某月某日、最期の日
冬は日が暮れるのが早い分動きやすいが、寒い。マフラーをしっかりと巻きながら、直は1人歩いていた。
目的地まではもう少しだ。意識しなくても辿り着けるほどに通った道である。足が勝手に進んでいった。
(……あら?)
直の視線の先、ちょうど彼が目指していた場所に、先客がいた。長い白髪の女性だ。こちらに気づいたらしく、直を見ると笑みを浮かべた。
「よぉ。確か……直、だったか?」
「え、ええ」
どこかで会ったのだろうか。女性は親しげに話しかけてきた。直は記憶を遡るが、思い出せない。誰だろうかと考えていたのが表情に出ていたようで、女性はニヤリと笑い、低い声で名乗った。
「もう何十年ぶりだろうな……あたしだよ、清水夏希」
「……えっ!? あ、し、失礼いたしました!」
「そんな頭下げんなって。人間だからな。老いてくるモンなんだよ。わからなくても仕方ねぇ」
すっかり白くなった髪。皺の刻まれた顔。直の記憶にある「清水夏希」とはまったく異なる姿をしていた。それでも、数十年前に見た、意志の強そうな瞳は変わらない。
吸血鬼の直はと言うと、以前会ったときから変わらぬ容姿のままだった。こうして2人並ぶと、祖母と孫のように見えてしまう。
夏希は直の手元をちらりと見た。彼の手には、花束がある。
「……お前も墓参りか?」
そう言って、夏希はそっと目の前の墓石に触れた。彼女が立っているのは、伊藤家の墓の前だった。多くの人が訪れるその墓に、花が絶えたことはない。
「あ、はい……その、夏希様も?」
「あぁ。天音と恭平と柚子と……朱音にも、会いに来た」
今から数年前。魔法考古学省大臣を引退した朱音は、あっという間にこの世を去ってしまった。種族が異なるとは言え、こんなにも早く別れが来るとは思っていなかった直は、事実を受け入れるのに何年もかかった。正直に言うと、今でも信じられない。わかってはいるが、家の扉が開くたびに彼女が帰って来たのではないかと期待してしまう。
直は花を供えると、辺りを見回した。他に人影はない。不思議に思って夏希に問うた。
「……お1人ですか? 零様は……」
「静かなトコで寝てるよ。あたしもそろそろあっちに逝く頃だ」
「あ……」
思わず口元を押さえた直に、夏希は気にするな、というように左手を振った。その手の薬指には、銀色の指輪が光っている。
「何だか不思議な気分だ……あたしは、どっちかって言うと、置いていく側だったから。こうして、自分より若いヤツの墓参りするコトになるなんて思ってなかった」
「きっと……朱音ちゃんも、喜びます」
「そうか? ならいいんだけどよ」
しばし手を合わせると、夏希は頭を撫でるように墓石に触れた。
「……そういや、お前こそ1人か? 孫はどうしたんだ?」
「璃香ちゃんが……ええと、昔の部下が見てくれてます」
「へぇ」
朱音は交通事故で亡くなった。そのとき、共にいた娘とその夫も亡くなったのだ。一瞬で妻と子を失った直だが、それでも残された孫娘を育てるために立ち上がった。そんな彼のために、璃香や光、千波や雷斗など、長寿の者が手伝ってくれている。
「ほら、お前の旦那が来たぞ」
夏希は隣の柚子の墓のほうに移動した。本来、妖精は亡くなったら自然に還るだけなので埋葬の文化はないのだが、彼女は天音の眠る墓の隣にいたいと願ったのだ。
「ちょうど、今日が命日なんです」
「あぁ……」
それを知っていたのか否か。夏希は曖昧に返事をすると、空を見上げた。
「……あと何回来れっかな」
「そんなこと……」
「ま、歩ける間は来るわ。じゃあな」
「あ、待ってください!」
帰ろうと歩き出した夏希を、直は引き留めた。
「な、なんだよ」
「その……うちに、来ませんか? 折角お会いできたので……」
「あー……じゃ、璃香にも会いに行くか。お前たちの孫娘にも会ってねぇし……なんて名前だ?」
「鈴音です」
「ふぅん。土産でも買っていくか」
夏希はすたすたと歩き始めた。年老いたと口にしてはいるが、それを感じさせない足腰の強さだ。直は慌てて追いかける。
何処からか笑い声がしたような気がした。
『副所長は変わりませんねえ』
『直さんが振り回されてる!』
穏やかで小さい笑い声。それが聞こえたのは直だけではなかったようで、夏希はピタリと足を止めた。
「……1回死んでもそのままだったんだから、変わらないに決まってんだろ」
直にも聞こえないような声でそう言うと、夏希は再び歩き始めた。今度は、直の隣でゆっくりと。
夏希は振り返らずに手を振った。それに応えるように、冷たい風が墓のほうから吹いた。2人はそのまま歩いていく。
平和になった世界で、かつての大臣たちは静かに眠っている。
【完結】魔法保護課第5支部の業務日誌 九条美香 @clotho0912
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