第4話

 現れた時仁は真っ先に六檀の顔面に殴りかかった。

 狛犬のあやかしだというのに、恐ろしいほどの鬼迫で六檀を攻撃している。


 顔の次は六檀の腹に蹴りをいれると、凄まじい音と共に六檀はよろめいた。

 しかし、殴られっぱなしの六檀だったが、この程度で倒れる相手なら協会は苦労しない。


「乱暴だな。これだからあやかしは」


 血の混じった唾を吐き捨てると、ぱんっんと手のひらを叩いて鳴らす。


「待てっ!」


 六檀の姿が、幻影のように消えてしまう。

 だが、直前に間一髪で時仁が掴んだものは、成海のところで捕まえたものと同じ式神の形だった。

 時仁は悔しそうにそれを握り潰すと、早苗の元へ駆け寄ってくる。


「早苗……!」


 時仁は時々、動揺したりすると早苗のことを呼び捨てにする。

 彼の素の顔が垣間見えるようで、早苗はそう呼ばれるのは嫌いではなかった。


「ただいま、時仁」


「……おかえり、早苗ちゃん」


 時仁はそう言うと、早苗に勢いよく抱きついてきた。

 その弾みで雪の上へ押し倒される。

 降り積もった雪はまだ誰にも触れられておらず、ふかふかで柔らかく、早苗と時仁を受け止めてくれた。


「心配した。また、どっかに消えるんじゃないかって……!」


 もう二度と離さないと言わんばかりに、時仁は早苗をきつく抱き締めて離そうとしない。

『また』、ということは、過去に消えたことがあるのだろうか。

 また一つ、過去の手がかりが増えた。


「大丈夫よ。私は消えたりしない」


「記憶なんかもうどうだっていいんだ。早苗ちゃんが俺の全部を忘れたままでも俺はいいんだよ。だから、一人で悩んだりなんかしないでくれ!」


 時仁が早苗の肩に顔を埋めた拍子に、また鈴が鳴る。


「早苗ちゃんがあの男に着いてったかもって思うと、俺は……」


「そんなことありえないわ」


 六檀について行くなんて、そんなことは絶対にありえない。

 しかし、彼の言葉に心が揺らいだのは確かな事実だ。

 どうしてあんな言葉に騙されてしまったのか、自分で自分を信じられなくなる。

 それでも、早苗は絶対に時仁の傍を離れたりしないと約束する。


「嘘だ。早苗ちゃんは、俺のこと好きじゃないんだから……」


 何を不安がっているのかと思いきや、まさかそんなことだったとは。

 さっきまでの鬼迫はどこへやら、甘えたがりな子犬のように早苗に頬を寄せている。

 これほど毎日共に暮らしてきて、あんなに近い距離にいるのに伝わらないなんて。

 まったく、恋愛とはややこしいものだ。


「捨てたりなんかしないわ」


 時仁を宥めるように、自分の気持ちを素直に口に出す。

 

「だって私、あなたのことが好きだもの」

 

「え」


 予想外だなんて言わないで欲しい。

 そもそも、好きでもない男からの口づけなんか受け入れたりしないのだ。

 早苗の居所が分かるように、妖術のかかった鈴を身につけさせたり、早苗が悲しんでいる時には笑顔にさせようと必死になってくれたり。


 あの時の口づけだって、人前でそういうことをするのは苦手なのに、早苗のためにわざとしたのは分かっている。

 今だって、必死になって探して助けに来てくれた。

 目が覚めた時からもうずっと、時仁にこんなに愛されて、好きにならないわけが無い。


「本当に……?」


「ええ」


 早苗は時仁を見つめ、はっきり言う。


「もう一度、あなたのことを好きになったのよ」


「早苗ちゃん……!」


 二人して雪の中で抱きしめあって、その拍子に転がったりして。

 着物が雪に塗れるのも構わず、そうしていると、ふと、早苗の頭の中に似たような光景が浮かび上がってきた。


「前にも、こんな風に雪の中を転げ回ったことがあった……」


 郷にいた頃の出来事だろうか。


 断片的だが、今より少し若い時仁が、雪を背景に早苗に向かって笑顔で手を伸ばしていた。

 今年の冬が記憶を失ってから時仁と過ごす初めての冬なので、これは過去のことになる。


「思い出した?」


「ちょっとだけね」


 驚く時仁に、いたずらっぽく笑い返した。

 

「帰りましょう、日和堂へ」


 六檀のことも遠十郎に報告へ行かなければならない。

 まだまだやることは山積みだが、もう早苗は先程までのように悩んだりはしなかった。


 ほんのちょっとした気の迷いからだったが、どうにも自分は大切なことに気づいていなかったようだ。


 記憶が戻らなくても、自分を治せなくても。

 時仁が隣にいてくれるのなら。

 よそ見なんかしなくたって、早苗を一番大切にして慈しんでくれる彼がいるなら大切なことを見失ったりしない。


 失くした記憶の欠片は、こうやって時仁と一緒に少しずつ拾っていけばいいのだと。




 後日、遠十郎のところへ時仁と共に報告に行ったところ、先日の依頼で治療した成海が来ていた。


「まあ、早苗さんと時仁さんではありませんか!ここでお会いできるなんて!」


 時仁がよっと手を振って愛想良く笑うと、成海も嬉しそうに手を振り返してくれる。


「成海さん、もうお元気になられたのですね」


「ええ。本当に、早苗さんたちには感謝しています。これも、遠十郎さんが日和堂を紹介してくださったおかげですね」


 成海は、先の件での感謝を述べるため、遠十郎に挨拶に来ていた。

 その後で日和堂にも寄ろうとしていたらしく、ここで会えてちょうどよかった。

 もうすっかり元気になったようで、いい笑顔を見せてくれる。


「俺はただ紹介しただけさ。ともかく、成海さんが元気になって本当によかった」


「遠十郎さん……!」


 成海が遠十郎に向ける視線は夢見る乙女のものだったが、肝心の本人にはまったく届いていない。

 思わせぶりな優しい態度を取っておきながら、本人は恋愛をまるで解さないのだから、今だって成海の気持ちにこれっぽっちも気づいていない。


 罪な男だと早苗は内心思いつつ、冷ややかな視線を送っておき、成海が帰った後にようやく本題に入る。

 遠十郎と別れたあと、六檀天山と邂逅したという話。

 彼から、誘いを受けたという話。

 全て聴き終わった後、遠十郎はふむと声をこぼした。


「まさか早苗の所にも来ていたとはな……」


 すっかり頭を抱えている。

 ということは、早苗以外にも遭遇した祓い師がいるということか。


「あの野郎、他の祓い師のところにも来たのか?」


「ああ。複数名報告は聞いているが、早苗のところに現れた赤毛の青年とは少し違うな。妙齢の女性だとか、腰の曲がった老人だったりとか」


 恐らく、そのどれもが式神を使った実体のない幻影のようなものなのだろう。


「だが、これで六檀は仲間割れを狙っていると見て間違いないな。奴の目論見通りにさせてたまるものか。次の会合で皆と話し合わなければな」


 呪詛を人にばらまくような人間だ。

 祓い師たちが内部分裂する様を見て楽しみたいというあくどい思考が透けて見える。


「あ、そうだ。遠十郎、これあげる」


 時仁が思い出したように差し出したのは、ひしゃげてぼろぼろになった式神の形だ。


「六檀が置いてった式神。俺の霊力でぐちゃぐちゃになったけど」


「お、おお……。いつ見ても時仁の霊力は凄まじいな。是非とも修行をして祓い師になって欲しいところだが」


 遠十郎はぎょっとしつつも、時仁にお決まりの言葉を言っている。

 彼は時仁の霊力を見込んで、祓い師になることを何度も勧めているのだ。


「えぇ、俺は早苗ちゃんの為に生きてるからそういうのは断っとくよ」


 しかし、時仁の返事は変わらない。

 時仁の霊力が人ではなくあやかしのものであると遠十郎はきっと気づいているだろうが、黙ってくれているだけだ。

 あやかしでありながら祓い師をする、というのは聞いたことがないが、かなり強力な戦力になることは間違いない。

 それでも無理強いせず、時仁の答えを相変わらずだなと笑ってくれるのは彼の優しさだろう。


「ところで早苗。悩みは晴れたようだが、どうだ」


「……ええ。もうすっかりね」


「遠十郎、恋は人を強くするんだぜ」


 早苗があえて何も語ろうとしないでいると、背後から抱きついてきた時仁がそんなことを言った。


 恋は『人』を強くする。


 それは、きっと、あやかしも同じなのかもしれない。


「ん?どうしたお前たち。何かいいことでもあったのか」


 心做しか普段から近い距離がもっと縮まってないかと遠十郎は笑っている。


「早苗ちゃんがいるなら毎日いいことだらけだよ」


「またそんなこと言って」


 そう言ったが、早苗もそれは同じだった。

 時仁がいてくれるから、早苗は幸せでいられる。

 これからきっと大変なことが続くだろう。

 六檀のことも、記憶のことも、解決していないことはたくさんある。


 けれども、それらに立ち向かう為の不思議な薬も特別な何かも必要ない。

 恋があるのなら、きっと大丈夫なんだ。


 早苗は今日もまた一つ、記憶を積み重ねていく。

 忘れてしまったものを辿るのではなく、今の早苗と時仁の記憶を。

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日和堂あやかし恋語り 雪嶺さとり @mikiponnu

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