第3話
嵐が止んだ夜空を、私たちは一緒に仰いだ。見渡す限り星の奔流。オリヴァーはあの向こうの向こうの向こうから来たのだ。私はここまでの道のりを思い出していた。必死で登ってきたけれど、綺麗なものが沢山有ったのだ。木漏れ日はきらきらして、鳥たちはよく響く声で鳴いて、獣たちが草枝を踏んで走る。オリヴァーは私たちよりも、もっとずっと長い道程をやってきたのだから、もっとずっと多くの綺麗なものも恐ろしいものも見てきたのだろう。
「帰りたいのではない、と思う。もうここが私たちの家だしね」
オリヴァーのよく通る声が、凪いだ風に乗って聞こえた。ただ自分がどこから来たのか、憶えていたいだけだ。そうね、と私は答えた。何から逃げているのか忘れてしまったら、どこへ行くべきなのかも、分からなくなってしまうから。オリヴァーがこちらへゆっくりと視線を戻した。虹色の泡のように揺れる虹彩に、私が映る。もう羽もくすんでボロボロになってしまった。卵を産んだから、この身体には何も残っていない。
「あなたと私は同じものだ。生きた時間も距離も、とても違うけれど」
オリヴァーの声が遠くなっていく。星が雨のように降り注ぐ。いや、私はまた自由に飛べるようになったのだ。月にでも星にでも、オリヴァーの故郷へまでも飛んでいける気がする。かつて飼われていた籠を這い出し、彼に出会って、豊穣の畑を渡り、森に受け入れられた。生活の足しに私たちを売る農民も、焼畑も木材の伐採も、怖いのはそれ自体ではなくて、そうせざるを得なくなった理由だ。愛するものがいれば、何でもできそうな気持ちは奇跡的だ。そういったものが、きっと時間とか距離とか種の違いとか概念の違いとか関係無くオリヴァーと私の間にある。逃げて逃げてアンデスを登って、頂からもっと高みから降り注ぐ神々しい光の中に、幾つもの白い影が伸び上がるのを見た。宇宙と交信するアンテナの群れ、私には天に向かって一斉に飛び立つ、輝く羽の蝶に見えたのだ。
こうごう 田辺すみ @stanabe
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