第10話 黎標界
「今夜、会う」
「今夜…でも帰ってくる時間も連絡先も私知らなくて…」
アリスの言葉に困惑する美佑。
「今日、泊まる気できたよ(笑)」
スフィアはそう言うと、玄関の方から大きな鞄を3つ持ってくる。
「お泊まりセット、昔みたいに一緒に寝るとか無いけどすっごい楽しみにしてたんだ〜」
美佑も三人が泊まることに抵抗は無いし、泊まるなら今日何時にあの人が帰ってきても会えると思った。
「でも、仕事は?」
「明日は休みなの。ていうか、新曲作るまで休み。川端さん居なくなって楽曲のストックとか無いし、これからの事三人で考えないとって思って」
「そんな時に…」
プロデュースしていた父の喪失感を美佑は初めて知った様な気がした。
「次が決まっていない今だから、美佑ちゃんに寄り添える時間にしたいの。大変な時に一緒に居られなかったから。悔しかった」
アリスは机の上に手を置き、それにスフィアとソフィアも続く。
「私達に美佑ちゃんを支えさせてほしい。悠斗さんがしてくれた様に。私達が貰ったものを返したい」
美佑は三人の手に自分の手を重ね今夜のあの人との対話をすることを決意する。
その頃、東京都港区青山霊園近くの土地に不釣り合いな小さい廃墟ビル。集まった警察と野次馬がその場に好奇心の熱気と異様な緊張感を混濁させていた。
「これで先月と合わせて3件目ですか。集団自決なんて人生で一度も見るべきじゃないですよ。この国はどうなってんですかね」
現場検証を行う所轄の刑事達。そこへ、本庁の警部が合流する。
「お出ましか」
「今回も性別、年齢は関係なく事件性は無しかね」
打ちっぱなしの部屋に入るなり、決めつけたように言い放つ警部。
「まだわかりません。前の2件もまだ捜査中でー」
「おっせーのぉ。優先順位間違ってるといつまで経っても解決しないんだよ」
現場の空気がピリつく中、一人の男がやってくる。髭が不揃いで痩せた工藤刑事だ。
「工藤さん?!あんた今休職中だろ?本庁に来てすぐに居なくなるなんて、所轄に示しがつかんのだから、素直に休んでてほしいんだが」
「俺が精神的におかしくなったなんて、上のくだらん戯言放っとけ。俺はやりたいようにやる」
工藤が遺体に近づき腰を下ろす背中を見下ろし、舌打ちをする本庁警部。異様な存在感を持つ工藤を只者ではないという感じで畏怖する所轄刑事達。
「前の2件の資料も見たが、ガイシャに共通点は無かったんだな?」
「はい…現在、SNS等での呼びかけや連絡のやり取りの履歴も見つかっていません。」
所轄の刑事が態度を変えて工藤に説明する姿を見て、更に不機嫌になる本庁警部。
「これも解剖にまわせ。前の2件の解剖結果は出てるのか?」
「今日、明日で出るかと。最初の事件については、二人のみであとの4人については遺族の同意が得られず、解剖せず火葬されてしまっています。」
所轄の刑事の言葉に、工藤は睨む。
「証拠をむざむざ捨てる馬鹿がどこにいる!既に16人が死んでいるんだぞ!警察の恥部をこれ以上晒すな!」
工藤の迫力に、その場にいる大人が全員息を呑む。沈黙を破ったのは工藤の携帯だった。
「友部さんお疲れ様です。今、現場に来ています。今日、明日新たな材料が揃いますので、それを持って伺います。そちらも何か動きがあるとお聞きしています。いえ、宇良さんから聞いたのではありません。はい。失礼します」
工藤が敬語になる電話相手の友部を探る、周りの刑事たち。警察上層部には友部何て幹部は居なかった。
何も言わず現場を後にする工藤と、その後を後輩につけさせる本庁警部。野次馬に紛れて後ろの尾行を確認した工藤は地下鉄に潜る。
「くそ!」
既に工藤を見失った本庁警部補。ホームから出る合図を鳴らす電車に飛び乗るが、それを一つ隣の車両の外から見送る工藤。
「憶測で動く奴は素人だ」
そう言うと、工藤は地下鉄から地上に出て街に消える。
「あの男、覚悟してるな」
「工藤さんですか?」
友部と宇良は、東京駅に着いて街中を走るマリオカートの車列を見送る。
「まさか、人間に見られてるとはな。妖怪ばっかりに気を取られすぎた」
友部はそう言うと、路肩に止まっているタクシーの運転手に笑顔で手を振る。タクシー運転手は驚いた顔をして急いで車を出し、居なくなる。
「今の工藤さんの協力者ですか?」
「昔はサクラって言ってたのに、風情がないねぇ全く」
友部はカップのゴミを銅像のへりに置いて去る若者を見て、
「文化もねぇか」
宇良は、恥ずかしそうにゴミを回収する。街中を走る電動キックボードを見ておぉ〜と感心する友部とスタスタと歩きだす宇良。二人は銀座の街を歩き出し、ビルの上からそれを見下ろす見無さんが居た。
夜20時、カフェから帰ってきた悠は玄関に綺麗に並んだ、4人分の女性の靴に驚いた。
「帰ってきたらまずかったか…今日も倉庫か…」
悠は肩を落としながら、玄関のドアを開けて外に出ようとする。それと同時にリビングのドアが開き、
「あの!…入らないんですか?」
「えーっと、お客さん来てるなら今日は外でと思って、ははっ」
「入ってください」
まっすぐこちらを見る美佑の目に、悠は有無を言わさず玄関の扉を閉めざるを得なかった。
「失礼しま…す」
リビングでは、ケーキを頬張る三人の女性が居て手を止めてこちらを見た。
「はじめまして、この家で居候してます。川井悠と言います。」
「私達、川端美佑さんの友達で私が有栖川(アリスガワ)、こっちが水羽(ミズハ)で、こっちは奏生(ハブ)です。美佑さんのお父様に良くお世話になっていました」
悠は、顔と最後の言葉で彼女たちがヒメノアだということがわかった。
「あの…部屋で静かにしてますから、ご自由に…ホントに居ないもんだと思って…」
「私達が話したいのは川井さん、あなたです。」
「えっ?」
悠は美佑の顔を見ると、美佑も頷く。有栖川は悠を椅子に促す。悠は椅子に座りながら、
「ファンが嫉妬しそうなシチュエーションですね」
そう言うと、三人は顔を合わせ
「私達の事わかるの?」
「川端さんの部屋に、皆さんのポスターがあります。グッズも恐らく、これまで作ったものすべてあります」
「そうですか。本名を教えるんじゃなかった。忘れてください」
「はい。忘れます」
悠はいつの間にかガチガチに緊張していた。目の前にいるのは、あのヒメノアだ。女性ファンが多く若者の流行の火付け役を担う、ブランドやTVCM、街の広告で毎日目にする顔がそこにいる。
「川井さんは、悠斗さんとはどういったご関係何ですか?遺産を譲り受けるなんて、かなり親密でないとありえないことですよね?」
「遺産相続については、寝耳に水で。私も聞いたときには驚きました。ただ…」
「ただ?」
有栖川が話を進め他の三人は、悠の顔を見ている。
「実は、数ヶ月前まで私は下半身不随でした。信じられないかもですが…そのせいで大学を中退して…地元三重県に戻っていました。でも、体が治って仕事を始めようと東京に来た矢先に、遺産相続の話をいただいて勝手ながら、川端さんに背中を押してもらえたような気がしたんです。それで…」
「そうなんですね。体は事故か何かですか?」
とても答えにくい。どこまで言えばいいのか、というか絶対言わない方がいい。
「いえ、通り魔です。まだ捕まっていないので時々警察が報告のために連絡をくれることもあります」
一応、警察というキーワードで信頼度は上げられるか試してみる。既に歩ける姿では全く信用ならないだろうと悠も自分で思う。
「ちなみに川井さんはおいくつなんですか?お仕事は?」
「今年24歳です。仕事は小説を…まだ出版はしてませんけど、それに向けて執筆中です。」
へぇ~とみんな頷きながら意外と真面目に聞いてくれる。
「じゃあ、一応は仕事も見つけてちゃんとしてる人じゃん」
ソフィアが少し赫駿のテンションに近くて、思わずツッコみそうになる悠。
「こらっ、ごめんなさい。いつも帰ってくるのが遅いようだけど、それも仕事関係?」
「あー、いえ…」
悠は、美佑の方を見て答えづらそうにする。美佑は、自分に指を向けて
「わ、私?」
「起こしたくなくて…夜物音がするのも怖いでしょうし…と」
「だから昨日、倉庫にいたんですか?」
「あっ、バレてましたか…」
悠は後頭部に手を起き笑う。女の子達は笑い、悠は何が起きてるかよくわからない様子。意外と受け入れてもらえてそうだった。
「美佑ちゃんの18歳迄の3年間、責任を持って護ってくれますか?」
アリスの言葉に、全員の顔が真面目に戻る。
「悠斗さんに頼まれました。自分の人生使って美佑さんの生活を、これまでの日常を護りたいと思います。決して邪魔はしませんから」
美佑は悠の言葉に正直驚いていた。今日までちゃんと話した事もないのに、あの本を読んでここまで川端悠斗の為に動いてくれる人。遺産を渡す父も受け取るこの人も、関係性が理解できなかったけど、こんな人たちが居るんだと少し納得できた気がした。
「私達も時折、泊まりに来ます。男手は何かと必要になることもあるだろうし、遺産相続は手続きも正式なものでしょうから、あなたを追い出す理由もない。これから宜しくお願い致します。」
テーブルについた5人は頭を下げる。美佑は流石に例の本を読まなくてはと思った。二人の男の関係を知る為にも。
「じゃあ、パーティーの続きしよっ!川井さんお酒飲みますか?私達もアリスがいつも飲んでるから、用意もあるし」
「ありがとう御座います。1杯もらったらお風呂沸かしてきます」
悠は、言葉通り1杯目のグラスを開けて席を立ちお風呂場へ向かう。
それを見てアリスは美佑に、
「ちゃんとしてる人だね。でも真面目すぎるかも。怖くなったら言ってね」
「うん」
美佑とアリスの二人は、悠が消えたリビングの扉を見つめて言った。スフィアとソフィアはそんなことは気にせず、テレビゲームを始める。
「正直すぎるぞ、悠。面白みのない奴は好かれないよ」
「そんな…嘘なんて最低だろ。馬鹿真面目じゃないだけゆるしてくれよ」
「馬鹿じゃなくても真面目はつまらんてっ、くくくっ」
赫駿に注意されてしょげながら風呂掃除をする悠。思ったよりもダメージがでかくて掃除に時間が掛かる。
「あの〜大丈夫ですか?」
美佑が風呂場まで見に来た。朝のこともあって扉を開けようとはしない。
「はい!ごめんなさい!あとは風呂焚きだけですから」
「?フロタキ?」
「あれっ?焚くって方言なの?」
「そうみたいです(笑)お湯張りますね」
「そうか。ははっお願いします」
顔を見なくてもお互いの顔が柔らかく微笑んでいるのが伝わる。
この日は、次の日が土曜日ということもあり夜遅くまで4人は女子会をし、悠は部屋に戻って見聞録を読み漁った。
次の日の朝、リビングでは4人ともそれぞれの行動の途中で力尽きるようにソファで寝ていた。悠は見聞録を読み終えていた。
「あの黒い影、夜道怪(ヤドウカイ)って事でいいよな?」
「あぁ、そうなるとかなり厄介だ。見無でも見つけるのは無理だろう」
「暗闇を操り、影の中を移動する妖怪。飛んでくる黒い矢が消えるのはそういう事か。見無さんでも見つけられないとなると、向こうが来るまでこっちは手も足も出せないな」
悠は、見聞録を読みながらこれまで出会った妖怪を書き出し、出来事を書き出していた。小説の原稿はメモの役割も果たすと考え、事象の細かな描写も全て文章に書き残していた。
「まぁ、目的が悠だったら焦ることはないよねぇ。一人でいれば誰か巻き込むこともないわけだし、ヤヴァイのは殲姫でしょ」
「いや、この間狙われてたのは苑香だから。猫魈の事もあったから見無さんにお願いしたんだよ?苑香を狙ったってことは、他の三人にも奴らの手が届く可能性がある。」
「あの娘が目的か如何かはわからんだろう。あの武器見覚えある筈だ?お前を襲って足を奪ったのは殲姫であり、その時夜道怪も居た。お前を狙っている事は確実だ」
「そうそう、ソノちゃんが目的なら悠と合流する前に殺すでしょ?」
「お前がソノちゃんって言うな!」
その時、部屋の扉が開き美佑が顔を覗かせる。
「あの…朝から電話してるんですか?色んな声聞こえましたけど。」
「あぁ!ごめんなさい!五月蝿いですよね」
悠は携帯を持って電話を切る真似をする。悠と美佑の会話が止まり少し間が空いて、
「昨日は…ありがとうございます。その、気を使ってくださって」
「いやいや!皆さん昔からのお知り合いでしょうし、私が居てもねぇ…話盛り上がっていましたし!今日、休みですよね?お部屋に戻って休んでください。片付けておきます。」
「いや!それは私がー」
「(笑)じゃあ、一緒に片付けましょう」
悠は着替えると言って、美佑を部屋から出す。
「あれ電話じゃないとすると、声変えて独り言?小説の執筆ってそんな感じなのかな」
美佑は悠の嘘に気づきつつも、あまり深入りしないよう気をつけていた。美佑もまた、もう親しい人を失うのは嫌だと思っている。悠とは現状維持が最善だと思い、昨日はこれからの事を考え最低限度の会話は出来る関係値のために、と思っての話合いだった。
「まぁ、いい人?ってことで納得したよね?」
自分に言い聞かせていると、悠が部屋から出てくる。その音で他の三人も起きる。
「あっ、おはようございます!起こしてしまいました、ごめんなさい」
「いえ…こちら…こそすいません。結局ソファで寝てしまいました。二人とも起きてるなんて家主の鑑ね」
二人の会話が聞こえていたのか、ふふっとアリスは目を擦りながら起き上がり、他の二人も伸びをしたりゆっくりと行動を起こす。
「あの、顔洗って来てください。ここは、美佑さんと私で片付けますから。」
「は〜い」
三人は揃って洗面台へ向かい、それを微笑ましく見る二人。美佑がテーブルの上を片付け始めたのに気づき、悠も急いで手伝う。
この人、マイペースだなと感じる美佑。ただ、なんとなく人を見ている時間は長くてよく見ているんだなと思う。相手の性格や特徴を掴むのも早いから、アリスさんとも普通に会話できていたし。
「川井さんって人と話すこと好きですか?」
美佑の質問に悠は嬉しそうに、
「好きです。友達が多いわけではないですけど、知り合えた人とは仲良くなりたいし、その人が居心地のいい距離感を探るのは楽しい」
美佑はそんな悠を羨ましく思った。悠は、特に返事がなかったことでキモいと思われたかもと内心ヒヤヒヤしていた。
「意外でした。偏見であの人を騙した悪い人なんだと」
「はははっ、そうですよね。私も悠斗さんから遺産を譲り受けるなんて、言ったとおり思ってもみなかった出来事です。今の私に拠り所はなくて、有難く受け取らせていただきましたけど」
「敬語、やめませんか?逆に怖いかも」
「あっ、はい。じゃぁ…」
その後、何を言えばいいかわからず苦笑いする悠。それを見て、
「川井さんわかりやすいですね。次からで大丈夫です」
「ありがとう」
二人は掃除を終えて、悠は一度部屋に戻る。顔を洗ってきたヒメノア三人娘と美佑は、メイクの為に美佑の部屋へ向かう。
「美佑ちゃん、どうだった?川井さんとやっていけそう?」
「やっていけそうって(笑)同居人としてなら、元から心配してませんから」
アリスは明らかに悠への印象が変わったことに気づいていた。
「それより、ソフィアさんこの間紹介してた化粧品買いましたよ!」
「えっ!買ってくれたの?嬉しいっ!今日使おっ、一緒に使おっ!」
美佑は、中学に入ってから服や化粧品を自分でポチポチするようになった。自分の見え方、見られ方を知っていた美佑は、年齢以上にアイテムの使い方が上手かったが、それを披露するような関係性の人はヒメノア三人娘以外には、居ない。
「美佑ちゃんナチュラルだから、元の可愛さゴリ押しって感じ好き(笑)」
「元なんて、そんな…」
「ううん。私達もメイクの加減は気にしてるけど、美佑ちゃんほどナチュラルメイク上手い人そう居ないよ。今日も綺麗」
美佑の顔を触るアリスの手を退けて、美佑は
「ハードル上げないでください。」
会話のあとの4人の笑い声だけが、部屋の中の悠にも届く。
「美佑ちゃんにアリスさんたちみたいな人達が居て、結構安心してるわ。ていうか、尚更俺じゃなくて良かったっぽいよな」
「川端って奴は見る目があるってことでしょ?ナチュラルボーンヒトタラシの悠らしいよね」
「俺のどこが愛されキャラなんだよ」
「悠よ、ヒトタラシの語源は人を騙す人間という意味だ」
白斗の言葉に赫駿が笑っているのがわかって頬をつねる。
「イテテテ、この体悠にとって都合良すぎるよ」
「そんなことより、夜道怪を倒す為に必要なもの、教えてくれ。特訓がいるならだし、結構早くまた襲ってきそうだしな」
すると、悠の腕から口が生え神器、二対の八咫の鏡が出てきた。
「少し頼りになりそうなやつに心当たりがある。だから、今から向こうの世界に行く。」
悠の右手が鏡を一つ持ち、白斗が話す。
「この一枚は持っていけ。一枚は入口、もう一枚は出口として向こうで持ち歩く。」
悠は首を傾げる。
「そうなると、次もこの鏡取りに来て向こうの世界に行くのか?なんか、不便?」
「いやいや、もともとこれはひとつどころに置いておく一枚と、持ち歩く用の一枚で二対なんだよぉ。言っとくけど、神器使って二つの世界を自由に行き来するなんて、俺達だけだぞ?」
赫駿の言うとおり、三種の神器持ってるだけで異常だし、それを自由に使うなんて鬼神じゃなきゃ出来ない芸当だった。
「そうか。じゃあ、今から行くんだな」
悠はそう言うと、鏡を胸ポケットに入れた。そして、もう一枚に手を伸ばすとゆっくり吸い込まれて消える。
その頃、四人娘は出る支度を済ませ玄関にいた。カジュアルな服装だが、ポスターのイメージとはソフィアとスフィアのカラーが逆だった。
「そういえば、悠さんには出掛けること伝えなくていいの?」
「いいですよ。食事も別々で鍵も分けてますから」
アリスは人差し指を立ててよこにふる。
「コミュニケーションは取らないとダメ。お互い知らず知らず壁を作ってしまったら、壊すのは大変なの」
美佑は渋々、リビングを抜けて悠の部屋に向かう。ノックをしてから
「悠さん、私達これから出掛けます。夜には戻りますが、悠さんも出掛けますか?」
部屋の中から返事はない、というか反応が無い。美佑が扉を開けると、部屋に悠は居らずテーブルの上に手鏡が置いてあるだけだった。
「もう居ないんじゃん。ムカつく。」
テーブルの上の手鏡を見ていると、玄関からアリスの声がして、美佑は部屋を出る。玄関に悠の靴があるのを見つけるが、説明がめんどくさくなって、
「悠さんには伝えたよ。悠さんも出掛けるらしいよ」
「そう。じゃあ出掛けますか」
四人娘は家を出る。家の中に静寂が訪れ悠の部屋の鏡は揺らぎ、また部屋を映し出す。
「ここって、本当にあの島と同じだね。物理的に入ってきても感覚は前と変わらないんだ」
悠は鏡を通って、手長足長の島に降り立っていた。地面に生えた草を触っても、特に以前と違った感覚はない。
「あれ、俺自分の足で立ってていいの?」
悠の言葉と同時に、目の前の水面がブクブク泡立ち、赫駿が現れる。
「うわっ!」
悠の足が力なく糸が切れたように落ちる。島の中央の木の虚から白斗が出てくる。
「思い込めば、立っていられたのにな。悠が立てないと思えば立てない。先に言ったはずだ」
「そうだったかな…。なら、歩けるようにして。誰かに会いに行くんでしょ?」
「人ではない。この世界の境界線を司る…ある意味ではこの世界の均衡を保つモノ」
「ちゃんと妖怪だよぉ!」
白斗は悠の体に背中から入り、赫駿は腹から入った。
「いや、二人入ったらどうやって道教えてくれんのよ?」
悠が言うと、手のひらから口が生え
「真っ直ぐだ。」
と白斗が言った。言われた通り真っ直ぐを見ると、池の奥見覚えのあるしめ縄があった。
「池なんですけど、濡れろってこと?この服結構好きなのに…」
「橋を掛ければいいじゃん」
赫駿の言葉で、そういう事かと納得する悠は池に向かって虹のような半円状の橋を想像する。暫くの静寂の後、水面が膨らむようにゆっくりと池から想像通りの橋がせり上がってくる。
「なんか、良すぎて引くわこの世界」
「俺達の世界だからな」
赤く漆塗りのようなツルツルの手すりに手を滑らせながら、橋を渡る。池に泳ぐ魚影は無く、橋から見る池は淋しげだった。
対岸へ渡ると、しめ縄が道を示すように森の奥へと続いていた。
「なんか怖いな。禁足地みたい」
「表裏もまた世の常。立場が違えば意味も変わるさ」
白斗と赫駿は悠の右腕から口を生やして話し始める。
「平安の時代、我が鬼神となったその日を起点としこの世界が産まれ、戦乱の世が死を悪戯に増やし偶発的に創られた別の世界とある日繋がった。この世はいわば人の死が作ったあの世であり、我らの安息地。」
遠くに見えるしめ縄を目標に森の中を歩き続ける。薄暗いのにはっきりと遠くが見えるのは、空に浮かぶ煌々と光る謎の玉のせいだろう。
「あれは月?それとも太陽なのかな」
「否、妖怪だ。名を空亡(ソラナキ)と云う。浮世では方向を狂わせ迷い人を生み出すことを存在意義とする小兵の妖だ」
「へぇ~、どこにでもいるのな。妖怪って」
「この世界も浮世も同じだ」
暫く森の中を歩いていると建物はなく、扉だけが立っているのが見える。
「これ、通っていいん?古そうやし触ったら壊れそうやけど」
触れてみると意外と動かない。地面に刺さっているかのように。
「先人たちの技術は、浮世を見れば一目瞭然だろう。しかもここは黎標界だ」
悠は、扉に手をかける。音も無く、スムーズに開く木の扉。扉を潜っても特に何も変わった感じはしない。
「そのレイヒョウカイ?って何?この世界そんな名前なの?」
「そうだ。この世界ができた時、そこで鍛冶をしていた今では最古参のやつが、付けた名だ。刻の進みを無視するこの世界は職人気質のやつにとっては最高の環境だった。まぁ、代償も多いが…」
「代償ってー」
「止まれ悠」
白斗の言葉に、瞬時に体を固まらせる悠。森の奥から、着物姿の若い男女が全速力で向かってくるのが見えた。10人以上入るだろうか、悠の目の前で膝を突き土下座する。顔を伏せる速度が速すぎて顔が記憶から消えかかる。
「鬼神様、突然の御開帳に我々一同何よりも先んじで馳せ参じましてございます。この所、現世での事象が黎標界に影響を及ぼしており、鬼神様のお力で鎮めていただきたいと村のもの皆、申しておりました。そんな折、鬼神様自らこの様な場所へ足をお運びいただき感無量でございます。」
「いや、土下座はー」
「鬼神様のご尊顔を拝するなど、我々には正しく夢物語なれば。先刻の猫又への処遇、鬼神様の寛大さに目頭を熱くしておりました。」
この人達は、どういう人なのだろう。というかこの世界にこんなに人がいることが驚きだ。以前、島で狙われたあの人も同じ村出身なのだろうか。
「どうぞ、村の長が宴の準備をしてお待ちです。ご案内致します。」
村人たちは、顔を下に向けたまま体を回転させ、来た道を戻り始めた。悠はそのあとをついて行く。
「なぁなぁ、目的違うだろ。これ付いてってどうすんだよ」
悠は小声で呟く。その言葉に悠の口を使って白斗が答える。
「安心しろ。村の長こそ目的の奴だ。黎標界は妖怪と人魂、烏呼が喰らい合う混沌の世界だ。特に烏呼は雑食が過ぎるが故に、神をも恐れぬ愚者だが」
悠は白斗の言葉を聞きながら、緊張していた。目の前にいるのは、話を聞く限り確実に普通の人ではない。そんな彼らが最小限の首の動きで、互いに目配せしているのだ。
「目は口程に物を云う…って感じするわ」
悠の言葉に、歩みを止める人たち。振り向いた顔は、必死そのものだった。冷や汗をかき、皆一様に目の色が赤くなる。
「今だ!」
一人の女の子が叫ぶと、木の上から刀を持った人ではないモノたちが、悠目掛けて降り注いできた。悠に次々と重なるモノたちは苔生した体にや小さな花が生えたり大きな古い石のようにも見えた。
「やった…これで成仏ー」
人々の喜びが口や顔から溢れ始めたとき、石のような塊から腕が伸び、一人の男を空へ持ち上げた。人々がもがく男を見上げるのと同時に、重なったモノたちが千切れるように割れ、腹から腕の伸びた悠が現れる。
「面識ない人から恨まれるの、最悪の気分やな」
「責めてやるなよ悠っ!理を知らぬ無知な人魂は、わかり易い標敵に群がるものだ。って昔誰かが言ってた気がする」
赫駿が何故か楽しそうに話す中、白斗は持ち上げていた男から手を離した。落ちてくる男を、土で創られた手が受け止める。
「死なんとはいえ、痛みはあるのだ。何も落とさんでも良いのでは…と出過ぎましたな」
地面から聞こえてきた声が終わる前に悠の足は勝手に土の手を蹴り壊し、男はゴロゴロと地面に転がった。
周りの人魂が近寄り、悠を見上げる。
「早く出て来い。小奴らの相手をまださせるつもりか?」
その言葉に反応するように、土が悠の目線と同じ高さに盛り上がり形作る。
「人魂の非礼をお詫び申し上げる。悠久の皇がよもやこのような場所に、いらっしゃるなど三百年振りの事にござりますれば。」
「泥狸、貴様らが仕向けておいてよく言う。上の空亡も呼び戻せ。歩くのは面倒だ」
かしこまりました、と老人の姿になった泥狸が宙で何かを引っ張る仕草をした。
すると、夜空に浮かぶ月が恐ろしいほどの速度で堕ちてくる。その場にいる人魂達はうずくまり怯えるが、泥狸と悠は動かない。
「これ、大丈夫か?!」
「安心しろ」
泥狸は嫌な笑みを見せて、腕を振り下ろした。刹那、辺りは暗くなりボゥと明かりのついた提灯を持つ、執事のような姿の男が立っていた。
「おっおはっお初にお目めっお目にかかれ、光栄の極みで…はい!」
見た目の優秀さとは裏腹に、かなり緊張していて口は上手く回っていない。
「悠久の皇、こちら空亡の豆狸、千郎(チロ)と申すモノ。以後お見知りおきを」
「ほう、左近の倅は如何した?神格した訳でもないだろう、烏呼に喰われたか?人を惑わす性分なのは分かるが、よくもまぁ飽きずに続けるものだ」
千郎と呼ばれた男は、小さな狸にシュルシュルと縮む様に変化する。
「これが狸妖怪の生き甲斐で御座いますれば。左近の倅は、役目を私に譲り現在は、長の側仕えとして役目を全うしております。狐らしい生き甲斐です」
泥狸はまた嫌な笑顔で話し、チロは小さな頭を大きく頷かせる。
「ここからは、我々がご案内致します。村はすぐそこに」
歩き始める泥狸と、後ろをついていくチロ。2匹とも狸の姿に戻る。人魂達を置いていくようだ。
「あの、この人達も連れて行ってください」
2匹は振り返って悠の顔を見たあと、顔を見合わせ笑う。
「今回の宿主はお優しいですね。悠久の皇の寛大さも理解できます」
その言葉を泥狸が馬鹿にするように言った瞬間、その場から跡形もなく消え、近くの木の幹が離散する。赫駿の腕が泥狸を刹那に打ち消したからだ。
「あっ、あっ、もも申し訳ー」
「シッ。もう喋らないほうがいいですよ。泥狸さんは生き返るんですよね?先に人魂と私を連れて村に戻って下さい」
「畏まりました!」
チロは、人魂の元に駆け寄り全員を誘導する。その間もチラチラ悠の顔を見ながら歩いて、森の奥に見える明かりにあっさりと何事もなく近づいていく。
「あの、間もなくです。はい!このあと、八十三郎(ヤトミロ)兄さんを迎えに行っても宜しいでしょうか?恐らく体も治りつつある頃かと。」
「貴様の村長が許せばな。どうせ一連見ておるのだろう?なぁ、雲外鏡(ウンガイキョウ)」
赫駿の言葉に反応するものはなく、森に沈黙が流れる。赫駿は向かいついたのか、悠の右足を地面に平行に上げる。
「何する気?」
「蹴破る」
赫駿はそう言うと、足を伸びしてまだ見えない村の門を蹴破り更に家々を突き抜け進む。悠が止める間もなく、その右足は村長の雲外鏡の家まで伸びた。
「わわわわわわわわ、ギャーーー」
甲高い、しかし男とも女とも言えない声が森の中に響き渡る。暫くして村から砂埃を上げてとてつもない勢いで跳ねるようにやってくるものが見える。
「もーしわーけーごーざーいませーん」
目の前で顔の鏡を割りながら土下座をする雲外鏡が現れた。散らばった欠片にチロが慌てている。
「村の管理を任せたのは間違いだったと、私に報せているのか?貴様」
「滅相も、滅相もございやせん。はい!御前を散らかし申し訳御座いませぬ」
そう言うと、散らばった自分の破片を甲子園の土のように顔に寄せる雲外鏡。ジャラジャラと音を立てながら急いで掻き集めている。
「左近の倅!どこにおる!貴様の怠慢がこの様な空の長を創り出すのだ。」
瞬間移動のように、土下座する雲外鏡の横に現れ同じ様に土下座する狐。
「悠久の皇、並びに川井悠様この度は狸一族の不始末、私の管理怠慢が招いた不始末、命に代えまして償う所存に御座います。然しながらー」
話が終わる前に、赫駿が悠の右腕を使って狐の耳を持って持ち上げる。
「あぁあ、申し訳御座いませぬ。誠に申し訳御座いませぬ」
悠は目の前で見ていて、辛くなってきた。何をそんなに怒っているのか、わからなかった。赫駿は、手を離し狐はすぐさまもとの位置で土下座する。人魂達はその様子を怯えながら見ている。
「悠が恐がっている。貴様らの不手際、悠に免じて不問とする。早う落ち着く場所に案内しろ」
はっ、と狐は雲外鏡を支えて立たせる。雲外鏡は顔のヒビが治り、木造の日本家屋を映し出す。
自分の顔を両手で示し、
「どうぞ我が屋敷へ。宴の準備も整えてございます」
悠の足は、勝手に雲外鏡に向かって進み溶け込むように入り、映っていた日本家屋に通り抜ける。
「凄い、これが雲外鏡の力」
「左様でございます、悠様。お初にお目め掛かりますれば、無様なお姿で眼前を汚してしまい申し訳御座いませぬ。」
「いえ、そんな…こちらこそ赫駿がすみません」
悠の言葉に、雲外鏡は大粒の涙を畳にボトボト流す。
「お優しい。まさか鬼神の宿主がこの様なご立派な御心をお持ちになっておるとは、私感激で涙が…」
泣く雲外鏡に狐が大きな白い絹を持ってきてキュッキュッと拭いている。
「ご挨拶が遅れて申し訳御座いませぬ。私、前空亡役を務め、現在は村長の雲外鏡様の側仕えをしております。管狐の竹善(チクゼン)と申します。こちらはこの悠遠村の長、雲外鏡の照全様(ショウゼン)で御座います。皆、鬼神・悠久の皇様の恩恵によりこの世界に産み落とされた万物の一部。貴方様の下僕で御座います」
そういう立ち位置なの?と悠は思ったが、竹善に勧められるがまま、3つの御膳が用意された座布団に座る。
至る所に行灯が置かれた部屋には他に、八つの座布団が用意され悠の右手側、一番手前の座布団に照全が座り、その後ろに竹善がスラっと立つ。
「え〜それではっ皆の衆、参られよ。我が主神の御前である」
厳かな雰囲気の中、障子がトンと音を立てて開き、行灯の中の火が揺れる。
「御意」
複数の重なる声が聞こえたかと思うと、三人しかいなかった部屋に、所狭しと人ではないモノたちが現れた。然し、皆一様に座布団の上に器用に座っている。
「八つある村の長たちを呼び戻しました。これより儀式を執り行わせて頂きたいと存じまする」
勝手に何が始まるのかわからないまま、皆御膳の上にある酒を取り目線より上に掲げる。
「そ〜りゃ、そ〜りゃっ我が身の朽ちぬ理の産み出す御方は、鬼神成、只事悲哀のその先に待つわ無情と教示せり。そ~らそらっ、あれは刻度省みて、恥辱と罪を持ち寄れば新たな怪へと変貌し、不死不獄を堪能す。有り難や」
『有り難や』
口を揃えて謳うやいなや、皆瓶の酒を浴びるように呑んだ。そして、悠を見る。行灯があるとはいえ、揺らめく灯りで顔が見えないモノが殆どだ。
「さぁ、主神も」
悠は、目の前の真ん中の御膳の酒を取ろうとすると、右手から日本の右手が生え三杯の盃を同時に持ち上げる。普通にキモい絵面だ。
「しかと見よ」
白斗が言うと、両脇の右腕が悠の頬に酒を流し込む。それを見て悠も慌てて盃に口を付ける。無色透明な、然しトロッとした液体が喉を通ると腹の中で徐々に熱くなるのがわかる。
「美味しくない」
悠の言葉に部屋の空気が凍る。
「それは良い事です!悠様は既に人を罷められた!」
おぉーと感嘆の声を上げるモノたち、不安が押し寄せ、この場から逃げ出したくなる。
「悠が聞きたいことがある。照全」
白斗の言葉で、座布団から皆立ち上がる。
「逝け」
白斗の言葉に、照全と竹善以外たち消えるように居なくなる。残った照全は冷や汗をかいて、竹善がそれを絹でキュッキュッと拭いている。
「何用か、伺いやしょう」
「夜道怪について、知ってることを話せ」
照全は、白斗の言葉に目を丸くして固まった。竹善も照全を見て心配そうにしている。
「あちらで…接触があったのでしょうか?」
「知らぬでは通せん。貴様は何処まで見ていた?」
「はい。悠様のお背中の傷と右腕に打ち込まれた矢。そして、その後の度重なる対峙も拝見しておりました。しかしながら!私めには未来は見通せませぬからして…」
「今何処に居るか示せ、二言は許さん」
照全は、声を上げて笑う。竹善はおびえている。
「まるで人の様な戯言を、そんな言葉は要りませぬ。気に食わねば頭から喰ろうで下され」
余裕の顔で話す照全は続ける。
「判然とはいきませぬ。ご存知の通り、奴は影を移動します。私でさえ影の中迄は見通せませぬ。未来と同じ様に」
照全は顔に出ずとも、膝に置いた手は震えていた。毅然とした態度は照全の言葉に説得力を実らせた。
「無駄骨か〜。まぁ、信じるとしてっ、殲姫ならどうかな?」
赫駿の言葉に照全がわかり易く飛び上がる。
「せせせ、殲姫様ままままま、ですか?」
竹善が頭を抱える。完全に触れてほしくなかった話題に触れられたようだ。赫駿も予想外だったが、ここで悠が思わず割って入る。
「知ってることを教えて!大切な人の仇なんだ」
照全は口をほの字に開けて、悠を見つめる。少しの間があり、
「殲姫は今、東京におりまする。恐らくは夜道怪と行動を共にし、影の中を彷徨っておるかと。あちらでも姿を見るのは容易な事では御座いませぬ」
意外と素直に話してくれた。悠は質問を続ける。
「目的は何だと思いますか?次に現れる場所は?」
「悠様。先だって申し上げましたとおり、私に未来を見通す力は御座いませぬ。御座いませぬが、見えるものを知っております。そして、東京で急襲を受けたにも関わらず、悠様とご友人は生き延びた。これぞ奇跡!未来は常に必然です。殲姫も未来を見とうなっておるはず。」
照全は、東京のある街を映し出した。インバウンドの外国人でひしめき合う、渋谷一○九。
「この街に完全紹介制の占い師、観言(カンゲン)と言うモノが居ります。あのモノならば、或いは数年先まで、見通せましょう」
「本当?!いつ行けば会えるん?」
照全は、竹善に手を出す。竹善は懐から赤い木の板を取り出す。照全はそこに文字を書く。
「これを建物の前で落として下され。迎えが現れます。」
受け取った板には、達筆で読めない文字が。
「有り難うございます。照全さん」
悠は赤い板をポケットにしまう。照全は悠の言葉に泣き出し、竹善も泣きながら照全と一緒に絹で涙を拭く。
「じゃあな。家に送れ」
「はい。」
赫駿の言葉で、照全は泣き止み川端さんの部屋を映し出す。
「悠様勿体無いお言葉、感無量の極み。またいつでも我が屋敷へお越しください。」
そう言うと、照全は悠を抱き締めるように川端さんの部屋へ送った。
部屋へ戻ると、時間はたった一分しか経っていなかった。悠は部屋を出て、洗面台で顔を洗う。鏡を見ると少し髪が伸びて、光の加減で青く見える気がした。
「今から、渋谷行くよ。」
悠は着替えてすぐ家を出た。その頃、渋谷一○九何処かの一室に、パーカーを着た、謎の影。手を前に伸ばし一言。
「見てはいけないものを見た」
同時刻、渋谷のスクランブル交差点に白と青のワンピースに銀髪の女性が立っていた。周りの人間が性別関係なく2度見してしまう。
「東京、久しぶりやわ」
浅海咲乃は、渋谷一○九を目指して青信号になり人々が芸術的に行き交うスクランブル交差点を進む。
少し時を遡り、昨晩の零時二十二分。港区大門某所の小瀧宗二宅。
買ったばかりの新しい家で、宗二は部屋の奥へ追い詰められ、肩から血を流していた。目の前に立つのは、眼を薄紅色に染めた一人の女性。震える唇から悲痛な声が宗二に投げ掛けられるが二人以外にその声を聞いたものは居ない。
「何で…俺は別に…」
「そんなつもりは無いって?無責任」
女性は涙を流しながらも、表情は固まっている様で、左手を宗二の頬に伸ばす。宗二は女性の横をすり抜け家から飛び出す。
「はぁはぁっ悠…泰征…紗月…苑香、誰か!」
宗二は走りながら、ポケットの携帯を取り出しLINEを開く。後ろを見ても誰も追ってきていない。だが、止まるのが怖い。
「出てくれ!」
泰征に連絡するが出ない。悠に連絡しようとトークを開くと、丁度通知が入る。泰征からだ。
「何だこれ?」
泰征から写真が送られてきて、開くといつメンの写真だった。先日の飲みの席で泰征が撮っていたものらしい。次に来た文章を読んで、宗二は足を止める。
「これ、彼女?」
その写真の奥に、カメラをまっすぐ見つめる女性『北野小織(キタノサオリ)』だった。
「もお、わかんないよ…」
宗二の目の前にスルスルと糸で降りてくる小織だった。宗二が腰を抜かすと、駆け寄りその驚いた顔にキスをする。次に宗二の目に映ったのは、月を背景に小織が人の殻を破るように大きく、おぞましい巨影に変わっていく姿だった。
そして、現在に戻る。渋谷駅のハチ公出口を出たばかりだった悠に、泰征から電話が掛かってきた。
「もしもし、泰征ごめん、これからさー」
「悠、宗二と一緒にいるか?」
悠は嫌な予感がした。
「なんで?なんかあった?」
「いや、昨日の夜連絡したんだけど既読無視でさ。まぁ時々ある事ではあるんだけど、内容が内容でさ。宗二、彼女とのことなんか言ってたか?」
宗二は仕事柄、インフルエンサーとか芸能関係のDMが来るのは知っていたが、彼女は飲食店勤務の普通の人だと聞いていた。通っていた定食屋がキッカケで付き合うことになったと聞いていた。
「いや、普通の人だって聞いてたけど。別に…何で?」
「ちょっと心配でさ、家見に行ってくれないか?俺、家知らないし悠知ってるだろ?」
泰征の口ぶりから、電話で言えることではないようだ。悠自身も、この不安は放っておけるものでもない。しかし、手掛かりは目の前に見える一〇九に居るはずなのに。
「わかった。これから行ってくるわ。また連絡する」
「ありがとう。頼んだぞ」
電話が切れて、悠はすぐに呟くように呼んだ。
「見無さん、響」
呼子の能力を信じて呟いた悠の声に、
「はい。悠さん如何しました?」
「良かった、見無さんは居ますか?」
「えっ?いや…」
「居る」
見無さんの声が聞こえた。苑香の家では響がこの数日、全く気づいていなかったぬらりひょんの登場に口を開けて驚愕の顔で固まっていた。
「良かった。見無さん実はお願いがあって、渋谷で占い師、『観言』と言う妖怪を探して欲しいんです」
「この娘に張り付いて居なくていいのか?」
「何かあれば、響に呼び出してもらいます。『観言』が例の殲姫の手掛かりなんです。」
何者かの思惑か、悠の思いとは裏腹に見無さんを苑香から離さなければならなくなる。悠の周りの人がまるで人質の様に、見えない敵に利用されている思ってしまう。思考は最悪を考え続ける。
「いいんだな?悠よ?」
「お願いします…」
苦渋の決断だった。
「苑ちゃんのことは任せてください!」
「ありがとう、響」
絶対にみんなを護る。悠は渋谷の街を疾走しながら、心に誓った。
「どうしたの?響」
「ううん。それより歌詞はできたっ?苑ちゃんの曲楽しみだな」
苑香は自分の前に置いてあるノートに、作りかけの歌詞を書きなぐっていた。
「なんか一方的な気持ちって感じ…できれば誰かの言葉も欲しいかもって…二人の唄みたいな」
苑香が思い浮かべる人物は誰なのか。響はなんとなくわかったが、口をついて出ることは無かった。
「皆さんお久しぶりです。突然お呼び立てしてすみません。川端美佑さん、先日は突然押しかけて申し訳御座いません。その後、川井さんとの生活大丈夫そうですか?」
「はい。そこまでお互い干渉するタイプでは無いので、問題は起きてません。今日はなんの話ですか?ヒメノアさんたちもって、もしかしてあの人のことですか?」
篠宮法律事務所の応接室に、ヒメノアの三人と川端美佑が座り、その向かいには篠宮貴一が資料を広げて座っていた。
「いつもどおりの川端さんで安心です。ヒメノアの皆さんもご活躍はテレビで拝見しています。実は、悠斗さんの持ち物だったPCが警察から戻ってきまして、他の遺留品と合わせて川端さんにお渡しさせていただきたく、その前にご確認いただけますか?」
「確認も何も…あの人の仕事の事なんて…」
「美佑ちゃんは見なくて大丈夫。私達で確認するわ。いいでしょ?篠宮先生」
「本人のものか確認するだけだから、いいよ。川端さん嫌な思いさせてごめんね」
頭を下げる篠宮に美佑も頭を下げる。アリスはパソコンを開き、フォルダーを確認する。これまでのライブ映像が丁寧にファイリングされて整理されていた。ソフィアとスフィアがライブ映像を懐かしみながら楽しそうに見る。
「こら、見るなら家に戻ってから。篠宮さん確認はこれだけですか?」
「そうですね。持ち帰るの大変ですよね?タクシー呼んでますから」
「ありがとうございます。みんな行くよ」
タクシーに乗り込み、アリスはまたPCを開き作業する。美佑は助手席で外を眺めていると、影が上を横切ったように感じた。鳥よりは大きな物だったが、姿は見えない。
「これ、悠斗さんが言ってた子じゃない?」
アリスの言葉で後部座席が騒がしくなる。
「最近連絡が来てる。この子、オリジナルの曲作ってるんだって、出来たら聴いてほしいって。悠斗さん前にこの子の歌唱動画見せてくれたよね。」
「めちゃくちゃうまかった!作曲かぁ、今度のライブ新曲無いし、会ってみるのありかもね。」
ヒメノアの三人が作戦会議しているが、美佑は聞かないふりをしていた。恐らく、家が面接会場になるのは見え透いている。三人の川端悠斗が居なくなってからも、変わらず前を向いている姿は、美佑が変わらず日常を過ごす精神的な支えにもなっていた。
その頃、美佑の上を通り過ぎ高速の橋桁を飛び移る悠が芝大門に到着するところだった。大きな高層マンションの四階、四一一号室が小瀧宗二の新居だ。
悠は、人が出てくるタイミングを見計らい中へ入る。4回に上がり、宗二の部屋の前に立つ。インターホンを押して反応を伺う。ガチャ、
「悠!どうしたの急に?何で一階でインターホン押さないんだよ。びっくりしたぁ〜」
宗二が普通に扉から出てきた事に悠も驚いた。とにかく、無事なら良かった。
「ごめんごめん。泰征から宗二の顔見てきてって言われて」
「泰征?あぁ…LINEの件だな…ごめん。ちょっと待ってて、外で話そ!」
悠は部屋の中に、女性もののスニーカーがあるのを見た。外に出る意味も理解し、静かに廊下で待つ。
部屋に戻った宗二の目の前には、部屋の隅にぶら下がる黒い繭。宗二は悠と話しているときには見せない、暗い目でサコッシュに携帯と財布を入れて、部屋を出る。
「お待たせ!わざわざ来てくれるなんて、親友の鑑だね(笑)悠は」
「泰征から言われたんだ。何かあった?」
「うん。ちょっと」
エレベーターを使って降りる二人と、宗二の部屋で黒い繭から出てくる小織。目の前の鑑を見ながら、背中から出てくる糸で様々な服を作ってはあてがう。まるで楽しくショッピングをする少女の様に、その姿は宗二が出会ったときの純粋なな顔とはまるで違った。
「これでいいや。今日は宗二とどこ行こうかな」
レザーのジャケットとジーパンにタートルネックで、全身黒色の強い印象を与えるファッション。
「またあの人…邪魔だなぁ」
小織はそう言うと、糸で小さなナイフを創り出す。ふと我に返り、ナイフを落とすとナイフは黒い糸の束に変わる。顔を半分覆い、自分の顔を見る小織の見える左顔は小織の知らない自分だった。
フラフラと外に出る小織は、ドアから出るとそのまま下に人形のように落ちる。少しジャンプしただけの様に、タンッと地面に着地して歩き出す小織は、真っ直ぐ悠達を追って歩き出した。
この時、悠と宗二に向かって集まる小織に似た複数の気配を、白斗と赫駿は感じ取っていた。
「面倒くさいものがついてるね。まぁ、魔性的な魅力があるのかな。」
悠は赫駿の言葉を聞きながら、宗二との会話も続ける。
「泰征から連絡きた時も結局出られなくて、泰征ってタイミング悪いよね(笑)」
「そうやね。俺も今日出掛けてたけど、来たからな」
「マジで?!ごめん。一緒に行く?てか行けるやつ?」
悠は、いいよと言いながら信号で立ち止まった時に後ろを振り返る。遠くの電柱に隠れる小織を確認する。
「宗二も彼女良かったの?家におったやろ?」
「あ〜やっぱり靴見えてた?いいよいいよ。付き合うのもやめようと思ってるし」
「なんかあったん?付き合ってまだ3ヶ月も経ってへんのやろ?」
「最初にあったときから数えれば、もうすぐ一年だよ。俺やっぱり女性とはいい距離感でいたいんだよね。」
「イケメンは贅沢やな」
宗二も後ろを振り返る。小織の追跡に気づいているようだ。
「俺って人変えちゃうのかな。あんな事する子じゃなかった。」
「キッカケとかあったん?ストーカーとか昔から?」
「うん。別れるとき嫌だから、付き合うのもしなかったのに。部屋買ったばっかだし」
宗二は疲れたように溜息をつきながら、力なく笑う。
「泰征もそれ気づいとったんかな。やから俺寄越したんかもな。」
「うん。ごめんな。泰征も頼むんなら説明してよって…まぁ俺が悪いから説明すべきか。」
「泰征らしいよな。あいつ時々先生みたいなこと言うし、わかるよなって目で言ってくる(笑)」
二人とも笑う。赫駿から徐々に追ってきてる気配が近づいている事を悠に教える。
「そろそろ逃げ道が無くなるよ悠、そこの道左手の商店街入った方がいいよ」
悠は宗二の手を掴み、半ば強引に
「まぁ引っ越したんだし、近くの商店街見とかないとな。何だかんだ、引っ越しはする気無いやろ?」
宗二は、手を掴まれたことに驚いたが、
「まぁ、そうだな。正直、殆ど悠達以外と遊んでないから何があるのか知らない」
「勿体無いわぁ〜、引く手数多やろうに。行こ行こ」
少し早歩きで商店街の中を進む二人。追ってきた気配が、商店街の入り口と出口に集まって距離を詰めるのがわかる。
「さぁ、どうするか…」
歩きながら、左右に並ぶ看板たちを見送っていると、占いの文字が目に留まり渋谷の身無さんを思い出させた。
すると、占いの文字の横に御札のような紙で明らかな急ごしらえ感のある文字を見つける。
「観言…」
悠の見た紙には、走り書きで観言の文字。悠は咄嗟に足を止め、宗二は悠にぶつかる。
「うわっ!何!なんで止まったの?」
「恋愛運、見てもらおや」
悠は、宗二の手を引っ張りながら細い階段を登っていく。一段、また一段と上がるにつれて寒くなり、白い煙が足首まで隠し足を踏み外しそうになる。
「あぶっ危ないって悠!何ここ!占いとか信じないって前…」
階段の先に一つの扉があり、煙はその下から漏れ出ていた。悠が扉に手を掛けようとすると、部屋の中から、
「お会いしたかった」
と男の声がした。悠はその言葉で中にいるのが本物の観言であることを確信した。
扉がひとりでに開くと、中には目を閉じて両手を前に突き出した若い男が笑みを浮かべて一人がけのソファに座っている。
「変えましょう、私達の未来」
観言の両手の朱い目が開いた。
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