第9話 白き姫の急襲

 銀座にあるカラオケ店の023番の部屋、悠と宮本苑香、そして小さな妖怪『響』が鉢合わせた。この場にいる誰も予期していないものだったから、

「いつからなん?それはなんて名前の妖怪?」

「ちょっとまって…もう少し時間ほしい」

 苑香は、そう言って顔を手で覆った状態から動かない。悠は、苑香を気にしながら膝の上に立つ小さな妖怪を見ていた。妖怪は、すくっと立ち上がり先程までと、さほど変わらない大きさのまま話し始めた。

「私は『響』。呼子という妖怪でソノとは協力関係を既に築けています。ソノは私の声を聞き入れてくれた」

「仲は良さそう」

「はい!そして、貴方様以外に響を見た人はいらっしゃいません。ソノは混乱していますが、今貴方様が此処にいらっしゃる理由と響は間接的に繋がっています。」

「苑香は俺に、『響』を見せたかった?」

「いえ。それは違います。ソノは貴方様にこれからの道筋を相談したく、響のことは伏せておくつもりでした。しかし…」

「最悪のタイミングで俺が来たと…いっつもそうなんだよな(笑)ごめん」

 悠と響の会話に入らず固まったままの苑香だったが、悠の自虐に反応した。

「ううん。私が良くなかったの。悠くんを誘っておいて、見られたくなかったなんて都合良すぎて。でも、意外だった。驚かないなんて」

 苑香は、俺の中の存在には気づいていないようだ。響は俺の顔色を伺い、俺は小さく首を振った。

「妖怪、好きなの知ってるでしょ?しかも、呼子だ。『ゲゲゲの鬼太郎』でも見た事あるし、こんなに小さいとは思わなかったけど。ちょう興味津々」  

 悠はあくまで妖怪に会えたことを喜ぶ人間を演じる。苑香の、周りに教えたくない気持ちは十二分に理解できるからだ。しかも、俺の中にいるのは鬼神だ。

「大きさは自在なの。私も…妖怪好きだったけど、まさか本当に存在してるなんて。しかも、私に力を貸してくれてー」

「力って響はどんな力を持ってるの?声の妖怪だよね、呼子って。違ったらごめん」  

 苑香は信頼しているようだが、妖怪は個体によってかなり気性が異なると思う。嘘がうまいやつも、口の達者なやつも居るはず。

「前、東京駅で悠くんに見せた動画憶えてる?」

「あの、顔見せないで歌ってみたのやつ?あれ、結局響の声やったとかそう言うこと?」

「響の声ではありません。ソノの声そのものです。私の力は感情を声に乗せる力、説得力や表現力を増幅させる能力です」  

 響は小さな手を広げて言った。苑香は、

「YouTubeでも、SNSでも聴いている人に私の今の感情が届くの。それに元気を貰ったって言ってくれる人が多くて、徐々に噂で広がるようになって」

「へぇ~凄いやん。苑香人前で何かするタイプじゃないやろ?カッコええね」

「嬉しい。でも、もっと上手くなってから悠くんには聴いてほしい。それで、相談したいことなんだけど。これ見てほしくて」  

 苑香はSNSのDMを開いて、悠に見せる。

「この人なんだけど、私の歌聴いて連絡してきた人で、芸能関係らしいんだけど、アカウント非公開で怪しくて」  

 苑香が見せてきたSNSアカウントには、@riverside_hakobuneというアカウントからのDMだった。

「幽香さんの歌唱動画を拝見して、不躾ながらご連絡差し上げました。一度、対面で芸能についてのお話しをさせていただけませんでしょうか?下記↓リンクに私の事務所のHPを付けています。お返事お待ちしております、か。めっちゃ怪しいな。」

「うん。でも…」  

 苑香が求めている事は分かっていた。苑香がやる事を知った上で、応援する。

「そのリンク、俺に送って。俺の携帯で開いてみよ。このアカウント、非公開やのにフォロワー多いし、フォローは少ない。少なくともフォロワーが知りたいと思う情報がこの非公開のアカウントにはあるって事かも知れんし、もしくは買った偽のフォロワーなだけかも、まぁ非公開の理由がわからんけど。リンクを開くリスクを考えたら俺が開いたほうがええな」

 苑香は俺がリンクを開くなら自分がとも言ったが、そんなことはさせられない。

 送ってもらったリンクを開くと、そのHPのトップに浮かび上がったのは、川端さんの部屋にポスターが貼ってあった【ヒメノア】だった。

「これ、ヒメノアの事務所…」

「嘘っ!ほんとに!偽物じゃなくて!?」

 苑香も俺も驚いていた。だが、会社の代表の名前を見て、俺はもっと驚いた。

「嘘だ…」  

 そこにあった名前は、川端悠斗だった。

「このDMいつ届いた?!これ、俺の知ってる人…」

「え…確か、昨年の1月で投稿し始めてすぐに来たから…」  

 川端さんが俺の目の前で亡くなったのが、1月12日。その3日前、1月9日に苑香にDMを送ってた。あの日、俺に突然連絡があったのは偶然か。

「苑香、このアカウントは歌以外に載せてるもんあるか?」  

 すると苑香は、少し顔を強張らせたが1枚の写真を見せる。そこに写っていたのは、サークルの飲みで4人で遊んだ時の写真。顔はモザイクをかけてあり、フィルター加工してあるのだろうか。恐らく歌ってみたの曲の歌詞が一部並んでいる。

「私の好きな歌詞を1枚の画像にして載せてて、みんなに断りなく載せてたのはごめんなさい。でも、お客さんもわかんないし、お店もわかんない筈。」

「いや、これや」  

 この写真には、俺の指輪と川端さんから貰った財布が写っていた。この財布は、誕生日の日に川端さんがくれた物で、所作というブランドの革財布らしく、今も使っている。

 今度は、俺が頭を抱えた。

「そっか…やっぱ、川端さんすげぇな。」

 涙が溢れる俺を、苑香は呆然と見ているしかなかった。

  「ごめん…でも、なんか止まらん…」  

 苑香は、マイクを持って立ち上がり囁くように歌った。

「♩今を知る事が、過去を知ることになると。私は過去の自分も未来も嫌いで今だけを愛すると誓った。どんな苦しみも、哀しみも今笑い飛ばせば過ぎるから。私だけが刹那を灯すから見てて。」  

 【ヒメノア】の最新曲、『時ノ詩(トキノシラベ)』を歌った。アカペラだが、マイクを通してゆっくりと流れる様に悠の耳に入っていく。心地よさと、熱くなるような優しさが心の深層から溢れるのを感じる。

「この曲、初めて聞いたとき。すごく不安で、独りで、でも悠くんや泰征くん、紗月に宗二くんのこと思い出して元気出たの。この曲のおかげで私は普通になれた。人を変える力を持った曲なの」

「元気になったわ。苑香の歌声はホンマに凄い声なんや」  

 苑香は、膝の上の呼子を持ち上げ、悠の目線の高さに持ってくる。

「響の力のお陰だよ。体に染みていく感覚、あったでしょ?響は振動を明確にさせて、物理的に伝えることができるの。だから、音が入ってくる感覚になる」  

 アーティストのライブでスピーカーの音が全身を震わせるのと同じ原理か。でも、あの声の大きさでここまで伝わるなら、説明できない呼子が持つ力なのだろう。

「そっか。だから苑香の歌声あってこそなんや。」

「その通りです。私の力は唯潜在能力を引き出すに過ぎませんから。ソノの歌声は本物なのです」  

 苑香は、響をまた膝の上に座らせる。

「でも、悠さんの事件はまだ公になってない。死んだ事も個人の特定はしてないから、HPが残っているのもわかる。恐らく、SNSアカウントは残っているけど、返事は来ない」

「そうだよね。まだまだ始めたばっかりだし、【ヒメノア】を育てた人が声を掛けてくれてたなら、私の自信には繋がるから。」  

 苑香と悠は、カラオケ店を後にして歩いて新橋へ向かう。その後ろを付いて行く人影。  

 暫く歩いて、悠は急に

「忘れもんした!先行ってて!」  

 苑香にそう伝えると来た道を戻る。苑香はそんなカバンとか持ってたっけ?と思いつつ、みんなが集まる店に向かう。  

 悠が向かってくるのが見えて、路地に入り逃げる人影。悠は、路地を見るが人の気配はない。そのまま、来た道を戻る悠とそれを建物の屋上から見下ろす人影。悠が角を曲がり見えなくなると、人影は立ち上がるが、

「あんた誰?」  

 人影が振り返ると、さっき下で曲がり角を曲がったはずの悠が真後ろにいた。人影は飛び退いて距離を取る。顔は月明かりで見えるが、その顔は悠に見覚えはない。

「こいつは猫魈だ」  

 白斗が悠の質問に答える。

「前に殺したやん?何でまた別の人間に取り憑いてんねん?」

「猫魈の本来の力は取り憑いた人間を呪い殺し、血の繋がった者に乗り移ることで、一族を皆殺しにする妖怪。怨みを溜め込む弱者がより弱者に押し付けた怨みが始まりと言われる。今回は、何かの拍子に猫魈本来の力以上の能力が生まれたのだろうな」

「この人はじゃあ」

「死ぬな」  

 白斗の言葉に悠は一瞬拳の中に痛みを感じた。しかし、

「那斬で斬れば、助かる?」

「助かるかはわからんな。既に侵され、人としての理性が失くなっている場合もある。その時は…」

「助かるかもなら、やってみるわ」

 悠は、掌を自分の顔の横に持ってくる。すると頭に出来た白斗の口から、那斬はゆっくりと押し出てくるように現れる。悠と退治する猫魈も口から溢れる歯からよだれを垂らし、両手の全ての爪が伸びる。

「斬るのは猫魈だけやからな。如何すればー」

「イメージしてみろ。あ奴の姿を。見える筈だ」

 白斗の言葉で、目の前の人影を凝視する。すると、人影が膨らみ徐々に大きな黒猫が現れる。尻尾は3本で目は朱色だ。

「見た目怖すぎるって…。こっからどうするん?」

「唯、斬るのみ」  

 白斗がそう言うと、脚が勝手に屈伸し空に舞うように飛ぶ悠。

「うわぁーーー!おい!急すぎるって」

「大丈夫っ!振り下ろせっ!」  

 赫駿が楽しそうに言った言葉の通り、手を頭上に持ってきて那斬を振り下ろした。  

 猫魈は両腕の爪で刀を受けようとするが、悠の持つ那斬は、まるでそこに何も無いかのようにスッと地面まで振り落ちた。

「手応え無いんだけど…」

「離れるぞ」  

 悠が猫魈から離れる時、刀が爪に当たりポロポロと切り落ち、その爪が地面で跳ね猫魈の体に当たる。

「ミチミチ」  

 柔らかく水分を含んだものが離れる音がして、猫魈の真ん中から血が吹き出る。さっきまで悠のいた所に血飛沫が掛かり、猫魈はアジの開きのようになる。

「グロいなぁ…あの人、大丈夫かな?」  

 猫魈が倒れると、男の人が気を失った状態で倒れその胸の上に黒猫が死んでいた。ボロボロなその猫は、血黒く染まっていた。

「この傷は、生前のものだな。そうとう人間に痛めつけられたようだ。」

「成仏させるには如何すればええんや?」  

 二体の鬼神は答えない。

「おい。どうすればええの?」  

 すると、悠の腕が腰の横に上がり、掌にはいつの間にか鏡があった。

「これ、三種の神器?」

「ピンポン!八咫の鏡、これにあの猫入れてみ」

 赫駿の入れてみという言葉が良くわからなかった。手のひらサイズの鏡に猫は大きすぎる。

「上に置くだけでいい」  

 悠は、恐る恐る黒猫の上に鏡を置く。暫くの沈黙のあと、

「猫を鏡の上に。」  

 悠はしゃがみ、骨がないみたいにぐにゃりと曲がる猫の体を持つ。気持ち悪さと戦いながら、猫を左手の上に、

「え…」  

 猫の体は、真ん中から穴が開く様にボッコリ吸い込まれていく。そして、掌の中の鏡に猫が入ると鏡の中に波紋が立つ。

「で?どうなんの?」  

 悠の右腕は、鏡を指差す。鏡の中の波紋の中心から、子猫が顔を出し、泳ぐ様に横移動する。見切れることなく猫が進む姿が映り途中、鏡の端から緑が現れて、猫はそれに這い上がる。水から上がった猫の尻尾は日本だった。

「あっ、猫又になった」

「この鏡は、俺達の棲家に繋がっている。こっちの世界で死んでも、向こうの世界なら妖怪として生まれ変わる。条件は死んでいる事、人間ではないこと。」

「人間が入ったら?」

「実にゆっくりの時間を過ごすよっ」  

 赫駿の最後の言葉は俺が修行したときの事で理解は出来る。俺以外にもこの鏡を通して人が入れる。

「自由に出入り出来るとか、流石神器」

「無理無理!入り口として使った場合、出口には使えないよ。理に矛盾してるから。」

「そうなん?じゃあー」  

 その時、気を失っていた男の人がうーんと声を発する。悠は咄嗟に逃げて路地に飛び降りる。

「ここから離れよ。店向かわんと」  

 悠は、その場から離れようとする。携帯には苑香からの店到着の連絡が五分前に入っていた。

「最短ルートで行ってもええ?」

「夜だ。見つかる道理がない」  

 そう言うと、悠は隣のビルに飛び移りぴょんぴょん夜の街を空中闊歩していく。

「やってみたかったやつ!気持ちイィ〜」  

 僅か二分で目的地近くの路地に着地。店に入ると、丁度一番奥の個室から顔を出した泰征と目が合う。

「おっ!悠ここ、ここ!悠来たぞ」  

 泰征は俺に手を振りながら、個室の中にいるいつもの三人に声をかけた。

「ごめん。俺が一番最後だな。お酒何飲んでる?」

「苑香から、もうすぐ来るって聞いてたからレモンサワー頼んであったんだけど、ちょっとヌルくなってるわ。」  

 悠は受け取ったレモンサワーを飲む。

「たしかにヌルいわ(笑)お酒追加していい?飯は?追加する?」

「乾杯しなおそっ!遅れてきて乾杯せずに飲まないでよ」  

 紗月は、まだ俺に当たりが強いままだ。

「ごめん。宗二新しい家どう?」

「広くなったし、仕事も増えて、家賃上げて良かったよ。悠キッカケくれてナイスだったよ」

「何もしてへんよ」  

 二人はグラスを当てて音を鳴らす。店員がポテサラ、とん平焼き、レモンサワーを2つ持ってくる。

「じゃあ、今日も笑顔で良かった!乾杯!」  

 みんなで泰征の言葉をきっかけにグラスを合わせる。

「悠も宗二も、髪のばしてんの?切った方がいいよ。なぁ?」  

 泰征が女性陣に意見を求める。

「うーん。いいんじゃないかな?宗二くんは前から伸ばしたいって言ってたし。悠くんも軟毛だからモサくはならないし。ねっ?」

「私は短い方がいい。キムタクじゃないんだから。違和感マシマシ」

「だよな!紗月は俺と同じ意見。二対一で決まりかな」

「何が決まんだよ(笑)」

「二人とも似合ってるよ」  

 泰征は、店員の女の子にも聴いて長髪派で同点に追いつかれ悔しがったり、宗二の方まで伸びた髪を紗月は三つ編みにし始める。

「俺、髪結ぶの嫌なんだけど。紗月酔ったらいつも細かい作業したがるよな。」

「うごーくなっ。苑香は大切で触れないし、悠は今触りたくないから宗二で我慢してんの。泰征は結べないから論外」

「おい。いつから三対一になったんだよ。」  

 そのうちに、話題は最近の出来事に移り変わり、

「悠は、今住んでるところはどうなん?ていうか教えてもらってないけど?」  

 泰征の質問にみんなが俺の答えを待つ。

「ごめん場所は…その〜、居候というか何というか…」

「はぁ?同居してんの?彼女出来たんか?」

「違う違う!遺産を何故か…譲り受けて、それが一軒家の一室で…その人の娘さんの事頼まれて…なんか複雑やねん。」

「その子親亡くなって、しかも悠みたいに知らん男と暮らすの?それは何が何でも親のエゴ過ぎるでしょ。」

「まだ中学生で、施設に入れるよりは新しく作った家で護りたいって。お金と家だけは残せたから頼むって」  

 みんなさっきまでの空気の温度が少し下がるのを感じる。

「でも、悠くんこれから仕事始めたり大変な時期だから、その子と仲良くなるタイミングあるかな?」

「それが、最初から嫌われてんのよ。マイナスからのスタート…」

「ちゃんと喋ってねぇからだろ。悠がイイやつなのは、話した人間なら誰でも知ってる」  

 泰征の言葉は素直に嬉しかった。悠自身も今のままでいいとは思っていない。ただ、美佑の環境を鑑みれば、こちらの都合を押し付けるべきではない。それが唯一の肉親であった父親からの最後の望みであっても。

「悠も根っこは人見知りだからな。交友関係は狭くはないけど、手の届く範囲で深くって感じだし。」  

 宗二の言葉に紗月と苑香は頷く。

「でも、名古屋の友達とか、川端さんとか地元の友達もすぐ会える訳じゃないから、深くはならないんじゃない?」  

 紗月の言葉を聞いて、悠の顔が固まったことに気づいた二人と気づかない紗月、宗二。

「川端さんが亡くなった父親だろ。紗月知らなかったのか?」

「そうなの?遺産相続する位の関係だったの?そのイメージ無かったわ。ごめん…」

「いいよ(笑)みんなは面識無かった訳だし。俺も遺産についてはメチャクチャ驚いたし。」

「でも、そんなに近かったのに娘さんとは仲良くならなかったんだ。」  

 宗二の意見はごもっともだけど、

「娘さんいた事も、というか結婚してたのも知らんだ。いつもあったら俺の事ばっかり相談してくれて。これから始める仕事も川端さんのお陰で始まるし」

「亡くなってからも、悠に道作るって川端さんって凄い人やな。何してる人?」  

 苑香との秘密がある手前、ちょっと言い辛い状況ではある。

「会社やってたみたい。そんなに大きくはないって言ってたけど。」  

 何となく濁した悠。

「へぇ~、社長か。家も凄いんだろ?場所ってみんな知ってる?」  

 泰征が喋ると、

「流石に同居人居るのに、住所を教えるのはだめだと思うけど。」  

 苑香の言葉に、皆一様に納得する。

「まぁ、宗二の家もあるし会おうと思えばこうやってみんな集まって食事できる訳だし。」

「おいおい、今度は泰征の家でいいだろ。彼女が五月蝿くて、この間怒られたんだから。」  

 宗二は家を引っ貸したことを言わず、泰征と悠に先に伝えて、家に招待した事がバレてかなり怒られたらしい。  

 紗月は、

「うるさいって酷くない?宗二はその娘と何で付き合ったんだっけ?」

「何となく?知らない内に付いてきただけだし。俺別にみんなといる時と変わんないし。」

「それ、付き合ってんの?」

「まぁ、向こうが宣言して周りが公認ならそうなんじゃん?今の所、ヤバそうな人じゃないし」

「なんか、不誠実やなぁ。恋愛経験多いとそんなもんなんかなぁ」  

 悠は、宗二の感覚がわからなかった。今時のSNSやマッチングアプリでの出会い経験が無い悠とは違い、宗二はそれなりにDMなど連絡が来ることが多いそう。

「でも、浮気というか同じ関係?位の人は居ないよ?それに浮気とかは絶対嫌だし。でも、彼女より皆といる方を優先する時が多いのは事実」

「優先順位高いのは嬉しいような、でも複雑だな」  

 泰征は、そう言いつつも嬉しそうにグラスを殻にする。

「そうか?彼女よりここに居るみんなの方が一緒にいる歴が長い。当然、大事なのはこっちだろ?」  

 宗二は当然と言うように話し、皆は嬉しくも恥ずかしく顔を見合わせる。

「イケメンの言う台詞は、違うな」  

 泰征の余計な一言に、宗二はコップの水を少し泰征のスボンに垂らす。

「わっわっ!ごめんごめんって!」  

 泰征が持っていたグラスがけ傾き、中の氷が苑香に向かって飛んでテーブルから落ちる。

「あぁ!もう騒ぐなっ!バカばっか」  

 紗月はすぐにお絞りを取るが、苑香は

「大丈夫、そのまま下に落ちたから。」  

 泰征は、テーブルの下を見るが氷は見当たらない。

「どっか滑ってったわ。てか、ほんとにごめん!」  

 泰征は顔の前で両手を合わせ、苑香は気にしないでと手を振る。苑香の膝の裏では、響が氷を頬張っていた。

「もうそろそろ、解散しよ。悪ノリは嫌いがルールでしょ」  

 紗月の言葉に皆、一旦落ち着く。

「俺達の風紀委員はやっぱ紗月だな」

「店員呼んで。泰征飲み過ぎ」

「俺が読んでくるわ。皆帰る準備しいや」  

 俺は、個室を出て店員に手を上げてジェスチャーで伝える。

「紗月は、俺と宗二で送るから。苑香は悠がちゃんと駅まで送れよ?」  

 急に個室の中から言われ振り返る。

「うん?何でそないな話になったん?一緒に最寄り駅向かえばええんちゃう?」

「私今日ここに来る途中で落とし物したんだよね。苑香のこと、悠が責任持って先に返してくれる?」

「えっ、私も行くよ?」

「ううん、大丈夫!交番寄るだけだから、今日は苑香疲れてるみたいだし、ようやく悠とも仲直りしたんだから。」

「疲れてないよ…。ごめんね。」

「ううん!謝ることないよ!悪いの全部悠だから!」  

 俺の引きつる顔を見て、宗二と泰征は笑い。釣られて苑香も笑った。  

 店を出て、悠達は二手に別れる。駅へ向かう道中、苑香とは

 「悠くんも紗月ちゃんも落とし物してたね。でも、一緒に交番行ったのに」

「なんか理由あんだと思うよ。いつもは紗月の方から苑香誘ってる訳だし」  

 新橋駅烏森口の改札前に着く。

「ねぇ、悠くん。やっぱり歩かない?明日、大学休みだし、少し話したいな。夜風に当たりたい。」  

 苑香は真っ直ぐ俺を見ていた。多分、昼間の件についてだろう。さっきの飲みでも話題出たことも気になっているはず。

「分かった、歩こう。」  

 駅の改札から引き返し二人は、立ち並ぶビルの隙間から見える、東京タワーを目指して歩き出す。

「意外とみんなで東京を散歩するって無いな。俺、結構夜の街好きで歩くけど、苑香は?」

「私は夜は出歩かないかな。お父さん心配するし」  

 苑香は、父親と二人で暮らしている。両親は離婚して、会社の経営をしている父親と五反田に住んでいた。

「同居人居るとそうだよね。俺も、今は同居人居るからあんまり遅くは帰れない。遅くなるならもう朝まで外にいるって感じだし」

「中学生だっけ?女の子だと気を遣うし、さっきの話の感じ…大変そうだね。」

「有り難いよ。住む場所貸してもらえるなんて。家具も何もかも揃ってるし、新築一戸建てなんてありえん」  

 信号で止まる。すれ違う人は減り、店の灯りも消え始めるが、東京はまだ夜空と地面の間、至るところが燿っていた。

「川端さんってどんな人だった?私、会ったことないけど、凄い人なんだよね?」

「うん。年上で親以外に何でも話ししてるんわ、川端さんだけやったな。Happinesのライブが初めてで、推しがおんなじやったのがキッカケやった。服とか髪の毛とか、俺も川端さんも影響されまくってて(笑)あの頃、楽しかったわ」

「その時、もうヒメノアはやってたのかな?業界の人って感じ?」

「いや、知らなかったよ。グッズまみれで完全にファンの装いやったし。ヒメアノもそれから2年位してからデビューしてたと思うし。」  

 二人は東京タワーの麓まで来て、ベンチに座る。

「意外と遠かったな(笑)まだ終電あるし、近くの駅から乗るか。自販機でなんか買う?」

「うん。歩いたから体熱いけど、手冷たいから温かいもの買ってくる。悠くん何でもいいなら買ってくるよ、何にする?」  

 苑香は、着ていたアウターを脱いでベンチに置いた。

「水でいいや。ありがと!」  

 苑香はベンチの正面にある、暗い道を煌々と照らす自販機に向かっていく。夜の東京は、思っている以上に騒がしい。

 苑香がどこまで見えているのか、東京タワーの後ろからこちらを見下ろす巨大な影や東京タワーの足をテクテク昇り降りする、小人のような妖怪とか。草影にも営業を終えた暗い店の中にも蠢くものは、数多いる。

 「こん中に、人間に敵意のある妖怪なんてどの位いるんだろうな。苑香は、こいつらも見えてんのかな」  

 悠は自販機で飲み物を買う苑香から目を話さず、つぶやくように話した。

「独り言じゃなく聞いてみればいいだろ。少なくとも呼子は古くからいる妖怪で、索敵や環境変化に敏感な妖怪だ。妖憑きなら、あの娘もその力は使える筈だ。」  

 白斗が悠の口を使って答えた。

「猫魈の件もあるから、もし襲われるって時は、俺の体使って護って。友達は全員だからね」

「ふっ、わかった」  

 苑香はペットボトルと缶を自販機から取り出し悠に向かって駆け出す。その時、東京タワーのから降りて来たように、暗闇から蒼白い布のような物がユラユラと、宙を泳ぐ様に降ってくる。  

 悠は違和感に感じ、それを目で追う。苑香は、ペットボトルを落としてしまいその場で屈む、その時蒼白い布から腕のようなものが見えた気がした。同時に悠は立ち上がる苑香の真後ろに移動していた。悠本人も自覚しない内に。   

 布から現れたのは、まるで陶器の様な色の蒼白い甲冑に身を包んだ侍だった。悠は侍から振り下ろされる刀と苑香の間に入るのは間に合わないと悟り、苑香を両腕で抱き寄せ覆い被さるように倒れ込む。  

 刹那、見無さんも現れて伴切を蒼白い甲冑に向かって横振りする。2つの刀は空を切り、苑香と悠は重なって地面に倒れる。

「見無さん!苑香、大丈夫か?」

「うん…あれ何?!」  

 見無いさんが切ったと思った蒼白い甲冑は居なくなり、代わりに白い布が折り重なり白い砂のようなものが少し積もっていた。

「一反木綿…じゃないよね。あれ妖怪なん?苑香を狙ってた」

「まさか…(笑)ここに眠っていたとは。いや、追ってきたのか。」  

 珍しく白斗が喜んでいるように感じた。苑香は、悠の声が変わったことや突然現れた見無さんに困惑している様子だった。

「白斗、あれを知ってるの?」  

 見無さんが悠に手を差し伸べ立たせる。そして、伴切の鞘で苑香のみぞおちを打つ。苑香は気を失い、響も立ち消える。

「見無さん!なんで!!」

「その娘を巻き込みたいのか?その娘の前で手長足長の力を使えるのか?冷静になれ、あの敵はこれまでとは違うぞ」  

 見無さんは既に目線を白い布に移していた。白い布は生きているかのようにゆっくりと捻りながら立つ。その周りを白い砂のようなものがつむじ風のように回る。

 「久々のご対面だな。殲姫(センヒメ)」  

白斗はそう言うと、悠の背中から腕を最大限伸ばし真っ直ぐ空へ突き上げた。見無さんは存在を消し居なくなる。  

 砂の壁を切るように真ん中に線が入り、眉を破るように刀を持った蒼白い甲冑が姿を現す。

「そのセンなんとかって、どういう妖怪?白い甲冑になんて見たことないビジュやけど」

「日本史上、天災と同じく恐れられた四体の鬼神。人と妖を千以上、殺めた大妖怪。その妖怪名は狂骨。人の恨みが募るほど強くなる怨念が具現化した妖怪。記録では一国を三日で陥としたという」  

 殲姫は空を見上げて、まるで悠達がそこにいる事を知らないかの様に、夜空にそびえ立つ東京タワーあるいはその先の月を見ていた。

「おい、あんた何呆けてんの?今、この子狙ったよな?」  

 悠の怒りを込めた言葉に、蒼白い甲冑はカチャリと音を立てて悠に面と向かって立つ。そこまで体格は大きくない。発光していないはずなのに暗闇でボウッと蒼白く立ち尽くす異様な甲冑と、面頬を着けているため見えない顔は悠と見無さんの動きを止めるほどの存在感があった。

「目的がわからない内は、前に出るなよ。誘いかもしれん」  

 見無さんの言葉で一層緊張感が走る。後ろで倒れている苑香を護る為に、悠は後ろに下がる。

「敵はこいつだけ?他にー」  

 悠の言葉の途中、殲姫は右手を上げて振り下ろした。その腕には白い薙刀が握られており、刃の部分がこちらに伸びてきた事に目の前に刃先が来るまで気づかなかった。悠の右手が刃を掴み止める。

 しかし、刃先は伸び続け苑香の真上で直角に曲がった。

「そんなのありかよ!!」  

 悠の左腕が横降りして薙刀の刃を折る。刃先は苑香の顔寸での所で、サラサラと崩れる。   

 悠は、地面を蹴って殲姫との距離を詰めようとする。しかし、見無さんが悠の首を後ろから掴み引き落とす。それと同時に殲姫の腕の横振りで新しい薙刀が伸び、さっきまで俺の頭があった所を通過する。  

 殲姫は、宙に跳ね上がり苑香に垂直に薙刀を突き立てようとする。

「冷静になれ、悠!」  

 見無さんの言葉に反応したのは、悠ではなく殲姫の方だった。薙刀が崩れ、殲姫は苑香を跨ぐように飛び降り、蒼白い甲冑も着地と同時に崩れ始める。  

 悠は驚きつつも、自分のミスで苑香を危険に晒した事に焦っていた。不用意に腕を苑香に伸ばして走り出すが、背後の東京タワーから黒い矢が悠の頭目掛けて飛んでくる。

「後ろだ!悠久之皇!」  

 見無さんの言葉に、悠の背中から生えた赫駿が矢を握りつぶす。その間に、動かなくなった殲姫は煙の様にたち消えた。

「その矢の主は?追える?」

「無理だね。もう影に消えた、揺動にまんまと引っ掛かったわ。はっはっは」  

 赫駿は高笑いしながら、悠の背中に埋まる。悠は、苑香に近づき降り掛かった白い砂のようなものを払う。

「起きるまでここで待つのもな。どうするか…」

「すぐ起きる」  

 見無さんは、小さな小皿を取り出し木の実の様なものを取り出し、コロコロとふた粒入れる。そして、小さな木の枝のような物を小皿の上で握る。

 すると、枝から一雫液体が小皿の上にある木の実に当たる。当たった箇所からメリメリと小さな芽が溢れピン球と同じ位の大きさの毬藻のような見た目になりフワフワと浮き始める。

「それは、薬鞠と言ってな。割れると一滴の妙薬を生み出す、浮世には無い薬だ」  

 見無さんはそう言うと、フワフワ浮いた薬鞠が苑香の顔の真上に来たタイミングで、上の方を摘む。

 皮が向けたぶどうのように表皮が裂け緑の欠片が風に飛んでいき、一滴の水が苑香の顔に落ちる。  

 落ちた雫は白い煙になって、少し香りがたった。その香りが鼻を擽り、苑香は目を覚ます。

「悠くん。私…」  

 苑香は見無さんを見て、目が赤色に変わる。

「待って待って!この方は見無さんって言ってぬらりひょん!味方だから!」

「ぬらりひょん…このシブイおじさんが?」  

 苑香の肩に響が現れ、

「ソノ、このぬらりひょん可怪しいよ。大妖怪の部類に入る位、永く浮世にいるんだ。」

「大妖怪…」  

 響は、見無さんの存在に体のサイズに似合わない大きな冷や汗をかいていた。その響を見て苑香は警戒心を緩め、目の色は元に戻る。

「さっきの妖怪は?」

「大丈夫、もう居ないよ。これまで襲われたりとかあったん?」

「ううん。あっ、でも宗二くんの家の近くで事件があった時、黒い影に襲われそうになって響に助けてもらったけど…」

「今回の妖怪とは違うみたいだね。これから気を付けないと。理由がわからない内は尚更ね」

「うん。響が周りの妖怪の悪意とか敵意は感知してくれるんだけど、今日のは気付なかったみたいだし」

「面目無い…」  

 響は寂しそうに項垂れ、苑香は頭を撫でる。

「仕方が無いよ。見無さんが来てくれなきゃ皆死んでた。今日はタクシーで帰るのがええと思うよ」

「そうする。付き合わせてごめん」

「夜の散歩、楽しかったよ」  

 タクシー乗り場で苑香を見送る。悠と見無さんが並んで立つ。

「苑香に付いてて貰えますか?猫魈といい、殲姫といい苑香を狙っているのは、只の妖怪じゃない」

「俺は悠、お前と戦うと云った。しかし、あの娘の盾にはなる気はないぞ」  

 悠は見無さんと面と向かって立つ。見上げる様に真っ直ぐ見つめる目には、涙が溜まっていて見無は息を呑んだ。

「苑香を、助けてください。誰一人、失いたくない。俺の力じゃ、白斗と赫駿の力じゃ届かない大切な人が居ます。もう嫌というほど知ってます!!もう見たくも聞きたくもない…」

「自分を弱者にするなっ!!お前の中にいるのは、鬼神だ!この世界に四体しか存在しない鬼神だ!弱者は逃げて逃げて結局守れない者が増えるだけ、お前に自信を持てとかそう言う話をするんじゃない。今を理解して人間を捨てろ。お前は化物だ。妖怪が慄くほどの化物、それが川井悠だ」  

 見無さんは、悠の肩に手を置く。

「ただ、今は人間臭いお前に手を貸そう。いつか私に命を下せるようになれ」  

 そう言うと、見無さんは揺らぎ消えた。信号待ちする苑香が乗ったタクシー、そのトランクに見無さんが座る。響は気づくが見無さんは人差し指を口の前に持ってくる。響は両手で口を抑える。

「雨水を思い出すな。雨水も100年は人間の危うさを引きずっていた。悠もこの娘の前では泣けぬか…」  

 世田谷区、川端宅に帰ってきた悠。倉庫に向かうのは、深夜に鍵を開けて美佑を起こしたくないからだ。  

 何気に初めて見る倉庫は、離れと言えるほど大きな木造のものだった。鍵は入り口近くの重ねられたブロックの2つめに隠してある。扉を開けると真っ暗で何も見えない。

「昼間に一度見とくんだった」  

 悠はスマホのライトを頼りに、倉庫の電気を付けるために探す。幸い、すぐにスイッチを見つけて押すと、柔らかなオレンジ色の灯りが天井近くのランタンに浮かんだ。

「電気なのにランタンなんだ。雰囲気いいし安全か。流石すぎるね」  

 暗くて寂しさを紛らわすために独り言が増える悠。部屋の中には、恐らく川端さんの仕事のものだろうか、資料やCD、ポスターなどが所狭しと並んでいた。

 入り口近くには他のものと異なり乱雑に置かれた紙袋や箱など、恐らく死後処分できないものを詰めたのだろう。

「こういうのは、本人に見られない死後ならではだよな。大切にしてたものとか、置いとくだけで大切にはしない。哀しい」

「おい、悠あれ」  

 俺の左手から声を出したのは、赫駿だった。 「あれってどこよ。」  

 顔が自然と赫駿の見たかった方向を見た。目が一点に集中する。そこには、本に隠れる白い毛玉のような物が。悠はゆっくりと近づき、引っ張り出すと可愛らしい妖怪だった。

「キューーー!キュッキュッ」

「ネズミの真似はいい。丸毛」  

 白斗の言葉で、丸毛と呼ばれた妖怪は暴れるのをやめて、白毛に隠れていた大きなニつの目を悠に向ける。

「俺の事知ってる?あんた人間だよな?」

「知らん方がいい」  

 喉仏付近に口を現して白斗が言った。

「慎ましくこの倉庫で暮らしてるだけだ。前の家からずっと付いてきてる。お前は泥棒か?」  

 丸毛がそう言うと、倉庫の奥からカシャカシャ、ガラガラと音がなり、いくつもの食器や鍋が集まり人形になる。

「付喪神。川端という奴は妖怪が憑いてるやつを集めてしまっていたようだな」

「俺の小説のせいとかないよな?川端さんが骨董品に興味もったのキッカケそれらしいけどさ」  

 悠は丸毛を持ったまま、腰を落として体勢を整える。付喪神はゴトゴトと足音を立てて近づき悠の目の前で立ち止まる。

「やれ!ツクシ!相手は変な人間ー」  

 威勢のいい丸毛の言葉を待たず、付喪神は土下座する。少し震えていてカチャカチャ全身が鳴っている。

「持ち主のモノを壊したりはしておりませぬ。どうか壊すことだけは、どうか…」

「ツクシ!もうっ!あにょ…ゴメンナサイ!」

 丸毛は悠の指にすがるように抱きついて泣いて一生懸命謝った。  

 悠は、屈んで付喪神の前に丸毛を下ろした。

「それで、丸毛とツクシ?はいつから一緒なの?共存してたんよね?」

「はい。五年(いつとせ)程の短い刻、共にしております。」

「オイラ、そこの小皿のツクシに付いてきたんだ。」  

 丸毛と小皿は生えた手を繋いで悠を見上げる。小皿のツクシは金継されたモノのようで、どの付喪神もかなりの年代物のようだ。

「ツクシは前の主人が焼き物好きの豪商で大切にされて、壊れてからも金継で修復されたんだ。オイラ金が好きで、ツクシの金と皿面のコントラストに惚れたんだ」  

 丸毛が小皿を抱く絵は正直癒やしだった。

「君達の主人、川端さんが亡くなったんだ。俺はその人にこの倉庫を譲ってもらった。」

「へぇ~、まぁあの人骨董品は集めても、一度も眺めには来なかったから、顔も忘れた。」  

 丸毛とツクシは頷きあう。他の骨董品もガチャカチャと頷きぶつかる。

「わかったわかったから。今日はここに寝てええかな?疲れてさぁ〜」  

 悠はあくびをすると、置いてあった一人がけのソファーの座面に頭を載せて体を預ける。

「いつもならこれから楽しくなるのに。オイラたちの日常を邪魔しないでくれよ」

「ごめん。今日だけ…」

「今日だけ…なら」  

 そう言うと、付喪神達も丸毛も悠に寄り添って無機質になる。眠るという概念はないが、鎮まると物に戻るようだ。  

 同時刻、北千住にある古民家の暗い縁側に庭の木の陰が落ちている。その影から、黒い人影と白い殲姫がヌっと現れる。

「あの女…何様のつもり!癇に障る」

「女の嫉妬は醜いな。殲姫。目的は悠久の皇の筈ではなかったか?」

「だから、邪魔者は消すのよ。貴方ごときが口出す事では無いわ」  

 黒い人影は、殲姫を影に落とした。殲姫が目を開くと暗い空間に殲姫は地面にうつ伏せの状態で梁つけられ、目の前には浅海咲乃が顔を手で覆い座っていた。  

 姿は見えないが、先の人影の声が空間に響く

「浅海咲乃、君の望みは何か?」

「私は…悠くんに…会いたい!」

「それなら!私が叶えられるわ!夜坊(ヤボウ)、邪魔は赦さんぞ!」  

 殲姫は梁つけられた腕を千切るように無理に持ち上げるが、夜坊が手を向けると、黒い布が殲姫の持ち上げた右腕を地面に縛りつける。

「殲、浅海咲乃を失いたくなければ、其方の私怨で勝手をするべきではないぞ。未だ力を存分に使役できていないではないか。鬼神殲姫の全盛は悠久の皇と同格、我もそれを目の当たりにしているからこそ、無様な様相は見るに堪えん」

 殲姫の悔しそうな顔を見て、浅海は殲姫から距離を取る。その背後から、人影が手を伸ばし浅海の肩に手を置く。  

 体が驚き、振り返る浅海の顔を掴み、目を合わせる人影。浅海は糸が切れたようにその場に倒れる。

「今は、我が抑えよう。暴走は許さん。殲の本来の力を取り戻すまで、浅海咲乃に取り入れ。」

 そう言うと、人影は浅海を下に沈める。

「浅海の感情の増幅が私の力の根源になるのよ!抑えるなど矛盾だわ。女の欲は無限、理想を夢幻に見せることで私は強くなった。」

「その結果は我も知るように、悠久の皇に力負けただろうに。純粋な一点の欲。それこそが殲を最凶の鬼神へ創り上げる筈」  

 人影は、膝をついて殲姫の前に来る。

「悠久の皇を必ず滅ぼせ。日陰の血筋と共に」

 ゆっくりと、殲姫は体が沈み行く中、目だけは人影をにらみ続けた。

「愛とは他に何も寄せ付けんのだな」  

 翌日、悠の目覚めは全身のコリと周りの骨董品を壊さないようにそろりと倉庫から退散する最悪の朝だった。  

 家の中では美佑が朝ごはんを作っている最中だった。鼻歌交じりで料理をしていたが、悠がドアを入ってくる音で動きを止める。フライパンの中のものが焼かれる音だけになるが、美佑は悠を一瞥しフライパンに視線を落とす。

「おはようございます…」  

 当然美佑からの挨拶はない。朝帰りなんて印象最悪だ。悠は、自分の部屋に戻る。

「何か仕事始めたのかな。どうでもいいけど」

 美佑は料理を盛り付けてテーブルへ持っていく。少し余ったが、少し悠の部屋を見て皿には盛らずタッパーに詰めて冷蔵庫へ入れる。

「別に作る義理無いし」  

 一人静かなリビングで手を合わせ食べ始める。いつもの日常なのに、部屋が気になる。時計を見て、少し急ぎ気味に食べる美佑は、部屋から出てきた悠とまた目が合う。口に米とおかずを頬張る美佑に、

「お風呂いただきます。掃除しますから」  

 美佑は、口の中のものが減らず、仕方なく頷く。

「ありがとう」  

 感謝の言葉をそっと置いて、風呂場に向かう悠。

「怪し」  

 美佑は口の中の物を飲み込んで言った。悠はシャワーを浴びる。目を閉じ、水が顔に当たる感触と同じ音が続く時間は、神経が研ぎ澄まされたように感じ、瞼の裏にこれまで経験した光景が走馬灯のように流れる。  

 西山と蟹坊主、雨水さんと鬼一口や珠澪と綱寿姫、そして苑香と殲姫。どれも自分が至らぬばかりに大切な人を失い、危険に晒していた。

「はぁ…はぁはぁっ、くっ…はぁは…」  

 酸素が行き渡らず、喉が細くなり呼吸が荒くなる。何故か背中から赫駿の腕が生える。  

 その時、美佑が静かに扉を開け歯磨きを取る。ふと、風呂場のすりガラスを見ると、4本の腕が見えた。怖いもの見たさで風呂場の扉に手を伸ばす美佑。

「ガラッ」  

 風呂場の扉を開けると、シャワーを頭から浴びる尻丸出しの悠が立っている。

「えっ」  

 二人は、今日3回目の目が合い三度固まる。

「ごめんなさい!」  

 美佑はすぐに扉を締める。悠は、

「いえ、こちらこそシャワー長くて気になりましたよね!もうすぐ出ますから。」

「勝手に開けた私が悪いです。ごめんなさい」

「あの、時間大丈夫ですか?」

「やばい!」  

 美佑は歯ブラシを置いて、すぐにリビングへ向かう。

「びっくりした。赫駿、見られてないよね?」

「大丈夫、大丈夫!あの子好奇心旺盛だね」

「すりガラス越しに見られた。悠も気を抜きすぎだ。これからもココに住まうつもりなら、自覚を持て」

「ごめんなさい。『ごめんなしい』」  

 二人で白斗にコンコンと怒られる。結果、体が乾くまで長風呂にはなった。  

 風呂から上がると、携帯に着信があった。松本さんからだ。

「ヤバ、全然原稿出来てない。」  

 電話に出ると、原稿ではなく以前会った妖怪漫画家の『鳥居妖烏』に会ってほしいというものだった。

「16時に六本木、お店の住所は後ほど。わかりました。ありがとう御座います、失礼します。」  

 悠は、一先ず安心のため息をつき、着替えてから倉庫へ向かう。

「丸毛、ツクシ達、なんか古書とかあるかな?」

 ぴょこと顔を出す2匹。めっちゃ可愛いと心の中で叫んで平静は保つ。

「奥に何冊かあった気がするよ。石燕の画集とか古事記の写しとかだけど」

「おっ、読みたい!持ってきてくれる?」  

 付喪神達はざわざわと薄暗い倉庫の中を蠢き、五冊の古書を持ってきた。

「ありがとう。持っていってもいいかな。」

「いいよ。誰も読まないなんて可愛そうだもん」

 付喪神からのこの言葉には重みを感じた。

「ありがとう。借りるね」  

 部屋に戻ると、石燕の妖怪図と尼屋敷紀紳の書いた浮世見聞録を見比べる。これまで見てきた神も妖怪も調べてみると浮世見聞録の方が正確だとわかった。エンノキ様や綱寿姫は石燕の作品には載っていなかった。

「待ち合わせまで時間はあるし、猫魈とかネタはある。原稿進めよう」  

 書き始めると時間の進みは恐ろしいほど早く、いつの間にか急がねば待ち合わせに間に合わない時間となっていた。

「夕方は力使えないよな。やばいな、遅れる。」

 悠が家の鍵を締め、走って出ていく姿を帰宅途中の美佑が見ていた。

「あんなに急いでなんの仕事、バイトでも始めたのかな」  

 あの人のこと、何も知らない。あの人は私の事どの位知ってるんだろう。

「準備しないと」  

 美佑は家に変えると着替えてから、掃除を始める。来客の予定があるようだ。

「やっぱり力使うわ。絶対間に合わん!」  

 悠はそう言うと、マンションの裏手の路地に入り周りに人がいないことを確認する。上裸になると背中から生えた両腕で素早く壁をスルスルと登っていく。  

 屋上につくと、高速道路の橋桁に少しスペースがあるのが見える。

「あれに飛び移って六本木まで行くわ。246号だから、高速に沿っていけば着ける」  

 そう言うと、悠はマンションの屋上から飛び、高速道路の横の橋桁の出っ張りに、ピョンピョン飛び移って行くがその姿を見るものはいない。  

 六本木、246沿いのビルの壁に張り付き、トカゲが石垣を登る動きの逆再生のように、滑らかに降りてくる。

「よし、10分前の到着。良かった。」  

 悠は六本木交差点近くの上島珈琲に入る。席には既に松本さんがいて、鳥居はまだ来ていないようだ。

「お疲れ様です。連絡ありがとうございます。」

「うん。原稿詰まってるかなと思って、若い子の刺激貰って活かせるならと思って。まぁ二人とも若いけど(笑)俺は二人から元気貰えるから会いたいのさ」  

 松本さんは、メニューを俺の前に広げて笑顔で言った。

「おっ、噂をすれば」  

 松本さんが手を上げて、悠が入り口を振り返ると制服姿の鳥居妖烏が近づいてくる。それを見て今朝の美佑の姿と重なるのを感じた。

「制服…」

「あれ?前回も制服じゃなかったか?青春の具現化だよ。あれでもう少し笑顔が増えれば恋愛も増えるんだろうがな」

「いえいえ、素敵ですよ…」  

 悠は微動だにせず言った。

「悠、制服好きなの?」

「違いますっ!」  

 松本さんの指摘に、振り向いて首を振りながら否定する悠。そこに鳥居がやって来て、二人の男を順に見下す。

「松本さん、移動してくれます」

「あぁ、そうだね。そっちのほうがいいよね、ごめんね」  

 松本は急いで悠の横に移動して、空いた反対側の椅子に座る鳥居。相変わらず愛想がない。

「今日もありがとう。先日のネーム良かったよ、あれで進めてね。それと、悠くんの小説はどうだった?」  

 松本さんは、笑顔で鳥居の返事を待つ。優しいけど逃げられない感じを悠は横目で感じる。

「感想は松本さんに送ったはずですけど」

「本人の口で言ったほうが説得力あるよ。俺が文章読んでもいいけど?」

「わかりました」  

 鳥居は、鞄からクリアファイルを取り出し悠の原稿を出す。クリアファイルに入れてくれていることに感動する悠。

「まず、全体的に暗いです。嬉しいことが少ないと読んでて疲れます。でも、妖怪と人が同じ位の魅力だから、新しい妖怪とか人が出ると深堀りしたくなります。私の作品には無い楽しみ方です。私の場合、料理と店側のスタッフメインで毎話ゲストは基本一人です。常連も作りたかったですけど、最初から登場人物増やすと散らばった視点が邪魔になると思ったので。」  

 鳥居が作者側の視点から、作品を見てくれたことが嬉しかった。

「でも、これまで来店したゲストが常連になるってすればいいですよね。終わらない作品の感じがして、私は好きです。私の作品は復讐すれば終わりますから。」  

 悠の言葉に鳥居は驚いた顔で、少し考え込む仕草を見せ

「なるほど…これまで登場したキャラを捨てる必要は無いんだ…私、猫又の鈴(リン)が一番好きで、もう一回出せるならと思ってました!松本さん、ネーム少し直します!」

「おおぅ…そうなるかぁ…俺の仕掛けたことだし、わかった!」

「でも、なんで神様も入れるんですか?妖怪と神の違いは出しづらいですよね?」  

 鳥居は最初の登場が嘘のように前のめりに話し出す。

「人と妖怪はさほど違いは出さないつもりです。人間臭いとかワード入れればいいかなって。神様は力をどう表現するか、だと思います。」

「力…。」

「人間はバランスの取れた生き物だと思います。そこから生まれた妖怪も、欠陥はあっても色々要素があります。神様は一点に秀でるものかな。八百万いるから」  

 話をしていて、悠も鳥居も楽しくなっていた。共に不思議に興味があり、捉えては書き出す仕事は見える日常から楽しさを感じる時がある。

「二人は、似ているのかもね。」  

 松本さんの言葉に一見嫌そうな、でも照れる鳥居。

「私より、既に作品を世に出してる鳥居さんの方が何枚も上です。この年齢で自分があるなんて、凄い。まるで…」  

 悠は美佑さんの名前を出そうとした自分に驚く。知ったつもりで、いつもテキパキ規則的な生活している美佑を勝手に想像したのだろう。そんな静かになった悠を松本は理解して

「まるでベテラン作家、じゃない?若い子にそれはもうハラスメントだね(笑)」  

 松本さんは笑い話にして、悠も作り笑いする。鳥居は、少し不思議に思うも店員が持ってきた松本さんのパンケーキに興味が向く。

「まだまだ、子供だよ。妖烏ちゃんは」  

 その頃、川端宅には三人の女性が来客していた。

「美佑ちゃーん!元気だった?もうライブツアー終わって真っ先に会いに来たよ!」  

 二人の来客者は、玄関で出迎える美佑に抱きつく。

 「こーら。出迎えてくれた家主の鏡に挨拶しないさい。」  

 ヒメノアのアリス、スフィア、フィリアが玄関に並ぶ、まるで後ろから照明を与えられているかのような、完璧な美少女達。美佑もこの人達のことは昔から大好きな自称最古参のファンである。

「ヒメノアです。いつも応援ありがとう。美佑ちゃんの元に幸せ運びます。」  

 アリスの言葉に続いて、スフィアとソフィアも手振りをつけて、

「運びます『運びます』」  

 美佑は、意外と反応薄く手を叩く。

「美佑ちゃん上がってもいい?」

「はい!」  

 元気な返事で、三人は喜んでくれたんだと感じ嬉しくなる。スフィアとソフィアは両脇で美佑を挟んで部屋に入っていき、アリスは靴を揃えてから部屋に向かう。  

 リビングテーブルには、フルーツとクラッカーなどつまめるものと、ジュースが。美佑が準備したものだ。

「それで、美佑ちゃん相談したいのは同居人の人との関係作りでいい?」

「はい。そこの部屋と倉庫で寝泊まりされてるみたいで、夜遅くまで帰ってこないこともあるんですけど、朝バッティングすることが多くて」

 美佑はすっと座って、三人もそれぞれ座りスフィアとソフィアはジュースを注ぐ。

「でも、悠斗さんと仲のいい人だったんでしょ?少なくとも私達は信頼できると思うけど、突然の事だしまだ緊張するよね」  

 アリスは親身になって相談に乗る。他の二人は、

「大丈夫?何歳?どんな人?」

「私は反対」  

 など勝手な事を口々に言う。

「私達は小さい頃から美佑ちゃんの事を知ってるし、今はしっかり生活できる力があることも知ってる。その人が美佑ちゃんにどんな形で関わるのか、私達も心配」  

 アリスの言葉に、スフィアとソフィアも真剣な顔になって頷く。

「アリスさん達にご迷惑はお掛けしたくないです。ここに来てもらえるだけでも嬉しいし、頼れるのは皆さんだけなのも変わりません。でも、私のせいで心配事が増えるのは嫌です。」

「遠慮は駄目だよ!」

「私達の事、信用してないってことだよ!」

「そんなつもりは…」  

 戸惑う美佑にアリスは静かに言葉を置くように話す。

「日本語には、その人の感情が現れやすいし、人によって受け取り方はまるで違う。ストレートに伝えられる私達だから正直に言い合えるのよ。その人とも飾らず、隠さず話す時間を作ったほうがいいかもね」

「一緒に会ってくれますか?」

「当たり前!私が化けの皮はがす!」

「良い人じゃないの?スフィア何で前提悪い人なの?」

「二人とも、その人に会ったらそんな風に思った事すぐ口に出さないでね。いつものインタビューみたいに仕事だと思って。」  

 アリスの言葉に二人はブーブー文句を言い始めるが、アリスは無視する。

「私達が美佑の味方だってこと、見せるだけでもその人の反応が見えるはず。目的とか仕事とか、日常の捉え方が見えないうちは不安が勝つから、早い方がいいわ」

「うん。」  

 4人は少し考え込む。スフィアとソフィアは二人が真剣な空気で考えていることに気づいて、真似をしているだけだ。

「今夜、会う」

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