第4章 惨劇とその顛末 その2
「お前さんにはここで死んでもらうしかないねぇ」という声に清原致信は観念する。
ゆっくりと後ろを振り返ると、そこにいたのは二藍の狩衣姿の平井保昌であった。
「大和守様っ!」
「しっ、今は冗談を言っていられる時じゃないぜ」
いや、どっちが冗談を言ったのかと清原は耳を疑う。
「さっきな、この二藍の服でこの母屋に飛び込むところを頼親の野郎に見せてやったんだ。だから襲撃者どもはこんな服でお前さんが母屋に隠れ潜んでいると思い込んでいる」
「それは真実ではございませんか」
「清原、この隣の部屋には隠し部屋とかあるんだろう?」
「そんなところで隠れ潜んでいて見つかりでもしたら、末代までの恥でございます」
「俺はそんな恥だの誉だのに付き合う気はないから、その隠し部屋に案内してくれ。死ぬならお前さん一人で十分だろう」
こんな状況だというのに平井保昌の語り口はどこまでが本気でどこからは冗談なのか、判然としない。
確かにいつも通りの保昌なのだが・・・・・
「モタモタしている場合じゃないぜ」と促されて隣の部屋に向かう。
そこで隠し部屋に通じる床の羽目板をどけると――そこには二藍の狩衣を着た死体が入っている!
「こいつをさ、鳥野辺で見つけるのに手間取っちまってさぁ」と保昌が言い訳するように説明する。――鳥野辺とは平安京の死体葬送地の一つである。
「それに、死んだ奴の服を着替えさせるのは、かなり難しいんだぜ」
「なんだ、隠し部屋はご存知でおられたのですね」
「知らなくたって、こんなものすぐに見つけられる。これで隠れていようとしたって無駄な努力さ」
「いや、最初に連中が格子を蹴破ってきた時、私はここに思わず逃げ込んでやり過ごしたのです」
清原の返事に保昌は呆れ返る。
「よくまあ、見つからずに生きていたものよ。その時、見つかっていたらお前とこうして会うことも叶わなかったということだ。
頼親の家来達がぼんくらで助かったよ」
そんな悠長に頼親のことを批評している場合ではないから、清原が保昌をせっつく。
「それで、これをどうするおつもりなのです」
「金太郎(坂田金時のこと)の格子破りがここに辿り着く前に隣の部屋に放り出すのさ。ほれ、こいつは丁度同じ二藍の狩衣を着ているという按配だ」
「お言葉ですが、幾ら金太郎が粗忽者でも、この男が死んでいることは分かるでしょう」
「やってみなきゃ分からんぜ」
そう言って保昌は死体を担ぎ上げる。
慌てて清原が手伝い、二人して清原が隠れていた部屋に二藍の狩衣姿の死んだ男を静かに置いた。
「それで、この後はどうしましょう」
「死体が入っていた隠し部屋に二人して隠れるのさ」
「それは・・・・・・?」
「俺だって、お前と体をくっつけて狭いところに入るのは嫌さ。でも四の五の文句を言っている場合じゃないぜ」
「金太郎が異変に気づけば、再び捜索が始まります。そうなれば二人して見つかってしまいます。保昌様までが命を落とされることはありません」
呆れたような視線を保昌は清原に向けた。
「冗談をしている場合ではないのは分かっているんだろう。俺が正気で死体を放っておいて金太郎を騙そうとしていると信じたのか」
「えっ?」
「馬鹿なことを。あいつも芝居を打ってくれるんだ。
この大芝居の影の仲間だ。
お前は気づかなかっただろうけど、あの死体の頭には血を詰めた袋を貼り付けてきた。坂田金時はそいつごと死体の頭を叩き割る。直に見られないのが残念だぜ」と言うや、保昌は隠し部屋に清原を押し込み、次いで自分も潜り込むと羽目板で入り口を隠した。
坂田金時は隣の部屋の格子を打ち壊すと「おっ」と声を上げて中に飛び込み、そのまま血溜まりの袋ごと死体の頭を叩き潰す。
それと同時に声色を使って「ぎゃっ」と叫びながら血溜まりの袋の切れ端を懐に押し込んだのだ。
後のことは予定していなかったが、二人は検非違使が引き上げるまで息を殺して隠し部屋に立て籠もる。
そろそろ良いかな、と二人して考え始めた頃、羽目板をコンコンと叩く音。
おっかなびっくり羽目板をずらして外を見ると、そこには清少納言が覗き込む姿があった。
「いい加減に出ていらっしゃいな。惨劇のあった屋敷ですから、誰も彼も『物忌みで』とか理由を付けて立ち去ってしまいましたわ」
平井保昌はがっかりしたように隠し部屋から這い出てくる。
「なんだ、清少納言には分かっていたのかい。後で二人して驚かしてやろうと楽しみにしていたのに」
「保昌様のような無粋な御方が、兄の服装を指定するなんて変でございましょう?
それで理由に見当が付きましたわ。
どこかでボロが出ないかと襲撃からはヒヤヒヤし通しでしたわ」
「なんだ、あの死体にすがり付いて泣き叫んだのもみんな芝居かよ。兄思いの可愛い妹だと感心していたのにさ」
後になって、襲撃者達に清原致信ではない証拠を示せと脅されても意気軒昂にふるまい、屋敷中の注目を集めて平井保昌の企みを助けてくれたことを知り、保昌はもう一度清少納言の豪胆さに舌を巻くのだが、この時はそれを知らない。
「それよりも、よくもまあ、死体を運んで四囲を見張られた屋敷に忍び込めましたね」
「まぁ、あれだな。そこは『花盗人』の面目躍如というところかな」
実際には見張りの一人を始末して代わりの者を立たせて置いただけなのだ。
頼親の部下が確認に来た時には酉の刻が迫り、既に薄暗くなっていたおかげで見過ごされたのであろう。
「この後はどうしますの」
「今日ここで清原致信は死んじまったんだ。今後一切は人目に付くことがあっちゃいけねぇ。早々に都からは脱出してもらいたい」
「私に考えがあります」と清少納言が切り出す。懐から手紙を取り出すと、それを兄の清原致信に差し出した。
「これは?」
「兄上は以前に大宰少監をお務めになっていますね。逃げるなら大宰府の近辺をお考えになっていましょう?
ならば、あの藤原隆家様をお頼りなさいな」
「あのやんちゃ坊主か」と清原と保昌が声を合わせる。
藤原隆家は清少納言が仕えた中宮・定子の弟であり、清少納言には顔馴染みであった。
花山院との牛車騒動や道長との往来での喧嘩騒動と、若い頃の腕白ぶりの逸話には事欠かない人物である。
この時にはちょうど大宰府権帥(だざいふごんのそち)に着任していた。
そんな話をしながら、清少納言と平井保昌を交えた別れの挨拶を済ませると、人目を避けて暗いうちにと、清原致信は都から太宰府目指して旅立っていった。
保昌は清原を見送ると、その報告を兼ねてこうして頼光邸にやって来たというわけである。
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いやまさか、坂田金時にあのような芝居が打てるとは思ってもいませんで・・・・・この渡辺綱も完全に騙されました」
「いや、渡辺綱様が騙されるのも無理はない。この碓井貞光ですら、この薄ら馬鹿にそんな芝居が打てるなんて信じられません」
「なにを、荒太郎!俺とお前では頭の出来が違うんだ」
「それは知っているが・・・・だから信じられんのだ」
そんなやり取りに頼光は大笑いする。
「お前等が清原のことを心配するのは分かっていたが、だからと言ってお前達に計画を打ち明けるわけにはいかなかった。
お前達では正直な分、企みがあることが頼親に見抜かれてしまうかもしれない。
その点、坂田金時ならば、そんな秘密を心のうちに隠し持つなど誰も予想出来まい」
「いや、確かに・・・・・」と渡辺綱は答えつつも「ですが、坂田金時では計画を理解出来ずにぶち壊しかねないのでは・・・・・」
「こら渡辺綱!いつまでたっても俺をガキ扱いだな。年だけで言えば、俺の方が上なんだぞ」
「そいつは無駄に年を重ねた結果じゃないか」
「まぁ、まぁ、その辺にしておきな。相変わらず、お前さん達は仲が良いなぁ」と保昌が口を挟んだ。
「そんな訳あるか」と碓井貞光が思わず叫び返すと、卜部季武が「そうそう」と言うように頷いてみせる。
そんな四天王の様子を見て、頼光と保昌は頷き合う。
「美濃守(源頼光)よ、こうして顔を合わすとみんな変わらねぇなあ。だが、全員が顔を合わせることは金輪際なくなった・・・・・・」
「ああ、大和守(平井保昌)、二十年もあっと言う間に経ってしまった。
ここにいる全員と清原の七人で大江山へ酒呑童子を退治に出かけたのが昨日のように思い出される。まだ、あの頃はみんな元気だった」
「そうね・・・・・とうとう欠員が出ちまった」
「次はわしの番か」
「そいつばかりは誰にも分からねぇ。それこそ神様の思し召しといったところ」
「いやいや、こういうのは年の順番にいった方が幸せだろう。
同じ釜の飯を食った同士、いろいろな事情はあるだろうが、表に出来ないことであっても生きているうちは力を併せて助け合いたいもの」と頼光が柄にもなくしみじみと語り、「いや、本当に今回のことは助けてもらってありがたかったぜ」と保昌が皆に礼を言う。
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こうして歴史上では清原致信は寛仁元年三月八日に暗殺された。
秦氏元の息子が目撃されたことから犯行が源頼親によるものと断定され、淡路守は任を解かれることになった。
それを請けて藤原道長は日記に「源頼親は殺人上手」と記している。
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太宰府に落ち延びた清原致信がその後どうなったのかは、当然ながら記録には残っていない。
2年後の寛仁3年(1019年)3月27日、刀伊(女真族)が対馬と壱岐を襲い、4月9日には博多に襲来した。世に言う「刀伊入寇」である。
この空前の大事件に対し、やんちゃ坊主であった藤原隆家が立ち向かうことになる。
その時、清原が果たして隆家を補佐して助けたかどうかは、当然のことながら何も伝わっていない。
(完)
狙われた清少納言の兄~清原致信の厄災~ 紗窓ともえ @dantess
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