第33話

また一つの木立の下を出て百マートルくらい走ったろうかと思われる所で「よし、此処でよかろう、此処から見るぞ」とのことで自分は線路上に砲隊鏡を整置した。

敵の小銃弾は何処から来るか解らぬが来る、この来る、雨霰の如くと言うが全くそんな感じがする。

なにしろ何時、敵の銃弾が自分に命中するか知れぬので今か、今かと心配になる。

ところが小隊長が「此処では観測は出来ん、少し退るぞ」と言われるや走って行かれる、自分も整置した砲隊鏡を左手に持ち、右手に嚢を引ったくって木陰の下の所まで走って行く、此処は余り弾は来ないようである。

再び線路上に砲隊鏡を整置し敵情を偵察する。

まず眼鏡に映ったのは四~五百メートル前方の線路を右から左側に盛んに人が移動している、中には黒い着物を着た農民の婦女子まで見える。

次から次へと移動していると思えば、担架に負傷者を乗せて移動しているのが幾つも見える。

自分は最初は展開していた友軍の歩兵の前進と思っていたが、少し様子が変である、友軍の中での支那農民の婦女子はおかしいと思い、よく見れば兵隊の背には日本農民が簑を着るときに被る笠を背負っている。

敵に絶対間違いない自信を得たので小隊長に報告し、また左前方五~六百メートルのクリークの中央に見えている小さな部落を見れば家の壁に銃眼を設けてチエッコで激しくこちらを射っている。

時々、部落の中を移動する敵兵の姿を認める、これも詳しく小隊長に報告する。

敵を偵察中に中隊長が到着される、宮田曹長も自分の後ろに立って「敵は何処にいるんだ」と立ったまま尋ねるので「立ったままでは狙われるから危ないですよ」と言えば「そうか大事に、大事に」と腰を屈める。

だいたいの敵情を知らせれば、曹長は小さな眼鏡を出して眺め、敵の負傷者が担架で運ばれるのを見て盛んに喜ぶ。

「やられた」と誰か後ろで叫んだ。

振り返って見れば高場一等兵が青くなって立っている。

「何処だ」と皆が見れば、幸いなるかな銃弾は胸の乳の所を真横に貫いて軍服は鈍刀で切った様に「ぱっかり」と口を開けているが、かすり傷さえ受けてないのだ。

高場一等兵は「敵の銃弾を受けた時、しびれた様な衝撃を受けたので、その時はすっかりやられたと思ったので叫んだ」とのこと。

皆、戦友の無事を喜ぶとともに「やられた」と言って、やられてなかったので可笑しくなって皆笑う。

数ミリの差が生死を別ける現実に人間には目で見る事が出来ない宿命を背負っているように思えた。

その時、何処から現れたかフロートを付け日の丸を銀翼に輝かせた海軍機が上空を旋回している。

「フーッ」とプロペラの音も微かに地上に真っ逆さまに落ちてくる。

つ墜落かと思い冷や汗をかけば「ウォーン」と変な唸りをたて真上に機首を上げ上昇してゆく。

見てると鉄道線路の左側に密集していた敵の真っ只中に「ドカーン」と中天に火柱を上げ、大地も裂けるかと思う大爆発音を上げる。

再び上昇した海軍機は、また急降下し「ウォーン」と変な唸りを発して上昇し、その時また物凄い爆発があった。

敵兵は木っ端微塵に吹き飛ぶ、遠くにいる敵は蜘蛛の子を散らすが如く逃げて行く。

砲隊鏡で此の光景を見て胸がすーっとする。

我々も後方砲車陣地との電話連絡が出来るようになる、自分が報告した目標に向かって号令は中隊長より次々と下され、通信手の伝達で砲手に伝えられ砲撃し、自分の頭上を「まヒュー、ヒュー、ヒュー」と砲弾は唸りをあげて通り敵陣に落ちてゆく。

「ドカン、ドカン、ドカン」と屋根が吹っ飛び、地上では土煙を上げ、クリークに落ちたのは水煙を高く上げて爆発している。

何処から来るのか知れぬ我が砲弾に敵は狼狽し右往左往逃げ惑っている。

我等の砲撃で歩兵は稲田の中を容易に前進して行く。

敵部落の端で日章旗が振られているのを見て、今度は線路側の敵を砲撃する。

飛行機が帰るのを見て、敵は安心して藁などを被ったままで集結している。

そこを狙った砲弾は「ヒュー、ヒュー、ヒュー」と唸って行き、ものの見事に敵の中に真っ黒い土煙を上げて「ドカン、ドカン、ドカン」と続け様に爆裂する、慌てる敵は死傷者はそのままにして逃げて行く。

機関銃の一個分隊が我々の援護に来てくれた。

中隊の観測班も到着、大隊長も来た。

線路上にはだいぶ多くの人が集まったので何処からか知れず盛んに敵の銃弾が飛んで来る。

自分が砲隊鏡で観測していたら「パン」という音と同時に顔をいやというほど「ピシ」と打たれた「ハッ」と思って見れば、顔の下に落ちた銃弾が小石を弾いたのだ、本当に危ないところだった。

運命を感じた一瞬だった。

この銃弾四~五百メートル先の竹藪の中にある部落が怪しいとのことで、今までは軍服も友軍の色と同じで動作も似ていたので、正面から来た友軍の歩兵が進出しているのだとばかり思っていたのだが、懸命に観測していると部落から伝令であろう、二名が出て行くのを見れば友軍の背嚢と色合いが違っているので、その事を中隊長に報告すれば、大隊長が「覗かせろ」と言って自分が見ていた砲隊鏡で見る。

自分は近眼なので大隊長とは視度が合わず、大隊長から「こんな目で観測手か」と皮肉を言われた。

大隊長も敵と認識して安心して砲撃を開始する。

砲弾が「ヒュー、ヒュー、ヒュー」と唸って行く時の気持ち良さ、胸がすーっとする。

「ドカン、ドカン、ドカン」と竹藪の中の部落は砲弾の土煙に覆われてしまう、この正確な砲撃に敵はいたたまれず総退却を開始する。

敵は四~五十名づつ固まって左の方へ稲穂の中を移動している、砲弾は次々と逃げる敵を追って逃げて行く敵の近辺に落ちて敵の慌てかたは走る奴、土手に伏せる奴、様々だ。

この状況に宮田曹長が茶目っ気を出して、歩兵の小銃を借りて逃げる敵兵を射つ。

皆、お手並みを拝見すべく眼鏡で眺めているが余り手応えは無さそうだ。

ここ数時間の砲撃での敵の沈黙をみて、観測班は左前方の一軒家に前進する。

線路を越える時、五~六名の戦死者が硬くなって横たわり、顔には手拭いが覆ってある。

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戦場の日々 @yukichi23

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