エピローグ 元不死の魔女と彼女をいつか殺す暗殺者



「ララニカの血のことなんだけどさ」



 ノクスの拠点で朝食を摂っている時だった。町で買ったふかふかのパンに切れ込みを入れ、味の濃いおかずを挟むというメニューである。挟まれているのは鹿肉を柔らかくして濃い味をつけたものと、それに合わせて考えた香草や野菜の組み合わせなのだが絶品だ。人間社会と関わりを持ちながら生活すると食生活まで格段に向上し、正直食事が楽しみで仕方がない。

 とにかくそんな楽しい朝食の最中に、ノクスはそれを言い出したのである。自分が不死者でなくなったことが最も重要であった私は、言われてそういえばそんなこともあったと思い出した。



「天族の伝承らしい話の中に、彼らにはどんな傷でも癒す特別な力があったっていうのがあったんだよね」


「……地上に降りたら天族は最期の果実を口にして人間に戻るはずだけど」


「そう。だから天族本人は不老不死じゃなくなってるんだと思う。……ただ、やっぱり天族は神のお気に入りだったんじゃないかな。不老不死の祝福を返しても、別の祝福が与えられてるように思えるんだよね」



 ノクスの言い分はこうだ。不老不死の祝福を返した天族には、新たな祝福が与えられる。それは本人ではなく、周囲の人間を癒す力――死んでさえいなければ、復活させることもできる万能薬。それが当人の血液になっているのではないかと。



「なによそれ。祝福を与えるにしても、どうしてそんな力を……」


「うーん……身内を失うことに慣れてない天族のために、大事な相手を死なせない力を与えたとか? ……君はすごく情が深いからそうしたのかもね。だって、君が神の遣いを助けたんでしょう?」



 神の遣いを助け、祝福を授けられることになった一番の原因は私だ。神は祝福を与える基準に私を選んでいる可能性がある、と言われた。思わず顔をしかめてしまう。

 血液が万能薬となる人間がいると知られたらどうなるのかは考えるまでもない。感じた寒気に自分の腕を擦った。

 私の血に本当にそんな力があるのかは一度検証した方がいいのかもしれない。しかし、とにかく、人間と違う価値観を持つ神はやはり理解できないし、したくない。



「……やっぱり神とは相容れないわ」


「そうだよね。……でも大丈夫、君を殺すのは俺だから。それまでは絶対に守るよ、俺以外に君を殺させない」



 優しく微笑む暗殺者の顔を見ていると段々落ち着いてきた。彼が有言実行なのは身を持って知っているからだろうか。……私は彼以外に殺されることはないし、彼より先に死ぬこともない。それなら怖いものなど他にはないから、安心していい。



「ねぇララニカ、買い物に行こうよ」


「いいわよ。食料の買い出し?」


「いや、結婚の装飾品を買いに。指輪がいいよね」



 結婚指輪を買いに行くというノクスの言葉が理解できずに一瞬ぽかんとしてしまった。結婚の指輪ならすでに買っているし、私と彼の指にはまっているではないかと。



「結婚指輪ならあるじゃない」


「それは偽物だから違う。俺と君で、ちゃんとしたのを作るんだよ。結婚式は……神に誓うのは癪でしょ? 二人きりでやろっか」



 たしかにこの指輪は夫婦を偽装するために買ったものなので、ノクスとしては別物に感じるのだろう。結婚式についてはその儀式の内容など知らないが、神に誓うのが癪だという彼の言葉には頷いた。



「サイズを測って、好きな素材を選んで、自分たちだけの結婚指輪を作れるんだよ」


「そうなの? この前はお店にすでに売ってあったじゃない?」


「お金に余裕がない夫婦はそういうのを買うんだ。でも俺はララニカのためのお金がいっぱいあるから」



 私のためのお金とは一体。そう思ったが深くは聞かなかった。彼が長年私を想っていたのは知っているし、結婚した時のために蓄えていたということなのだろう。……その夢が無駄にならずによかったと思う。



「そうだな……リングは金で作ろうよ。ララニカの色だから」


「そう、いいわよ」


「装飾はどうしようかな。綺麗な宝石がいいよね。あ、それとも高級なのがいいかな。ララニカはどんな宝石を使いたい?」



 ノクスはニコニコと笑いながら興奮気味に話している。結婚指輪がどういうものなのか詳しくない私では分からないが、土台になる金属のリングに宝石をつけるもののようだ。

 自分を着飾ることなんて数百年していないのだから、好みの宝石を聞かれてもすぐには思いつかない。期待を込めた目を向けられたところで――。



「ああ……それなら夜色の宝石がいいわね」


「夜色?」


「土台に私の色を使うんでしょう? なら宝石は、貴方の色がいいわ。それなら私たちのもの、という感じがするでしょうし」



 数秒軽く目を瞠った状態で固まったノクスは、机の上で肘をついて組んだ手に額を押し当てて、長い息を吐いた。急に妙な行動をするのでつい、怪訝な顔をしてしまう。



「ララニカは魔女じゃなくても魔性の女だよね。無意識なんでしょう、それ」


「……意味が分からないわ」


「うん。いや、君はそのままでいいよ」



 ノクスはたまに訳の分からないことを言うが、喜んでいるように見えるのであまり気にしないことにする。

 指輪のデザインについては彼らしい色の小さな宝石をちりばめたようなものにする、ということになった。詳しくない上に上手く想像もできないので彼のこだわりに任せる。私たちの結婚については彼が誰よりも強いこだわりがあるだろうから。



「あとは……新居も欲しいよね」


「……家はここじゃないの?」


「ここはただの拠点だよ。ララニカはもう不死じゃないんだからさ。もっといい環境で暮らした方が長生きできると思うし。今は便利な道具も楽に生きられる環境もたくさんあるんだから」



 彼の言葉通り、私の知らない間に人間の世界は大きく変わり、そして進歩していた。便利な道具があふれていて、都会であればあるほど人と物にあふれている。

 私は森の暮らしに慣れているが、都会が嫌いという訳でもなかった。短い命を得たことでむしろ知らないものを知りたいという欲求が出たし、通り過ぎただけの都会の街はもっと散策してみたいと思っていたくらいだ。



「じゃあ、私たちの家を探すために旅でもする?」



 前回の旅は私が死を求めるためのものだった。ノクスとは偽装の夫婦として過ごしたけれど、今となってはそれが少し物足りないように感じるのだ。

 目的までまっすぐ進んでまっすぐ帰って来ただけ。しかし今なら、もっと二人で違った楽しみ方ができるだろう。



「今度は本当に夫婦で。……貴方が良ければだけど」


「……新婚旅行だね。断る理由がないよ」



 心底嬉しそうに笑う顔には幸福しか見えなくて、そんな顔が見られることを嬉しく思った。雲一つない空のよう、とでも例えればいいだろうか。以前はどこかに陰りがあったのに、今の彼に不安は一つもなさそうだ。



「南に行くのもいいね、あったかいし。ああでも、西の方が栄えてるかなぁ……東はちょっと独特の文化で面白いよ。どこに行こうか」


「全部回ってもいいんじゃない?」


「世界を全部見て回るなら時間が足りないかもよ。……でも二人で旅をして、一緒に暮らすのに良い家を見つけるには充分かな。家を見つけた後に旅行に行ったっていいんだし、二軒目の家を買ってもいいし」



 私の時間が終わるのは、ノクスに殺される時である。しかしどうも彼の口ぶりから察するに、それは何十年と先のことのようだった。それは長いようでとても短い時間なのだと、私はよく理解している。



「じゃあ買い物に行こうか。旅の準備もしなきゃね」


「忙しないわね」


「それはそうだよ。……時間は有限だって、教えてくれたのはララニカだよ」



 それもそうか、と立ち上がる。人の命には限りがあり、だからこそできることも限られる。そうして短い時間の中で最大限に幸せになろうとするなら忙しくなるのは当然だ。

 差し出された手を取って、その手に引かれながら歩きだす。いつかこの手に殺されるその時まで、私も懸命に生きていこう。

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暗殺者は不死の魔女を殺したい Mikura @innkohousiMikura

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