こうごう

田辺すみ

第1話

 私はいて山を登っていた。明るい方へ、もう眩しいくらいだが、その先へ。畑は焼かれ、森はられ、村人は私たちを捕まえようと追ってくる。私は彼と逃げて、逃げて―――彼女に出会った。


「研究所以外からのお客さんとは珍しい」

 4000メートルを越える稜間の荒野から、白く大きく冷たく空に向かって聳える何台ものアンテナ。その影で震えていた私たちを匿ってくれたのが彼女だった。そっと小屋へ迎え入れて、水と果物を分けてくれたけれど、彼はもう限界だったのだと思う。それとも私を預けられる人を見つけて、安心してしまったのかもしれない。翌日空が白む前に、彼はことりと、もっとずっと軽くなってしまった。窓から差し込む強い日差しに濃く映る影をぼんやり眺めながら、何もできない私に、彼女はずっとここにいたらいいと言ってくれた。


 ここはアンデス山脈の高地に何ヶ所か建設された天文台の一つなのだと言う。人工の光と大気の揺らぎの少ない高山は、天文観測により適しているのらしい。彼女、オリヴァーは、一人でこの基地のメンテナンスをしながら地上にデータを送っている。巨大な望遠鏡テレスコープの他に、アンテナはレーザーを使って宇宙を観測する最新技術なのだそうだ。普段誰とも話す機会の無い彼女は、私にいろいろなことを教えてくれた。夜空を仰ぐ彼女の目は、今まで出会った人間とはとても違っているように見えた。


 水は離れた小川から引いてきており、小屋の裏手には小さな菜園があった。私は故郷の緑が恋しくて、よくその辺りをうろうろしていた。野生のリャマが時々やってくるが、一応柵で囲われているので齧られることはない。高山の日差しは激しく、天気は変わりやすい。その日、オリヴァーは裏庭の私に小屋へ入るように言いにきた。ストームが来るのらしい。小屋の壁は石造りなので問題ないが、窓ガラスと屋根が酷く軋む。隙間風にランプが揺れて、私たちの影が荒波に揉まれた船のようにばらばらと室内を回転した。私はよろけてオリヴァーの仕事卓の上を転がった。古いノートが、卓の上からばさりと落ちた。

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