健康診断

遠藤

第1話

コン、コン。


センター長室の扉がノックされた。


「どうぞ」


センター長である千堂が答える。


「失礼します」


入ってきた中川は、即座に要件を伝えた。


「実はトラブルが発生しまして、何ともできない状況になっておりまして・・・」


千堂は、わかりやすく答えるよう促す。


「トラブルとは?」


中川は手短に伝わるよう、頑張って考えた。


「小便をしたくないと・・・」


千堂の眉間にしわが寄る。


「それを飛ばすことはできないのかな?」


中川は困った顔で答える。


「それが、会社側の指定でして・・・」


千堂は「ふう」とため息をつくと同時に、口ひげを触った。


(どうやら、私の出番のようだな)


千堂は、おもむろに受話器を上げると隣室の秘書に連絡をした。


「少し出る」


そう言って切ると、即ノックがされて秘書が入ってきた。

テレビで見た、バブル時代のボディコンスーツを着たワンレン美女が、千堂の側に寄る姿を中川はずっと目で追っていた。

秘書は千堂の耳元でささやく。

「先生、3時からオヤツタイムです。今からだと・・・」

千堂は腕時計をチラッと見て

「大丈夫だ。今日もいつものかな?」

秘書は嬉しそうに耳元で「内緒」と言った。


中川は、この一連の出来事をアングリと口を開けて見ていた。

千堂は立ち上がると中川を見て、「では行こうか」と言った。

呆気に取られていた中川が、正気を取り戻し「は、はい」と現場に向かったのだった。


健康診断が行われている一角に、多数の職員が集まっていた。

長椅子に座る男性を説得しているようだ。

「おしっこ出すだけだから、わけないでしょ?」

男性は黙っている。

「何も問題無いなら、出せば終わるんだから」

男性は紙コップを両手で持って、頑なに動こうとしなかった。


職員たちはあきれ顔で、お手上げといった感じだ。

千堂は、職員と男性の間に割って入り、男性の前にしゃがみこんだ。


「私は、ここのセンター長を務める千堂です。あなたの敵ではありません。良かったらお話聞かせてもらえますか?」

千堂はそう言うと、微笑みを浮かべて男性を見つめた。


見つめられた男性は苦しそうに目線を外し、こうつぶやいた。

「・・・弁護士に連絡させてください」


千堂は(ほう)という少々驚きの表情を浮かべたが、すぐに微笑んだ。

職員たちは、ますます呆れてヒソヒソ話もはじまった。

(職質じゃあるまいし、弁護士って・・・何も言えねえ)

(もうほっといた方がいいんじゃね?)

(さっさと会社に連絡して、引き取りにきてもらいましょうよ)


千堂は、そんな職員たちのイライラを制すように、皆に聞こえる声で男性に話しかけた。

「あれは、私がまだ若く、やや脱線気味に生きていた頃の話だ。親に敷かれたレールの上を歩いているのが嫌になってねえ。ある時、大学をサボって、パチンコ屋に朝から並んだんだ」


男性も含め、職員も千堂の話に注目した。


「友達がパチンコ屋に行って、スロットというのに、のめり込んでいたのは何度か聞いていた。そんなもの楽しいのかねって、あしらっていたのだけど、勉強が嫌でどこかに逃げ口を求めたとき、浮かんだのはパチンコだった。私はさっそく友達にパチンコ屋に行ってみたいと話した」


皆、千堂の話に吸い込まれていく。


「そしたら、スロットでモーニングが入っている店あるからそこに行こうとなって、でもモーニングってなんぞや?って思っていたら、朝一で大当たりするように、お店側がセットしているとのことだった」


「私は、友達に言われるまま、渋谷のパチンコ店に朝7時に行くことにした。到着すると友達はまだ来てなかったが、あらかじめ早く到着した場合、先に並んでおくようにとの忠告を守り、並ぶことにした」


「そしたら、その列らしき先頭に、数人の若いあんちゃんが段ボールを敷いて寝ていたんだ。驚いたねえ。あれは何だ?って。後から友達に聞いたら前日の夜、閉店後から並んでる人だって聞いて驚いたねえ。そこまでして、のめり込める世界がこの世にあったのだと衝撃だったねえ」


キラキラと目を輝かして、千堂は話を続けた。


「それでいよいよ朝10時なって開店の時間になったわけだけど、段ボール兄ちゃん達グッスリでねえ。店員さんもいつもの光景なのか慣れたもんで、兄ちゃん達を飛ばして、後ろの人達をどんどん店内に入れていったのだよ。あれは何とも言えなかったねえ。何のためにあそこに寝ていたんだろうって。単なる路上生活者と変わらないもんな」


千堂はなぜか、少し照れたような顔をして、口ひげを弄びながらこう言った。

「以上だ」


(え?!)

職員達に衝撃が走った。

(何?何が起きているの?)

(何の話。何を聞かされていたの?)

(関係なくねえ?誰、この人呼んだの?)


千堂はどんなもんだ!というオーラを出しながら、おでこをぴしゃりと叩いた。

「ははは、忘れてた。そうそう。その日友達が寝坊して来なくてね。結局スロット打てなかったんだよ。笑っちゃうよねえ。ははは」


職員達も男性も黙っている。

いや、何も言えない。


すかさず、職員の後ろ側に控えていたワンレン、ボディコン秘書が千堂に近寄り耳元で囁く。

「先生。そろそろ切り上げないと、オヤツが・・・」


千堂は腕時計を確認する。

2時53分。

十分だと秘書に向かって微笑む。

そして男性に向かって言った。

「今の話で納得いただけたかな?」


(え?!)

職員達に、またしても衝撃が走った。

(どこが?何を根拠に?)

(頭おかしいんじゃねえ?てか、その秘書なんだよ。すげえエロくてなんでこいつだけ!)

(親の力が無かったらこんなやつセンター長無理だろ!本当に何しにきたんだよ!)


職員達はざわめく中、男性がポツリと言った。


「まだ、間に合いますか・・・」


千堂は優しく男性を見つめると、男性は話を続けた。


「・・・最近、おしっこが泡立っているような気がして、もし、糖尿になったらどうしようって。今日が怖くて・・・」


千堂は腰を上げると男性の横に座り、背中にそっと手を当てた。


「誰だって未来は怖いもんだね。将来どうなるだろうって考えだしたらキリがない。でも、僕らはどこで生きているんだろうか?過去だろうか?未来だろうか?いや、今、この瞬間を生きている。今を君は生きている。その、今を全力で生きないでどうする?未来はいつでも変えることができる。今を生きていることに気づき、その今を全力で生きれば必ず突破できる。困難なんて糞くらえだ!」


男性は涙を流しながら千堂に感謝するのだった。


「・・・ありがとうございます」


千堂も少し涙ぐみながら男性にこう告げるのだった。


「私のおしっこで良ければいつでも使ってくれ」


男性の肩をポンポンと軽く叩くと秘書に一つ頷き、さらに呆気に取られている中川にあとは任せたと目配せを送った。


千堂は歩きながら秘書に問いかけた。

「今日のオヤツはやっぱりアレだろ?」

秘書はセクシーな歩き方で言う。

「先生、当・た・り。ずんだ餅です」

千堂は子供のように「やったやった」と喜びながら、秘書のお尻に手を回したが、すかさず秘書に手をピシャリと叩かれた。


二人を見送った職員達は呆れかえっていた。

(オヤツ、絶対洋菓子だと思ったら、思いっきり和風だった)

(てか、あいつのおしっこ使っていいって、どういうこと?)

(なんだかんだで解決させて、なんなのあいつ!凄いの?)


「さあ、行きましょうか」

中川は、涙を流す男性に手を添えて、ゆっくりとトイレに向かいながら考えた。

やはり自分の選択は間違っていなかった。

センター長の、長である所以がまた一つ見ることができたのだから。



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