新人魔法師のそれから
某月某日、最後の日
それから、数年。朱音は第5支部の門の前に立ち、建物を見上げていた。思い返せば、様々なことがあった数年間だった。いきなり斬りかかられたり、騒動に巻き込まれたり。それだけで自伝が書けそうだ、などと考える。
「……もう、行くのね」
「はい」
入口まで見送りに来た直が、寂しそうな顔をしている。その隣には柚子が立っていた。半分眠ったような目をして、それでも懸命にこちらを向いている。
第5支部には新人が入り、皆立派に成長した。今や雷斗が副支部長である。彼は最後まで抵抗したが、千波に押しつけられて昇格した。毎日のように書類仕事に悩まされていると聞く。
風が吹き、伸びた朱音の髪を揺らす。今の彼女は、高祖母よりも髪が長くなっていた。20歳を超えて、大人びた顔立ちに成長している。
「璃香ちゃんも光ちゃんもいなくなっちゃうから、寂しいわ」
「異動が決まっちゃいましたから……」
璃香と光は、魔法考古学省に異動することになっていた。長年の勤務で、すっかり異動に慣れている2人は、さっさと荷物を纏めて行ってしまった。
「もう会えなくなるわけじゃないですし、そんな顔をしないでくださいよ」
「そうだけど……」
「朱音は寂しくないの~?」
目をこすりながら、柚子が問うた。一応、話は聞こえていたようだ。
「……寂しくないって言ったら嘘になります。でも、これは私が決めたことですから」
「そっか~」
「頑張ったんですよ」
「そうだね~。私が生きてる間で本当によかったよ。こうしてお祝いできたし」
「……今のところ祝われてないですけど」
「これからこれから」
最後まで緩いのが彼女らしい。朱音は変わらないな、と笑みを浮かべた。
「おめでとう、朱音」
「……本当に、おめでとう。朱音ちゃん」
明日、伊藤朱音は魔法考古学省大臣に就任する。今日が、この支部で過ごす最後の日だった。本当ならばもっと早くに魔法考古学省に向かわなければならなかったのだが、我儘を言ってここに残った。舞子は仕方がないな、と許してくれたが、代わりに璃香たちが早めに支部を出ることになってしまった。
「もっと派手に祝うべきだろ! 辛気臭えんだよ!」
叫び声と共に、空に花火が上がった。「家」の窓から身を乗り出した雷斗と薫の魔法だ。同じく身を乗り出している千波が祝福の歌を歌おうとして、奏介と恵美が必死に止めている。朱音の後輩たちは、こちらに手を振っていた。
「……そうね! 雷斗ちゃんの言うとおり、お祝いのはずなのに暗かったわ! もっと明るくいかないとね。アタシも花火とか出そうかしら」
「いえ、もう十分です……」
既に大量の花火が打ち上げられている。これ以上出されたら空が見えなくなりそうだ。朱音は丁重にお断りした。
「大丈夫だって。また会えるよ、直。特に君は」
「揶揄わないでちょうだい」
顔を赤くした直が、柚子を小突いた。力加減はしているはずだが、それでも柚子の体はぐらりとよろめいた。
「もう……行きますね。迎えが、来るはずなので」
「そうね……行ってらっしゃい。アタシ……ううん、『俺』も、ここで頑張るから」
「はい。行ってきます。『直さん』」
「いってらっしゃーい」
「ありがとうございます、柚子さん。ちゃんと、私の活躍を見ていてくださいね。できるだけ健康に生きててくださいよ」
ちょうど、別れの挨拶が終わったとき。タイミングを見計らったように、黒塗りの車が止まった。
「よお」
「迎え、来た」
魔法考古学省の紋章が入った新しい魔法衣に身を包んだ、かつての朱音の指導役2人が車から降りてきた。運転はもちろん、光である。璃香に任せると碌なことにならないとは彼の言葉だ。
「お手をどうぞ」
璃香がそっと手を差し出してきた。台詞を練習してきたらしく、後ろで光が笑っている。
「2人になら安心して朱音を任せられる~」
「お前は親かよ。ってか、それなら直に言え」
「光ちゃんまで揶揄うの、やめてくれない!?」
光相手には手加減しないのか、ひどく重い音が聞こえてきた。頭を押さえて蹲る光を見て、柚子が肩を震わせている。
「朱音、こっち」
後ろの騒ぎなど気にせず、マイペースに璃香は朱音をエスコートする。後部座席に誘導された朱音は、窓から外を見た。何やら叫んでいる光と、それに応戦するかのように拳を構える直。柚子はとうとう崩れ落ち、腹を抱えている。
「いつもどおり」
「ええ、本当に」
「楽しかったね」
「はい。私、最初の配属がここで、本当によかったです」
「ん。わたしも、ここ、1番楽しかった」
助手席の璃香がこちらを振り返って言った。光たちを止める気はないので、ただ横目に見ているだけだ。朱音も朱音で、最後かもしれないあのやり取りを見逃したくなくて、何も言わなかった。
「あーもう! 行くぞ!」
やっと戻って来た光が運転席に座った。まだ何も始まっていないのに、既に疲れきっている。直からの攻撃を避けるのに力を使い果たしたようだ。この先の運転を任せてよいのか、不安になった。
「朱音ちゃん! 頑張ってね! でも無理はしないで!」
「そうそう、ほどほどにね~」
2人の声に頷く。
車が、ゆっくりと動き出した。行き先は、首都、魔法考古学省。
「それじゃ、大臣サマも乗せたことだし、安全運転で行きますかね」
「さっきまでは違かったんですか!?」
「大丈夫。光、運転得意」
「免許取ったの50年以上前だけどな」
「やっぱり不安! 飛行魔法で行ってもいいですか!?」
「立場ってモンがあんだろ」
「駄目か……」
どうか無事に着きますように。朱音は後部座席で祈りを捧げた。その甲斐あってか、はたまた本当に運転が得意なのか。流れるように車は進んでいく。
(……ひいひいおばあさま。私、大臣になったよ)
変わりゆく窓の外の景色を見ながら、朱音は心の中でそう報告した。「おめでとう」、高祖母の声が返ってくる。
(頑張るから、見ててね……)
心地よい揺れを感じながら、朱音は眠りについた。前方で、2人の元指導役が微かに笑う。
新しき時代の大臣の左手の薬指には、銀色の輪が光っていた。
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