サイン

秋色

第1話

 夕暮れを過ぎたのに、クリスマスのイルミネーションで、星明りのように街が輝いている。

 今日は、家族にクリスマスケーキの予約を頼まれている日。それで学校の帰りに大通りまで出ている。

 プチ・シャトというお店。

「今、予約頂いた方に、ロイヤルコペンハーゲンの来年の記念プレートをプレゼント割引しています」と店員さんが言う。

 とても価値のある物なんだろうけど、私は即座に断った。

「いえ、結構です。 お皿は壊れるので要りません!」



 そう、私は記念プレートを手には出来ない。なぜなら、昔、大切なお皿を割ってしまった事があるから。


 ***


 それは十歳のクリスマスの事。

 パパは出張先から戻る時に私達三姉妹へのクリスマスプレゼントを買って帰ると約束していた。

 お姉ちゃんには、雑誌に載っていた流行りのワンピースを、妹には欲しがっていたゲームを。二つとも迷いもせずに買った。

 でも私には何がいいのか迷ったそうだ。前の年は色鉛筆のセットだったけど、さすがにそれは二年連続で買う物ではないし。

「奈緒の好きなものって何だろう? 他の二人と違って、流行の物を欲しがらないからな」と途方に暮れたのだそうだ。

 すると舗道の片隅にオレンジ色に輝く照明の下、露天商が店を出している。見ると、アンティークな雑貨が色々並んでいて、「これは奈緒が気に入りそうだ」と即座に思った。

 そこから何かプレゼントをと探していたら、少し他の商品と離れて一枚の絵皿が飾ってあった。絵皿には、青一色で、丘の上に立つ少年騎士の絵が描かれてある。その少年騎士は、手に持った剣を空に向かって振り上げ、遠くを見つめていた。

「これも商品なんですか?」と訊くと、「はい、それも売り物です。歴史的価値のある物ですが、大変お買い得になっています」 

 それで即決した。

 お店の人は、商品を袋に入れて渡す時に言った。「絵皿は運命を導くとも言われています。どうか大切に」


 **



「それでこんな古いお皿を八千円も出して買ったの?」ママがキレ気味に言う。


「だけど、普通じゃ何十万円と言わない、とても貴重な物だって事だよ。一年毎に違う絵柄で絵が描かれてある、その中の一枚だって」


「でもこれ、ロイヤルコペンハーゲンじゃないわよね? 怪しいわよ。絶対騙されてる」


「いいじゃないか! 奈緒は絵が好きだし、きっと気に入るよ」


 そう、私はこの絵が気に入った。たとえ有名な絵でも気に入らない事ってあるけど、そのお皿の繊細な絵、実の成っている木々の描き方や少年騎士の優しい表情が好きだった。


「ねえ、パパ。この男の子、手の甲に三日月が小っちゃく描いてあるよ。マントの縁にあるマークと同じだよ」


「そうだな。これはサインみたいなもので、これで出身とか表してるんじゃないかな」


 お姉ちゃんが疑わしそうに言った。

「本当なの? わざわざそんな事、マークで表す必要あるかなー」


「だって、ほら、それは、戦場とかで自分がいつも味方だって知らせるためさ」



 パパは、木の板で写真立てのような物を作ってくれ、そこにお皿を立てかけられるようにした。

 私が部屋の窓の前に立てかけると、ちょうど降り始めた雪を背景に、絵はいつそう神秘的になった。私は、立てかけていたお皿を度々手で持ち、眺めるという日が続いた。でも我が家にはネコがいて、私の部屋にもよくやって来る。だからもっと安全な場所を見つけようと、高めの本棚の上にお皿を飾る事にした。


 ある日、絵を近くで見ようと、椅子の上に立ってお皿を取るため腕を伸ばした。

 一瞬の事だった。

 お皿が手から離れ、スローモーションのように床に落ちた。ぱりんという音と共に。

 絵の中の少年の伸ばした腕の辺りでお皿は真っ二つに割れていた。剣と少年をそれぞれ違う破片に分けて。心なしか、少年騎士は切なそうな表情に変わった気がした。


 パパは「気にするな。接着剤でくっつけてやるから」と言い、その通りにしてくれた。でも接着剤の跡が痛々しい。

 私は少年騎士から武器を奪った気がしていた。




 ***


 そんな、子ども時代の悲しい出来事を思い出す夢を、昨日見たばかり。


 夢の中で、少年騎士は、悲しそうな眼をして「どうして僕から剣を奪ったの?」と私に訴えていた。「剣は我が命なのに」


 でも顔はお皿にあったヨーロッパ風の男の子から、いつの間にかクラスの北村君の顔に変わっていた。


 北村君とは、同じ美術部の部員同士でもある。でも、今は北村君は学校に来ていない。

 十一月の終わりの、そう、あの日からずっと学校を欠席している。

 それは、美術部の顧問の桜井先生が系列の高校の美術コースへの編入という幸運の切符を持ち帰った日から一週間後の事。


 私の通う私立貴美第二高校は、同じ系列の幾つかの学校を経営していて、成績によっては同じ系列の貴美第一高校に編入できる。ただし第一高校の生徒が引っ越し等で定員に空きがあった時だけだけど。

 特に美術コースは人気で、卒業生は色々な業界で活躍している。本当は私もそこに入学したかった。でも競争率が高くて受験は諦めた。

 桜井先生が来年の第一高校の美術コースの二年生に空きが出来たから、誰かを推薦するぞと言った時、期待に胸が弾んだ。美術部は第二高校では部室が小さくて人気がなく、一年生の部員は五人しかいない。そのうちの一名の女子は私が言えるべき立場じゃないけど、あまり絵が上手でなくて、勢いで美術部に入っただけと自分で言っている。そして残りの二名の部員は、一般の受験で美術関係でない大学へ行くから断ると言っていた。


 残りは私と、そして北村君だった。でも私は無理に決まっていた。北村君の絵は、見る人を圧倒する位の迫力だった。視点が他の人と違うと言うか、海の絵なら、真上から見たアンクルで真っ青な海が波立っている絵を描いたりする。あんなカッコいい絵は、他の誰にも描けない。

 だから、もし誰か一名なら北村君に決まっている。

 そう分かっていた。

 顧問の桜井先生はそれでも、私の意思を確認したいから、と職員室に呼び出した。

「どうする? 安藤は第一の美術コースに編入する気はあるのか?」


「私にも可能性あるんですか?」


「ああ、もちろん、この秋、描いた静物画、成長が見られて良かったし、成績も基準を満たしているから安心していいぞ」


「でも、私より北村君の方がずっと絵の才能あるんですよ」


「ああ。だけど北村は難しいかもな。担任が言ってたんだ。素行の事とかあって推薦難しいかもしれないって」


 私は、心の中で「違う」と言いたかった。

 確かに他校の不良と付き合いがあるとか、態度が悪いなんて部長が言いふらしているけど、私は見た事がある。クラスでからかわれている同級生の男子に助け舟を出している所を。

 それから帰り道で、迷い子の子猫を抱えている所も。

 そして北村君は、私の下手な落書きの絵を、唯一褒めてくれた。教室で、ノートに落書きを描いていた時、「安藤の描く鉛筆やクリームソーダ、好きだな」って。

 反面、美術部で私の描くカレンダーの写真のような風景や花の絵には首を傾げていた。「それは、らしくない」と。

 だから、たとえ上手でなくても、いつも自分らしい絵を描こうと思うようになった。


 なのに私は、先生の「北村は難しいかも」という言葉に「違う」と反論する事が出来なかった。代わりに、「編入できるならしたいですが、自信がありません」とだけ言った。

 それから暫くしてだった。北村君が学校に来なくなったのは。



 学校に来ていた頃は、毎日遅くまで残って絵を描いていて、美術室の窓から灯りが見えると、「まだ北村君、頑張ってるんだな」と思ったもの。でも、それも今ではない。

 一高へ編入する話が、自分でなく、私の方に行ったから?

 私はまた、大切な誰かの剣をもぎ取ったのかもしれない。




 いつの間にか私は、以前、北村君が子猫を助けていた学校の近くの川の岸辺の近くまで来ていた。私の最寄りの駅からだと回り道になるのに。

 そう、ここは確か、彼の家の近く。この夏、美術部の合宿に行く時に、先生の車で、この辺に来て、乗せたんだった。そんな事を思い出していると、あの日先生の車が停まった場所に救急車のような大きな車が停まっているのが見えた。私は心臓が止まりそうになった。

 夢の中の言葉を思い出していた。


「剣は我が命なのに」



 ***


「どうしたん?」不意に背後から声をかけられた。


「北村君??」


 私は、そのノンビリした声の調子から、緊急事態が起きたわけでない事にホッとしていた。と同時に、ここに自分のいる理由をどう説明していいか分からなくて困った。自分自身に対しても、かな。


「親に頼まれてクリスマスケーキの予約をした帰り道なんだ。そしたら救急車が北村君ちの前に停まってるから気になって立ち止まってしまったの」


「そっか。心配させたな。あれは救急車じゃなくて、病院の車なんだ。親父が一ヶ月前に事故にあって入院してて、今回は外泊許可もらって家に帰って来たんだよ。次はリハビリの病院に変わるんだけど、ちょっと離れた場所にあるんでクリスマスに家に帰れないかもしれないから」


「え……。そんな事があったの? 知らなかった。もしかしてそれでずっと休んでたの?」


「ああ。母さんがショックで病気になったりもして。

 そんな顔するなよ。今からちょうど駅まで行くとこだったから送ってくよ」


「ありがとう……」


「あ、そう言えば、桜井先生が言ってた。安藤が一高の美術コースへの編入、渋ってるって」


「渋ってるわけじゃないけど。でも絵もあんまり上手くないし、北村君の方がいいんじゃないかって思ってる」


「オレは家族の事情でムリだって話してる。高校だって中退しようかって思ったけど、それは親戚が援助してくれて、何とか卒業できそうなんだ。だからまた来週から学校行くから」


「そう。良かった。私ね、北村君から剣を奪ったような気がしてたんだ。あ、つまり武器と言うか……。絵が得意なのは武器みたいなものでしょ?」


「安藤ってゲーマーなのか? 大丈夫。人に簡単に奪われるような剣は持たないから。

 そんな事、クヨクヨ考えてたのか」


「だって北村君、学校、来ないし。理由が分かって安心したけど、でも大変だね」


「親父もオレも全然元気だから大丈夫。入院してるのに元気って言うのも変だけど」


「変じゃないよ」


「それに、美術コースに行けなくても、卒業したら雇ってくれそうなとこがあるんだ。親戚んちの近くの大きな家具屋。そこの社長さんがオレの絵を気に入ってくれて、デザインとか勉強させてくれながら働かせてくれるって。卒業したらの話だけど」


「すごいじゃん!」


「うん。安藤は一高の事、受けんの? いい話だと思うけど」



「そうだな、考えてみようかな」そう言った時、駅の明かりが近付いていた。「そう言えば、北村君、駅に何の用があるの?」


「今日の夕方からクリスマスマーケットを駅前でやるってニュースで知って、ちょっと見てみようかと思って」


「面白そう! 私も一緒に見ていい?」


「うん。安藤、そういうの好きそうだもんな。どした?」


「ね、手の甲にケガしてるよ」


「あ、これ? 憶えてないくらい小さい頃からあるアザなんだ。三日月の形してて何かの印みたいだってよく言われる」


「……そうなの?」私はパパのいつかの言葉を思い出していた。


――それは、自分がいつも味方だって知らせるためさ――

       


〈Fin〉

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