザハと二人の部下はガランに拘束された。

「この物騒なものは預かるよ」

マヴロの合図で二人の男がザハたちから燃射器を取り上げた。

「このまま君たちをガランの一部にすることもできる。あるいは、二度とこの谷間に近づかないと約束できるなら解放してやってもいいが…」

「舐めるなよ、蟲術使い風情が」

ザハは震える手でナイフを取り出すと、自らの腕の盛り上がった蟲瘤を切り開いた。おびただしい量の血が流れ出るが、その手にためらいはなかった。

「一つだけ聞かせろ」

ザハは肩で息をしている。傷を切り開く恐怖は打ち消すことができても、燃えるような痛みは誤魔化しようもなく彼女を襲っている。

「血の浄化に興味がないのなら、なぜ御子を庇う?」

「信条の問題だよ。君たちパレスに仕える者は、御子にすべての救いを求め、自らの苦しみから目を背けている。苦しみ自体に何の意味も見出そうとしない」

苦しみに意味がある?ザハには理解できない言葉だった。

「希望のはけ口に御子を使うのをやめろ。苦しみの元が蟲だというのなら、蟲を理解するんだ。救いはその先にある」

マヴロは手に力を込める。三人を呑み込むつもりだった。

「世迷言だな」

ザハは無表情で呟くと、外套のポケットから壜を取り出し、素早く足元に叩きつけた。火炎瓶だった。炎が上がり、ガランが焼けただれる。

拘束が解け、三人は逃げ出そうとした。

「逃がさないよ!」

だがグリは再び音叉を叩き鳴らす。三人の身体の動きが鈍くなる。

そこに、洞穴の入り口から巨漢が吠えながら突進してきた。

「おおおお、おお」

唖然とするマヴロたちをよそに、巨漢はザハたちを抱えて走り去る。

「予想外だね。この短期間で飼い馴らしたのかな?」

マヴロは肩をすくめた。ザハたちを追撃するつもりはないらしい。

その後ろから、やや年老いた男が姿を現す。蟲瘤のせいか、背中が異様に膨れ上がっている。レフはその後ろで女二人に拘束されていた。

「マヴロ。事情を聞かせてもらおうか」

彼はこの地底街の長老であった。

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産まない私は砂漠を逃げる ワダ理央 @Rio_Nagumo

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