星の降る街、星空区にて

かわの

第一章

船出、暗闇と虚無

 目が覚める。

 そう知覚する間もなく最初に感じたのは、痛み。頭が痛い。私は思わず手で頭を押さえる。なにかの、違和感がある。


「うっ、オェッ……」


 硬いベッドから跳ね起きて嘔吐えずく。私を襲うのは痛みだけではなかった。眼球が自転しているのではないか?と錯覚する程の眩暈。その場から全く動ける気がしない程の倦怠感。


 何度か吐こうとして、ほんの少しマシになった。焼ける喉で、呼吸をするのが辛い。口の端から垂れた胃酸が薄汚れた患者衣の上に落ちて、それを少し汚す。


 ――私は患者衣を着ているんだ、ってことは。


「ここ、病院とかか……?」


 袖で口元の胃酸を拭いながら、暗くて狭い部屋の中を見回す。点滴とか薬のカプセルとか、確かに病院っぽいものはある。ありはするけど、倒れていたり散乱していたりと、荒れ放題だ。

 しばらくの間、ぼーっと周りを眺めていた。そして突然、私はあることに気付いて、目を見開いた。


 ふらつきながらも頑張って立ち上がる。肩で息をしながら足を前に出す。目指すのは、この部屋の扉。歩くのは、まだかなり辛い。やっとの思いで辿り着き、倒れ込みながら扉に触れる。扉は、開放された状態だった。


「これ……いつもは、絶対に開かない、よな」


 

 記憶の中を探す。私のいるこの部屋の『いつも』、普段の情景。


「あ、ぐ、痛い、いたいッ……!」


 激しい痛みが頭を侵す。思わずその場に蹲る。両手で頭を抱えて、肺がもっと強く酸素を求める。

 ぐちゃぐちゃになる記憶のどこかで、もう1人の私が分かっている。

 あるはずのものがなく、ないはずのものがあることを。


『いつも』なんて、私にはなかった。

 いや、なんとなく違う気がする。多分、なくなったんだと思う。なぜか。


 


 きっと、いや絶対にいないだろう。そういう判断は、今の私にもできるっぽい。

 なんとも言い難い不快感に、再び胃酸が逆流する。頭痛を和らげるためにまた頭に手をやって……そう、異常な事態がもう1つ。


 目が覚めたときにも触れた、つるつるとした触感。指先や手のひらで恐る恐るその形を確かめる。そんなはずないけど、間違いない。

 人間の頭部には存在する訳もない、2本のツノ。それが私にくっ付いていた。引っ張っても取れる気配はない。完全に、私の頭の一部だ。


「竜の、ツノ……」


 痛みも吐き気も混乱も全然よくなってないけど、ちょっとだけ慣れてきた。

 ゆっくりと立ち上がる。冷静になるために、声に出して確認する。


「なんで『竜のツノ』だって分かるんだよ、私は……」


 竜とかドラゴンなんて、ゲームの中にしかいないじゃん。いつ、どんなゲームをやったのかなんて、丸っきり覚えてないけど。


「ゲームじゃなくて漫画とかアニメの可能性もあるか……」


 どうでもいい独り言で恐怖を紛らわせる。これから、私の記憶上で初めて廊下へと出るからだ。これまた薄暗く、気味が悪い。

 深呼吸をしてから、一歩を踏み出す。扉の外の長い廊下には、私がいた場所と同じような部屋がいくつも並んでいた。

 そして――。


 ……廊下には、患者衣や白衣を着た人間が何人も倒れていた、んだと思う。

 血で染まった白衣と、千切れた身体のどこかの部分が一瞬目に入った。生きている人は1人もいなかったと直感する。

 怖くて、すぐに視線を逸らした。跳ねる心臓あたりの服の生地をぎゅっと握る。


 しかし、をやった犯人が今も近くにいる、という可能性に思い当たって、焦る。そーっと瞼を開いてみる。

 正面には、穴の空いた扉が見えた。向こう側の部屋は……何もない部屋だ。私のと同じような部屋だが、本当に何もないし、誰もいない。なんだ、少しホッとし……。


 ゴトン。


「ひゃあっ!?」


 突然響いた大きな音に飛び上がる。左だ。反射的に振り向く。

 ……壁だったであろうコンクリートの面が、崩れ去っていた。冷たい風が入ってくる。さっきのは大きめの瓦礫が落ちてきた音らしい。まだ崩れたてほやほやって感じなのか……?


「な、なんだよ、脅かすなよな……」


 さっきからビビらされ放題でイラっとしながら、壁だった穴から建物の外を覗く。夜の街が見える。寒い……間違いなく冬だろうな。

 でも、ようやく明かりらしい明かりを見れた。人が作る様々な光が織りなす夜景は、なんとなく好きだ。気分は、落ち着いてきた。


「……え?」


 そのとき異変に気付いた。気持ちとは裏腹に、呼吸も心拍数も激しくなっている。それも、今までで1番酷い。


 何かがびりびりと裂ける。荒い息を抑えられない。気配を感じて振り向くと、それは巨大な翼だった――私の。


「は……なんだ、これ」

「それは『竜骨座』だよ。アヴィオール」


 声が聞こえる。でも、誰も喋ってない。


「私達の渇望した力、皮肉なことに」


 夜景を見る。綺麗だと思っていたはずのそれは、眩しすぎて、私をイラつかせる。

 建物の淵に立つ。小さなコンクリートの欠片がぱらぱらと落ちる。


 苛々するでしょ。全部壊して、復讐しよう。


 街を見下ろす。楽しげな光が目を引いて、目障りで、どうしようもないほど腹が立つ。

 ……私は、私が誰なのか知らない。どんな人間だったのかも知らない。

 でも、これだけは断言できる。

 今、私が抱いている感情は、おかしい。


「だれか、私を」


 その瞬間、咆哮が轟いた。

 それは、私の口から発せられていた。

 わたしは翼を大きく広げて飛び立つ。

 目障りな存在すべてを、焼き払うために。

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