第2話

 支えてくれたオリヴァーの手は、ひんやりとしていた。私は人肌が苦痛だ。燃えるように熱く感じる。幼い頃執拗に触られたせいかもしれないし、私には体温とか、感情から揺らぐ熱のようなものが無いのかもしれない。そして彼のことを考えた。一緒にいるために逃げたのだから、彼がいなくなってしまった今、私はどうしたらいいのだろうか。いや、するべきことは分かっているし、気持ちをどこに置くべきかも分かっている。分からないのは、自分が、まだ、登りたいと思っていることだ。オリヴァーの視線を辿って、大気を突き刺すレーザーを駆け上がり、遠くへ、あの星々のところまで。


「嵐が過ぎるまで、おとぎ話をしようか」

 オリヴァーは私を優しく降ろし、ノートを取り上げて言った。覗き込むと、ノートのページは見たことのない文字で埋まっていた。口元の笑いを深める様子はどこか、今にも遠吠えをしそうな獣に見えた。

「私はある国の科学者だったんだ。いろいろ作るのが好きでね、それが武器転用されることに目を瞑れば、国からいくらでも研究費がもらえた」


 ところがある日、彼に出会った。敵国の反戦地下組織に属している男、こちらに引き入れて敵国を内部から切り崩す作戦だったのだが、……気がついたら彼と逃げ出していた。最新型の宇宙航海機スペース・クラフトに少し手を入れるくらいは私にもできた。仲間も家族も国も捨てて、私たちは飛び立った。

 長い長い旅だった。私たちは両国の機密を知っていたから、追っ手がくることは分かっていた。できる限り遠くへ、私たちには何の打算も無かった。二人でいられればよかったんだ。そうして、この星に辿り着いた。


 “この星”とオリヴァーは言った。私は彼女の夜空に浮いた月のような目を見上げた。そうか、と私は納得した。


 美しい星だった。宇宙航海機も使用限度を超えていたし、ここが本当に私たちの“果ての土地”だった。資材も技術もまだ無い、動植物たちが戯れるだけの、私たちにとって楽園のようなところだった。“人”もまだ存在しない、だから憎しみも無い。有るのはただ、穏やかな淘汰と進化だけだ。私たちは、この星と生きていくことに決めた。幸せだった。


 オリヴァーは微笑んだ。未熟な果実のように鮮やかで、腐って落ちたように甘やかだった。でももう彼はいない。


 私が機能的構造に関心を持つように、彼は生物の無限の可能性に魅せられていた。私たちを慕ってくれた仔どもたちに、いろいろなことを教えてやったのが、間違いだったのかもしれない。その中でも“人”は、瞬く間に増えて村をつくり、街をつくり、国をつくり、戦争を始めた。彼は止めようとして、巻き込まれて死んだ。『彼らは僕らの子どもたちだ、諦められるものか』と言っていた。愚かな男だろう、愛していたんだ。もう触れることができなくても、私には彼しかいない。

 そうしてこの星が周回するところの何千万年に至って、“人“の技術は地表を離れ、太陽系を抜けて、銀河を渡ってその先へ向かうようになった。私たちの故郷はまだ、”見つかって“いないけれどね。


 だからオリヴァーは空を見つめるのだ。帰りたいの、と私は問うた。オリヴァーは笑わなかった。蝉の抜け殻みたいに目元を歪めて、喉が薄い酸素をひゅうと低く漏れ出した。

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