第5話
「いっぱい食べたね。さっすが男の子だ」
朝比奈の料理はどれもうまかった。決して見た目は地味である。味付けも淡泊で控えめだ。それでも俺が求めていたのはこれだったのだ。
「おいしかった?」
「ああ……」
「おなか一杯になった?」
「ああ……」
最後の味噌汁を口に流す。
「ごちそうさん」
「うん!」
*
「洗いもんするから帰っていいぞ」
「えええ? 私がするよ」
「……いや、作ってもらったからな」
俺は朝比奈の料理に心底満足した。
いくら俺が食費を出したからって、買い出しと調理のどちらもしてくれた朝比奈に洗い物まで任せるのは悪い気がした。
「いいのいいの」
「……」
「別にいつもやってることだし。あっ、でも最近は料理すらできないほど金欠だったけど……」
えへへっと自虐ネタを披露した朝比奈。あんまり笑えないぞ。
その後、何度も説得を試みたが、結局朝比奈に任せてしまった。
「悪いな」
*
翌日の朝。
「ふはぁぁあ」
背をぐんと伸ばす。目覚めのいい朝。食パンを口に頬張り、テレビをつけた。
『ただいま午前七時をお知らせします。ええ~、続いてのニュースは天気予報です…………』
七時半か。随分と早く起きてしまった。ふーむ。たまには一限の授業も出てみようか。第三外国語のフランス語の授業が入っていたはずだ。ちなみにオリエンテーション以来行っていない。二年にもなると一限などまず行かないのが普通だ。朝の七時半なんておれの知らない時間になってしまった。
「ふーむ」
よし。行くか。
今日はなぜか気分がいい。早めに家を出ることにした。
*
戸締りを確認して、家を出ようと────
「あっ……」
午前七時半の早朝。誰もいないはずのアパートの外廊下で聞こえた声。
「広末さんじゃないですか! ってなんで閉めちゃうし!」
朝比奈だ。朝比奈を見た瞬間なぜか条件反射的に扉を閉めてしまった。どうも俺の本能はまだこいつに慣れない。間髪入れず強引に扉を開けられ、外に出される。
「……朝練か」
うちのスポーツ系の部活は大学だというのに朝練がある。
こんなに朝早くから部活とはご苦労なこった。
「ん。広末さんは? バイト?」
「いや授業」
「え、ええっ⁉ なんか意外!」
「いやいや意外ってどういうことですか」
「え、なんか意外!」
偏見はよくないよ。偏見は。当たってはいるけどさ。普段行ってないけどさ。
しかし、どうしてこいつは朝からこんなにテンションが高い。
「でもとりあえず一緒に行こ、広末さん?」
あざとい上目遣い。
三日前に知り合ったばかりの後輩と登校か。それも前田情報によると現在一年で一番人気らしい女の子。前田が知ったら羨ましがるだろなと思いつつ、特に断る理由もないので首を縦に振った。
*
アパートを出て、線路沿いの道なりを歩く。二年間の徒歩で見慣れた道。恵比寿はおれらが通う大学からそこそこ近い。そこそこいうのは、歩くは少し遠いということである。しかし、駐輪所がないため徒歩通学が余儀なくされる。そんな恵比寿荘にはうちの大学ではおれと朝比奈しかいないみたいだ。
基本的にうちの大学は電車通学の奴が多い。どうも大学で有名らしい朝比奈芽衣と歩いていても、駅前までは見られることはないだろう。駅からは避けて歩くべきか。 萌ちゃんとその友達にに見られると困るからな。
「ふっふっふ~ん」
鼻歌のリズムに合わせて道路の縁石の上をテケテケと進む朝比奈。
「そうだ。広末さん、今日、何か食べたいものある?」
二三歩先を歩く朝比奈がくるりと振り返った。
「食べたいもの……」
ああ。夕飯をつくってくれるという話か。いざ聞かれてみるとなかなか思いつかない。
「……そうだな。手作り感があるものがいい」
「手作り感? ええ~? そんなんじゃ分かんないよ」
「いや、別に何でもいいぞ。適当で。手作りなら」
「それが一番困るんだけどなぁ」
ふん。
昨日はどちらかというとあっさりめの物を作ってもらった。実際俺はあっさりめのものを求めていたわけだが、あの味を出せる朝比奈のことだ。ハンバーグとか唐揚げだって手作り感があふれる味になるのでは。
「……じゃあ、ハンバーグ」
「ハンバーグ。うん! じゃあ、ひき肉と玉ねぎとケチャップと─────」
「ああそうだ。またお金渡しておく」
*
商店街を突っ切ると駅が見えてきた。一限に向かう学生がぞろぞろと駅から流れてくる。ご苦労なこった。
「じゃあ、ここまでだな」
「えっどうして?」
朝比奈がはてなと首を傾げて見せた。
「ちょっ、ちょっとぉ! どこ行くの?」
俺はひらひらと手を振って駅とは反対の方へ歩き出した。
これでもおれは一サークルの副サー長だ。自分で言うのもなんだが大学ではそこそこ顔が知れている。噂になっても困るのだ。萌ちゃんに知られちゃうと困るのだ。
ふと後ろを振り返ってみると、俺の方に戻ろうか、いやでも部活に遅れてしまうとあたふためいている朝比奈の姿がすでに遠くにあった。間もなく部活の友人らしい人物に話しかけられたようで、大学の方へ行ってしまった。
一方の俺は適当に見つけたコンビニに入り、コーヒーを購入。道なりには朝食で賑わうカフェが何軒か軒並みを重ねていたが、寂しい財布は口を開いてくれなかった。
適当に時間をつぶした俺は結局いつも通り始業ギリギリで大学に到着した。
*
夜11時。
バイトから帰宅した俺。台所ではエプロン姿で朝比奈が料理し、俺はゲームをしてごろごろしている。
「悪いなこんな遅くに」
ふと顔をあげると朝比奈がボールからミンチを取っては丸めていた。お手玉のように両手で転がしたかと思うと今度は平べったいハンバーグ型に生まれ変わる。
「いいよ。私も今日昼ごはんおそかったし」
手作りハンバーグ、か。母親が家を出ていった最後手作りハンバーグなんて代物は食っていない。冷凍食品。ありはせいぜいサイゼで食ったぐらいか。
「なーんか私たちつきあってるみたいじゃない?」
「……んっ⁉」
思わず口に含んでいたコーヒーを吐いた。
「えー、広末さん。動揺しすぎ。きもい」
そりゃ動揺するでしょ。
「だって夜11時に女の子家に入れてごはん作らせてるんだよ? これもう付き合ってるみたいじゃん。まあそんなわけないんだけど」
「そんなこというなら飯おごりませんよ?」
「えへへっ。冗談だよ~」
ああ、こうやって女子って男の心を揺さぶるのね。よくないね。一瞬きゅんとしちゃったね。
*
しばらく待っていると完成の合図が聞こえた。空腹と旨そうな匂いに耐えかねて我慢の限界だった。朝比奈が皿を並べるのを手伝い、最低限手伝いはしたぜえらいと自己満足にひたっていると食事の準備が完了した。
「「いただきます」」
朝比奈お手製ハンバーグ。やはり形はいびつだっただが、またそこが手作り感があっていい。
箸で入れた割れ目から一気に湯気と肉汁があふれた。
一口。
「……どう、かな?」
心配そうに朝比奈が上目遣いで聞いてくる。
「うまい」
「ほっ……」
胸をなでおろす朝比奈。
気づけば箸が止まらなくなっていた。
「そ、そんなに急いで食べたくてもいいんだよ。お替わりいっぱいあるから」
いいや、それではもったいないじゃないか。朝比奈との契約は一週間。食えるうちに食っておかないとな。
食後、洗い物をする朝比奈を横目にゲーム。ふと彼女に礼を言いたくなった。
「朝比奈、今日はありがとな」
「う、うん」
初日のように追い出すような真似はせず、洗い物を終えた朝比奈にもう一度礼を言って玄関まで送った。
*
「────さんっ!」
うるさい。
「────すえさんっ!」
うるさい、うるさい、うるさい、…………うるさい?
「広末さんっ!」
玄関ドアが叩かれる音で目覚めた。
「…………」
誰かは、分かる。それは分かる。
「あいつ…………」
こんな真夜中に 止めさせるため慌てて玄関に出向く。
ドアを開けた。
「おい。うるせーよ。今何時だと────」
「ひ、広末さん。どうしよぉおおおお!」
そこにいたのはやはり朝比奈芽衣だった。
隣人少女を餌付けした @shiromizakana0117
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